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金曜日の焼肉のタレご飯

 ──趣味は何ですか

そう聞かれたら「人並みにいくつかありますよ」と答える。

──好きな食べ物は何ですか

そう聞かれたら「嫌いな食べ物を言った方が話は簡単ですね」と答える。

 要するに面倒くさい人間なのだと思う。この私──水ヶ塚優子、生物学上は女の私は、ただの面倒くさい一般低所得会社員。そういう人間。

自称面倒くさい人間として三十一年を生きてきた。社会における地位的な視点で言えば、ずっと下から上の景色を見上げてきた。

 空を見上げることは向上心の強化に良いのだと、どこかの誰かが説いたらしい。

つまり、向上心が強くなった所で人生における満足には何の役にも立たないということだ。向上心だけではメシも食えない。

私はずっと下から上を見ていたのだから、そりゃあ私の向上心はまるでダイヤモンドのようにカチカチに硬く美しいはず。

なのに、私は、今も変わらず下にいる。

 きっと探しさえすれば世の中には、偉い人の偉いお話だとか、美辞麗句とか、感動的でハートフルな恋物語とか、そういうものによって得られる満足だとか幸福はあるのだろう。

だが私は──私、水ヶ塚優子という女は、もうずいぶんと面倒くさい人間を自負している。幸福の摂取方法もやっぱり面倒くさい。


 五月の半ば。私に対する殺意があまりにも強い朝日が眩しい。

ゴールデンウィーク期間の連休も終わり数日。社会も、私も、いつも通りの変わらない動きを取り戻す頃合い。

強いて不満を挙げるとすれば体がだるい。そりゃあそうである。ゴールデンウィークという名の連休中には甘く楽しい時間を享受した。それを強制的にシャットされ、一般的会社員という社会を構成するネジにも等しいか弱い生物であるこの私に〝現実〟だの〝通勤〟だの〝仕事〟だのという、道端に落ちている何の動物の物かも分からないクソ以下のモノが襲い掛かってきたのだ。体もだるくなるというもの。

だが、それでも私は生きていく。たとえ体がだるかろうが、今目の前にある会社や仕事から逃避して辞めてみたりなんて気は一切ない。

ただ口にしたいだけなのだ。面倒だなぁ、と。それだけで、重たい体はほんの少し軽くなるものである。

 幾多の精神的負荷を乗り越えて面倒な出勤をこなし、ようやく勤務先に辿り着いて束の間。多くの人が行き交う更衣室の入り口で、誰かが私に声をかけてきた。

「おはよう水ヶ塚さん。やっと金曜日だねぇ……一週間長いよ。そういえば連休はどうだった? どこか行った?」

私が勤める会社、もとい工場はとにかく従業員が多い。他人にあまり興味がない性分も合わさって誰が誰だか分からないことがままある。もしかして三人ぐらい同じヤツがいないか? あの人とあの人、顔同じじゃない? などと思うこともある。

そんな環境の中で今、私に声をかけてきたこの女性は……ああ、そうだ。連休の間に頭のセーブデータまでリセットされたのかと思った。彼女は私が所属する班の班長、樽保さん……樽保美智子さんだ。苗字は「たるほ」と書いて「たるやす」、と読む。変な苗字だ。

そして突然の親愛なる声掛けに逡巡することおよそ数秒、どうにか目の前にいる樽保さんに軽く会釈をして一言を返す。

「どこにも行っていません」

もしも、この発言を誰かに採点して頂いたら何点もらえるのだろう。私の予想では真っ赤っかなゼロ点だ。

ゴールデンウィーク連休も終わって五月も半ばだというのに今更連休中の話をするのか、ということは今は置いておいて、せっかく上司である班長が私に声をかけてきたのに、なんてつまらない返しを。

「まぁそうだよねぇ。他の人達もみんな家に居たみたいよ」

樽保さん、あなたの返しは百点だ。


 なんてことはない朝の挨拶を交わし、私服を脱いで仕事着に着替えたら私の一日が始まる。

始まるがそれ以上の話はない。ただの工場で、社会で何に使われるのか分からない製品を一日中作って定時になったら帰る。それだけだ。

それ以上の興味や情報はない。よって仕事に対する矜持もない。仕事なんて、日々のおまんまの種銭を得るためにしぶしぶ行うもの。そんな程度さ、私にとっては。

 よって私は今帰路についている。それもちょっと急ぎ足で。なぜか? 今日は金曜日だからだ。

金曜日というものを世間はどう捉えているだろう。一方では解放の日、一方ではいつもと変わらぬ平日、まぁ様々であろう。

私の場合は解放の日だ。クソみたいな労働から放たれ、クソみたいな職場の空気を吸うことから離れ、いつでも好きな時に煙草を燻らせて、いちいち人に話すほどでもない程度の趣味に興じられる。ああなんて素晴らしい解放の日。

