第8話「アルマ」
雷鳴の後の静寂は、その轟音そのものよりも耳を劈くようだった。一瞬、谷の時間が凍りつき、後に残されたのは閃光の矢の残像と、破壊がもたらした静寂だけだった。
最初に動いたのは、ダイアンヤだった。
タタタタッ!
彼女は石の階段を駆け下りた。絶望が、彼女自身も知らなかった速度をその足に与える。谷底にたどり着くまでの数秒が、永遠のように感じられた。
そこで彼女が見た光景に、心臓が締め付けられる。テセウキが、ぐったりとしたミッコを肩で支えていた。ミッコの後頭部からは血が流れ、髪と服の襟を赤黒く染めている。彼を立たせていたアドレナリンはとうに消え去り、顔は青白く、意識もほとんどない。
「ミッコ!」
ダイアンヤはためらうことなくテセウキと入れ替わり、友の体をしっかりと抱きかかえる。彼女は胸の前でグッと拳を握り、目を固く閉じて集中した。両の拳から、白みがかった青い光がフワァッと溢れ出す。それは力の誇示ではなく、純粋な意志の集中。
「《アルカナ・レストア・シール》!」
光が彼女の右の掌に集束する。その手で、彼女はミッコの頭の傷にそっと触れた。青い光が皮膚に吸い込まれるように染み込んでいくと、みるみるうちに出血が止まり、傷口がジワジワと塞がっていく。
「アネキ……」ミッコがうめき、身を起こそうとする。
「バカ、動かないで!」彼女は厳しく、しかし安堵に震える声で命じた。「傷口を塞いだだけよ。無理したらまた開くわ。」そして、テセウキに向き直り、いつもの威厳ある口調で言った。「行きなさい!ミッカの様子を見てきて!こいつはあたしが面倒見る!」
テセウキは頷き、駆け出した。
その頃、レグルスはすでに動いていた。ミッカの矢が飛ぶのを見た瞬間、彼はミッコをテセウキに任せていた。純粋なエネルギーの矢はワイバーンに突き刺さったが、それだけでは終わらない。**グサリ!と肉を貫いた衝撃と共に、矢はバチバチバチッ!**と雷のエネルギーを炸裂させ、竜の体中を駆け巡った。閃光の後、魔法は霧散し、そこにはワイバーンの胸に空いた、煙を上げる巨大な風穴だけが残されていた。
ズシン!
怪物は、力なく垂れ下がったロープのように長い首を地面に叩きつけ、絶命した。
ミッカはまだそこに立っていた。矢を放った腕を、天に掲げたまま。だが、その体はグラリと揺れていた。
レグルスは走った。心臓が肋骨を叩く。彼女の力が尽き、崩れ落ちるその寸前に、彼はその体を滑り込むようにして受け止めた。
「ミッカ!」
彼の悲痛な叫びが響く。
だが、彼女はすでに意識を失い、ぐったりと彼の腕の中に重みを預けていた。
彼女を背負い、レグルスが振り返ると、息を切らしたテセウキが駆け寄ってきた。
「レグルス!彼女は!?」
「意識がないだけだ」レグルスは答えた。彼女が生きていることへの安堵と、他の様々な感情が渦巻いていた。
テセウキの視線が、ワイバーンの亡骸に向けられる。「あれ……もう動かないよな?」
「あの魔法はあいつの胸を吹き飛ばした」レグルスの声は暗かった。「あれで動くものなんて、あるもんか……」
「ミッカ、とんでもない魔術師だったんだな」テセウキが感嘆の声を漏らす。
その言葉が、レグルスの心に突き刺さった。とんでもない、か。そうだ。だが、それだけじゃない。疑念が彼を蝕んでいた。
(あの声……彼女が叫んだ時の……『彼をここから連れ出せ。今すぐにだ!』。あれはミッカの声じゃなかった。俺が知っている、優しくて、少し不器用な……あれは、別人の声だ。冷たくて、計算高くて、指揮官の声だった。まさか……あれが、本当の彼女だったのか?)
