毒家族は夜会でまとめて処分されました
主人公のヴァレンティーナは、短編『王子が真実の愛を貫きハッピーエンドになる方法を見つけたい?それは絶望的に難しいお望みですわ』の主人公と同一人物です。
名前の表記をバレンティーナからヴァレンティーナへ変更しました。
ややこしくてすみません。
お母様、ごめんなさい。
どうか許してください。
でも、誰か助けて……。
どうか、どうか……。
わたくしは招待客で賑わっている大広間に足を踏み入れた瞬間、ふと、今朝見た夢のことを思い出した。
小さな女の子が体を丸めて震えながら、小さな声でそう言って泣いている夢だった。
「ヴァレンティーナ殿下?どうかなさったのですか?」
従者のヴァレリオがわたくしの微かな表情の変化を見抜いて問いかけてくる。
「ふと今朝見た夢のことを思い出しましたの。今宵は何か騒ぎが起こりそうな気がしますわ」
「何が起ころうと殿下は私がお守りします。ご安心ください」
「ええ。頼りにしています」
顔を上げてヴァレリオとやり取りして気づく。
「それにしても……」
「まだ何かご心配なことでも?」
「いえ、今気づいたけれど、ヴァレリオ、あなたまた背が伸びましたの?」
「はい。背が伸びただけでなく、きちんと鍛えて筋肉もついてきています。今宵も殿下のお側を離れずお守り致します」
「ええ、あなたが側にいてくれるなら安心だわ。よろしくね」
「っ……はい」
ヴァレリオがなぜか顔を赤くしていますけど、確かに身長が伸びただけではなく体の厚みも増してきているようですし、わたくしが頼りにしていると知って、それを誇らしく思ったのでしょう。
わたくしは第二王女であるニコレッタお姉様と共にマスカーニ公爵家主催の夜会に参加するべく、ここへやって来た。
ニコレッタお姉様にこの夜会で力を貸して欲しいことがある、と願われたため、わたくしは従者のヴァレリオをパートナーとして参加した。
そのニコレッタお姉様は今、パートナーのマスカーニ公爵家嫡男アンドレア様と共に招待客の皆様のお相手を務めていらっしゃる。
お姉様が何を考えているのかはわからないけれど、出番が来るまでは、とわたくしはマスカーニ公爵夫妻やこれまでにご縁のあった方々と歓談に務めていた。
その最中、ふとヴァレリオが小声でわたくしに言った。
「殿下。ニコレッタ王女殿下がジョフレ侯爵令嬢キアーラ様に絡まれているようです」
ヴァレリオが視線で指し示す方へ目をやると、アンドレア様と並んでいるニコレッタお姉様にキアーラ様が何やら言っている姿が目に入った。
その側にはニコレッタお姉様の学友パストーリ侯爵令嬢フィリッパ様とその婚約者であるジョフレ侯爵令息イーヴォ様がいる。
イーヴォ様はキアーラ様の兄君。
「ニコレッタ王女殿下とアンドレア様、フィリッパ様、イーヴォ様の四人が歓談しているところへキアーラ様が割り込んだようですね」
「まあ」
皆、王立学院在学中で、ニコレッタお姉様とアンドレア様、フィリッパ様、イーヴォ様の四人は三年生。
キアーラ様は二年生で、その可愛らしい容姿で殿方には人気がある方だそう。
アンドレア様に懸想して学院内で追いかけ回しているとも聞いている。
そのアンドレア様はニコレッタお姉様の婚約者。
二人の婚約は王命による政略的なもの。
でも幼い頃から仲が良い二人にとっては願ったり叶ったりのもので、他人が入る隙などどこにも無いのだけれど。
王命による王家と公爵家の婚約を甘く見てアンドレア様を追いかけ回すような方だから、マスカーニ公爵夫妻は何か狙いがあって招待なさったのでしょうね。
ただわたくしの出番はそこには無いように思われますわね。
甘えたような声音で婚約者がいる殿方に媚を売り体に触れようとするキアーラ様に対してわたくしの能力を発揮する場面など想像もできませんし。
他にも何かあるのかしら?
