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ドラゴの子  作者: わる
第一幕 - プロローグ:空から落ちてきた少女
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第9話「予期せぬ来訪者」

 潮風がミッコのボロボロの小屋の前に立つ五人の若者たちの髪を優しく揺らしていた。しかし、その場の空気は穏やかなものではなかった。ミッカは真剣な顔つきで、以前とはまるで別人のような、冷たい決意を固めていた。彼女の青い瞳には、かつての好奇心や怯えはなく、鋭い光が宿っていた。


「なあミッカ、本当にそんなもので記憶が戻るのか?なんで今までやらなかったんだ?」


 静寂を破ったのはテセウキだった。


「テセウキ!」ダイアンヤの声が、ビシッと鞭のようにしなった。「あんたバカなの!?ミッカちゃんが嫌がってたからでしょ!あの記憶のフラッシュバックが、どれだけ怖いか!」


 彼女の気迫に、テセウキはハッとして一歩後ずさった。「あ……悪い。俺……」


「何も考えてなかったってわけね」と彼女は切り捨てた。そして、その怒りはふっと消え、代わりにゾクッとした悪寒が走った。「そういえば、思い出したくもないことを思い出しちゃったわ……じい様の、あの説教……」


「うわあああ、思い出すなよ!」テセウキは叫び、まるで記憶を振り払うかのように頭をワシワシとかきむしった。


「あのじじ、本気で怒ってたからな」レグルスが腕を組んだまま、低い声で同意した。


 三人が大長老の怒りについて話している間、ミッコとミッカの兄妹は、そんな会話は聞こえないかのように小屋の中へと入っていった。


「この箱の後ろに隠しておいたんだ……」ミッコが隅を指差しながら言った。


 ミッカは前に進み、躊躇なく古い木箱や埃っぽい袋をどかし始めた。ついに、彼女の手が冷たい革の鞘に触れた。鞘から引き抜かれた剣の、金色で複雑な装飾が施された柄が、差し込む光を浴びてキラリと輝く。奇妙なオレンジ色の金属でできた両刃の刃と、その根元に埋め込まれた黒い石が、静かなエネルギーを放っているかのようだった。彼女は古い友人に再会したかのように、無表情でその刃を見つめた。


「どうだ?」ミッコがひそひそ声で尋ねた。


「この前みたいに、体に不思議なエネルギーが走る感じはする……」彼女は静かに答えた。「でも……何もない」


「あの竜の紋章は?」


 ミッカは剣を置き、鎧の肩当てを手に取った。中央には、かつて彼女を恐怖に陥れたあの紋章――稲妻に巻かれた竜――が刻まれていたが、今はただの、見覚えのない金属の模様にしか見えなかった。


「……ダメだ」


 二人は外に出た。ミッコは大げさに剣を担ぎ、ミッカは鎧の部品を抱えていた。外で待っていた三人が彼らに振り向く。


 テセウキはミッカの方へ駆け寄った。彼の目は好奇心でキラキラと輝いている。「うおぉ!なんだこの金属は!?見たことねえぞ!」彼はミッカをそっちのけで、鎧の素材を食い入るように見つめた。「何か思い出したか?」


 ミッカは首を横に振った。「ううん、今のところは」


「着てみたらどうかしら」とダイアンヤが提案した。


 ミッカは頷き、その表情は再び真剣な決意に満ちた。


 しかし、彼女が動く前に、芝居がかった叫び声が響き渡った。


 全員が振り向くと、そこには大きな木の枝を構えたミッコと、ミッカの剣を両手で握るレグルスの姿があった。


「ここで終わりだ、魔王!」レグルスが叫んだ。


「俺の屍を越えてゆけ、勇者よ!」ミッコもまた、大げさで怪物のような声色で応戦した。


 二人は雄叫びを上げながら互いに突進し、木の枝と剣がぶつかる甲高い音が浜辺に響いた。ガキン!


