第2話 「雨の日の約束」
放課後の廊下は、雨音に包まれていた。
天井から垂れる蛍光灯の光が少しだけ揺れて、窓ガラスを伝う水の筋に反射している。
その一つひとつが、まるで遠い記憶の欠片みたいに見えた。
悠は、昇降口の前で立ち止まった。
外は、びっくりするほどの本降りだった。
傘を持ってこなかったことを、今さら少しだけ後悔する。
それでも、心のどこかで――“このままなら、もう少し朔と話せるかもしれない”と思っていた。
「帰れねぇな、こりゃ」
背後から低い声がして、振り向くと朔がいた。
濡れた髪先から一滴、雫が落ちる。
部活の帰りなのか、カメラバッグを肩に掛けたまま、無造作に靴ひもを結び直している。
「朔も傘ないの?」
「ねぇよ。朝は晴れてたからな」
「だよね。俺も」
「お前、天気予報見ないタイプだろ」
「うん、見ない。だって空見ればわかるじゃん」
「……空ばっか見てるもんな」
朔は小さく笑った。
その笑い方が、どうしようもなく優しくて、悠の胸の奥に何かが沈んでいく。
二人は昇降口のベンチに腰を下ろした。
外の雨が地面を叩く音が、リズムみたいに響いている。
遠くで雷が鳴って、ガラス越しに青白い光が一瞬走った。
「この音、好きなんだよな」
悠がぽつりとつぶやく。
「雨の音?」
「うん。落ち着くし、なんか……時間がゆっくりになる感じ」
「俺は、ちょっと苦手」
「なんで?」
「昔、雨の日に犬が死んでな。……それ以来、匂い嗅ぐとあの時のこと思い出す」
「……そうなんだ」
朔の言葉には、感情の波がほとんどない。
それなのに、胸のどこかを確かに刺してくる。
悠は何も言えずに、ただ靴先で床をこすった。
少しの沈黙。
やがて朔が窓の外を見たまま、ぼそりとつぶやく。
「でも、こうして誰かと一緒にいる雨は……悪くないな」
「……それ、名言じゃん」
「うるせぇ」
「でも、うれしい」
悠の声に、朔がわずかに顔を背けた。
頬にかかった髪が揺れて、その向こうに見える横顔が淡く光る。
その仕草ひとつひとつが、写真にしたくなるほど綺麗だった。
「なあ、悠」
「うん?」
「お前、卒業しても写真撮るのか?」
「うん、たぶん。俺にとっては息するみたいなもんだから」
「……すげぇな」
「何が?」
「そんなふうに言えるの、羨ましい」
朔は少し笑った。
でもその笑いは、どこか壊れそうに儚かった。
「じゃあさ」
「ん?」
「もし、俺がいなくなっても……俺のこと撮ってくれよ」
言葉の意味を理解するまでに、少し時間がかかった。
悠はカメラバッグを握る手に力を込める。
「なにそれ、変なこと言うなよ」
「約束、してくれればいい」
「……約束」
「うん」
外ではまだ、雨が降り続いていた。
街灯が滲み、世界がゆっくり溶けていくようだった。
その光の中で、朔の横顔だけが妙に鮮やかに見えた。
悠はカメラを構えた。
ファインダー越しに見た朔の目が、ほんの少しだけ笑った気がした。
カシャン。
シャッターの音が、雨の音に溶けていく。
それは約束の証であり、そして――最後の記録でもあった。