「あいつが何者だったにせよ……」彼は、テセウキにというより自分自身に言い聞かせるように呟いた。「ミッ……いや、『あいつ』は、危険かもしれん……」
テセウキは信じられないという顔で彼を見つめた。「おい、あいつは俺たちの仲間――」
「記憶が戻っても、そうだとお前は断言できるのか?」レグルスは声を荒げた。「お前には分からな――」
「おいおい、しっかりしろよ!」テセウキが割って入ろうとしたが、別の声がそれを遮った。
「あんたが彼女をどう思おうと、俺は気にしねえよ、レグルス」
ダイアンヤに支えられたミッコだった。顔は青白いが、その瞳は燃えるような忠誠心に満ちていた。
「あいつは俺を助けてくれた。今だけじゃない、あのバジリスクの時もだ。あんたがどう思おうと、あいつは俺の姉ちゃんなんだ」
「家族ごっこはやめろ、ミッコ!」レグルスはついに怒鳴った。
「言っただろ」ミッコの声は揺るがなかった。「あんたがどう思おうと、俺は気にしない!」
レグルスは助けを求めるようにダイアンヤを見たが、そこにあったのは、真剣で、怒りを湛えた表情だけだった。
「テセウキ、ミッカちゃんを連れてって」彼女の冷たい声が命じた。
レグルスは抗議しようとしたが、テセウキは申し訳なさそうな顔で、そっと彼の背中からミッカを預かった。ダイアンヤはミッコに向き直る。「少し一人で歩ける?」彼は頷いた。三人が出口に向かって歩き始め、静かになった戦場には、ダイアンヤとレグルスだけが取り残された。
「まさか、あんたまで――」
「そうよ!」ダイアンヤは彼の言葉を遮った。「彼女はただの友達じゃない。あたしたちを助けてくれる存在でもあるのよ」
「助ける?何をだ?村の世話でもするってか?本気で言ってるのか?」彼は嘲笑した。
ダイアンヤは俯き、ふぅーっと息を吐いて心を落ち着かせようとした。「……だから、みんな、まだあんたに話してないのよ」と彼女は呟いた。
「何?何を話してないって言うんだ?」
「あんたがまだ未熟だからよ!」彼女は爆発するように叫び、彼を睨みつけた。
「未熟だと!?」彼は痛みで歪んだ顔で言い返した。「偉そうな『アルカナ使い』のあんたこそ、何もしなかったじゃないか!攻撃魔法の一つも使えないのか?なんで行かなかったんだ――」
「あんたは、何をしたのよ、レグルス?」
その問いは、彼を殴りつけた。彼の目は大きく見開かれ、唇が震え、両の拳がギチリと音を立てて固く握られる。全身が、どうしようもない無力感に包まれた。
「あたしの魔法じゃ、竜には歯が立たない。あたしは弱いもの」ダイアンヤの声は低く、刃物のように鋭かった。「でも、あんたなら……あんたなら、ミッカちゃんがやったことと同じくらいの力が、出せたはずよ……なのに、どうして何もしなかったの?」
彼は俯いた。足元の石畳だけが、彼の視線を受け止めてくれる。無力感。俺に、そんな力が?
「あんたは知ってたんでしょ……」彼女は静かに尋ねた。「あの子が、『ドラゴの子』だって」
「……ああ」
敗北を認めるその一言が、かろうじて彼の唇から漏れた。
レグルスは彼女を見つめた。その視線は、無力感と羞恥心で砕け散っていた。彼は何もできなかった。彼の誇りは、友人たちの言葉によってだけでなく、自分自身の無力さという残酷な真実によって、粉々に打ち砕かれた。この谷で、本来なら一番強いはずだったのは、俺だった。
なのに、どうして。
どうして俺は、何もしなかったんだ?
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炎、炎、炎。
街が燃えていた。空飛ぶ船が、彗星のように火の粉を撒き散らしながら墜落していく。
ドオオオオオン!
疾走感。体が光の粒子にでもなったかのように、破壊された街路を駆け抜けていく。肌を焼く熱風、耳をつんざく悲鳴、爆発音、そして金属がぶつかり合う甲高い音。
(なぜだ?どうしてこんなことに?)
墜ちていく船の一つに、黒い異様な建造物が形成されていくのが見えた。その表面には青と紫の光が走り、巨大な砲門が空に向かって開く。
だが、それを阻むように、炎の奔流と稲妻の閃光が空を舞った。三つの人影。炎を操る者と、雷を操る二人が、あの黒い機械と戦っている。
(誰かを探さねば…早く!)
