偽物聖女、承りました
「お母様、あの馬車かしら?」
「ええ、きっとそうね」
辺鄙な田舎にある、セレスフォード伯爵領。
黄金の実りを生む豊かな土地は国の食糧庫として知られ、誰もが息を飲むほどの手つかずの大自然にはあらゆる動物や植物が息づいている。
そんな土地を管理する領主の屋敷、つまり自宅の正門前で、私は遠くなだらかな丘陵をじっと見つめていた。
普段はパッカパッカと荷馬車や農耕馬が通るばかりの道に、華美ではないけれども重厚そうな一際大きい馬車と、その馬車を守るための護衛たちが馬に乗って、行列を成してこちらへ向かってくるのが見てとれた。
「あの馬車に、聖女様が乗っていらっしゃるのね……!」
十歳の私、リュミナ・セレスフォードはドキドキしながら、憧れの聖女様に渡すための、蝋封済みのお手紙をギュッと握りしめる。
聖女様へのお手紙は、お母様と一緒に内容を考え、何度も何度も書き直して、お手紙の最後に初めてデザイン化した私のサインを記した。
「聖女様の能力とかも、見させていただける機会はあるのかしら?」
「一昨日作ったあなたの額の怪我も、聖女様なら治してくださるかしらね?」
お母様の言葉に、私は手紙を持っていないほうの手で、ぱっと頭を抑える。
「こんなの、かすり傷です」
「何を言っているの。一生傷痕が残るかもしれない、と言われたというのに」
お小言が始まりそうになったその時、お母様が抱えていた生後三カ月の妹がぐずりだしてくれた。
空気を読む可愛い妹よ、ありがとう。
「リュミナ、そろそろ静かにしたほうがいいよ」
「うん」
お兄様に注意され、私は素直に頷く。
聖女様を乗せた馬車は、もう目と鼻の先だ。
出迎えのために並んだ私たちの前でその馬車はぴたりと止まり、お父様とお母様は一歩進んで、私たちより少し前に出る。
そして私とお兄様は失礼のないようペコリと頭をさげたまま、その場で待機した。
今は亡きひいお祖父様と一緒に、この国を守ったという聖女様。
その人物像は女性であること以外、詳細が一切明らかになっていない。
ただその活躍ぶりは、私たち子どもが愛読する何冊もの絵本で確認することができる。
誰もが知るのに、誰も知らない、雲の上の、憧れの女性。
「どうぞ、楽にしてください」
老齢の男性の声が耳に入り、私たちは頭をあげる。
馬車からは聖女様より先に、声を掛けてくれたであろうその老齢の男性が降りてきた。
年は感じるものの全体的に彫りが深く気品に溢れており、若い頃はさぞかし格好良くてモテただろうと思われる。
私の視線を感じたのか、その男性と、しっかりと目が合ってしまった。
そしてとても嬉しそうに、優しい眼差しをしたまま微笑みかけてくる。
子ども好きな方なのかもしれない。
その優しい微笑みは、私の心をふわふわとさせた。
私が生まれる前に、落石事故に巻き込まれた領民を助けようとして二次災害にあったひいお祖父様。
もしひいお祖父様が生きていらっしゃったら、こんな感じだっただろうか。
そしていよいよその男性のエスコートで、同じくお年を召した聖女様らしき女性がそっと馬車から降りてきた。
残念ながら、聖女様のご尊顔は、ベールで覆われていてまだよくわからない。
老齢の男性との距離は近く、仲睦まじそうだ。
もしかしたら従者ではなく、夫婦なのかもしれない。
「こんな遠いところまで、よくお越しくださいました」
お父様の挨拶の声に、ハッと引き戻される。
そしてお父様が頭を下げたタイミングで、私もお兄様も、もう一度頭を下げた。
「あっ」
その時強い風が吹いて、私の持っていた手紙が掌から離れていった。
慌てて頭をあげ、手紙を追おうとしたら、大地が光った。
「……え?」
そこには、先ほどまでいらっしゃった、聖女様も、老齢の男性も、いなかった。
両親も、お兄様も、妹も、使用人も、知った顔は誰一人、いなくなっていた。
しかし、私の周りにはそれに代わって知らない人たちがいる。
古いけれどもやたら豪華そうな服を着た美少年と、それを取り巻く大人たち。
私と同い年くらいで、ポカンとした表情の子たちが、五人くらい。
「ここ……どこ?」
魔法陣が刻まれた古臭い石畳の上に突っ立って、私は呆然と呟いた。
***
「やあやあ、君たちが僕の国を救ってくれる、仲間かな? 僕はルーウェン。君たちを召喚した者だ」
美少年は能天気そうにそう言って、唖然とする私たちへ、朗らかに挨拶をした。
ルーウェン?
