Burning Fire
どうしようか、とエミリアは考えた。目の前では天井まで届くほどの炎が燃え盛っている。レンガ造りの家なので火の回りは遅いことが幸いだ。しかし家の中には木の家具も多いし布もある。第一、煙が回って窒息してしまったら火が回らなくてもおしまいだ。
エミリアはケホケホと咳をした。どうやら少しばかり煙を吸ってしまったらしい。急いでどうにかしなければならないのだが、慌てても事態が好転するわけではない。エミリアはいったん、暴れようとする心臓の鼓動を抑えつけた。火の手が回り切ってしまう前にこの家から出ないといけない。
「……どうやって?」エミリアは辺りを見回した。
火の中心はおそらく入口付近だ。不審な破裂音が聞こえてきたのもそのあたりだった。窓はいくつかある。入口付近のキッチンの窓、それと、今自分がいるベッドの近くだ。なりふり構ってはいられない。そう思ったエミリアは、窓を開けるために手を伸ばす。鍵を回そうと試みるも、錆びついていて回らない。
「なんで……どうして?」エミリアは急加速で回り始める思考に、呼吸が荒くなるのを感じながらも、生きるために何ができるのかを必死で考え続けていた。
しかし思いとは裏腹に火の手は強まっていく一方で、少しずつ強まっていく手の震えと、背中に感じる炎の熱が、避けられない未来を訴えてくる。
「早く!何とかしないと……!」エミリアは再び窓の鍵に手をかけた。
「……う、……ゴホッ……ゴホッ!」さっきよりも部屋を満たす煙が濃くなっている。
エミリアはぼやける視界と焼けるような喉の痛みを感じてうずくまる。バチバチと、部屋の家具が焼け焦げて爆ぜるような音が聞こえ、もうこれ以上は耐えきれないと意識を手放しかけたその時。
―バリンッ‼
大きな音が鳴り響く。視界の隅に、何かの影が映り込んだのをエミリアは見た。しかし、同時に炎もより激しく燃え上がっていくのを感じている。自分の近くに、誰かが降り立ったような気配がした。
「おい、平気か!」
「グッ、……ゴホッ!……ぅ。」エミリアは耳元で聞こえてきた低い男性の声に安堵しつつも、返事がうまく声にならないことにもどかしさを感じていた。
立ち上がろうとする足にも力が入らず、本格的にめまいがして意識が途切れかける中、エミリアがなんとかうなずき返そうと首に力を入れたとき、脇の下から体を支えるようにして抱き上げられる感覚がした。誰かはわからないがしっかりとした肉体に触れた安心感で、エミリアは本格的に意識を手放した。
「……ひゅっ、う……ゴホッ、ゴホッ!」次に目を覚ました時、エミリアは上手く息が吸えずに咳き込んでしまった。
新鮮な空気が少しずつ肺に満ちてはいくものの、まだ喉がひりひりと痛む感覚に顔をしかめる。今自分がどこにいるのかははっきりしないが、熱が焼け付いた皮膚の感触とは裏腹に、冷たい風が頬を撫でるのがエミリアにとっては気持ちよかった。
「……ねぇ、エミリアさんが目を覚ましたよ。」近くからすでに聞いたことのある声が聞こえる。
「……っ?」エミリアは、まだうまく発声できない喉を抑えながら、どうにか体を起こしてみようと試みる。
「あ……、大丈夫?」エミリアの体を支えてくれたのはエレだった。
彼女はそのスカイブルーの大きな瞳を心配そうな顔で歪めながらも、地面に膝をついてしっかりとエミリアの上半身に腕を回していた。
「……、えっと、平気?」さらに反対側からはディウの声が聞こえる。
「……!」うんうんと首を動かしながら、エミリアは彼ら二人の言葉に答える。
自分の声が自由にならないもどかしさを感じながらも、彼らに心配を掛けてはいけないと大きく息を吸い込んだ。何度かゆっくり深呼吸を繰り返していると、暴れまわっていた心臓が少しずつ落ち着きを取り戻すと同時に、霞がかっていた思考がクリアになっていくのが感じられた。
「……ふぅ、はい、大丈夫です。……ありがとうございます。」まだいくらか声が掠れてはいるものの、ようやく言葉を発せられたことにエミリアはほっと胸を撫でおろす。
「エレさん、ディウくん、お気遣いありがとうございます。」いつもの調子とはいかないものの、エミリアは二人を安心させるために精一杯明るく言葉を返した。
「……よかった。……えっと、災難だったね。」瞳がうるんでいるエレを横目で見ながら、ディウがもどかしそうに言葉を紡ぐ。
「……うん、こんなすぐに、その、巻き込まれちゃうなんて……、災難だったよ!」エレも焦ったように付け足した。
「……はい、そうですね!そう思います。」エミリアも、二人の複雑そうな雰囲気を感じていたため、この場では深堀りするまいと心に決めた。
「……あのそれでお二人は、私を助けてくれた方を知っていますか?男性の方だったと思うのですが、その、お礼を言いたいので。」エレとディウの肩に軽く触れながら、エミリアはおずおずと二人に尋ねる。
「……あ、それは、お兄ちゃん。」ディウと顔を見合わせた後でエレが答えた。
「……アインさん?」
「そう。」エミリアの問いにうなずき返す二人を前に、彼はどこにいるのかとエミリアが尋ねると、その居場所を指し示すようにエレがすっと右腕を上げた。
