女神がいれば大丈夫
北条敏秀の言葉を聞き、文翔の喉が自然と鳴った。
彼の遺伝子を勝手に使い、自分を産んだ。
そのあまりにも身勝手な行動は、自分の知る母のものとは到底思えなかった。
いや——思いたくなかった。
「私は、あの研究所の立ち上げに携わっていた」
だが、続けられた敏秀の話が、否応もなく文翔を追い詰めていく。
「当時、私と妻は不妊治療を行っており、国の遺伝子研究機関として最高峰の施設の設立を知り、それに協力した」
足元が揺れる。
「その結果、子宝に恵まれたのだが、私の精子は、そのままあの場所に保存されていた」
指先の痺れを感じ始めた。
「彼女はそれを無断で使い、子供を作ったのだ」
息が浅くなって、空気が上手く入ってこない。
「私がそれを知ったのは、君が生まれる直前だった。大蔵冬美の父親が彼女の私物を漁り、私の名前が書かれた遺伝子情報のレポートを見つけたらしい」
今すぐ自分の頭を叩きたい。
「そのことがなければ、誰にも言うつもりはなかったらしい」
だが、痺れた腕が上がらない。
「結局、私からという形で父親にまとまった金を渡して、勘当を条件に事を収めたと言っていた」
目の前がチカチカと瞬き出す。
「そして、もし父が私の前に現れるようなことがあれば、真実を書いた直筆の手紙を渡してくれと預かった」
お願いだ。
「彼女は、昔から父親に暴力やネグレクトを受けて育ったせいで、男性に拒否感が強かったようだ」
彼の魂よ、揺れてくれ。
「だが、自分の異能は亡くなった大切な母から受け継いだもので、どうしてもそれを継ぐ子供は欲しかったのだと」
嘘をついていると私に示してくれ。
「それで、研究所に保管してあった、一番優秀な遺伝子を使って体外受精を行い、君を身籠った」
頼むから。
「その遺伝子というのが私のものだった」
だが、私がどんなに願っても、敏秀の魂は嘘をついていることを示さなかった。
「そして、生まれた子供には父の名を明かさないし、二度と迷惑を掛けないようにすると誓った」
何のためにあるのかわからない能力。
「だから、どうか産むことを許して欲しいと、身重の体で土下座されたよ」
視たいものを何ひとつ見せてくれない能力だった。
「結局、私は彼女を許さざるを得なかった、すでに臨月を迎えていたからね」
自分には“ステキ”がない、それを確信してしまった。
「つまり、私の遺伝子が君にあることは間違いないのだが、息子という気持ちは持っていない」
今まで積み上げてきたものが、根本から全て間違っていた時、人はどうすればいい。
「な……なら……なぜあの時……真実を教えてくれなかった」
張り付いた喉で無理やり声を出したせいで、言葉がうまく出ない。
「ああ、初めて会った時か……確かに気づいたよ。でも、君に真実を告げて、自暴自棄になられるのを考慮したんだ」
確かに、あの時点でこの事実を知ってしまったら、心を壊していたに違いない。
「君はまだ子供だったからね」
彼は、私を気遣ってくれていたのだ。
「だけど、美籐所長に強請られてしまった。遺伝子検査で親子判定をして、結果を晒すぞと」
その原因を作ったのは、自分の一言。
「結局、私は金を出す羽目になった、それが政治家として命取りになるだろうことはわかっていたのに」
復讐を始める最初の一歩。
「私はね、妻を誰よりも愛しているのだよ……親や子供よりもね」
その言葉に魂は揺れない。
「だから、妻を不安にさせたくなかった。隠し子がいたなんて事実は伝えたくなかったんだ」
その身に覚えのない裏切りは、母の罪。
「そして、それ以上に政治家として日本のトップに立ちたかった。人生全てを懸けて、その野望を叶えるために生きてきた」
北条敏秀にとっての心からの願い。
「手が届くところにあった夢を、壊されたくなかったんだ」
それを壊したのは私たち母子。
「まあ、私の覚悟が足りなかったのだろうな……あの時、君の母親を訴えていれば、こんな結果にはならなかっただろうから」
犯した罪の重さが計り知れない。
「だから、すまないが君に協力はできないよ」
確かに母が言っていたように、彼は立派な人だった。
そういえば、母は決して自分に似てや、自分のようにとは言ったことがなかった。