そう思いながら様子を見ていると、ふとニコレッタお姉様の目がわたくしに向けられた。
お姉様の目はそのままわたくしから見て左側の壁の方へ動き、またわたくしに向き、それから何やら甲高い声で喋りまくっているキアーラ様へと戻された。
「わたくしの出番が来たようですわ」
「出番とは?」
「さて……」
お姉様が目の動きでわたくしに知らせたのは、壁際にひとりでひっそりと俯いて立っているご令嬢だった。
「あのご令嬢ですわね」
「あれは……夜会に出るドレスにしては少々みすぼらしいですね」
ヴァレリオは控えめな表現をしたけれど、明らかに古ぼけた流行遅れのドレスで、しかもそのご令嬢にはまったく似合わないデザイン。
本人のために仕立てられたものではないとわかる。
「この場にいるのですから間違いなくマスカーニ公爵夫妻が招待なさった方。となると深い事情があるのでしょう。とにかく声をかけてみましょう」
わたくしはヴァレリオと共に近づいていき、わたくしたちの気配に気づいて顔を上げたそのご令嬢に声をかけた。
「おひとりですの?」
「あの……?」
「わたくしは第三王女ヴァレンティーナですわ。あなたのお名前を聞かせてくださる?」
「!」
そのご令嬢は顔を青褪めさせて答えた。
「ジョフレ侯爵が次女ルーチェと申します。ヴァレンティーナ王女殿下のお顔を存じ上げず、まことに申し訳ございません。どうかお許しください」
わたくしは驚いた。
ジョフレ侯爵の次女ルーチェ様は十四歳で、もうすぐ十三歳になるわたくしよりひとつ歳上のはず。
それなのにわたくしの目には十歳くらいの小柄な少女のようにしか見えなかった。
しかも謝罪をして深々とお辞儀をしたルーチェ様はぶるぶると震えている。
もちろんわたくしはその驚きを表情に出さず、ルーチェ様の手を取った。
そして顔を上げたルーチェ様に笑顔を向けて言った。
「まあ、あなたがルーチェ様ですのね。お会いするのは初めてですわね。でも良かったわ」
「?」
「今宵の招待客の皆様はわたくしからすると年上の方ばかりで、お話をお聞きするのも続けるのも大変でしたの。ルーチェ様なら歳も近いですし、きっと話も合いますわ」
ルーチェ様は目を見開き、おどおどとした態度でわたくしを見つめるばかり。
この方、姉君のキアーラ様のように甘やかされてはいないようですわ。
逆に押さえつけられてきたのか、虐げられてきたのか。
この身なりに年齢に見合わぬ体の小ささを見ればわかりますわ。
となればまずは食事ですわね!
満足する食事も与えられていないようですし。
わたくしもちょうどお腹が空いていますし。
マスカーニ公爵家の夜会の料理は一味違うと評判でとても楽しみにしていましたし。
ええ。
ここはひとつ我儘な王女として振る舞うことに致しましょう。
「ルーチェ様。お喋りも楽しみたいのですけれど、あちらに美味しそうな物がたくさん用意されていましたの。お食事だけでなくケーキも果物もたくさんありましたわ。わたくしお腹が空いてしまって。でもわたくし一人では恥ずかしいので一緒に行ってくださらない?ね?よろしいでしょう?」
わたくしはルーチェ様の返事を聞くことなく手を繋ぎ、ルーチェ様を引っ張るようにして料理や飲み物が用意されている一角に足を運んだ。
思った通り、おどおどしながらも王女に逆らうことなどできないルーチェ様はわたくしに手を引っ張られるまま一緒について来てくれた。
もちろん従者で今宵のパートナーでもあるヴァレリオも黙ってついて来てくれる。
「まあ!美味しそうなものばかりですわね!」
わたくしが無邪気な喜びの声をあげると、ルーチェ様の目も料理に釘付けとなった。
その喉がかすかにごくりと鳴る。
「ルーチェ様。あの美味しそうなローストビーフはいかが?グリルチキンもとっても美味しそうですわね?あちらの彩り豊かなテリーヌにも心惹かれますわ。小さな具材がたくさん入ったオープンオムレツも美味しそうですわね。それにあの美しいスープゼリーと言ったら!ああ、どれかひとつに絞るだなんてとてもできそうにありませんわ!」
わたくしの言葉にルーチェ様の目がキョロキョロと動き出した。
「ルーチェ様は苦手な物がありますか?」
「いいえ……どれも美味しそうです……」
「ではわたくしと一緒にあれもこれも少しずついただいてみましょうね」
わたくしが使用人に二人分のお皿を用意するよう言いつけると、ルーチェ様の目の動きと表情をしっかり見ていた使用人が幾種類もの料理を少しずつ取り分け、皿に綺麗に盛り付けた。
