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日曜日のインドっぽいカレー

 日曜日、といえば皆様はどういう感情を抱くのだろうか。

例えば月曜日の準備期間であるとか、例えば絶望の一日であるとか、もちろん平日となんら変わらないただの一日という人もいるだろう。

私の場合は――そうだな、とても曖昧なものだ。私だって人並みに目の前に立ちはだかる月曜日はツラい。かといって、そればかりに意識を向けていては日曜日というスペシャルな時間の価値を著しく落とすことになる。

迫る月曜日に怯えつつも備え、そして楽しむ。私にとって、そういう日なのだ。日曜日というものは。

「で? ちゃんと見た?」

私の布団に堂々と仰向けに寝転び、彼女は文庫本を楽しんでいた。つまり私の呼びかけには応じてこない。”いつものことだけど”コイツは何をしているのだろう。


 遡ること五時間ほど。日曜日の正午付近――。

彼女……私の友人、朏島千雪――苗字は「みかづきじま」と読む――は欠伸をしながら我が家にやってきた。私の家に来たからといって何か友人然としたことをするわけでもない。彼女は以前からそうだ。

学生時分に共通の趣味を持っていたことから友人として付き合いを始めた。出会いにドラマもない。たまたまゲームセンターに設置されていた同じゲームを愛していて、二人して何年も熱中していただけだ。

しかし世の中なにごとにも終わりが来る。私たちが楽しんでいたゲームはサービス終了を迎え、共通のお出かけ理由でもあったモノを失った。

それからというもの、彼女と私との交友関係は変わらないものの、私と何かをしたいとか、お喋りをしたいとか、そういうことを主たる目的として彼女が我が家に来たことはない。

 余談だが私はそこそこ趣味が多い。今日も動画サブスクサービスで最近配信が始まったロボットアニメの最新話を視聴していた。――一応は彼女も同時に視聴していたハズなのだが――故に彼女に感想を求めたのだ。

彼女の回答? 「え? うん。面白かった。すっごい面白かった。最高」というテキトーの純度が非常に高い社交辞令を届けてくれた。三十分間で何十も人が死んだ内容のアニメだったが、どうやら面白かったらしい。ボウリングのピンがそれぞれ人の命だとして、それでストライクを出したような気分だったのだろうか。おっかない女だ。おいこっちを見ろサイコ女、せめて文庫本から視線を外せ。


 こちらへの意識が非常に散漫なサイコ女は置いておいて、この後はアニメに出たロボットのプラモデルでも組み立てる予定だ。もちろん、そのあいだ彼女は自身の好きなように過ごしているだろう。

 つまり彼女は我が家に来てダラダラしているだけだ。のらりくらりと日曜日にやって来て、持ち込んだ文庫本を読んだり、スマホで動画サイトを見たり。自分の好きなことをして楽しんでいる。そして時々なんらかのリアクションを発する。まるで最近コミュニケーションを覚えた宇宙人のようだ。おい宇宙人、地球は危険だぞ。住んでいた星に戻ったらいいんじゃないか。

 とはいえ一応は友人との時間らしい行いもする。なんだかんだで毎週恒例なのだが、どこかへ外食に出るのだ。いつ、どこへ、という決まりはないが必ず外食。そもそも同い年の独り身女同士、肩を並べて仲良くお料理なんぞしたくもない。そこに悲しさ以外のなにがあるというのだ。だから外食なのだ。


 プラモデルを組みつつ、時々言葉を発する千雪の対応もしながら時刻は十八時を少し過ぎた頃。

組み終わらなかったプラモデルの部品を箱へと戻し、道具を片付ける。

なんとなしテレビをつけてみればどこのチャンネルも定番の番組ばかり。あぁ、やめよう。この時間帯にこういうのを見ると妙に焦りが沸いてきてしまう。

改めてスマホの時計を見つめ、今が十八時台であることを確認する。夜の入り口のようなこの時間帯、外食に出かけるにはいいタイミングだろう。今日は千雪が昼頃に来たので昼食を摂るタイミングを失っていたし、丁度いいことに空腹感に襲われている。

「そろそろ腹減らない? ラーメンでも――」

「いや。ラーメンじゃない。ってかラーメンは先週行ったし、別にしない?」

なんてこった。急に自我を出しやがったぞこの女。たしかにラーメンは先週も彼女と食べた。たしかその時も同じような時間帯だった。

だが、先週食べていようと今の私はラーメンの口で、このまま何のやりとりもなく、どこにでもあるようなラーメンチェーン店に赴いて、そこそこの味のラーメンと、あとは大盛チャーハンあたりでも添えて晩飯と洒落こもうと思っていたのに。数秒で予定が崩壊したじゃないか。