「アインさん!」立ち上がったエミリアがゆっくりと近づいていくと、アインは通話中の端末を下げてこちらを向いた。
「……、目が覚めましたか、エミリアさん。」アインは端末に対して何事かをつぶやくと、端末をポケットにしまいエミリアの方に向き直る。
「あの、通話中だったのでは?」エミリアが聞くと、アインはゆっくりと首を振って否定した。
「大丈夫です。あなたが寝ている間に、ほとんど終わりましたから。」アインは先日会った時と同じように、かさついた抑揚のない声でエミリアに言った。
「なるほど。……あ、その、助けていただいたみたいで、ありがとうございました。」
「いいえ、為すべきことをしたまでです。……礼にはお及びません。」深々と頭を下げたエミリアに対して、アインはわずかに頭を下げて定型文のようにつぶやいた。
「……それでも、助けていただいたことは事実ですから。あなたが来ていなければ死んでいたかも、しれないですし。」エミリアは認めたくない可能性に対して苦々しい顔を見せつつも、アインに対して精一杯の感謝を伝えようと試みた。
しかし、アインからは特に返答が返ってくることはなく、二人の間には所在なさげな沈黙だけが漂っている。エミリアが静かにため息を押し殺していると、アインの足元に雫が垂れていることに気が付いた。
「アインさん……それ!」エミリアが滴の垂れている軌跡を目で追うと、アインの左手の甲がグローブごと切れており、わずかに血が滴っているのが目に映る。
「……?あぁ、どこかに引っ掛けてしまったみたいです。……お気になさらず。自分は大丈夫ですので。」心配そうに身を屈めるエミリアとは裏腹に、アインは特に気にする様子も見せずに佇んでいる。
「……いえ、手当てしましょう!アインさん、応急セットは持っていますか?」
「え?いや、その……。はい、あります。」アインは一瞬戸惑ったような表情を見せたものの、エミリアの圧に押されたのか、おとなしく自分のツールバッグから応急セットを取り出した。
「ふふ。しっかりしていますね!これだけあれば、十分です。」エミリアはアインの手から応急セットを受け取ると、アインの手を取って傷口を観察した。
グローブを取ったアインの大きくて薄い手の甲には、何か鋭いものでスパッと切れたかのような細長い切り傷が走っている。エミリアは着ている部屋着からきれいな部分を選び、皮膚が引き攣ったように赤くなっている傷口の周りから血とごみを丁寧に拭い去った。さらに消毒液を垂らして消毒した後、ガーゼを当てて、最後に包帯で固定した。
「はい、これで大丈夫ですよ!」エミリアはアインの手を両手で軽く握りしめながら微笑んだ。
「……あ、はい。……ありがとう、ございます。」アインからの返答はどこかぎこちないような感じがしたものの、ゴーグルに隠れている彼の両目からは、現状どんな感情を抱いているのかは読み取れない。
「その、改めて、今日はありがとうございました。エレさんたちのことですが……。」エミリアはお礼を言いつつ、エレやディウのことが心配であるとアインに告げる。
「……そうですね。もう夜明けですし、俺もこれから月影に行かないといけません。……その、妹たちのこともありますし、今日は俺の家で休んでいたら、いいと思います。」アインはたどたどしくもエミリアに提案した。
「……え?……はい、あの、そうさせていただこうかと、思います。」エミリアはわずかに一瞬たじろいだものの、実際に家が焼けてしまったことは事実であり、エレたちを放っておけないという使命感から、アインの提案を受け入れた。
「あの、お邪魔でなければ、ですが。」
「……はい、もちろんです。俺たちは、あの燃えた家が空き家なんだと思ってたんです。でも妹が、あなたがいると教えてくれました。」
「え?」アインが唐突に告げた内容に対して、エミリアはわずかに驚いた。
「むしろ、俺が謝らないと、いけません。申し訳ありませんでした。」アインが静かに頭を下げる。
「あ……いえ!それは私が今日越してきたばっかりだからで!誰の落ち度でもありません!そんな、それこそ全く気にすることではないですよ?」エミリアが必死で訂正するも、アインはまだわずかにうなだれているかのように見える。
「本当に、大丈夫ですよ?……いつもお勤め、ご苦労様です。」
「……いえ、ありがとう、ございます。」エミリアがアインに対して微笑みを見せると、アインはようやく肩の力を抜いたかのようにエミリアには見えた。
「それでは、俺はいってきます。……妹たちのことを、よろしくお願いします。」アインは軽く頭を下げると、地面に置いていた自分の荷物を背負い直して歩いて行った。
エミリアはまだ一抹の不安を抱えたままでアインの背中を見送るも、近くの物陰から二人を見ている何者かの視線には、ついぞ気が付くことがなかった。徐々に白みつつある空と、バイクで走り去っていくアインの姿、そしてエレたちとともに家へと向かうエミリアの姿を目で追いながら、暗がりに佇むフードの男は、「チッ」と舌を鳴らして姿を消した。




