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第7話 「光写堂の記録」

午後の空はどんよりと曇っていた。

朝から降ったり止んだりを繰り返していた雨は、ようやく上がったところだったが、

空気にはまだ湿った匂いが残っている。


悠は、商店街の奥にある「光写堂」の前に立っていた。

古びた看板。ガラス戸の向こうには、現像液の匂いがかすかに漂っている。

昨日と同じ場所。けれど今日は、何かを確かめに来た。


ドアを押すと、ベルが鈍く鳴った。

「いらっしゃい」

奥から、店主の老人が顔を出した。

首からは相変わらず、古い一眼レフがぶら下がっている。


「ああ、君か。昨日の写真の子だね」

「……はい。少し、お聞きしたいことがあって」

「いいよ。座りなさい。コーヒーでも飲むかい?」

「いえ、大丈夫です。――あの、ここで現像をお願いしたフィルムなんですけど」

悠は封筒を取り出し、写真を差し出した。

老人はそれを受け取り、丁寧に光に透かして見た。


「ほう……なかなかいい写真じゃないか。

だけど、これはちょっと……不思議だね」

「……やっぱり、そう思いますか」

「うん。ネガの感光状態が変なんだ。

普通は撮影した順番に時間が流れるんだが、このネガには“二つの露光時間”がある。

同じフレームに、違う時間の光が重なっているんだ」


悠は息を呑んだ。

「それって……どういうことですか?」

「簡単に言うと、これは一枚の写真じゃなくて、二回シャッターが切られた記録なんだ。

だが、君のカメラ――これは多重露光機能のない機種だろ?」

「……はい。俺のカメラには、そんな機能はありません」

「だろうな。だから不思議なんだよ。

この“影”の部分だけ、別の時間の光が入り込んでる。

まるで、誰かが君のネガに“もうひとつの記憶”を焼きつけたみたいだ」


悠は、写真を見つめた。

朔の背後に立つ“影”。

それがただの錯覚ではないことを、改めて思い知らされる。


「店主さん、このフィルムの現像記録って、まだ残ってますか?」

「あるよ。日付も、処理した液のロットも全部。――見てみるかい?」

「はい、お願いします」


老人は古い帳簿を持ってきて、ページをめくった。

手書きの文字が並ぶ中に、昨日の日付がある。

だが――悠はその一行を見て、息を止めた。


現像依頼者:高瀬 朔


「……おかしいな」

「どうしたんだい?」

「この現像、俺が頼んだんです。

朔は、もうここに来られるはずがない。

しかも――この日付、昨日じゃなくて“二週間前”になってる……」


老人は眉を寄せた。

「そんなはずはない。私は昨日、君から受け取ったはずだ」

「でも、ここには朔の名前が……」


悠の手が震えた。

自分がこの店を訪ねたのは確かに昨日だ。

なのに、帳簿の記録はそれよりも前。

しかも依頼者は――“いなくなったはずの”朔。


そのとき、老人がふと何かを思い出したように言った。

「そういえば……この現像を受け取るときも、君のカメラと同じ型の機種を持った若い子が来てた。

名前は……確かに“高瀬”だった」

「どんな人でしたか?」

「黒髪で、無口そうで、目が少し寂しげだったな。

でも、変なんだ。帰り際に“この写真を神原に渡してくれ”って言われたんだよ」


悠の胸が強く脈打つ。

「……俺の名前、言ってたんですか?」

「ああ、確かに。

『もし俺がいなくなったら、あいつにこれを渡してくれ』ってね」


店主は、奥の引き出しを開けた。

中には、一枚の封筒が入っていた。

黄色くなった紙。宛名は、


『神原悠へ』

と書かれている。


「昨日は渡しそびれてしまってね。これだよ」


悠は震える手で受け取った。

封を開けると、中から小さな現像済み写真が数枚出てきた。

海辺の防波堤、校舎の窓、そして――自分。

知らない間に撮られていた、自分自身の姿だった。


「……朔、お前……」


最後の一枚を見て、悠は息を飲んだ。

そこには、カメラを構える自分と、

その隣で笑っている朔が写っていた。

しかし、朔の姿は半分ほど欠けていて、

背景の空と同化するように消えかけていた。


老人が静かに言った。

「彼は、君を撮ってたんだろう。

写真の中に残そうとしていたんだよ。

いなくなる前に――きっと、何かを伝えたかったんだ」


悠は、何も言えなかった。

ただ、胸の奥が熱くなった。

朔の最後の願い。

それが、今ようやく形になって届いた気がした。


外に出ると、再び小雨が降り始めていた。

灰色の空。濡れたアスファルトが、淡く光を返す。

悠は封筒を胸に抱き、ポツポツと落ちる雨粒の音を聞いた。


――雨の匂いがした。

それは、懐かしくて、苦しい匂いだった。

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