「思うんだけど、外食メニューに困った時って私たちラーメン選び過ぎじゃない? そろそろ選択肢を開拓するべきじゃない?」

オマエと行く外食の十回のうち五回はラーメンじゃないか。いつも美味い美味いって言って食べていたじゃないか。急にどうしたんだ。正気に戻れ。

「……一応聞くけど、候補があるの?」

「カレー?」

なんだこの小学生の好きな食べ物発表会みたいな会話は。じゃあ他の候補を尋ねたら何が出てくるのだろう。唐揚げあたりだろうか。私は好きだぞ、唐揚げ。

「ラーメン屋にもカレーあるけど? 先週行ったとこにもメニューにあったよ」

「ラーメン屋のカレーじゃなくてカレー屋のカレー! ナンで食べるタイプの!」

ラーメンで押し切ろうとする私に対し、千雪はなかなかの抵抗を見せてくる。困ったものだ。どうにもラーメンは認められそうにない。

しかもナンで食べるタイプとは。ずいぶんガチなやつ――だが彼女の言っているのは、おそらくインドではないであろう国の人が作っていながら、インドカレーという名で出てくる庶民的価格の店のやつだ。もちろんそこで働く店員さんはカタコトで喋る。

私たちが住む地域に本格カレーが出てくる店は存在しないし、昔からひっそりと営業が続いているカレーチェーンの店は私たちにとっては価格帯がやや高い。どう考えを巡らせても、その、インド”っぽい”カレー屋に彼女は行きたがっている。

私もかつて何度かそのようなカレー屋に行ったことはあるが、どことなく漂う異国の雰囲気がなんとなく落ち着かなかったという印象しか残っていない。どこの店に行ったとか、味がどうだったかとか、そういう記憶はもう脳の端にも置かれていない。

「……じゃあもうカレーでいいよ、腹減ってるし。気になる店でもあんの?」

「うん。こないだ妹と行ったんだけど、けっこう美味しくってさ。道は教えるから行こ」

正直気乗りはしないが記憶から消えかかっているインド”っぽい”カレーもたまにはいいか、と折れて賛成したというのに行ったことあるんかい。リピートじゃないか。開拓者の精神はどうしたんだ、よくそれでラーメンに文句言えたな。そのうえ私が連れてくんかい。


 そして、数年は更新していないプレイリストの曲をかけつつ、どうにかこうにか維持している安い軽自動車を転がし、女二人は目的のインド”っぽい”カレー屋に辿り着いた。

ここが私の日曜日の終着点。ここで食事を摂って家に帰れば、日曜日は幕を下ろし始める。ああ、名残惜しさが突然襲い掛かってきた。幕が下りてしまえばそこには華やかさなどない。社会という名の苦痛に支配された檻に戻らなければならない。せめてこのカレー屋でいい夢という名の美味を味わって苦痛を迎え撃ちたいものだ。

 時刻は十九時に近づいている。夕食時の人も多いのだろう、店外からでもそこそこの人がいるのを確認できたが満席ではなく、待つことなく席に着くことが出来た。

店内にはスパイスのような香ばしい匂いが漂っている。空腹には辛い香りだ。そわそわしながら隣の席の客の方へ視線を向けると、やはり銀色の器に盛られたカレーにナンをくぐらせて食していた。

「チーズナン。絶対チーズナン。食えチーズナン」

ラミネート加工されたメニュー用紙を指さしつつ、千雪は原始人並みの言語能力で私にオススメを告げる。

私はだいたいどこへ食べに行っても定番中の定番であったり、自分が安心して食べれるものを攻める性分だ。食事においてはガチが信条だ。奇をてらったり挑戦をすれば失敗の可能性があるが、自分が食べれるものを選べば確実に美味しいし、最高の満足を得られる。真剣に石橋を叩いて渡るのだ。私は。

いつもの私であれば普通のナンないしは米でカレーを食べただろう。だが、付き合いも長く私の好き嫌いを知り尽くしている彼女がオススメするなら乗っかってやろう。今宵のディナーで私と踊るのはチーズナン君だ。

 どうにもこの店はカレーとナンに加えてサラダとドリンクがついたセットが得らしい。なんともよくあるインド”っぽい”カレー屋だ。日本中に数百軒は同じような店があるのではないだろうか。それはさておき得という言葉には弱い。このセットからは逃れられない。

ナンは決めたし、あとはカレーとドリンクを選べばいい。私はキーマカレーとアイスコーヒーを選出し、本日のメンバーとした。

 いつの間にか運ばれていたお冷を一口含み、対面に座る千雪を見る。どうやら彼女はバターチキンカレーとほうれん草のカレーのどちらにするかを決めかねているらしい。

「私サラダ嫌いだし、あげるよ。それでほうれん草カレーだと野菜過多になるからバターチキンにしたら?」

正確には大抵のサラダにかかっているドレッシングだけが嫌いなのだが、わざわざ店員さんにドレッシングを除けるよう頼むのも子供っぽくて恥ずかしいので、こういうセットメニューについてくるドレッシングのかかったサラダの処理は千雪にお願いしている。

