月影局員アイン・ザード
ルミナスイースト、治安管理局・月影のB1車両格納庫から、アイン・ザードはレオンから許可をもらって借りている大型バイクを押して出てきた。正面からの入口とは別に、B1から直接外に出るための入口がある。しっかりとした造りのバイクは、通常であれば少し扱いが難しいはずではあったが、戦闘員であるアインにとっては大した苦労にはなりえなかった。
地上に出ると夜風が冷たいことにアインは気づいた。吐く息が白く、吸うたびに肺が緩やかに冷えていく。エンジンを温めてやらないとなと思いながら、アインはバイクのシート部分を優しく撫でた。少し乾燥したレザー風の質感が、露出した手の指先に引っかかる。
指先を軽く見てグローブをした後、腰に付けたツールバッグから取り出した布で軽く車体を拭いてやる。風を受けるのに特化したようなシャープなボディが、少しだけ誇らしそうに見える気がしてアインはわずかに口角を上げた。
アインはツールバッグに布をしまって、目にかけたゴーグルの位置を調整し、ヘルメットをかぶると、ジャケットの襟を立ててバイクに跨る。途中、背中に背負ったガンケースが引っかかりそうになったため、腰を浮かしながら位置をわずかに調整し、キーを回してエンジンをかける。
すでに何度も愛用しているこのバイクは、自分の長身にもフィットする重量感がありながら、軽々とした走りを見せるところがアインは少し気に入っていた。彼自身、自分には好みらしい好みはほとんどないと感じていたが、銃やバイクを自分の手でカスタマイズする程度には、こだわりと呼べるものがあるらしいことに最近気づいたばかりであった。
アインが両手で軽くグリップを握ると、今か今かと待ちわびるような細かな振動が腕に対して伝わってくるのを静かに感じる。ここ数日は夜風が冷たいが、この様子なら暖気も数分で済みそうだなと彼は思った。
最近は何かと事件が多く、1週間近く月影ビル18Fの宿直部屋に、寝泊まりせざるを得なかった。今夜はすでに遅い時間になってしまったが、それでもようやく妹たちに顔を見せられることに安堵して、アインはふっと溜め息を吐いた。
エンジン音が安定してきたなとアインは感じた。彼がグリップを回してスロットルを軽く開いてやると、動物が喉を鳴らしているかのような小気味のいい排気音が聞こえてくる。
「よし。」アインはバイクのボディを軽く手で叩いてやると、地面を蹴るように足を離してアクセルを入れた。
バイクがスピードを上げて走り始めると、冷たい夜風が頬を切る感触がして、アインは僅かに首をすくめる。雪がちらつく時期にはまだ少しだけ早いはずだが、それでも最近はよく冷える。道を歩いている人々の中には、長いコートや分厚いジャケットを着こんでいる者がちらほら見えた。
アインがルミナスイーストからセントラルスクエアのメインストリートに出て行くと、静まり返ったルミナスイーストとは違い、セントラルスクエアはまだまだ人の通りで賑わっているのが目に入る。トラムはすでに運行ダイヤのない時間帯のはずではあるが、酒が入っているのか楽しそうに騒いでいる人間がそこかしこにいるようだ。
バイクが通りを走り抜けていく最中、エンジンは少し高めの乾燥した音で唸りをあげた。車体から伝わる軽めの振動が、一定の間隔で体の芯へと響いてくるようなこの感覚が、アインにはとても気持ちのいいものとして感じられる。
アイン自身は気にしたことがなかったが、普段から基本休みのない彼にとっては、自室で銃の手入れをしている時間と、バイクで静かに街を走り抜ける時の感覚が、どうにも手放し難いもののように思えて仕方がなかった。
ふぅと白い息を吐きながら道の左右に目を向けると、まだ灯りの付いているカフェ&バー・マスカレイドが目に入る。今はおそらくバーの時間帯になっているはずだとアインは思った。店主のリンドウはアインと同年齢であり、妹たちのことも含めて個人的にも世話になっていることは数しれない。アインは軽くヘルメットへと手をかけると、店の方へと会釈した。
夜はもうだいぶ更けている。ソルティノースへと近づくにつれて、徐々に人の通りがなくなっていく。それ自体はいつものことだが、妹たちのことを思うとアインは気が気ではなかった。彼と妹は10も年が離れている。親のいない彼女にとって、彼と友達の存在がどれほどのものであるのかを、アインは少なからず感じ取ってはいたからだ。
アインは大きく息を吐く。続いて大きく息を吸った拍子に、嗅ぎ慣れたものに近い、何かの焦げたような匂いがわずかにしていることに気づいてバイクを止めた。
「……なんだ?」アインは即座に警戒心を引き上げる。
一度、アインは自宅の方へと向かいつつも、状況を確認しようと目を凝らす。家の近くが何かの明かりで照らされているのが見て取れた。
「火事か。」先月に引き続いて何件目かとは考えつつも、月影局員としての自分が何をしなければならないのかを即座にアインは理解した。
再びバイクを走らせる。自宅を通り過ぎて現場へと到着したアインが見たのは、民家数軒を飲み込んで燃え広がる炎だった。周辺の住民が集まってきて水をかけ合っているが、ゴウゴウと燃え盛る炎の前では、正直意味をなしていないようにアインには見えた。状況を確認するため、少し離れた場所にバイクを止めて荷物を下ろす。
「すまない、消防局への連絡は?」アインは火事から離れて見守っていたエプロン姿の中年女性に向かって尋ねた。
「……え?いや、多分まだだねぇ。うちらはみんな外出とるし、ここ空き家のはずだしねぇ?」中年女性がアインに答える。
「そうか、協力感謝する。」アインは胸ポケットから携帯端末を取り出す。
「えぇ。……あんたも大変ねぇ。」中年女性はそう言うと、「ほれ、あんたらは下がっとき」と言いながら、近くで見ていた子供たちの方へと戻っていった。
幸い、炎の中心になっている家は空き家であるという認識だったし、他の燃えている家の住民はすでに避難を終えているらしい。アインは端末を操作して、消防局へと連絡をかける。
「月影所属、アイン・ザードだ。至急ソルティノース第3番地に応援を。民家数軒が燃えている火事だ。住民の避難は終えている。」用件だけを手短に伝えると、「了解」とこれまた短い応答があった。
「お兄ちゃん!」振り返ると、妹のエレが、レイやディウと一緒に走ってくるところだった。
「お兄ちゃん!ここ空き家じゃない!人がいる!今日越してきたばっかりで……。」エレが叫びながら指差す先には、先ほどアインが空き家と判断した民家があった。
「……っ!」アインは自分の判断の甘さを悔やむよりも早く、近くの住民から水のバケツをひったくって頭から被った。
「……お兄ちゃん⁉︎」焦る妹たちの声が聞こえるも、判断を保留している暇はない。
アインは住民たちの隙間を縫うように家へと近づくと、炎の激しい入口ではなく、窓を思い切り蹴破った。
あらすじに人物リストを追加、活動報告にも掲載しました。




