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ドラゴの子  作者: わる
第一幕 - プロローグ:空から落ちてきた少女
7/24

第7話「二つの魂、一つの絆」

 ミッカが黄色い魔法を使おうとして失敗に終わった後、穏やかな日々が過ぎていった。少女が過ごす場所は、砂浜から村の固く踏みしめられた道へと変わっていった。ダイアンヤは、師としての役目、そして何より友人として、ミッカを日々の雑務に連れ出すようになった。


 それは、ミッカを村に溶け込ませるため――共同体という織物の中に、一本のほつれた糸を丁寧に編み込むための行為だった。ミッカは市場の店で働き、その粘り強さで客を驚かせた。灼熱の太陽の下で収穫を手伝い、その尽きることのない体力で人々を感心させた。そして、急な坂道を笑顔で駆け回り、荷物を届けた。


 その過程で、二人はかけがえのない親友になった。最初の堅苦しさは、共に過ごす時間と分かち合った笑い声によって溶けていった。いつしか、急いでいる時やふざけている時に「ダイアンヤ」と呼ぶのは長すぎると感じるようになった。


「アーニャちゃん、待って!」ミッカはそう叫びながら友人を追いかける。ダイアンヤは、得意げな笑みを浮かべて肩越しに振り返るだけだった。


 レグルスとダイアンヤも、彼女の教育係を買って出た。静かな夜、オイルランプの明かりの下で、彼らは村の歴史、この大きな島、そして恐れられている「彼方の地」について語って聞かせた。


「あそこは広大で、禁じられた土地だ」レグルスがいつもの真剣な顔で説明した。「あそこの魔素の密度はあまりに高すぎて、人を狂わせ、どんな生き物も怪物に変えてしまう」


「だから、あの山々は魔法で封印されているのよ」ダイアンヤが窓の外に広がる、空を切り裂く巨大な螺旋状の岩々を指差して続けた。「古代の魔法が、あの形を創り出した。あれは、混沌が全てを破壊しないようにするための、あたちの防壁なの」


 そうして、ミッカが来てから一ヶ月以上の時が流れた。


 ある日の午後、太陽が砂浜を金色に染める中、五人の仲間たちはカキやカニを捕まえるために騒がしく動き回っていた。


「巣を見つけたぞ!」テセウキが荷車ほどもある巨大な岩を指差して叫んだ。「この下に、うじゃうじゃいやがる!」


 レグルス、ミッコ、そしてテセウキが力を合わせた。うなり声を上げ、筋肉を張り詰めさせ、首に血管を浮き上がらせて、彼らは岩を押した。そして、また押した。だが、岩は一センチたりとも動かなかった。


「くっ…ダメだ、びくともしねぇ…」ミッコが息を切らし、砂の上にへたり込んだ。


「私、手伝うよ」ミッカが近づきながら言った。


 疲れ果てて汗だくの三人は、立ち上がる気力もなく、ただ頷いた。ミッカは岩の前に立つと、膝を曲げ、その底に手をかけた。そして、「ふんっ!」という一声と共に、馬鹿げているとしか思えないほど軽々と、その巨大な岩を頭上へ持ち上げた。


「早く!カニが逃げちゃうよ!」彼女は重さに声が少しこもりながらも、そう言った。


 誰も動かなかった。


 彼女が岩を持ったまま振り返ると、そこには大きく見開かれた三対の目と、地面に落ちそうな三つの顎があった。後に続いた沈黙を破ったのは、波の音と、砂の上を慌てて逃げ惑うカニたちの音だけだった。


(可哀想な少年たち。思考が停止してしまったようだ。)