逆に彼女が食べられないものは私が処理することもある。何事もギブアンドテイクだ。それが人間関係を円滑にするコツなのだ。ギブアンドテイクという言葉がこういうことに適用されるのかは存じないが。

「よし、バターチキンにするわ。バターチキンカレーとチーズナンで飲み物はラッシー」

私の誘導が後押しになったのか、千雪はバターチキンカレーを選んだ。それでいい。一秒でも早く何か食わせて欲しいのだ。私の誘導に乗ってくれてありがとう。


 ほどなくして私たちが注文したカレーたちがカタコトで話す店員さんによって運ばれてきた。チーズナンはイメージしていた一般的なナンの形状とは違い、なんというか、ピザのような円形だった。

そのうえ切れ目が入っている。食べやすくするためなのだろうが、切れ目から漏れ出る溶けたチーズの姿と生地の焦げ目も相まって余計にピザのように見えてしまう。これにトマトソースをかけたらもうピザなのでは? 私は今どこの国にいるのだろう。

 いや日本のインドもどきに戻ろう。まずはチーズナンを切れ目を頼りに取って――

「熱ッッッつ! 熱すぎない?」

思わず手を放す。まるで熱したフライパンに触れたような気分だ。チーズナンを手放してからも、まだ少し指先がヒリヒリする。こいつは中々の強敵だ。これは散々インド”っぽい”と形容した罰なのだろうか。

「チーズナンを侮ってたわ。アツツツ……頂きます」

しっかり熱さを蓄えているチーズナンを一切れ、銀色の器に盛られているキーマカレーの海にひたしてから口に運ぶ。

美味い。が、チーズはどこへ行ってしまったのだろう。カレーの味が強すぎてチーズが行方不明になってしまった。申し訳ないチーズナン君、キミに誂えたのはタキシードではなく甲冑だった。

しかし、カレーのついていない部分はしっかりとチーズを感じる。美味い。生地内に大量に閉じ込められているチーズの暴力によって脳がバカになっていく。

凄まじい罪悪感だ。私は今まさに体に悪い物をダイレクトに体にぶち込んでいる。だがとても心地よい。御託の存在しない、直線的な美味さと熱量が全力で殴り掛かってくる。なんて潔い攻撃だ。バカになっても構わない。それほどの説得力と強引さが、この大量のチーズにはある。

二人分のサラダを呑気に貪っている目の前の女に従って正解だった。指がまだヒリつくのが少々腹立たしいが、それを差し置いても”正解”だった。

 キーマカレー? キーマカレーは普通に美味しい。特筆することはない。普通のキーマカレーだ。それでいいと思う。私はあまりに美味しいものを知るとそればかり食すようになるところがある。もしも格別に美味しい物だったのなら、また来週も顔を合わせる千雪にキーマカレーを食べに行くことを提案しただろうし、それを聞く彼女はウンザリした顔をするだろう。このキーマカレーが普通でよかった。


 とかく今宵の外食は成功だった。なるほどな、カレーもたまにはよいものだ。ひとつ学びを得た。

食に対しては保守的な部分のある私にとっては、千雪という存在がちょうどいいスパイスになっているのかもしれない、と帰りの車中でふと思った。一方の彼女にとっては、私という人間は取るに足らないつまらない人間かもしれないが。出来れば、つまらなくてもいいから無害な人間だと認識していて欲しいところだ。

助手席に座る彼女を一瞥するとスマホを熱心に見ていた。人が運転してやってるんだから何か喋れや。

 またしても車中では数年更新していないプレイリストの楽曲が響く。曲が進むごとに、自宅に近づくごとに、私の日曜日が色を失い霞んでいく。

雲を掴むことはできない。死を避けることはできない。同様に、日曜日を終わらせないようにすることもできないのである。嗚呼、人という生き物、ひいては私という生き物は実に無力。

今日という日はまるで良い夢のような一日だったと思う。体を休めることもできたし、それなりに美味しいものを食べることができた。

明日はきっと悪夢のような一日だろう。良い事が待っている可能性があったとしても、月曜というのはそういうもの。どうあがいてもクソなのだ、月曜日は。だいたいの人間に嫌われている自覚を持ってほしい。悔い改めろ月曜日。

 帰宅して千雪と別れたら、あとはシャワーを浴びて、昼は千雪のモノにされていた布団に寝転んでゆっくり動画でも見て現実逃避でもしようか。

時計がゼロ時を示すまでは日曜日――その時が来るまでは、私はまだ夢の中にいるのだから。

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