どれもルーチェ様がひと口で食べられそうなサイズに揃えてある。
これはマスカーニ公爵夫妻の意向がありそうですわね。
使用人の動きがそれを示していますわ。
わたくしは基本的に毒見を必要としませんから、ルーチェ様に気を使わせる事なく一緒に飲食できる相手となれますし、やはりルーチェ様に食べてもらうことがわたくしの最初の任務のようですわね。
皿を受け取ったヴァレリオを従えてわたくしは近くのソファへルーチェ様を誘い座らせた。
「どれも美味しそうですわね!さっそくいただきましょう。ルーチェ様」
「はい……」
小声でそう言ったルーチェ様はわたくしが先にオープンオムレツを口に入れると自分のお皿に視線を戻し、恐る恐るオープンオムレツを口に運んだ。
そっと口に入れ咀嚼する。
ルーチェ様は目を閉じて味わうと、涙で潤んだ瞳でわたくしを見て言った。
「とても……とても美味しいですわ」
万感の思いが込められた言葉。
「ええ。たまらない美味しさですわね。さあ、もっといただきましょう!お次はスープゼリーなどいかが?」
「はい」
ルーチェ様はほんの少しだけ口元をほころばせて答えた。
わたくしは胸の奥に痛みを覚えながらニコレッタお姉様の意図をおおよそ把握した。
この方、虐待と言ってもいいほどの酷い扱いを受けてきたに違いありませんわ。
ここでわたくしがすべきことは、とにかくルーチェ様に食べてもらうこと。
まともな食事をさせてもらえていない人は消化能力が低下しているので、空腹のあまり夢中になって食べ急がないよう気をつけてあげること。
そしてわたくしの治癒師としての能力を使ってルーチェ様の体の状態を探ること。
まずそのあたりが狙いのようですわ。
心してお相手を務めましょう。
わたくしたちはスープゼリーを味わって食べ、次にテリーヌに手をつけた。
彩りを見て材料は何が使われているのか二人で考え、それから口に入れて味わう。
そして二人で答え合わせをした。
ルーチェ様にはとにかくゆっくりと味わって食べてもらおうと思ってのこと。
ところが、ルーチェ様の手はここで止まってしまった。
目はお皿の上のローストビーフやグリルチキンに向いている。
それはどちらもルーチェ様の口にひと口で入るサイズ。
他にも小さなメレンゲやハムチーズロールなどもある。
ルーチェ様の目にももっと食べたい、という色が浮かんでいる。
でもすでにお腹がいっぱいになってしまったらしい。
「私……もう……」
ルーチェ様は悲しそうにお腹をさすっている。
「ルーチェ様。このお皿のお料理は逃げませんわ。少し食べるのをお休みしましょう。ゆっくりいただけば良いのですから。ね」
わたくしはにこやかにルーチェ様にそう言いながら、腹の中では怒りを覚えていた。
姉君であるキアーラ様はゴテゴテと飾り立てた派手なドレスを身に纏っているのに、ルーチェ様はおそらくキアーラ様のお下がりであろう古ぼけたドレスを着せられている。
さらにキアーラ様は血色が良く、栄養不足には見えないし、お化粧で隠してはいるけれど、肌には吹出物がいくつもあって嗜好品過多の贅沢な食生活を送っているであろうことがわかる。
一方でルーチェ様は食べたいのに少量の食事でお腹がいっぱいになってしまうほど少食で、消化能力に問題を抱えている。
まだまだ成長期なのにこれは無い。
この扱いの差はいったいどういうことなのでしょう。
でもルーチェ様自身に問いただすことはできませんわね。
しばらくお喋りしながら様子見かしら。
きっとニコレッタお姉様がまた動かれるでしょうから。
「ルーチェ様は本を読むのはお好きですか?」
「はい」
「わたくしも本は大好きですわ。ルーチェ様は今どのような本を読んでいらっしゃいますの?」
「母が好んでおりました詩集を少しずつ読み進めております」
「お母上の好まれた詩集と言いますとプラテッラかしら?」
「はい。特に全集の三巻以降が好きで何度も繰り返し読んでいます」
まともな食事をさせてもらえていないであろうルーチェ様がお芝居や音楽会に連れて行ってもらうことも無いだろうと思い、本の話を持ち出してみれば、ルーチェ様は頬を染めて少し楽しそうな表情になってくれた。
そしてわたくしたちはプラテッラの詩集の話で盛り上がった。
途中でヴァレリオに頼んで具無しのコンソメスープを持ってきてもらい、ルーチェ様に少しずつ飲んでもらう。
本当なら時間をかけて少量頻回で栄養のあるものを食べてもらいたいところだけれど、今夜はこれが精一杯。