社会人の規範や義務というのは時に呪いのようなものになる。自分を縛り、足を前に進めることすら戸惑いたくなる。

それが大人、それが社会人と言い切ってしまうこともできるが、往々にしてそんなものは我慢や建前というもの。どこの誰しもが、そんな小奇麗な大人でいることには疲れているのだ。どうだ、世界中の子供たち。大人とはかくも情けない生き物なのだぞ。よく見ておくといい、オマエ達もいつかはこうなるのだ。

アメリカで二刀流になるとか、世界を震わせるシンガーになるとか、ケーキ屋さんになるとか、そんな高尚な夢はいつか霞んでいく。

あ──いや、めちゃくちゃ点を取るストライカーになってサッカー日本代表になりたいという子はそのまま頑張ってほしい。これからの日本を頼む。

とかく、生きていられればいい。命があればいい。美味しいものが食べられたらいい。そうやって、人はどんどん小さな存在になっていく。

そういうものさ──だけどそれも悪くない。どう考えを巡らせようと、今まさに、労働を終えた金曜日というものは素晴らしいのだから。


 そんな素晴らしき労働後の金曜日。いざ待ち受ける土曜日曜の休日に備え、ここいらでパンチのきいた夕餉を貪って英気を養いたい。肉か、はたまた魚か……とかく、何らかの命を食みたい。

帰宅し、そしておもむろに開く冷蔵庫の扉。冷ややかな風と共に、私のもとへ辛く厳しい現実がお届けされた。

何も──ない。何一つありゃあしないじゃないか、この冷蔵庫。

私はまるで、上司にミスを滾々と詰められている時のような顔をしているのかもしれない。脂汗を浮かべ、表情だけで「ヤバい」と訴えているようなそんな顔だ。あ、いや。ミスをしたところで気にしたことはないからあくまでも想像の顔にすぎないのだが。

しかしどうしたものか。まさか食材というものが何一つないとは思わなかった。せいぜい瓶詰や豆腐、納豆の類ぐらい残っていてもいいだろうに。

……逡巡のすえ思い出した。仕事に向かう前、つまり今朝。朝食を食べるために冷蔵庫を開けた時は、多くはないが、少なからず、確かに食材が入っていた。私はこの立派な二つの眼でその様を見ていた。

その記憶からすぐに推理をはじめ、ものの数十秒で「冷蔵庫の中身からっぽ事件」の犯人を特定できた。

私の愚姉が犯人だ。名を水ヶ塚音子──ネコではない。オトコである。オンナだが──同じ屋根の下に住むひとつ上の私以上に面倒くさい女だ。面倒くさいし、面倒くさがりだし、だらしないし、なんというか、私もダメな大人という自覚はあるが、その私のダメ人間センスをもってして判断してもさらにダメな人間なのである。

 そんな愚姉は日々の食い扶持をコンビニのアルバイトで得ている。よって会社員として定時で務める私とは違い、様々な時間でアルバイトに馳せ参じている。いわゆるシフト制というやつだ。

今日はおそらく昼間からの出勤だったのだろう。私が家を空けている間に自分が必要なぶんを冷蔵庫から摂取したのだ。

一人が食事をした程度で冷蔵庫がからっぽに? いいや私の記憶が定かなら、好みはともかくとして何色かは食べられそうな程度には食材が──ああそうだ、あの愚姉は面倒くさい女だった。おそらく、いいやほぼそうだ、こんな時に限って消費期限が過ぎた食品を処分したのだろう。

簡単な調理で食べることができ、かつ誰にでも通じる美味しさのあるウインナーや残りの少なかった瓶詰食品はご丁寧に食べられており、いかに姉が簡単に食事を済ませたかが推察できる。

そこで終わっておけばよいものを、冷蔵庫内がさして満たされていない状況だったばかりに色んな食品に目が届き、いちいち消費期限をチェックさせるスキを与えてしまったのだ。腹が立つ。いつもならこんな面倒なことしないのに。

どうせ姉は私と再会したら自信ありげにこう言うのだ。

「冷蔵庫の中の期限きてるやつ、捨てといたよ」

と。バカが。しょせん期限は他人が定めたものだ。食ってみるまでその期限が正しかったかどうかなど証明できないだろうに。


 そっと冷蔵庫の扉を閉めて考えを巡らせる。静かな台所に、冷蔵庫の穏やかな動作音がひびく。

すると背後からピーという電子音が聞こえた。今朝がた仕事に行く前にセットしておいた炊飯器で米が炊けたのだ。

(米は炊けたけど、一緒に食べるものが無いんだよなぁ。ふりかけでも探すか? いいや、死ぬほど面倒だけど今からコンビニに行って……)