 その沈黙を破ったのは、気まずそうに近づいてきたダイアンヤだった。彼女は慌ててカニを拾い始める。


「アーニャちゃん…」ミッカは、ドンッという鈍い音を立てて岩を元の場所に戻しながら尋ねた。「私、これを持ち上げられるのって…変かな?」


 ダイアンヤは立ち上がり、顔を赤らめながら、ぎこちなく小さなお辞儀をした。


「別に、おかしいことなんてないわよ、ミッカ様…」


「様!?」その言葉はミッカの唇から爆ぜ、彼女は驚いて一歩後ずさった。


 最初の衝撃から立ち直ったテセウキが、レグルスの脇腹を肘でつつき、意地の悪い笑みを浮かべた。


「へえ、なるほどな。二人の関係では、お前が『下』ってことか」


「る、うるせえ!」レグルスは、獲物のカニよりも真っ赤な顔で叫んだ。


 その後、村へ戻る道すがら、テセウキがミッカに近づいた。


「ミッカの力は普通じゃないな」彼は感心したように言った。「一つ、手伝ってほしいことがあるんだが、いいか?」


 異常なのは、力だけではなかった。数週間が経つうちに、誰もが気づいていた。ミッカは、そこにいるほとんどの者よりも身体能力が高かった。力が強いだけでなく、より速く、疲れにくい。そして、全てをゼロから学んでいるにもかかわらず、頭の回転が非常に速かった。彼女を相手に戦略ゲームをすると、皆ほとんど諦めてしまうほどだった。天才というわけではないが、彼女の迅速で的確な判断は、常に彼女のチームに勝利をもたらした。


 テセウキの家――というより工房に近い場所――に着いて、ミッカは彼の頼みを理解した。道具、金属部品、歯車、そして設計図が、あらゆる場所を覆っていた。


「俺はまあ、エンジニア兼鍛冶屋兼職人兼メカニック、みたいなもんだ」彼は、少し照れくさそうに、しかし誇らしげに言った。「村の明かりとか、あの保存用の棚とか、火をつける道具とか…ほとんど俺が作ってる」


 ミッカは、他のランプと配線で繋がれた輝くランプを見つめた。


「送電網、冷蔵庫、そして電球ね」彼女は、ただそう言った。


 テセウキは凍りついた。


「そ…その名前はなんだ?」


「あなたが作っている、それらの物の名前よ」彼女は、それが当然であるかのように答えた。


「お前…記憶が戻ってきてるのか?」


 彼女は首を横に振った。


「ううん。ただ…知ってるの。それだけ」


 彼女の視線が、金属製の腕や脚の設計図に留まった。


「これは?」


「ああ、義肢だ」彼は説明した。「俺は、医療と外科の知識も少しあるんだ」


「すごい!」彼女は、心から感心して言った。


 彼は少し照れながら礼を言うと、自らの身の上を語り始めた。ずっと昔、事故で右足を粉砕骨折したこと。長老たちの治癒魔法でさえ、完全には治せなかったこと。長い間歩けなかったが、ある日村を訪れた一人の「空の民」が、気まぐれで彼の為に金属の義足を作ってくれたこと。その男は、傷口が義足を受け入れるよう、魔法で処置までしてくれたという。


 感銘を受けたテセウキは弟子入りを願った。男に時間はなかったが、代わりに医学、機械工学、工学、鍛冶などに関する山のような本と…一冊の辞書をくれた。


「だから、これを全部読むために、連中の言葉を覚えなきゃならなかったんだ」彼はそう言って、使い古された分厚い本を手に取った。タイトルは「物理学」と書かれていた。「だが、まだ全部は理解できてない。これを見てくれ」彼はページの一つの数式を指差した。「『ハンクの定数』なんてものが、一体何なのか、どうやって知ればいいんだ?」


「プランク定数よ」ミッカは、間髪入れずに答えた。


 テセウキは彼女をまじまじと見つめた。


「お前…これが読めるのか?」


「うん」彼女は、自分にとっても意味の通じる、その奇妙な文字を見つめながら頷いた。「どうしてかは分からないけど、読める」


 二人は一瞬顔を見合わせ、それから笑い出した。互いに、相手の言葉を知っている。どちらも、その理由は分からなかったが。


「テセウキのしていることはすごいよ。村のみんなを助けようとしてる」


「俺の技術が原始的なのは分かってる」彼は頭を掻きながら認めた。「外の世界に比べたら、赤ん坊みたいなもんだ。でも、この村は大きな島の中でも一番孤立してる。交渉するにも、ろくに『空の民』と接触できないからな…だから、手に入るもので、なんとかするしかないんだ」