 三人はその光景を呆然と眺めていた。


「あんたも混ざってこないの?」ダイアンヤが、呆れたようにテセウキに言った。


 彼は二人の「戦士」に一瞥をくれると、すぐにミッカの持つ鎧に視線を戻した。「それもいいかと思ったけど……こっちの方がよっぽど面白そうだ、へへへ」


 レグルスがとどめの一撃を繰り出すフリをして空を切ると、ミッコは「ぐはっ!」という断末魔と共に、大げさに地面に倒れた。レグルスは勝利のポーズで剣をクルリと回し、満足げに目を閉じた。そして、彼が再び目を開けた時、三人の少女が自分を見ていることに気づいた。ダイアンヤは無表情で、ミッカは……


「レグルスくんって、そういう男の子っぽいこと、好きなのね」


 クスクスと、彼女は手で口元を隠しながら笑った。


 レグルスは、カチン、と固まった。


 彼の顔はバジリスクの鶏冠よりも真っ赤に染まり、持っていた剣がドサッと音を立てて砂の上に落ちた。


(可哀想に、好きな子の前でこんな恥をかくなんて……)


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「で、どうかしら?」ダイアンヤが尋ねた。


 ミッカは今、鎧を着ようと奮闘していた。しかし、部品は彼女の体には明らかに大きすぎた。


「こ、これじゃ……あ、歩きにくい……」脚当てが大きすぎて、まるで金属のペンギンのようにガシャンガシャンと歩くことしかできなかった。


「それに、これ忘れてるぞ」とテセウキが、金色の装飾が施された白い布をヒラヒラさせた。


「私、そんなの着ないわよ!」ミッカは抗議した。


「なんでよ?カワイイじゃない!」ダイアンヤが言った。「ねえ?レグルス?」


「は?お、俺は……待て!」突然話を振られ、レグルスは真っ赤になった。「そんなの、邪魔になるだけじゃないか?鎧の上にスカートなんて……」


「口ではそう言っても、本当は見てみたいんでしょ?このスケベ!」ダイアンヤが従兄をからかった。


「なんだとー!」


 レグルスが言い返し、二人は子供のようにペシペシと叩き合いを始めた。


「まあまあ……それより、何か変わったことはあったか?姉ちゃん?」ミッコが喧嘩を無視して尋ねた。


 ミッカは静かに腕を下ろした。腕当てがガシャンという音を立てて落ちる。「ううん……」彼女は砂の上に座り込み、脚当てと胸当てを外した。「あの時は、紋章を見ただけで記憶が断片的に蘇ったのに……どうして今は、何も……」


「あんたの魂に、何かあったんじゃないの?」ダイアンヤが、従兄に腕ひしぎ十字固めをかけながら言った。


「でも、あなたのお母様は、私の魂は大丈夫だって……」


「そうじゃなくて……覚えてる?初めて会った時、じい様が言ってたでしょ。『まるで一つの体に二つの魂が宿っておるようじゃ』って」


 ミッカは目を見開いた。テセウキとミッコも、ハッとしてダイアンヤを見つめた。


「ただの憶測だけどさ」彼女はレグルスの腕をギリギリと締めながら続けた。「もし……もし本当に、あんたの中に、もう一つの魂があるとしたら?」


「だとしても……大長老様が見抜けなかったなんてことあるのか?」とテセウキが問うた。


「アルカナ使いは人の魂の気配は感じられるけど、『見る』ことはできないの」とダイアンヤは説明した。「だから、じい様も『まるで~のようだ』って言ったのよ。正直、あたしにもよく分からないけど、試してみる価値は、なー」


 グッ、とレグルスが気合で技から抜け出し、ダイアンヤの顔を砂浜に押し付けた。「じじに見抜けたかは分からんが……」彼は、砂の中でもがく従兄の頭を押さえつけながら言った。


「だが?」テセウキが促した。


 レグルスは大きく息をつくと、爆弾を投下した。「……『大騎士』たちが、『空の民』の一団と協定を結んだのを小耳に挟んだんだ。奴らは、あのワイバーンを狩るために来る。いつになるかは分からんが、今週中だとは言っていた……」


 ダイアンヤは砂の中から顔を出すと、レグルスを蹴り飛ばした。「どうしてそれを知ってるのよ!?」


「……お前の親父の話を、隠れて聞いてた」彼はバツが悪そうに認めた。「それで、なんで言わなかっただろ!?」


「あたしが知るわけないのよ!」彼女は叫んだ。レグルスは驚いて目を見開くと、プイッと海の方へ顔を背け、不機嫌になった。


「まあまあ……」いつも通り、テセウキが仲裁に入った。「その人たちが、ミッカを助けてくれるかもしれない……」


 ミッカは立ち上がり、まだ砂の上でふてくされているレグルスの前に、ちょこんとしゃがみこんだ。「ありがとう、レグルスくん」


 彼女の顔には、優しく、素直な笑みが浮かんでいた。レグルスの顔が、カァァっとみるみるうちに赤くなる。彼は後ずさりながら、何か意味不明な言葉をどもるように呟いた。


(我らがヒーローの道のりは、まだまだ長そうだ。)