罪悪感が、この景色のすべてを重くする。
(私が、何をしたというのだ?)
逃げ惑う人々の前に、新たな絶望が立ちはだかる。闇色の金属の体躯を持つ人ならざる者たち。その頭には平たい黒い帽子のようなものが乗っており、顔は闇に隠され、ただ二筋の青白い光だけが縦に走っていた。あの建造物と同じ光。
ザシュッ!
視界が閃く。目の前にいた金属の兵士が、一瞬で真っ二つになって崩れ落ちた。右腕に、確かな重みを感じる。それは、かつてミッカが鎧から引き抜いた、あの剣だった。
(これは…私の記憶?私が、誰だったかの?これが…私の過去なのか?)
残りの金属兵たちが腕を上げる。その手首が内側に収縮し、砲口が現れた。**ギュイイイン…**と、赤いエネルギーがその奥で輝く。
だが、それらが放たれることはなかった。
シュンッ!
黄色い電光が迸る。彼女は一人の背後に現れ、二人目の正面に回り込み、三人目の頭上から襲いかかる。瞬き一つの間にも満たない。三体の金属兵は、ただの鉄屑となって崩れ落ちていた。
視界が反転する。宙返りしながら、彼女は眼下で逃げる人々を見た。まだ、時間はある。再び体に電気が走り、光の矢となって空を駆ける。
「あそこだ!間に合え…ッ!」
視界の先、街を分断する巨大な城壁が見える。それを飛び越えた瞬間、彼女の呼吸が止まった。心臓が、氷水に浸されたかのように冷たくなる。
あの家。何度も夢に見た、あの木の家が、燃えている。
凄まじい速度で家へと向かい、着地の衝撃で地面に膝をつきそうになるのも構わず、彼女は走った。家の前の芝生に、力なく膝をつく人影に向かって。
「エイドリアン!」
彼女は叫んだ。
男はゆっくりと振り返る。その瞳には、深い痛みと、底なしの絶望だけが映っていた。「…お前のせいだよな?」
「ち、違います…私は……」彼女の声が震える。
彼は燃え盛る家を見つめた。「僕を騙したのですね…今まで過ごした時間は、全て偽りだったと…」
「違います!断じて違います!」
「では、なぜ僕の街が破壊されているのですか!? アルマ!」
彼女は後ずさる。唇が震え、声にならない声が喉の奥で詰まる。
「…いや、こう呼ぶべきでしたか…『天騎士』…サンダー、と…」
ハッと目を開けると、見知らぬ木製の天井がそこにあった。ミッカはゆっくりと自分の右手を持ち上げ、その掌をじっと見つめる。
「アルマ……」
「アルマ?」
声に驚いて横を向くと、椅子に座って本を読んでいたミッコが、心配そうにこちらを覗き込んでいた。
ミッカが身を起こそうとすると、ミッコは慌てて駆け寄り、その肩を優しく押さえて彼女を制した。
「無理すんなよ、姉ちゃん!あのワイバーンの尻尾、ま本当に食らったんだぞ。治癒師の人たちが言ってた。肋骨が何本も折れてて、もう少し遅かったら、もう治せなかったかもしれないって」
「今…どうなってるの?」
「宮殿の中だよ。あの日から、もう一日経った」とミッコは説明した。
彼女はミッコの顔を見て、ふわりと微笑んだ。「ミッコが無事で、よかった」
その言葉に、ミッコの顔が曇った。「俺は、腹が立ってるんだ!」彼は言った。「あんな無茶して…もし姉ちゃんが負けてたら、どうなってたって言うんだよ!?」
彼の怒りが、彼自身の心配の裏返しであることが、彼女には痛いほど分かった。ミッカはただ、静かに微笑んで言った。
「…ごめんなさい」
その素直な謝罪に、ミッコははぁーっと大きくため息をつき、肩の力を抜いた。そして、思い出したように尋ねた。
「なあ…『アルマ』って、何なんだ?」
彼女は、再び自分の掌を見つめた。そこに刻まれた見えない記憶をなぞるように。
「たぶん……」彼女は、静かに答えた。
「私の、名前だったんだと、思います……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あなたの名前?」ダイアンヤの声は、部屋の静寂を切り裂く、用心深い囁きだった。