 その日から、ミッカの日課がまた一つ増えた。彼女はテセウキの勉強を手伝い、難解な文章を翻訳しながら、自らの失われた過去について学んだ。ミッコとの関係も深まった。「弟くん」という冗談は本物の絆となり、彼は彼女を「ミッカねえ」と、心からの親しみを込めて呼ぶようになった。


 気づかないうちに、四ヶ月近い時が経っていた。ミッカはもはや、浜辺で見つかった怯えた少女ではなかった。彼女は、この場所の一部だった。


 彼女の個性もまた、花開いていた。より活発に、より自信に満ち、よりおしゃべりになった。彼女の中にはある種の断固とした態度――それは横柄さや傲慢さとは違う、むしろ…


「あいつ、女版レグルスだな!」ある日テセウキがそう評し、友人を恐怖のどん底に陥れた。


「なんだと、『俺』の女版だと!?俺をあんな野生児と一緒にするな!」レグルスは、心底侮辱されたように抗議した。


(哀れな我らが恋する英雄は、またしても打ちのめされた。)


 その変化の決定的な証拠は、ある市場の日に示された。彼女とミッコが狩りから戻り、獲物を売っていた時のことだ。屋台の前に立ち、客と交渉していたのはミッカだった。彼女の声は固く、その主張は説得力に満ち、客たちに付け入る隙を与えなかった。


 あの太った市場の店主が、その様子を腹を抱えて笑いながら見ていた。彼は、少し呆然と突っ立っているミッコの背中を、バンと叩いた。


「がはは!こりゃ坊主にゃ荷が重かったようじゃのう!やはりこっちが本当の姉じゃわい!」


 店主は笑い続けた。その声を聞いて、ミッカは勝利の笑みを浮かべながら自分の「弟くん」の方を向く。ミッコは、ただ顔を赤らめて視線をそらすしかなかった。そう、彼女が姉であることに、もはや疑いの余地はなかった。


_________________________________________________


 潮風が、潮の香りとけだるい空気を運んでくる。ミッコの小屋に隣接するプライベートビーチでは、小さな集団が昼下がりの暑さから逃れるように、木々の下に身を寄せていた。世界がゆっくりと、その速度を落としたかのようだった。


 ミッカとダイアンヤはひそひそと、二人だけの秘密でも分かち合うように笑い合っている。レグルスは腕を組んで目を閉じ、寝たふりをしているが、ピクピクと動く顎の筋肉が、彼がすべての会話に聞き耳を立てていることを物語っていた。ミッコは水辺に一番近い場所で、平たい小石を水面で三回以上跳ねさせようと、ぴょんぴょんと投げては失敗していた。


 ぽちゃん。


 穏やかな光景だった。だがその平和は、砂を踏む慌ただしい足音によって破られた。


 ザッザッザッ!


「よう、みんな!」


 テセウキが満面の笑みで現れたが、その瞳は場の落ち着いた雰囲気とは不釣り合いな興奮でキラキラと輝いていた。彼はドサッとみんなの隣の砂の上に腰を下ろし、儀礼的な挨拶もなしに本題に入った。


「この間のバジリスクのこと、覚えてるか?」彼はミッカとミッコに視線を固定して尋ねた。


 たった今、自分の小石が情けなく沈むのを見たばかりのミッコは、ブルッと身震いした。「忘れられるわけないだろ!」彼は自分の膝を抱えながら答えた。「絶望的な状況だったんだぞ。俺、死ぬかと思った…」


「だよな」テセウキは友人の大げさな言葉を無視し、まるで大きな秘密を打ち明けるかのように身を乗り出した。「『偉い人たち』が、もっとでかいのを見つけたらしい。それも、かなりでかいやつだ。街の東にある谷に、ワイバーンがいたんだと」


「ワイバーン」という言葉が、危険と魅力をはらんで、ピリッと空気に響いた。


 一瞬で、けだるい雰囲気は消え去った。ミッカ、ダイアンヤ、そしてミッコはガバッと体を起こし、その体はこわばり、目は大きく見開かれ、テセウキに釘付けになっていた。レグルスだけが身じろぎ一つしなかったが、彼がもう眠っていないことは明らかだった。