きっと、己が罪人だと自覚していたのだろう。
「幸い、君のお母さんは、私に人工授精の書類を渡してくれていた」
それは敏秀にとって無実の証明書。
「それは万が一の時に君の祖父へ見せる予定だった、自分勝手に遺伝子を使ってしまい申し訳ないという直筆の手紙とともにね」
祖父が金をゆすりに来た時の切り札。
それを社会に向け、大々的に発表することもできたはず。
「妻はそれを見て、私に非はないと判断してくれたので、今も家族で暮らせているよ」
敏秀は自嘲気味に笑った。
その顔を見た瞬間、私の膝が崩れてしまう。
「本当に……申し訳ございませんでした!美籐所長に入れ知恵したのは私です!」
土下座をし、床に額を何度も打ちつけた。
「ずっと……貴方を憎んで生きてきました!母と私の罪についてはいかなる罰でも受けます!」
ひたすらに謝るしかなかった。
母の罪を、己の罪を、頭に刻みつけるように何度も何度も。
「……やめなさい!」
敏秀が私の肩を掴み、強く引き止めた。
「いまさら謝罪が欲しいわけではない、なによりそんな事をして何になる!」
その手からは力強さが伝わってきた。
「君は、私のようにこの国のトップを目指すのだろう?ならば見せてくれ、私の遺伝子の優秀さを」
敏秀の魂は揺れていた。
きっと、本当は許すことができないのだろう。
それでも口にした言葉は、私を気遣うものだった。
この人は、本当に立派な人だ。
そんな人物を、勝手な思い込みで貶めた。
「……私には……もうその資格が……ありません」
涙とともに漏れたのは、総理を目指す意思を捨てる言葉。
初めは復讐心。
次は母との絆を求めて。
それらの原動力が失われた今、それを目指す理由がなくなっていた。
なにより、彼に消せない汚点を作ってしまった自分が、そんな場所を目指していいはずがない。
もはや、生きる意味すらなくなっていた。
自分の存在そのものが罪のように思えてしまった。
「いや、むしろ総理になるべきでしょう」
聞こえて来たのはアキラの声。
「……何を……言っているのだ?」
視線をそちらに向けると、彼は笑みを湛えたままだった。
「総理になり、研究所の有用性を証明して、その上で北条さんの無罪を国民に訴えれば良いでしょう」
キラキラとした視線でとんでもない解決策を口にし始める。
「証拠はあるのですから、立場さえあれば簡単です」
まるで問題など存在しないと言わんばかりに、アキラは髪をかき上げた。
「隠し子のことは確かにそうだ……だが、あの研究所は確かに虐待まがいのことを行っていた」
それに手を貸したとみられ、この人は失脚したのだ。
「でも、子供たちは助かっていたのですよね?」
指を立てて結果論を堂々と告げる。
「僕の友達も、彼女たちも、口を揃えてあの場所があったから救われたと言ってました」
だがそれは事実だった。
「異能を持つ子供は、基本的に社会から弾かれてしまう。その受け皿はある方がいいです」
私にとっても居心地のいい場所で、おそらく母にとってもそうだったはずだ。
「それはそうだが……」
だが、子供に過酷な実験や検査を強制するなんて、社会が許さない。
「僕は、人の進化をうながしたいのです。近い内にそのための施設も作ろうと思ってます」
アキラは瞳を輝かせて、夢を語るように話しだす。
「なので、総理になってそれを手伝って下さい」
望まれたのは、新たな道。
「まずは先輩が総理になって、あの研究所が有用だと証明する最大の成功例になりましょう」
思ってもみなかった総理になる理由。
「そんな素晴らしい研究所を支援していたことは間違いじゃなかったと、北条さんも再評価されますよ」
私によって貶められた父の評価を覆す。
「なにより、僕がつくる施設の所長は、優しくて子供のことを第一に考えてくれる、世界一素晴らしい女性に任せる予定です」
その唯一の方法だった。
「その人がいる限り、新しい施設は子供たちにとって、救いの楽園となるでしょう」
子供たちにとっての救い、そして自分にとっての贖罪をする機会となりえた。
「きっと立派な総理に成れますよ、だって、親子だけあって——魂の色がそっくりですから」
告げられた言葉の意味、それはアキラも魂が視えているということを指し示していた。