しばらくしてルーチェ様が少し眠そうな様子を見せた時、わたくしはその手をそっと握ってこっそり睡眠魔法をかけ眠らせた。
そしてルーチェ様の体にさっと魔力を巡らせ、体内の状態を調べる。
わたくしは先祖から様々な能力を受け継いで生まれた。
治癒魔法はその能力のうちのひとつ。
人間の持つ魔力の性質には四つの型があり、治癒師と患者の魔力の型が合っていないと効果的な治癒効果が見込めない場合がある。
けれど、わたくしの魔力は全ての型を持つ全型であり、誰でも治癒可能。
従って、今日初めて会ったルーチェ様の体内の状態を調べたり、何かあれば治癒をすることにも何ら支障は無い、ということ。
そして、わたくしはルーチェ様の体内に複数の問題箇所を見つけた。
それはわたくしの怒りに油を注ぐものであった。
わたくしはヴァレリオに頼んで用意させた紙を手にしてペンを走らせ、ルーチェ様についてわかったことを羅列し、それをヴァレリオに渡して命じる。
「これをそっとアンドレア様に渡してきなさい」
ニコレッタお姉様たちはまだ何やら話をしている。
と言ってもキアーラ様の声ばかりが響き、漏れ聞こえる内容は自分の自慢話とドレスや宝石、流行りのもののことばかり。
言葉遣いも「私ぃ〜」「それでぇ〜」「ドレスがぁ〜」「似合いますぅ〜?」「アンドレア様ぁ〜」などと語尾が伸びる甘えた物言いばかりで、こちらが恥ずかしくなるほど。
そもそもアンドレア様は名前呼びを許していないはずなのに平然と呼んでいる。
周りの招待客がキアーラ様の振る舞いに眉を顰めていることにも気づかず平気でアンドレア様にばかり話しかけている。
着々とキアーラ様の失態が積み重なっていき、ジョフレ侯爵家の教育の不備、というより失敗を声高に宣伝してしまっているのに、当の本人はわかっていないようですわね。
この夜会での振る舞いで、招待客からは子息の結婚相手として見向きもされなくなってしまった可能性大ですのに。
兄君のイーヴォ様は注意ひとつしていないようですが、嫡男としてジョフレ侯爵家の体面をどうお考えなのかしら。
夜会にはジョフレ侯爵も招待されていますのに、キアーラ様を放っておくだなんて不思議ですわね。
歩み寄ったヴァレリオから声をかけられ、わたくしの伝言を渡されたアンドレア様はさっとそれに目を走らせた。
表情ひとつ変えないのは流石。
アンドレア様は頷くとその伝言をヴァレリオに返して何やら指示なさっている。
見ているとその伝言はヴァレリオの手を介してマスカーニ公爵夫人の手に渡った。
わたくしはそこまで見届けて再度アンドレア様とニコレッタお姉様の方へ視線を戻した。
アンドレア様がニコレッタお姉様の耳に顔を近づけて何やら耳打ちしている。
おそらくわたくしの伝言の内容を伝えて下さっているのだろう。
そしてキアーラ様の目の前でわざと、いえ堂々とニコレッタお姉様の耳元で囁く行為をしてみせたため、そしてニコレッタお姉様も恥ずかしそうな表情で聞いているため、キアーラ様の表情が嫉妬の色で歪んだ。
キアーラ様は堪え性が無いと聞いていますし、これは癇癪を起こして何かやらかしそうですわね。
と言うより、アンドレア様とニコレッタお姉様の狙いはそれかしら?
そう思った瞬間、キアーラ様が声を上げた。
「あ!」
一歩踏み出しかけてわざと足がもつれ倒れかかるフリをしながらキアーラ様はアンドレア様が手に持っていたグラスをニコレッタお姉様の方へ向けて叩き落とした。
同時に自分が持つグラスの中身もニコレッタお姉様へかける。
でもアンドレア様もニコレッタお姉様を守ろうと動いたので、グラスの中身はアンドレア様とニコレッタお姉様の双方にぶちまけられてしまった。
「あ、ごめんなさぁい!アンドレア様ぁ。すぐに私が拭いて差し上げますわぁ」
キアーラ様はアンドレア様にだけそう言ってハンカチを手に近寄ろうとした。
ただアンドレア様はニコレッタお姉様を抱き抱えながら二人で後ろに下がり、イーヴォ様が妹の突進を阻止する。
流石にこの行動は兄として見逃せなかったのだろう。
でも遅すぎた。
王女と格上の公爵家嫡男に故意に飲み物をぶちまけたのだ。
学院内ではなく、厳しい目を持つ貴族ばかりが集まる社交の場で。
これはただでは済まない。
この後、どうするのかしら、と思った時。
わたくしとルーチェ様の前に影が差した。
見上げると、ジョフレ侯爵がわたくしたちの前に立っていた。
その顔は真っ赤に染まっている。
手にはお酒の入ったグラスを握り、覚束ない足取りを見るに、かなり酔っているようだ。
