4.
「高橋、おれ今日まかないいいや」
「皆川さんもしかして、愛妻弁当ってやつですか?」
「ひとり者のお前には分かるまい」
甘い玉子焼きと鶏の唐揚げ、タコのウインナーにミートボールが入った手作りのお弁当は、旨いかって当然旨い。
目が覚めたら10時を過ぎていた。鍵はちゃんと閉めるのと、そう書いてあるメモをテーブルの上に寝起きで見つけて落ち込んだ。
「ああ言っちゃった……」
付き合って4日目、同棲の誘いは早いかってそりゃそうだろ。嫌われたかなって考えてたら携帯電話のランプに気付いた。
ーー引っ越しはいつにする?それと今日、友達とお店に遊びに行っていい?
いわゆる有頂天って言葉はおれのために存在する。でも返す文章は朝はごめんねって。困らせちゃってごめんねって。お店の行き方分かるって。
「羨ましいですね。どこで会ったんですか?」
もう別に秘密にしておく必要もないだろう。
「高橋、前に一番街の入口でナンパした女の子2人組覚えてるか?」
「はい、お互いにいい思い……あの女の子ですか?」
「その妹だ」
姉妹ともやっちゃったんですかって言う高橋に、まだやってないって……全く信用されてない。しょうがないけどまだのものはまだ。
絵理が友達を連れて店に来たのは9時半くらい、隣りの髪がショートの子は彩香さんって名前らしい。
「なに飲む?」
「カンパリソーダ」
「えっと、わたしはカシスソーダで」
かしこまりましたって言うのも照れる。絵理カッコいいじゃんなんて友達の声を聞こえない振り、ポーカーフェイスを装いコリンズグラスを2つ並べた。ペジェカシスとカンパリ、並ぶボトルは共に赤。けれど全く違う赤と赤はそれぞれの個性で、加えるソーダとレモンのバランスは微妙に違ってくる。
カンパリソーダーー今日のカンパリソーダはレモンを薄めで作った。
「どうぞ」
笑顔の2人の前に並ぶ2つのグラスに沈む氷は、口をグラスにつけるときにじゃまにならないちょうどいい高さ。
「おいしいです」
「うん、おいしい」
細やかな気遣いにだれが気付くって、きっと100人いたら1人くらい。でもおいしいお酒を作る、それがおれの仕事。
「雅也さん、料理のオススメってどれ?」
「そうだねえ……」
「なんかいいな、2人の雰囲気」
茶化す彩香さんにいいでしょって言ったら笑ってた。近くで聞こえた高橋の声も笑ってる。
「はじめまして、キッチン担当の高橋です。皆川さんには日頃からお世話に……」
「お前だれだよ!」
余計なこと言うなよって心配は高橋には必要ない。「料理はお任せ下さい」なんて腕を胸に当てて言うセリフはよく似合う。
「今日はおごるよ、好きなだけ飲んできな」
2人はいいよいいよなんて言いながら、でも快く承諾してくれた。その後カウンターを飾る料理は今まで見たことない、なんならおれが食べたいレベル。
「高橋、こんなメニューうちにあったか?」
「店長いないんですし特別サービスです」
2人の「ありがとうございます、おいしいです」、高橋の「いえいえ」、うまいなあなんて思いながらおかわりのガルフストリームとネグローニの準備に入る。
響くシェーカー音はいつも以上に鋭く、キッと冷えたカクテルは笑顔を簡単に引き出してくれる。絵理のデパートの同僚、彩香さんは社交的で、いつの間にか高橋と仲良くなって、でも内向的な絵理の方がいい。絵理の絵理ーーおれだけのもの、それが心を安心させてくれる。
「こんか幸せそうな絵理の笑顔なんて初めて見た。デパートの中じゃおとなしいくらいなのに隅に置けないな。皆川さんは絵理のどこが好きになったんですか?」
少し考えて言ってみた。
「一目惚れ」
なんか体がかゆいなんて言い出したのは高橋、ヒューヒュー言ってるのは彩香さん、絵理は顔真っ赤にして、そういえば大塚……ま、いっか。
「同棲するんでしょ?」
その言葉に心が震える。でも絵理と目が合って、絵理がネグローニを口にしながら頬の肉を上げて笑って、イタズラっぽい顔したから「うんそうだよ」って答えた。
「いいなあ……」
結局2人は閉店までそこにいて、彩香さんは「いいなあ……」を20回くらい連発していた。
「一緒に帰ろ」
ダウンライトの奥で、きっと頬を赤く染めた絵理が小さく頷く。高橋はいつの間にか彩香さんと連絡先を交換したらしい。締めのデザートはデザイナーズブランドのようなデコレーションのアイスクリームになった。凄すぎて笑った。