2.
「大塚、何回行った?」
「3257、8、9」
ガッチャガッチャって回すミキシングの音がたった1日でスーッてなるわけがない。
「これから時間あるときは毎日な。ザボると音で分かるからな」
「……はい」
裏側はきっとどんな仕事でもそう、だれだって努力してるんだと思う。休憩時間にイスに立て掛けてある冊子は、例の高橋が買った風俗情報誌は、暇つぶしにはちょうどいい。
“増刊号!夏だから渋谷特集!”
いろいろあるんだなって思う。夏と渋谷がどう関係するかは知らないけど、めくるページには道玄坂の地図が記載されていた。
「夏限定、水鉄砲プレイ……?」
想像もつかないそのネーミングに思わす興味も沸く。パラパラとめくりながらも、男のサガってどうしようもないななんて今朝、絵理の胸をさわったおれが言える立場じゃない。
“期待の新人・ニューフェイス!”
派手なゴシック体がページを飾り、何枚かの女の子の写真があった。みんな笑顔で、それでーーそこで見つけた。
「ウソだろ!」
ひとり言も勝手に漏れる。
「……なんで?」
なんでかってきっと生活のため、それしか他に理由は見つからない。副業でコンビニのバイトーーそうとしか言えなかったんだ。
「有希!」
そのページを力任せに引きちぎる。元セックスフレンドがファッションヘルスで働いてます、その元セックスフレンドは彼女の姉です、だから?だからどうする?
昔別れた女性が言ってた言葉が頭を過る。その言葉は心の奥の奥に閉まってある。携帯電話から有希の名前を探し、通話ボタンを押す。接続中の音が聞こえた途端、指は電波の発信を切った。
「だからってなんて言う?」
自問自答を繰り返す。何度も何度も同じことを考えて、でも一向に整理できないそれは、おれが有希に対して何かを言える立場かってこと。
「皆川、どうした?」
店長の言葉に「すいません、今戻ります」、そう伝えて仕事モードに切り替えるはずの心ーーおれはそんなに器用じゃない。
「すいません、マンハッタンください」
「かしこまりました」
笑顔で、精一杯の笑顔でそう答え、CCとチンザノロッソ、それにアロマティックビターを手元に置き、レッドチェリーでグラスを飾る。ミキシングに氷を並べ、少しだけ水を入れてステアをすればミキシングの温度が下がりお酒を待つ準備が終了。キッと水を切り、あとは氷が余計に溶けないように素早くCC45ml、チンザノロッソ15mlを加えてステアーー。
視界の隅で大塚の視線を見つけた。おれの努力の跡を見てろよって、大塚よりは自分に言い聞かせる。2つを合わせた60mlは、1mlの狂いもなく氷が溶けた分も合わせて90mlになり、注がれる途端にグラスに這う霜。
「きれい」
カウンターで頼んだ女性がそう言った。仕上げにアロマティックビターを1ダッシュ、今日1番のカクテルだ。
「今までいろんなバーで飲んできた中で1番おいしいです」
「ありがとうございます」
店が閉まったあと大塚は急に「師匠!」だなんて言ってきた。不器用なりにも何かを分かってくれた、多分そう思う。けどそれどころじゃない、今のおれにはそんな余裕はない。
ーー皆川くん、意外と分かってないなあ。女の子と別れるときにはそんなに優しい言葉をかけちゃダメなの。2度と会わない、それくらい言ったら女の子はもう涙なんか出ないってくらい泣いて、でも数日たてばケロッとしてるもんなのよ。