すでに戻っていたヴァレリオはすっとわたくしの側に寄り、いつでも対応できる体勢となる。
さらにわたくしたちを護るように公爵家の使用人が二人、静かに近づく気配がした。
わたくしは眠ったままのルーチェ様をしっかりと抱き抱える。
「このバカ娘が!起きろ!」
ジョフレ侯爵の目には眠っているルーチェ様しか映っていないようで、いきなり大声で怒鳴りつけた。
でもルーチェ様はわたくしの睡眠魔法で眠っているので大声では起きない。
「起きろと言ったら起きろ!……貴様!」
怒鳴ってもルーチェ様が起きないので、ジョフレ侯爵は手を上げた。
そしてそれをルーチェ様めがけて振り下ろす。
だがその手はヴァレリオによって阻止された。
「私の主に害をなすおつもりですか?」
ヴァレリオの声は淡々としているように聞こえるけれど、実のところかなり怒っている。
それにしてもいつの間にかヴァレリオはこんなにも逞しくなっていたのね。
ヴァレリオががっちりと手首を掴んでいるので、ジョフレ侯爵の手は微動だにしませんわ。
頼もしいこと。
「小僧!その手を放せ!わしを誰だと思っとるんだ!」
「年若きご令嬢に平気で手を上げる方だということ以外、存じ上げません」
「何をぉ!」
「ルーチェ様を起こさないよう、静かにしてくださいます?」
わたくしは無邪気な笑顔をジョフレ侯爵に向け、場違いな明るい声で言った。
この笑顔を浮かべた時のわたくしは実年齢より幼く見えるそうなので、こういう場面でよく使うことにしている。
ジョフレ侯爵もわたくしの存在に初めて気づいたらしく目を見開いて固り、毒気を抜かれたのか、ヴァレリオに放された手を下ろした。
「あんたは娘の友達か?」
「まあ。ルーチェ様のお父上、ジョフレ侯爵様でしたの?わたくし、今宵初めてルーチェ様にお会いしてお友達になっていただいたヴァレンティーナと申します」
「こやつと仲良くする利など無いぞ。小娘」
まあ。
マスカーニ公爵家の夜会に招待された黒髪に赤紫の瞳を持つ小娘がヴァレンティーナと名乗ったのなら、フォンタナ姓を名乗らずとも貴族は必ずその娘は第三王女のヴァレンティーナだと気づきます。
たとえ直に会ったことが無くても第三王女の名前や容姿の特徴は貴族なら当然知っているはずなのです。
そしてヴァレリオはわたくしのことを「私の主」と言いました。
これだけの情報があってもまだ気づかないとは、侯爵だというのにこの方はもうどうにもなりませんわね。
酔っているから、では済まされませんのに。
「利など無くても良いのです。お友達とは楽しくお喋りして一緒にお食事を楽しめたら良いのですから。ルーチェ様とは話が合いましたからとても楽しゅうございましたわ。ただルーチェ様はほんの少しお食事を召し上がっただけですのに、すぐお腹がいっぱいになり、眠くなってしまったようですの。これはおそらく普段から食事が少なくて栄養が足りておらず、消化する力が衰えてしまっているからでしょう。ですからわたくし、こうしてルーチェ様にお休みになっていただいていましたの。お父上であるジョフレ侯爵様も心配でしょう?ぜひともルーチェ様のお体に気を配ってあげてくださいませ。何しろこのドレス。六、七年ほど前に流行したスタイルですから姉君のキアーラ様のお下がりと思われますけれど、十歳頃のキアーラ様の体と十四歳のルーチェ様の体の大きさが同じ、ということは正常な成長に必要な栄養がまったく足りていない証拠ですもの。侯爵家のご令嬢であるのにこれほど成長が遅いのはおかしなことです。体の成長だけ見たら孤児院育ちの子供たちより遅すぎますわ。是非ともお医者様に診ていただき原因を特定なさった方がよいと思いますの。是非是非ルーチェ様のために手を尽くしてくださいませ」
「……」
思わず満面の笑みでジョフレ侯爵には都合がよろしくないであろうことを声高に思うまま捲し立ててしまいましたわ。
そのためわたくしたちへ目を向け耳を傾ける方々が増えてしまいましたわ。
しかもいつの間にかマスカーニ公爵夫妻までわたくしたちの側にいらっしゃいますわ。
けれどジョフレ侯爵の反応は薄いですわね。
それにわたくし姉君のキアーラ様の名前と年齢も知っているとしれっと明かしているのですけれど、まったく気づいていない様子。
ただの小娘が高位貴族の家族構成や子の年齢まで把握していることに違和感も抱かない?
酔っ払いはこんなにも頭が働かなくなるのかしら?
それとも痛い所をつかれて思考が一時停止?