「くだらん。忘れるべきだ」彼は目も開けずに、重々しい声で言った。


「はあ!?冗談でしょ!」ダイアンヤは流れるような動きでサッと立ち上がった。彼女の服から砂が飛び散る。「あたしたち、見に行かなきゃ!ワイバーンよ!」


「ダメだ」レグルスはそう言い返すと、ついに体を起こした。彼は一人一人を、最も厳しい視線で睨みつけた。「馬鹿げてる。とんでもなく危険な上に、もし『偉い人たち』にあんな封鎖エリアに行ったことがバレたら、俺たちはものすごく、とんでもなく面倒なことになるぞ」


 ミッカは暑さにもかかわらず、ゾクッと悪寒を感じた。「あ、あの…竜がこんなに街の近くにいるのって、普通なんですか?」彼女は少し躊躇いがちに尋ねた。


 ダイアンヤの視線が遠くにそびえる山々にさまよい、彼女の普段の傲慢な表情は心配の色を帯びた影に覆われた。


「ここ数年、あの山々の結界がどんどん弱まってるのよ」彼女は異常なほど低い声で告白した。「だから、小さな竜だけじゃなくて、他の『彼方の地』の生き物たちも、山を越えられるようになってる。だから『偉い人たち』は警備を強化してるの」彼女は皆を見回し、その言葉には真剣な重みがこもっていた。「でも、聞いて。これは極秘情報よ。絶対に誰にも言っちゃダメ」


「なんでお前がそれを知っていて、俺が知らないんだ?」レグルスは即座に問い詰めた。その視線は疑念で鋭くなっていた。未来の警備隊長として、それは聞き捨てならないことだった。


 ダイアンヤはサッと顔をそむけ、頬がうっすらと赤く染まった。「べ、別に!偉い人たちが大きな声で話してるのが、たまたま聞こえただけよ!」


 レグルスは鼻でフンと笑った。その見え透いた言い訳に、明らかに納得していなかった。


「あー、もう、いいから行こうぜ!」ミッコが二人の間の高まる緊張を断ち切るように、すでに立ち上がってズボンの砂を払っていた。「考えてみろよ!『彼方の地』の生き物を間近で見られるチャンスなんて、そうそうないんだぞ!」


 ミッコの熱意は伝染した。テセウキはすでに立ち上がっており、ダイアンヤもレグルスに最後の一瞥を投げつけると、彼らに続いた。一行は、浜辺から続く小道に向かって動き始めた。


 レグルスは一人後ろに残り、純粋な苛立ちの表情で彼らを見つめていた。彼はため息をつくと、まるで世界の重みをその肩に背負っているかのように立ち上がり、全員に聞こえるくらい大きな声でぶつぶつ文句を言いながら、彼らの後を追った。


「ああ、そうかよ、勝手に行け!馬鹿な決断をするのはお前たちだ!俺は言ったからな?言ったよな?でも聞け、俺は絶対に行かないからな!絶対にだ!そんなに死にたいなら、それはお前たちの問題だ!だが、もしお前たちが死んでも、俺は一滴の同情も感じないからな!むしろ、大笑いしてやる!なぜなら、ここで唯一正気なのは俺で、まさにそれが理由でだな…」


「なあ」テセウキの落ち着いた、楽しげな声が、彼の言葉の途中で割り込んだ。


 レグルスは話すのをやめ、その顎はまだ憤慨したポーズのまま突き出ていた。


「そんなに来たくなかったんなら」テセウキは皮肉な笑みを浮かべて続けた。「なんでここまでついて来たんだ?」


 彼は前を指差した。


 レグルスは見た。彼の肺から、空気が抜けていくようだった。


 彼らは、文字通り、ワイバーンの谷の、暗く威圧的な入り口の前に立っていた。


 気まずい沈黙が場を支配し、それを破ったのは、ミッコがくすくすと笑いをこらえようとする音だけだった。


 谷の内部は、自然でありながら人工的でもあった。確かに、それは風景に刻まれた裂け目だったが、十メートル近くある岩壁は、所々あまりにも滑らかだった。道具と魔法の痕が、至る所に残されていた。