召喚?
何を言っているの、この人。
それより、そんなことより。
「聖女様とお話できなかったあああああああああ!!!」
どこか知らないところに飛ばされたことより、聖女様との時間を持てなかったことに、ショックを受ける。
国の生きる伝説、聖女様との初対面が。
私の人生史上、おそらく最も大切だったはずの時間が。
「よりにもよって、なんていうタイミングでやらかしてくれたの! 殴っていいかな! いいよね!?」
私はその、ルーウェンと名乗った美少年に握り拳を作ったままにじり寄る。
すると、彼の横にいた大人たち慌てて「それはなりません。ルーウェン――ですので」と庇うように割り入って来た。
私は怒りで顔を真っ赤にさせながら、話を聞かずにその大人たちに食ってかかる。
「子ども同士の喧嘩に、大人が口出しするとか、理解できないんですけど!」
「ですから、この方は普通の子どもではないのです!」
「……はい?」
首を傾げる私に、落ち着いた雰囲気の、これまたカッコイイ少年が教えてくれた。
「その人、王子様らしいぞ。俺たちを召喚した、この国の第一王子だってさ」
「……はぁ」
私の国の第一王子は、そんな名前ではない。
嘘をついても直ぐにバレるだろうし、ほかの国の王子だったとしたら逆になぜ言葉が通じるのだろう。
眉間の皺を深める私の横で、またほかの少年が、ルーウェンと名乗った王子にそろそろ、と近づいた。
「ルーウェン殿下……? 本物……?」
「はい、そうです。僕を知っているということは、君は今の時代の人なのかな?」
「あの、僕はしがない商人の息子、エルディアと申します。その、なんの能力もない僕を召喚されたのは、何かの間違いかと思われるのですが……」
少年がおずおずと言うのに便乗して、私も手を挙げる。
「はい、同じく私もなんの能力もありません。間違いです、だからさっさと私を元の場所、というか聖女様のところへ戻してください!」
「う~ん、おかしいな……」
ルーウェン殿下は、顎に指を引っ掛けて何かを考える素振りをした。
なるほど、王子だと言われれば納得できる品の良さだ。
そして彼は、大人たちに何かを耳打ちされて、こくりと頷く。
「まあ、仮に間違いだとしても、僕には君たちを召喚した責務があります。君たちの待遇はきちんとこちらで保証しますので、ひとまず場所を変えて、自己紹介でもしながら交流を深めましょうか」
そして私の願いは却下され、あれよあれよという間にお城へと連行されていったのだった。
***
小さいけれども、長閑で豊かな王国、ノクティルア。
最近ではすっかり平和になった国だが、百年前には内乱で血で血を洗い流していたそうだし、五十年前には国土を覆いつくすほどの瘴気に襲われたことがあったという。
瘴気に覆われた土地からは、魔物が生まれる。
魔物は人間や作物を襲うので、ノクティルア王国は過去にとんでもない危機に見舞われたということだ。
その危機を見事に食い止めたのが、ノクティルア王国の前前王と聖女様、そしてその他の英雄たちで、私の曽祖父も、その名を連ねている。
絶世の美女で平民だった聖女様と、当時の王子様との悲恋話は全国民が涙し、彼らの冒険譚は書籍や絵本となって、伝説として今でも語り継がれていた……のだが。
「え? 今の時代が、ノクティルア王国、建国三百四十年、ですか?」
ルーウェン殿下から私たちの召喚についての詳細を説明されている際、聞き捨てならない言葉を耳にしてしまった。
え、待って、
つい先日、建国四百年を記念をしたばかりでは?