 _________________________________________________


 それからの日々は、静かだった。ミッカは治療師の厳命により宮殿に留め置かれ、まるで綺麗なシーツに包まれた籠の中の鳥のようだった。ミッコは、今はもう一人分の皿しか置かれていない食卓を見るたび、彼女の不在の重さを感じていた。彼は黙々と仕事に没頭し、ダイアンヤからの「宮殿に泊まっていきなさいよ」という誘いをすべて断り、静まり返った家へと一人で帰っていった。孤独は、歓迎されざる同居人だった。


 二日後、世界は変わった。


 浜辺からの帰り道、重い防水布を引きずっていたミッコは、ピタリと足を止めた。村の入り口の空気が違う。異質な気配が漂っていた。見慣れぬ男たちが、彼を眉をひそめさせるような生き物に乗って、そこにいた。ガッラドレイクではない。もっと背が高く、しなやかで、黒曜石のように滑らかな鱗と、冷たい内なる光を宿した目を持つ四足の獣。そして、その乗り手たちは、この地の者ではないと一目でわかる、完璧すぎる輝きを放つ金属の鎧に身を包んでいた。


 ミッコは好奇心旺盛な村人たちの間をすり抜け、警戒心で胸をザワつかせながら進んだ。


「よう、ミッコ!」太った店の主人が、赤い果物を一つ差し出した。「見たかい?お偉い客だ!お前のとこの金髪の姉ちゃんは、こういう時にどこにいるんだ?」


「宮殿で休んでるよ、おじさん」ミッコはいつもの笑顔もなく果物を受け取った。「『大騎士』たちの命令なんだ」


「ふん。よそ者といえば……」主人は、チラリと騎士たちに目をやり、ため息をついた。


 少年は宮殿へ向かったが、その道は塞がれていた。二人の金属兵が、仁王立ちで彼を阻む。


「すみません、妹のミッカに会いに来ました」


「誰も通すな。命令だ」兜の奥から聞こえた声は、冷たく、機械的だった。


「でも、あいつは療養中で!俺はあいつの兄貴なんだぞ!」ミッコは一歩前に出た。


 金属の腕が、グッと彼を押し返した。その時、赤頭巾の衛兵の一人が近づいてきた。「ミッコ、今は都合が悪い。すまないが、家に帰ってくれ」


 味方であるはずの衛兵から告げられたその言葉は、見知らぬ兵士に突き飛ばされるよりも、少年の心を重くした。この場所には、新しい主人が来たのだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「奴らが来たぞ」


 レグルスの低い声が、ミッカを魔術理論の本の世界から引き戻した。彼が部屋に入ってくると、その肩には普段以上の緊張が漂っていた。


「ダイアンヤは?」


「お母様と一緒に出かける、と」


「そうか……いいか」彼は一瞬ためらった。「大長老様がお前も来るように、と。あるいは……奴らがお前の助けになるかもしれん」


 ミッカは眉を上げた。「随分と自信があるのね、レグルスくん」


 彼はフイッと顔をそむけ、耳がわずかに赤く染まった。「奴らの一人が」彼は、まるで弱みを認めるかのように呟いた。「お前と全く同じ鎧を着ている」


 ミッカは、ハッとして息を呑んだ。手の中の本が、鉛のように重くなった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「うわー、すげえ騒ぎだな」テセウキが、ミッコの隣で家のベランダから村の入り口を眺めながら言った。「こんな大騒ぎ、久しぶりに見たぜ」


「前にも来たことあんのか?」ミッコは、目を細めてよそ者たちを見つめながら尋ねた。


「こんな風にか?鎧着て、物々しい感じで。一回だけな。俺が10歳の時だ。お前はまだ6つのガキだったから、覚えてねえだろ」テセウキは笑ったが、その目には楽しげな色はなかった。「火を使わずに光る道具を持ってきたんだ。今まで見た中で、一番すげえもんだったぜ」