 入り口の左手にある小さな洞窟には、素朴だが巧みに作られた階段があり、崖の側面をジグザグに上っていた。それが、監視所への道だった。


「この場所は、『偉い人たち』が山脈を越えてきた危険な生き物を封印するために使ってるのよ」ダイアンヤは先頭に立って登りながら説明した。ここに来たことのないミッカとミッコは、恐怖と感嘆の入り混じった表情で、あたりを見回していた。「最後の洞窟までには、四つの魔法結界が連続して張られてる。封じ込めシステムってわけ」


「そ、それで…そいつは結界を破れるの?」ミッカは低い声で尋ねながら、眼下に広がる曲がりくねった谷底を見下ろした。


「すべての竜は、純粋な魔力エネルギーをその身に宿した生き物よ」ダイアンヤは息を切らしながら答えた。「もし本気を出せば、一つくらいは破れるでしょうね。だから四つもあるの」


 ついに、彼らは頂上にたどり着いた。その景色は息をのむほどだった。谷は開けた場所へと続き、その先にある深く暗い洞窟で終わっていた。そして、その中に、巨大なシルエットが、薄暗がりの中でかろうじて識別できるだけで、静かに眠っていた。ワイバーン。


 彼らは崖の縁に数分間しゃがみこんでいた。沈黙は重く、耳元をヒューヒューと吹き抜ける風の音だけがそれを満たしていた。距離と暗闇のせいで、その生き物の詳細を捉えることは不可能だった。


「もう十分見たはずだ」レグルスが囁き、その声がついに沈黙を破った。彼の口調には、本物の切迫感がこもっていた。「ここにいるのは危険すぎる。戻ろう。今すぐだ」


 今度は、誰も反論しなかった。眠っているとはいえ、その怪物の存在感は圧倒的だった。安堵と同意のため息が、皆から一斉に漏れた。帰る時間だった。


 彼らは背を向け、洞窟に背を向け、安全な方向へと一歩踏み出した。


 その安堵の瞬間、その油断の一瞬に、ミッカの世界は崩壊した。


 パキッ!


 足元で、乾いた石が砕ける音。


 短い、甲高い驚きの叫び声。


 ミッコが。


 彼はバランスを崩した。その両腕が、何もない空間で支えを求めて空を切る。そして彼は、ただ静かに、緑豊かな谷の奈落へと消えていった。


 ミッカの頭の中が、真っ白になる。彼女の肺から、空気が奪われた。一瞬、世界で唯一の音は、彼女の耳元をヒューヒューと吹き抜ける風の音だけだった。


 そして、彼女は叫んだ。


「ミッコー!」


 それは、彼女自身の喉を引き裂くような、純粋で原始的な絶望の叫びだった。止まっていたかのような時間が、今やあまりにも速く流れ始める。彼女の体は本能的に動き、圧縮されたバネが解放されるように、崖の縁に向かって飛び出した。考えることも、ためらうこともなく、彼の後を追って奈落に身を投げる準備ができていた。


 彼女は、遠くへは行けなかった。


 ガシッ!