あら。
ようやく頭が働いたのか、ジョフレ侯爵の顔がさらに赤くなりましたわ。
「余計なことをペラペラと喋りおって!この小娘が!!」
急にジョフレ侯爵が怒鳴った。
その態度にこちらに目を向けていた方々が息をのむ。
確かに王女に対する態度ではありませんものね。
でも今はこちらにとって都合の良い態度とも言えますからこれでよいのです。
おそらくこの状況もニコレッタお姉様の思惑通りのはずですから。
「わたくし、ルーチェ様のお体を心配するあまりあれこれ申し上げてしまいましたけれど……でも侯爵様が仰る通り、そちらのご家族のことですから、余計な差し出口ですわね」
「その通りだ!わかったらその口を閉じて娘から離れろ!」
「なぜですの?わたくしたちお友達ですのに」
「娘に友人など不要だ!」
「でもわたくしルーチェ様が好きですから、これからもお友達でいたいと思っておりますの」
「娘に友人から好意を寄せられることなどあってはならんのだ!」
「これはまた異なことを仰いますのね」
「こやつに与えられるべきものは罰だけだ!友情でも愛情でもない!」
「まあ……いくらなんでもそれは言い過ぎなのではありませんか?」
「言い過ぎなものか!そいつを産んだせいで私の妻は死んだんだ!そいつが最愛の妻を殺したんだ!!!そいつは母親殺しだ!!!罰せられて当然だ!!!」
唾を飛ばしそうな勢いでジョフレ侯爵が怒鳴った。
すると。
バキッ!
どこかで扇子がへし折られる音がした。
マスカーニ公爵夫人の手の中にある扇子かもしれない。
いずれにせよ、今のジョフレ侯爵の言葉はこの夜会に参加している女性陣を怒らせただろう。
そしてわたくしも理解した。
ルーチェ様はそのような理不尽な理由で他ならぬ実の父親から虐待され続けてきたのだと。
その父に従った兄姉と使用人からも虐げられてきたのだろうと。
でもわたくしは空気を読まずに続ける。
なにせ今宵のわたくしは我儘な王女なのですもの。
しかも今は察しが悪く、思ったことをすぐに口に出してしまう小娘でもありますの。
そしてもう遠慮はいらないとわかりましたから。
わたくしは目を見開き驚きの表情を作って言った。
「え?!それは産まれたばかりの赤子であるルーチェ様が直接手を下してお母様を亡き者にした、ということですの?!そのような前代未聞の事件など聞いたことがありませんわ!」
「違う違う!言っただろうが!そいつを産んだから妻は死んだんだ!そんなこともわからんのか」
「つまり奥様はルーチェ様を産んだ後、産後の肥立ちが悪くてお亡くなりになったということですか?」
「そうだ!だからそいつが妻を殺したということだろうが!」
「まあ、侯爵様。その理屈はあまりにも無茶で幼稚に聞こえますわ」
「何だとっ!」
「奥様の産後の体の回復についてなぜ赤子が責任を負わねばならぬのですか?侯爵様のご協力があったからこそ奥様はルーチェ様を身ごもり出産なさったのですから、そこは侯爵様を始めとした大人が負うべき責任ではありませんの?それに奥様が亡くなった際、侯爵様が抱いたあらゆる感情のはけ口に生まれた子を利用するなど、全く以って幼稚な考え方であり幼稚な行動ではありませんか?」
ジョフレ侯爵の顔が憤怒に歪む。
「小娘!言っていいことと悪いことがあるのを知らんのかっ?!」
「でも侯爵様のご協力がなければ奥様が出産することは無かったのですし、そのために命を落とすことも無かったのですもの。どうしても奥様に死をもたらした犯人が必要だと言うのであれば、その元凶はどこからどう見ても侯爵様。従って犯人も侯爵様だと思いますけれど」
「なっ、何をっ!!」
「そのうえ奥様が遺した宝であるルーチェ様を母親殺しと決めつけ、理不尽な扱いをしてきた。それはつまり侯爵様にとって最愛のはずの奥様の命がけを無かったことにして踏み躙ってきた。そういうことですわよね?」
「なっ……なっ……ええい!うるさい!うるさい!うるさい!言いたい放題言いおって!いい加減にその口を閉じろ!わしらのことに口を出すな!!」
ジョフレ侯爵の怒りは頂点に達したように見えますわね。
ではそろそろさらなる燃料の投下といきましょうか。
「確かにこれも余計な差し出口でしたわ。ですが、そのような理不尽な理由で侯爵様がルーチェ様を虐待してきたことは、わたくしどうしても見過ごせませんわ」
「ぎゃ、虐待?ななな何を根拠にそのような!言いがかりはやめろ!この小娘が!」
虐待、と言ったとたん、ジョフレ侯爵が挙動不審になりましたわね。
無理もないことですけれど。
なにしろ我がフォンタナ王国では子供に対する虐待には厳しい罰則が定められていますから。
「言いがかりではありません。確信があるからこそ申し上げているのです」
