心の傷
心の傷、それは体の傷と比べて、治りにくいものである。
心に傷を負いやすい行為、私の頭の中に浮かんでくるのは、“いじめ”だ。
いじめ、それは集団生活の中でよくおこる問題である。学校や会社など、多くの人が共に活動する場所では、浮く人間だって出てくるだろう。周りの人間は、それが気にいらなかったりしたときに、いじめという行為をする。
例えば、頭が他の人間よりもすぐれており、先生に褒められっぱなしな人。そんな人を見て、自分よりもすぐれていると思い、『ねたみ』、いじめが生まれるパターン。
クラスの中で何かに一生懸命取り組んでいる。よくあるのは、運動会のリレーなどで1位になれるところだったが、アンカーなどが失敗してしまい、クラスの人に『憎まれ』、いじめが生まれるパターン。
そのほかにも、これは特定の人間だが、その人に逆らうと何か仕返しがくる人、そに人の『怒り』や『嫉妬』のターゲットになってしまい、いじめが生まれるパターン。
人は、自分の思い通りにならないと気が済まない人、気に入らない人間を懲らしめたいと思う人などが、この世には何人もいるのです。その人に逆らったら、今度は私がいじめられる。その恐怖が、いじめを放置してしまう原因でもあるのです。
いじめがおこるきっかけなんて、小さなことなのです。だが人は、そんな小さなきっかけで、『憎しみ』や『恨み』、『怒り』といった感情が生まれてしまうのだ。
いじめを始めると、『楽しい』と思う人たちが出てくる。その人たちを放っておけば、その人たちの中に次々とターゲットを変え、いじめを繰り返す人だってでてくるだろう。
いじめは人の心に傷を負わせ、トラウマなどをつくってしまう、とても恐ろしいものなのだ。
いじめは、人の感情が生み出すもの。いじめをなくすなんて、ひとに心がある限り不可能だ。
しかし、いじめがひどくなる前に、そのいじめを誰かが止めれば、いじめのサイクルは終わる。そのままにしておけば、いじめは最初よりもひどくなり、必ず自分にまわってくる。
いじめを気付いている人が止めないのは、自分が次いじめられるのではないかという恐怖だ。しかし、いじめを放っておけば、必ず自分の番がまわってくる。今いじめられている人の姿は、未来の自分かもしれないのだ。
いじめが止められないのならば、手を差し伸べてくれる、自分の支えになってくれる人を見つけることだ。家族や友達、恋人。誰でもいい。自分が一番信頼できる人を見つけるんだ。そういう人が一人でもいれば、少しは痛みも和らぐし、強くなれる。
いじめが原因で亡くなった人たちは、今までで何人いるだろうか。
人が人を傷つけていい人なんて、一つもない。いじめで消えていい命なんて、一つもない。だからこそ、人は支え合いながら、生きていかなくてはならないのだ。