 鉄の万力のような強い腕が、彼女の腰と肩を掴み、その場に縫い付けた。レグルスとテセウキだった。


「離して!」彼女はもがき、彼らを驚かせるほどの力で身をよじった。彼女の爪が彼らの手を引っ掻いたが、彼らは彼女を離さなかった。「彼が必要なの!私、行かなきゃ!」


 涙が彼女の顔を流れ落ち、眼下の谷の景色をぼやかせた。彼はどこ?彼女には見えなかった。緑の草木が、彼を飲み込んでしまった。


「ミッカ、落ち着け!」テセウキの声は固かったが、その中にはパニックの色が滲んでいた。


「レグルス、俺と来い!」彼はすでに身を翻しながら命じた。「入り口から走るぞ!それが一番早く下にたどり着く方法だ!」


 レグルスは一瞬だけためらった。その視線は、絶望する友と奈落との間をさまよった。彼は顎を食いしばり、頷いた。


「ダイアンヤ、絶対に彼女を飛び込ませるな!」彼はそう叫ぶと、二人の少年は階段に向かって弾丸のように駆け出した。


 今や、彼女を抑えているのはダイアンヤだけだった。ミッカはもがき続け、泣き続け、弟の名前を呼び続けた。


「彼、動かないの、アーニャちゃん…どうして動かないの?」


 ズキズキとした痛み。


 それが、ミッコが最初に感じたことだった。後頭部に脈打つような痛み。彼はうめき、意識がゆっくりと、濁った波のように戻ってきた。


 次に感じたのは、寒さだった。彼はびしょ濡れで、冷たい小川の水が彼の足の上を流れていた。


 彼は目を開けた。視界はぼやけていた。ゆっくりと、谷の向こう端にある暗い形に焦点が合った。洞窟だった。そしてその中に、ワイバーンのシルエットが、まだ小さく暗い湖の中で眠っていた。


 ミッコは頭がクラクラするのを感じながら、座ろうとした。彼は後頭部に手をやり、それを目の前に持ってきたとき、その指は赤く、粘り気のある液体で濡れていた。


 血。


 彼は自分が倒れている小川に目をやった。一本の赤い筋、彼自身の血の筋が、頭から水へと流れ込み、流れに乗って運ばれていた。その流れは、まっすぐに…あの湖へと注いでいた。


(嘘だ…嘘だろ、そんな…)


 パニックが、冷たく、鋭く、こみ上げてきた。彼がさらに別の、上からは見えなかった細部に気づいたとき、その目は大きく見開かれた。ワイバーンの鱗は、山のトカゲのように硬く、ゴツゴツしてはいなかった。滑らかで、ほとんど磨かれているかのようで、薄暗がりの中でも虹色のかすかな輝きを放っていた。


 水棲だ。この生き物は、水棲なんだ。


 そして彼の血が、彼自身の血が、まっすぐにそいつの元へ向かっている。


 彼は走らなければならなかった。ここから逃げ出さなければならなかった。


 彼は震える足で立ち上がると、洞窟とは反対の方向へ走り始めた。


「ミッコ、逃げて!」ダイアンヤの甲高い、パニックに満ちた声が、崖の上から聞こえてきた。


「そっちも逃げろ!」彼は声を震わせながら、前へつまずきながら叫び返した。「血が!水が!そいつは、水棲なんだ…!」


 彼がその言葉を言い終えることはなかった。


 グオオオオオオオッ!


 耳をつんざくような、喉の奥から響く、怒りに満ちた咆哮が、谷全体を揺るがした。崖から小石がパラパラと落ちる。空気がビリビリと震えた。ワイバーンが、目を覚ました。


 ダイアンヤが再び叫んだ。純粋な恐怖の音だった。


 ミッカは、まだ必死にもがいていたが、ピタッと動きを止めた。その体全体が、カチン、と凍りついた。金縛りにあったように。大きく見開かれたその目は、今や湖から立ち上がった巨大な姿に、釘付けになっていた。


(やらなきゃ…あの力を…もう一度…)


 その思考を、声が断ち切った。彼女自身の声。だが、冷たく、遠く、恐ろしいほどに穏やかな声が、心の奥底で響いた。


『その様で彼を救えるとでも思うか?』


「わ、わたしは…」彼女は心の中でどもった。「やらなきゃ…」


『為すべきことは、分かっているはずだ』


「いや!」思考が叫び返す。「あれは…使いたくない!」


『何もしなければ』その声は、無慈悲に答えた。『彼は死ぬ』


 ダイアンヤは、突然動かなくなったミッカを見て、混乱した。友が、胸の前で手を固く握りしめ、ブルブルと激しく体を震わせ、音もなく唇を動かしているのを。


「…今回だけ…」ミッカの声は、混沌のさなかにあって、途切れそうな囁きだった。降伏の一息。「お願い…教えて」


『よかろう』その声は、満足げに答えた。『指南を与える』


 そして、瞬く間に、ためらいは消え去った。恐怖はまだ、胃の中に氷の塊のように存在していたが、それは新しく、圧倒的な決意の下に埋もれていた。


 ミッカはダイアンヤの腕からスルリと抜け出すと、崖の縁にある小さな岩の上に乗り、そして跳んだ。


 ヒュッ!