「貴様のような小娘に何がわかると言うのだ!これ以上不敬な物言いをするならわしにも考えがあるぞ!」
「小娘であってもわかりますわ。わたくしは治癒師として二年、高位治癒師となってからは三年、あわせて五年余り働いて参りました。治癒のため出向いた先で、ルーチェ様のような栄養不足で年齢の割に体が成長できていない子供は何人も見てきましたから一目瞭然ですのよ」
「高位……?……お前が……!」
ジョフレ侯爵は酔いが一気に醒めたようだ。
驚愕に目を見張り、そして真っ青になった。
ようやくわたくしが誰かわかったらしい。
この王国において高位治癒師はわたくしの母である側妃コンチェッタ殿下とわたくしの二人しかいない。
そこへマスカーニ公爵が声をかけてきた。
「ジョフレ侯爵。ヴァレンティーナ第三王女殿下に対して随分な物言いをしますな。いつの間に王族の御方より偉くなったので?」
「ももも申し訳」
顔を青白くさせてジョフレ侯爵が言いかけるが、わたくしはそれを遮った。
「謝罪などよりルーチェ様のことです。侯爵家令嬢にしてはあまりにも成長に問題がありますから、不審に思い、わたくし先ほどルーチェ様の体の状態を調べましたの。すると手当てされずに自然治癒してしまった骨折箇所を三つも見つけました。これは骨折するような怪我をしたのに適切な手当てもされずに放置された証拠になりますわ。他に内出血している箇所が複数。それはドレスで隠れる場所にしかありませんでした。ルーチェ様がそそっかしくて、うっかりあちらこちらにぶつかったり転んだりしてできた傷だ、という言い訳では説明しきれない状態でしたわ。故意ではないとの言い分は通りませんわよ。侯爵様」
ジョフレ侯爵の顔色はさらに悪くなり口をパクパクさせたが言葉が出てこない。
見ればイーヴォ様とキアーラ様も顔色を無くしている。
周りにいる方々は眉を顰め、ジョフレ侯爵を厳しい目で見ている。
特に自身が母親でもあるご夫人方の表情は恐ろしいほどの厳しさ。
そしてイーヴォ様の婚約者であるフィリッパ様は、悲しげな表情でイーヴォ様を見つめている。
婚約者がいてそろそろ結婚も近いご令嬢が今の話をどう受け止めるか。
自明の理ですわね。
万が一出産で命を落とした場合、身を削り命をかけて産んだ我が子を夫が虐待するかもしれない、と思ったらとても耐えられないでしょう。
ご令嬢の実家もしかり。
婚約そのものを考え直す可能性も出てきます。
カツン。
靴音がしてアンドレア様にエスコートされながらニコレッタお姉様がわたくしたちの側へとやって来た。
「ヴァレンティーナ。今の話はまことですか?」
「はい、殿下。ルーチェ様のお体に手当てされずに自然治癒した骨折箇所が三箇所、内出血に至っては十数箇所あることを確認致しました。高位治癒師の名において嘘偽りの無いことを誓います」
「ご苦労でした」
「ありがとう存じます」
ニコレッタお姉様は他を威圧する雰囲気を纏ってジョフレ侯爵へと目を向ける。
「ジョフレ侯爵。事ここに至っては言い抜けなど通用せぬと心得なさい」
ジョフレ侯爵は床に崩れ落ちた。
イーヴォ様はフィリッパ様を見つめ、その悲しげな表情を見て肩を落とした。
キアーラ様は「違……私は何も!」などと言っているが誰も耳を貸さない。
ルーチェ様の体の状態から推し量るに、虐待はジョフレ侯爵容認のもと複数の手によって長年、日常的に行われてきたと思われる。
それをイーヴォ様とキアーラ様が知らなかったはずはないし、自身が直接手を下していた可能性もある。
こうなれば国家憲兵によってジョフレ侯爵家は侯爵本人から使用人に至るまで全員が取り調べを受けることになるはず。
ニコレッタお姉様が命じると、手際良くマスカーニ公爵家の使用人が案内してきたニコレッタお姉様の護衛騎士たちがジョフレ侯爵とイーヴォ様、キアーラ様を拘束し、速やかに大広間を出ていき、ひとまず騒ぎは収まった。
その後、マスカーニ公爵より騒ぎについての謝罪があり、お詫びとしてこのあと高名な音楽家カザーレとロッシによる演奏会を催すと告げられ、招待客におおいに喜ばれた。
ルーチェ様はひとまずマスカーニ公爵家の保護下に置かれることになり、部屋が用意され、眠ったままのルーチェ様はそちらへ運ばれた。
しかもすでにマスカーニ公爵家が懇意にしている治癒師と女性医師が待機しているとのこと。
それならばルーチェ様の肌に残っている傷痕なども確認され、虐待の証拠がさらにはっきりすることでしょう。
それにしてもこの手際の良さ。
この夜会における狙いはいくつかあれど、一番の狙いはルーチェ様の救出にあったようですわね。
もちろんアンドレア様に懸想するキアーラ様の排除も狙いのひとつでしょう。
さらにフィリッパ様の婚約者として本当にイーヴォ様がふさわしいのか確認する意図もあったのかもしれません。