つまり「今」は、私の時代より六十年も昔ということになるのだろうか。
「うん、そうだよ。もしかして君は、違う時代から来たのかな?」
私と一緒に顔色を失った少年が、もうひとりいた。
私は未来から、そしてアルフェインと名乗ったその少年は、過去から召喚されたことがわかった。
ルーウェン殿下は、この国に瘴気の満ちる前兆が発見されて、得意の召喚術でその瘴気に立ち向かえる仲間を召喚したらしい。
私は、平民だと言っていたエルディアをチラリと見た。
そうか、我が家は最初から貴族だったわけじゃなくて、ここでの曽祖父の功績を認められて、爵位や領地を授かったと言っていたっけ。
いや、それよりも。
「ルーウェン殿下、大変です」
私は召喚された顔ぶれを見てあることに気づき、身体を震わせる。
「聖女様がいません」
私以外に、女の子がいないのだ。
絶対にいるべき、女の子が。
「え? 聖女様?」
「ルーウェン殿下、この国が今回の危機を脱するには、聖女様が必要なのです! 彼女がいて、初めて殿下は伝説になるんですよ! とにかくまずは、聖女様を探しましょう!」
私は、この仲間にどれだけ聖女様が欠かせない存在なのかを切々と、熱く訴える。
「聖女様は絶世の美少女、そして治癒の能力をお持ちだと言われております。ルーウェン殿下は王子なのですから、もうこの際職権乱用でもなんでもいいですから、とにかく全国から、いえ全世界から、聖女様を捜し出してください!」
直ぐに元の時代へ戻してもらう予定だったが、聖女様がいないとなれば話は変わってくる。
このままでは、歴史が変わってしまうかもしれない。
国そのものがなくなってしまえば、戻ったところで私の家族がどうなっているのか、わからない。
聖女様が見つかるまでは、不安で戻れない。
この国が瘴気に覆われ問題になったのは五十年前くらいだったと言われているから、まだ十年ほど余裕があることになる。
私の話に最初は半信半疑だったルーウェン殿下やその家臣たちだったが、私がこの国の重要な鉱山場所だったり、この国が直ぐ直面するであろう外交問題だったりを話してみれば、慌てて聖女様探しに乗り出してくれた。
「それで聖女様は、見つかりましたか!?」
「いや、まだらしい。どの街に赴いても、偽物ばかりだ」
こんな時、聖女様の外見的特徴を知らないのは痛手だった。
ああ、あのベールの下のお顔を拝見させていただいていれば、少しは違っていたのかもしれないのに……!
「しかし、リュミナの言う通りであれば、聖女様という存在は必要不可欠なのだろう? 少なくとも、存在するという体裁は保ちたいところだな」
ルーウェン殿下の呟きに、私はこくりと力強く頷く。
「聖女不在の間、誰かが代役を務めるのはどうだ?」
私たちの話を聞いていたアルフェインは、剣を振りながら会話に参加する。
「代役……それはいいかもしれないな」
「口が堅くて、絶対に自己主張しない方を選んでくださいね、ルーウェン殿下!」
本物の聖女様が現れた時、スッと身を引いてくださる方でないと困ってしまう。
私がそう進言すると、仲間たちはじっと一様に私を見た。
「リュミナがやるのはどうだ?」
「え? 私がですか?」
急な指名に、私はポカンと口を開ける。
しかし、聖女様は最後まで謎に包まれた人物だったから、世間的に顔が知られている誰かの身代わりをするよりかは、はるかに楽なのかもしれない。
「うーん……そうですね、背に腹は代えられません。わかりました、聖女様不在の間だけ、私が身代わりを務めます!」
そうしてこの私が、偽物聖女の役目を承ることになったのだった。
***
時は流れ、それから十年。
「聖女様、ありがとうございました」
「聖女様、この御恩は忘れません!」
偽物聖女である私を称賛する声を聞きながら、私はゆったりと馬車の中から手を振った。
その瞬間街道はわああああ、という歓声に包まれ、私はいたたまれなさに、馬車の中のカーテンを閉める。
「聖女様は結局……どこにいらっしゃったのかしら……」
ベールを脱ぎ捨て、ふかふかな馬車の中でごろりと寝転んだ。
「リュミナ、行儀が悪いぞ。今は憧れの聖女様だろ」
「瘴気を払い続けて、流石に疲れたの。お願い見逃して、アルフェイン」
私がそのまま瞳を閉じると、アルフェインは自分のコートを脱いで、私の身体に掛けてくれた。
本人は自分のことを野蛮だと言うけれども、そんなことはない。
彼がとても優しい人であることを、私はこの十年で、いや一年経たずとも、嫌というほど知ってしまった。
私の閉じた瞼の裏側で、老齢になったアルフェインの笑顔を映し出す。
「おかしいなあ。アルフェインが聖女様の隣で幸せそうに微笑んでいるところを、確かに私はこの目で見たのに」
「そうか」
十歳で召喚された私たちは、今や二十歳になっていた。
ルーウェン殿下は召喚術に長けているけど、瘴気や魔物相手の実戦では本当に役立たずだ。
私は聖女様のような治癒能力はないけど、瘴気を清浄する能力を持っていた。