 風が彼女の耳元を切り裂く。


 眼下では、地面に倒れていたミッコ、そして駆けつけたばかりのレグルスとテセウキが、ただ目を見開いて空を見上げることしかできなかった。怒り狂うワイバーンの上に、一瞬だけ浮かび上がった、姉であり、友である、その小さなシルエットを。


 彼女の右腕が、振り上げられた。


 バチバチバチッ!


 純粋な黄色の電撃が彼女の手から迸り、ワイバーンの頭部に直撃した。怪物は苦痛の咆哮を上げて横に倒れたが、その尾は、大木のように太く、空を切り裂く稲妻のように彼女を襲った。


 ビュオッ!


 ミッカは空中で体をひねり、一筋の差でその一撃をひらりとかわした。地面に激돌する直前、足元の炸裂した電気が衝撃を和らげ、彼女はシュタッと、静かに、しゃがみこんだ姿勢で着地した。


 彼女は、そのエネルギーを腕と脚に注ぎ込んだ。


 そして、シュルルルル…!と、地面を「滑り」始めた。火花がパチパチと音を立てる軌跡を残しながら、滑るように。


 ワイバーンは巨大な翼で彼女を押し潰そうと攻撃した。だがミッカは、まるで舞うように、クルクルと回転し、その爪と打撃をことごとくかわしていく。それは混沌の中の、死と隣り合わせの、魅惑的なダンスだった。


 そして、ありえないほどの速度で、彼女は接近し、雷鳴をまとった拳を叩き込んだ。


 ゴオオオオッ!


 その衝撃音はワイバーンを数メートル後方へ吹き飛ばした。その一瞬の、暴力によって稼いだ、わずかな時間の中で、彼女はミッコに向かって弾丸のように走った。彼のシャツを掴むと、階段の入り口まで駆け抜け、レグルスとテセウキの腕の中に彼を放り投げた。


「彼をここから連れ出せ。今すぐにだ!」


 その声は、ミッカのものではなかった。それは、戦場のさなかにいる将軍の声だった。


 彼女は踵を返し、戦いへと戻った。


 ミッカは振り返った。その体は、自分のものでありながら自分でないエネルギーで、ビリビリと震えていた。彼女は、戦いへと戻った。


 その一撃から回復したワイバーンは、爬虫類の憎悪に満ちた目で彼女を睨みつけた。彼女は次の攻撃に備え、電気を帯びたダンスの構えで、スッと足を滑らせた。


 だが、彼女は不意を突かれた。


 怪物は爪でも尻尾でも攻撃してこなかった。その顎をガッと開き、その深淵から、青く脈打つエネルギーの球体が形成された。ミッカが反応するより早く、その光線が空を切り裂いた。


 彼女は横に身を投げ出したが、攻撃は速すぎた。エネルギーが彼女の肩を焼き、バランスを崩させた。その無防備な一瞬に、ワイバーンの尾が彼女を捉えた。


 その衝撃は凄まじいものだった。


 ドゴオッ!


 彼女の体は、布人形のように谷の岩壁に叩きつけられた。


 ガッシャアン!


 肺から空気が鈍い音を立てて押し出される。背中に激痛が走り、視界が一瞬、暗転した。


「ミッカー!」


 友人たちの絶望的な叫びが、遠くに響いた。


 彼女もまた叫んだが、その言葉は痛みの声ではなかった。それは否定、彼女の心に存在する者への、懇願だった。


「お願い、まだ乗っ取らないで!」


 世界が、消えた。


 もはや痛みも、叫び声も聞こえない。ただ、無限の、静寂な白があるだけ。


 彼女の前には、かつての「私」が、威圧的な鎧をまとい、谷底に意識なく横たわる自分の体を、まるで遠い場所の光景でも見るかのように、静かに見下ろしていた。


『何故、私がそのようなことをする必要がある?』その姿は、感情を一切排した声で尋ねた。


 霊体のミッカは、反応できなかった。彼女が、その無慈悲な態度への問いを発しようと口を開いた、その時…


『お前にそんな時間は無い!』もう一人の声が、刃のように鋭くなった。『奴が来る』


『目を覚ませ!』


 ミッカはビクッと痙攣し、口の中に血の味を感じながら目を覚ました。彼女はよろめきながら立ち上がろうとしたが、体はあらゆる動きに抗議した。声はまだ頭の中で響いていた。もはや問いかけではなく、宣言として。