 ミッコの視線は揺るがなかった。「テセウキ兄貴」彼は、危険なほど静かな声で言った。「なあ……あいつら、ミッカ姉を連れて行っちまうと思うか?」


「なんだよ、急に」


「分かんねえ」ミッコは告白した。「胸が、ザワザワするんだ。空気が重い。嫌な感じがする」


 テセウキは黙り込んだ。彼の視線の先、『大騎士』たちが緊張した面持ちで集まっている。彼らは同盟者を歓迎しているようには見えなかった。まるで、戦いに備えているかのようだった。「……考えすぎだといいんだがな、ミッコ」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 謁見の間は、重苦しい期待感に満ちていた。大長老の前には、よそ者たちの長が立っていた。長身で、ボリュームのある長い黒髪、そして部屋そのものを支配するほどの威圧感を放つ男。その銀と金の鎧、白いマントは、ミッカが浜辺で見つけた過去の残響そのものだった。


「ワイバーンが討伐された、とはどういうことですかな?」司令官の声は抑えられていたが、雷鳴のようだった。


「事故がございまして」ダイアンヤの父が、大長老の隣で静かに答えた。「我々は、かの生き物を無力化せざるを得ませんでした」


「事故、と?」司令官はフッと鼻で笑った。「この島に、それほどの力を持つ者がいるとは存じ上げなかったが」


「我々もです」ダイアンヤの父の答えは、謎めいていた。


「その者を、私に紹介していただきたい」


「彼女は現在療養中でして――」


「ほう?」


 司令官の言葉が途切れた。彼の視線が、階段の上──謁見の間を見下ろすミッカとレグルスにグサリと突き刺さる。その冷静さが、ほんの一瞬だけ砕け散った。純粋な驚愕。


 ……馬鹿な。ありえん。報告では……行方不明、のはず。アルマが?ここに?


「そこの少女」彼は叫んだ。「名を名乗れ」


 ミッカは動かなかった。彼から放たれる視線に縫い付けられ、体はカチンと凍りつき、怒りと混乱の嵐が胸の中で吹き荒れていた。


「おい、ミッカ!しっかりしろ!」レグルスが彼女の肩を揺さぶった。「なんだ?こいつを知ってるのか?」


「その娘の名は、ミッカと申します」ダイアンヤの父が、彼女に代わって答えた。


「ミッカ……」司令官は、その名を舌の上で転がした。顔はサンダーだが、歳が……サンダーは23のはず。この小娘は16にも見えん。ただの偶然か?いや……この気配……このオーラ……間違いない。ドラゴの子だ!


 彼は一歩前に出た。「ミッカ、だと?私のことを思い出せないか?私だ!」


「彼女に近づくな!」レグルスが男とミッカの間に割り込み、盾のように立ちはだかった。


「レグルス!」


「お前を信用できるか!」少年は吠えた。


「子供か……」司令官は、作り笑いを浮かべて一歩下がった。彼は玉座に向き直る。「大長老殿」彼は宣言した。「大きな誤解があったようだ。この少女は我々の王国に属する者。その名は、アルマ・ソレル。天騎士団の一員、コードネームはサンダー」


 彼は笑い出した。その笑い声は、狂気をはらんで謁見の間に響き渡った。「ギャハハハ!そうか!そういうことか!あのワイバーンを単独で仕留められるとすれば、サンダーしかおらん!ギャハハハハ!」彼はひとしきり笑うと、ピタッと静かになった。「話の通り、死骸はこちらで回収させていただく」


「……御意に」


「よろしい。さて……」司令官は再び振り返り、捕食者のような笑みを浮かべてミッカに近づいた。「アルマ・ソレル嬢、ご同行願おう。貴様には聞きたいことが山ほど――」


「貴様、何者だ。ここで何をしている?」


 彼女の声が、全てを断ち切った。


 ミッカの声ではなかった。鋼のように冷たく、刃のように鋭く、絶対的な権威を帯びた声。謁見の間の空気が凍りついた。ミッカの瞳、その好奇心旺盛だった青は、今や氷の破片と化していた。


 司令官の笑みが消えた。彼は言葉を失い、彼女を見つめた。「ア、アルマ……」


「問うている」彼女は、一言一言を叩きつけるように繰り返した。「貴様は、誰だ?ここで、何をしている?」


 レグルスは隣の少女を見た。その冷たい瞳、将軍のような声を持つ見知らぬ女を見た。背筋を、悪寒が駆け抜けた。


「アルマ……?」


 彼の囁きは、その名を、まるで判決のように響かせた。

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