この夜会で騒ぎを目撃なさった方々は、確実に話を広めるはずです。
当然それが狙いで招待客も選りすぐっているでしょう。
騒ぎにつき合わせてしまうお詫びに演奏会チケットの入手が困難なほど大人気の音楽家カザーレとロッシによる演奏会を用意なさった心配りもあって、皆様喜んで協力してくださることでしょう。
これでジョフレ侯爵家はまず社交的に死にます。
国から処罰された時点で社会的にも死にます。
国が罰則を設けてまで子供に対する虐待を防ごうとしているのに、それを破り続けたジョフレ侯爵家は国の意向を真っ向から否定したも同然なのですから致し方ないことでしょう。
夜会ひとつで毒家族はまとめて処分。
ルーチェ様は救い出されました。
こういった虐待はなかなか証拠を掴みにくいのですが、マスカーニ公爵夫妻がうまく理由を拵えてルーチェ様を招待なさり、わたくしが直接ルーチェ様の体の状態を確認する機会を作った、ということだったのでしょう。
虐待の疑いがあるというだけで勝手に他家の令嬢の体を治癒師や医師に診てもらうことはできませんが、わたくしはたまたま夜会でルーチェ様と知り合い、仲良くなり、年齢の割に成長が遅いことを不審に思ってルーチェ様の体の状態を調べたところ異変に気づいてしまっただけです。
高位治癒師としてはそういった不審に気づけば放ってなどおけませんから。
とにかくわたくしに求められていた役割は果たせたようです。
「どうにかニコレッタお姉様の望む結果を引き出せましたわ」
「お疲れ様でございました」
「ありがとう、ヴァレリオ」
「ルーチェ様はどうなるのでしょう」
「まずジョフレ侯爵家とは縁を切って別の家に養子に入ることになるのではないかしら。当然実子として得られるはずだった教育や衣食の費用も含めてそれなりの資産を侯爵家に出させるはずですわ。ジョフレ侯爵家はイーヴォ様へ代替わり。ただしひとつ以上爵位が下がり領地も削られるでしょう。悪質だと判断されたら別の領地へ追いやられる可能性もありますわね」
「するとイーヴォ様は領地経営に苦労し、キアーラ様は贅沢できなくなり、しかもお二人に婚約者などできるかどうか、というところでしょうか」
「ええ。そうなるでしょう。これでニコレッタお姉様もアンドレア様もひと安心ですわね。フィリッパ様の新しい婚約者のことも二人が力添えすることでしょう。ルーチェ様は……本当はルーチェ様の境遇にもっと早く気づく人がいればよかったのですけれど……でもこれから劇的に改善されるでしょう。心の傷を癒すには時間がかかるでしょうけど、国からの援助もありますから……」
「これからは周りの大人に頼ることもできますね」
「そうね。味方が大勢できますわね。そしてきちんと庇護されますわ。それがルーチェ様にとって救いになると良いのですけれど」
「殿下がジョフレ侯爵を追い詰めるお姿はとても凛々しく美しく見惚れてしまいました。そうやってルーチェ様のために戦われたのです。ルーチェ様のお体の異変に気づくことができたのも殿下だけです。今宵殿下は大きな役割を果たされました。私はそんな殿下を尊敬しております」
「まあ。ずいぶんと大袈裟に褒めてくれたわね。ありがとう、ヴァレリオ」
「大袈裟などではありません。物足りないくらいです」
「ふふふ。ヴァレリオも逞しいところを見せてくれたわね。頼もしくて、とても素敵でしたわ」
「っ……ありがとうございます」
またヴァレリオが顔を赤くしています。
立派にわたくしを守れたのですから、誇らしくもあり恥ずかしくもあり、というところでしょうか。
ところで、わたくしにはまだひとつ心残りがありますの。
この夜会に参加したからには是非ともしておかなくてはならないことなのですけれど。
「ねえ、ヴァレリオ。少し不謹慎かもしれませんけど……」
「お食事ですね?」
「ええ」
「殿下はしっかりお働きになったのですから、いつものようにしっかり召し上がった方が良いと思います」
「あなたも付き合ってくれるわね?何も食べていないのだから」
「はい。喜んでお付き合いさせていただきます」
「わたくしたちはまだまだ成長期ですものね」
「そして殿下は無尽蔵と言われる魔力量に負けないしっかりとしたお体を作らなくてはいけませんから」
そう。
そのため、わたくしは日々の食事量が非常に多いのです。
そして、一味違うと評判のマスカーニ公爵家のお料理が目の前にあるのです。
お料理は食べる人がいてこそ。
ということで、わたくしとヴァレリオはそのお料理を心ゆくまで堪能致しました。
またいつか、健康な体となったルーチェ様と、このように心ゆくまで食事を楽しむ機会が訪れることを願いながら。
ええ。
この願いはきっと叶うことでしょう。
表記、学園→学院に修正しました(1/5)