『私はお前…』


『そしてこれは…我々の体だ』


 ビリビリと、電気が彼女の血管を再び駆け巡った。だが、今度は違った。より荒々しく、より濃密に。かつて怯えていた青い瞳は、今や白く、爛々と輝き始めていた。


『使いこなせ!』


 ワイバーンが再びエネルギーの光線を放った。今度、ミッカは超自然的な滑らかさでそれをかわした。彼女は生き物に向かって走り、ワイバーンは翼と尾で再び攻撃してきた。


 だがミッカのダンスは、今や嵐となっていた。彼女はただ避けているのではなかった。予測していた。一歩ごとに、一回転ごとに、彼女は石の床に小さな電気の点を残していった。それは、死の星座が足元に形成されていくかのようだった。


 彼女は、その生き物と顔を突き合わせた。両者が互いに向かって突進する。


 ワイバーンが爪で攻撃する。ミッカは滑るようにその下をくぐり抜けた。


 目もくらむような速さで、彼女は怪物の顎の下から強力な蹴りを叩き込み、その頭を空高く跳ね上げた。一瞬の隙も逃さず、彼女は回転し、さらに強力な蹴りを生き物の胸に叩き込み、それを後方へ、ほとんど飛ぶように後退させた。


 彼女は、両腕を上げた。


 床の光の点が、バチィッ!と爆ぜた。純粋な電気の枷がそこから現れ、ワイバーンに絡みつき、その翼、足、尾を縛り上げた。罠にかかった生き物は、為す術なく、ミッカの目の前の地面に、頭から叩きつけられた。


 彼女はそれを見下ろし、右腕を、とどめの一撃のために振り上げていた。


 白い空間で、ミッカは再び、過去の「自分」と向かい合っていた。


「どうして?」彼女は囁いた。混乱は、ためらいがちな好奇心へと変わっていた。


『お前が知らない、私についてのことはたくさんある』その姿は、今や穏やかな声で答えた。彼女は一歩前に出た。『あの記憶、そうだろう?分かっている。あれは私にもつきまとっている。だが、それはお前が私を恐れたり、憎んだりすべきだという意味ではない』


 その姿はさらに近づき、両者の間には腕一本分の距離しかなくなった。


「私は、私のことがとても好きだ」彼女は、武装を解くような誠実さで言った。「そしてお前は、私の一部だ。だから、お前のことも愛している」


 そして、彼女はミッカを抱きしめた。


 そこには冷たさも、鎧の硬さもなかった。ただ、慰めるような温かさ、ミッカが自分に欠けているとは知らなかった、帰属する感覚だけがあった。


「お前は、過去の私だった者を受け入れ始めなければならない…今の自分が誰であるかを理解するために」


 その姿は少し身を離し、彼女の肩を掴み、その唇には優しい笑みが浮かんでいた。


「私の、愛しいミッカちゃん。私は、いつでもお前を愛している」


 現実では、ミッカの右腕はまだ振り上げられていた。だが今、そこにはためらいはなかった。彼女は、自分が何をすべきか、正確に知っていた。


 彼女は、右の手のひらを開いた。


 黄色く、ビリビリと音を立てるエネルギーの小さな球体が、その中心に生まれ始めた。その下には、未知の複雑な文字で書かれた魔法陣が現れ、高速で回転し始めた。


 キィィン!


 金色の蛍のように、電気の火花が空中から現れ、その球体へと吸い込まれていき、それは刻一刻と大きくなり、計り知れない力で脈打っていた。


 ミッカは再び拳を握り、そして開いた。彼女は腕を後ろに引いた。すると、エネルギーの球体は引き伸ばされ、形を変え、純粋な光で作られた弓と矢の姿になった。


 彼女自身の声と、もう一人の自分の声が、一つの目的のために結ばれた二つの魂の完璧なハーモニーとなって、彼女は必殺技の名前を叫んだ。


「サンダー・スペクトラル・フレア!」


 矢が、放たれる。


 世界が、光と雷鳴に包まれた。


 そして、沈黙。

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