数分が経過していた。ミッコが慌ててダイアンヤを呼びに行き、彼女は今度は、優しそうな顔立ちと賢明な目をした女性を連れて戻ってきたのだ。ミッカがすぐにダイアンヤの母親だと理解したその治癒師は、静かな集中力で彼女を診察していた。彼女の右の中指がミッカの額にそっと触れ、左手は三本の指を伸ばして、心臓の近くの胸に置かれていた。その手つきからは、温かく、穏やかなエネルギーがじんわりと伝わってくる。
「……うん……」ミッカは目を閉じたまま、自分を悩ませ、そして定義する言葉を心の中で反響させながら答えた。「少なくとも、そう聞こえたの……」
「ふぅん……」ダイアンヤは腕を組み、その情報を強い眼差しで吟味しながら唸った。
治癒師は、流れるような動きでミッカから手を離した。「魂に傷はないようね」彼女の声は小川のように穏やかだった。「おそらく、記憶の断片が繋がり始めているだけでしょう」
「でも、このことを思い出せたのは、自分の力を使ったから……」ミッカの声は弱々しく、物理的な傷よりも彼女を苦しめる疑念に満ちていた。
年上の女性は腕を組み、その視線は分析的になった。「それは、あなたが慣れ親しんだことをしたからでしょう。体に染みついた行動、本能。それによって、脳が記憶の小さな欠片にアクセスしたのです」彼女は安心させるように小さく微笑んだ。「今のところ、あなたはまだ『あなた』だと、私は判断します」
ミッカはシーツの上に置かれた自分の手を見つめた。(まだ『私』……)でも問題は、いつまでなのか、ということだった。アルマが戻ってくるという考えは彼女を怯えさせたが、二つのことが彼女の心を深く捉えて離さなかった。
(どうして、私の体を乗っ取らないでってお願いした時、彼女の答えは「どうして私がそんなことを?」だったんだろう……それに……私のことを愛してるって言った。いつだって愛してるって。一体、‘私’は何を考えていたの?)
彼女の意識は、ヴィジョンの暗闇へとさらに深く沈んでいく。
(それに……あの男の人……「お前のせいだ」って……アル……ううん、私は、何をしちゃったんだろう……)自己のアイデンティティにおけるその痛々しい躓きは、無意識だった。(私が軍隊を率いて、あの街を襲わせたの?私は、一体……何者だったの?)
「いずれにせよ、心配する必要はありません」ダイアンヤの母親の声が、彼女を現実に引き戻した。その視線はドアの方へ向く。「分かりましたか、レグルスくん?」
壁に背を預け、腕を組んで立っていたのはレグルスだった。不意を突かれた彼は、一瞬目を見開いたが、すぐに顔をプイッと背け、わざとらしい不機嫌な表情を作った。その耳は僅かに赤くなっている。
「別に、心配なんかしてねぇよ、おばさん……」彼は普段より小さな声でぶっきらぼうに言った。
女性はクスクスと笑った。「この子はもう……」
「ありがとう、ママ」ダイアンヤが言うと、その声には安堵が滲んでいた。
ダイアンヤの母親は、顔がパッと明るくなるような優しい笑顔で答えた。「もちろんよ。大事な娘の大事な友達を助けるのは当然でしょう?」彼女は立ち上がり、ミッカに最後の視線を送ると、穏やかな空気を残して部屋から出て行った。
ダイアンヤはベッドの上の友達に向き直った。「アルマ、ねぇ……」
ミッカはすぐには答えなかった。彼女の視線は目の前の窓を抜け、山の岩肌に縁取られた青空の一部に吸い込まれていた。
「分からない……」彼女はついに、震える声で言った。「この名前を、受け入れたいのか……」
その言葉が、部屋の中に漂った。ドアのところにいたレグルスは、明らかに驚いていた。
「どうしてそう思うんだ?」彼は尋ねた。その声には、無関心を装う仮面を突き破る、純粋な心配がこもっていた。
「だって私は……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ミッコは宮殿の最も高い場所、潮風が吹き抜ける開けたテラスにいた。石の手すりに寄りかかり、村を守る巨大な螺旋状の岩々の向こうに広がる広大な海を見つめていた。