平和な時代に生まれたから、まさか自分にそんな力があるとは思ってなかったけど。
ルーウェン殿下に召喚されたのは、どうやら間違いではなかったらしい。
アルフェインは内乱の時期に毎日剣を振るっていただけあって、魔物の討伐に長けていた。
エルディア……曽祖父は実家である商家の力を使って、私たちの旅が常に快適であるようにしてくれたし、ほかの仲間たちもそれぞれの適正を生かして全員で力を合わせ、この国の危機を乗り越えた。
なのに、本物の聖女様は不在のまま。
絶世の美少女で治癒能力を持った平民の少女は現れないまま、いるのは偽物聖女の私だけだ。
「ところで、リュミナ。エルディアとはその、どうなってるんだ?」
「どうって?」
「告白したのか?」
「……は?」
とんでもないことを聞かれて、私は目をぱちりと開け、むくりと起き上がった。
「いや、なんでそんな誤解を?」
曽祖父であるエルディアは、このあとセレスフォードという領土と爵位を譲り受け、曾祖母と運命の出会いをするはずである。
少し気弱だけれども、穏やかで人の好い曽祖父。
私が生まれる前に死んでしまったけれども、本当に大好きで、今の時代では兄のように慕っている。
「リュミナは、エルディアにだけ、わかりやすく甘えるだろう?」
「話してなかったっけ?」
「何を?」
「エルディアは、私の曽祖父なの」
「えっ?」
「大好きだけど、兄みたいな感じだよ」
「……そうだったのか」
私がそう言うと、アルフェインはホッと息を吐く。
「ねえ、アルフェイン。ルーウェン殿下から、召喚術で元の時代に戻るかどうかって話、聞かれた?」
「ああ」
「アルフェインは、どうするの?」
「リュミナは、どうするんだ?」
私たちは、じっと見つめ合う。
「戻ったって、十歳の私がニ十歳になって戻ったら、両親は驚愕するしね。かと言って、十年後に送ってもらったとしても、十年行方不明になっていた貴族令嬢なんて、嫁の貰い手はいないだろうし」
家族に十年もの間心配をかけた上、そのあとずっと迷惑を掛け続けるなんて、耐えられない。
「そうか。俺はもっと簡単だ。内乱時代に戻ったって、俺には何もない。今の時代のほうがずっと平和でいいしな」
「じゃあ、アルフェインは戻らない?」
「ああ、戻らない」
そう言い切って、アルフェインは距離を詰めると、ぎゅっと私を抱き締めた。
――いずれアルフェインは、聖女様と結ばれるはずなのだ。
でも、それまででいいから。
私はアルフェインと一緒にいたいと、願うようになってしまった。
「リュミナは覚えているかな。俺たちが召喚されてすぐ、聖女様探しが本格化した時のこと。俺が将来好きになる女の子が、聖女様だって言ってただろう? だから、気になる子がいたら、すぐに言えって」
「うん」
それが聖女様探しのひとつのヒントだったから、アルフェインにだけこそっと伝えた。
「だから俺には、すぐに本物の聖女様が誰か、わかってた」
「……ん?」
「リュミナ、お前だよ。お前が将来、俺の隣にいる相手だ」
「え? そんなわけな……」
そんなわけがない、と言おうとして、気づいた。
大々的に聖女様を探した時、全国にビラをまいた。
絶世の美少女、治癒能力を持った聖女様を探している、というビラを。
つまり今、国民の中の聖女様像というものは、それに固定されていて。
もし今後、私たちの活躍を描いた絵本や書籍がでようとも、きっとそこには絶世の美少女であり、治癒能力を持った聖女様が描かれるのだろう。
「……あれ?」
「はは、リュミナ。俺はお前に、求婚する。リュミナがどこへ行こうと、ずっと隣にいる」
「アルフェイン……っ」
ポロポロと、私の瞳から涙が零れる。
その時、私の心は決まったのだった。
***
「懐かしいなぁ……」
五十年後。
私はアルフェインと共に、セレスフォード伯爵領の大地を馬車で駆けていた。
ルーウェン陛下はとうに亡くなっており、私の曾祖父であり仲間だったエルディアも、やはり亡くなっている。
二人にはそれぞれ別れ際に、それぞれの死因である毒と落石に気を付けるよう言っておいた。
しかしルーウェン陛下は結局死因が毒ではなく酒の飲みすぎという話だったし、曾祖父はやはり領民を助けようとして亡くなった。
「もうすぐで会えるな」
「ええ」
私は馬車の中で、そっとベールのついた帽子を目深に被る。
今頃正門前で、私や兄や、そして両親が勢揃いして待っていることだろう。
「出会った頃のリュミナがいる。可愛いな」
「ふふ、あのあと、手紙が飛んでいくのよね」
五十年ぶりに会う両親は、私たちの子どもたちより若い。
これから私を失う両親に、なんと声を掛けようか。
まず、私と母親しか知らない手紙の内容と、生まれて初めてデザインしたサインをその場で書いて見せよう。
額に残った傷も見せて、それから信じて貰えるまで、何度でもたくさんの話をしよう。
――あなたたちの娘はずっと、楽しく幸せに暮らしている、という話を――。