と、米の供を模索していたその時、天啓にも似た思い付きという名の稲妻が脳裏に降り注いだ。

仕事から帰ってきて、改めて外へ出向くのは大いに面倒。さらにコンビニで割高なおかずを手に入れるのも癪だ。

しかし暖かい米はある。米とは日本人の食卓における重鎮、メイン、ヒーロー。そんな米だけでも食事は立派に成立する。

そうだ、米に味をつけてしまえばいい。米がおかずと主食を兼ねる。そんな食事もいいだろう。

どうだ見たか世間様。これが地面を這って生きる女の力技だ。米があるなら米をどうにかして食えばいい。金もかけず、手間もかけず、キラキラした金曜日を送る必要もない。パワーだ。力だ。要するにそれらを補えればよいのだ。今日という日を、土日への踏み台とする。


 そうと決まれば準備は簡単に済む。まずは炊きたての米を茶碗によそい、冷蔵庫に残る数少ない存在、調味料を選別する。今回は醬油ベースの焼肉のタレだ。

おおよそひと回しほど米にタレをかけ、箸でざっくりとかき混ぜる。かき混ぜた所で部分的に白米の存在が目立つがそれでいい。これでこそ「主食とおかずを兼ねた米」だ。

日本中のどれほどが知っているだろうか。だいたいの美味い物はタレが美味いのだ。

ウナギのかば焼き、煮アナゴの寿司、焼肉、みたらし団子、焼き鳥……厳密に言えば素材にだって美味しさはあるのだが、私のようなバカにでも分かるほどに美味しさを叩きつけてくるのは、それら料理がまとうタレだ。よってタレとは、それら美味いものの代理存在とも言える。

私が米にかけたタレは焼肉のタレ。つまり、今私は、まさに焼肉(の代理)を米にまとわせているのだ。これは焼肉丼だ。肉が見えないだけの焼肉丼。

 茶色に染まりつつある米を口に運ぶ。あぁ──ちょっと物足りない。だが美味い。タレに含まれたごま油、黒コショウ、醤油や砂糖、様々な味がシンプルな白米にとても合う。

炒飯やピラフのようなパラつきはない。むしろベタつきこそあるものの、これこそ焼肉を乗せて食う米の味だ。

美味い。濃すぎるほどのタレをまとった米が焼肉の代理として立派なおかずになっている。

もし米に問いかけが通じたとしよう。彼はきっと「あなたお肉ですか?」という問いに「違います……」と答えるだろう。だが残念だったな、今私の中ではタレをまとった貴様は肉だ。人違いだって構わず私は食べる。

何らかの命を食みたい──私が食事前に抱いていた欲望は、焼肉(米)で満たされた。


 食事を終え、また顔を出してきた物足りなさにピストルを放つが如く、コップ一杯の水を飲み干す。

そして愚姉の生活態度がありありと想像できる洗い物が貯まったシンクに、私が今しがた使った茶碗も仲間に加えてもらった。どうだい私の茶碗。ひどい所に送られただろう。さながら君は悪辣なオークが百万匹いる森に放たれたエルフだ。頑張ってくれ。明日には迎えに来てキレイキレイしてあげよう。

 長いようで短い夕餉を巡る戦いを終え、ふとスマホを覗き込む。会社からのメールが届いていた。どうにも私が今日やった仕事にミスがあったようで、週明けにお叱りがあるとのことだった。

まったく酷いものだ。せっかくの土日をこれから迎えようというのに、そんな先の話を送り付けてくるのか。思わずため息を吐いてしまった。

まぁいい。大人とはそういうものだ。クソを踏み、クソを超え、またクソを踏み転ぶ。だからこそ、時々掴める幸せの質を高めていかなければならないのだ。

「今この手が届くものを、最大限楽しむ。まだこの手が届かないものを、最大限夢に見る。それ以外のことは些細なこと」

これが私のモットーだ。

地面を這って生きて、そのまま寝転んで、現実に疲れて多くの夢を望んでしまうこともあるだろう。その夢たちは悪夢に姿を変えてしまうかもしれない。それでも、毎日夢を望んだとしても、二日に一度くらいは手の届く素敵な夢を見られるだろう。そのぐらいの精神で、私は生きていたいと思っている。

さぁ、いよいよ金曜日の夜も更けてきた。楽しい楽しい土日の始まりだ。

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