「様子を見に行かないのか?」穏やかな男性の声が、彼の背後から聞こえた。
ミッコが振り返ると、ダイアンヤの父親が、落ち着いた足取りで彼の方へ歩いてくるところだった。
「ダイアンヤ姉貴が、一人で話したいって……」ミッコはそう答え、再び海に視線を戻した。
「だが、レグルスはいるぞ」男は優しくからかった。
「……知ってる」
ダイアンヤの父親はミッコの隣に立ち、同じように水平線を見つめた。「なあ……あの子との関係も……いや、ミッカだけじゃない、他の奴らとの関係も……」ミッコは興味深そうに彼を見た。「お前くらいの歳の頃の、俺を思い出すよ」
男は微笑み、その目には懐かしさがキラキラと輝いていた。まるで壮大な冒険譚を自慢しているかのようだ。
(実際は、ただのガキの悪ふざけだったくせに)
「お前の親父、カエルはひどい奴でな……」彼は続けた。「俺がガラドレイクを怖がってるのを知ってて、わざと俺を奴の前に突き飛ばしたことがある。全部、お前の母親のライラにかっこつけるためだ!」
ミッコの唇に、小さな笑みが浮かんだ。「母さんを巡って、おじさんと父さんがライバルだったからでしょ。知ってるよ、おじさん。その話、もう何回聞いたと思ってるの?」
男は、カラカラと暖かく笑った。「お前に、自分のルーツを忘れてほしくないからさ」
「どういうこと?」
「ミッコ、お前はカエルとライラの息子だ」彼の口調は、より真剣になった。「俺と同じで、あいつらには名字がなかった。『ラニアケア』は、アーニャの母さんと結婚した時に授かった名前だ」
「おじさん、あんまり話が繋がってないよ……」
男は首の後ろをポリポリと掻いた。賢者が正しい言葉を見つけようと苦労しているような顔だ。(まったく、近頃の若いモンを感化させるのは骨が折れるぜ!)
「まあな」彼はため息をついた。「俺が言いたいのは、こういうことだ。あの子は、お前が浜辺で見つける前の自分を思い出すかもしれない。だが、あの子が『ミッカ』で居続けるか、それとも昔の自分に戻るか……その選択は、あの子自身がするんだ」
ミッコは黙り込み、その視線は青い海の広大さに吸い込まれた。「……そっか」彼は囁いた。「俺、たぶん、久しぶりに、本当の意味で『家族』って呼べる人ができたんだ……おじさん……俺、ミッカ姉ちゃんがいなくなるのは、嫌だ……」
男は、ミッコの髪をワシワシと力強くかき混ぜた。それは、愛情のこもった、しかしどちらかと言えば突き飛ばすような仕草だった。
「だったら、それを本人に言いに行け!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ミッカの部屋のドアは、まるで戦場への入り口のように思えた。ミッコはその前に立ち尽くし、心臓が胸の中で激しく脈打つのを感じた。彼はゴクリと唾を飲み込むと、震える手でドアを開けた。
中の光景は、時が止まったかのようだった。ミッカはまだベッドにいて、シーツがきちんと整えられている。ダイアンヤが彼女の正面の椅子に座り、真剣な顔をしていた。そしてレグルスは、彫像のように、腕を組んで壁に寄りかかり、床を見つめていた。
ミッカが顔を上げ、弟の姿を捉えた。彼女の唇に、小さな笑みが浮かんだ。
「ミッコ……」
「ミッカ姉ちゃん……」彼は、かろうじて聞こえる声で答えた。
その静寂を破ったのは彼女だった。彼女の声は固く、決意の重みを帯びていた。
「私は、アルマには戻りたくない」
ミッコはビクッと体を震わせた。安堵、恐怖、混乱――相反する感情の波が、彼の胸を打った。「でも……」
ミッカは続けた。彼女の青い瞳が、揺るぎない輝きで彼の目を捉える。
「本当のアルマが誰だったのか、何をしたのか、どうしてそうなったのか、知りたいの」彼女は一呼吸置き、その決意が言葉一つ一つに固まっていく。「だから……私の剣と鎧を見たい」