5、皇帝陛下オーデン・ジュピテルスとの謁見?
◆皇帝陛下オーデン・ジュピテルスとの謁見
── 逃亡したサンディ帝国で、リコとツカサは妖精や宰相のセレニウスに国のことを教えてもらったり、住居と仕事などを得ることができた ──
ある日、セレニウスが二人を呼び出した。
「皇帝陛下がお二人にお会いしたいと仰っています」
*****
宮殿は白亜の石でできており、優雅な彫刻が施されていた。しかし、ムーン王国の宮殿のような威圧感はなく、むしろ温かみを感じさせる造りだった。
入口に立つ衛兵たちは、リコたちに敬礼し道を開けてくれた。
宮殿の最深部にある玉座の間で、リコたちはサンディ帝国の皇帝、オーデン・ジュピテルスに謁見した。
赤い髪と黄金の瞳を持つその男は、まさに「獅子皇帝」の異名に相応しい威厳を持っていた。年齢は三十歳前後か、鋭い眼光と鍛え上げられた体躯は、戦士としての経験の豊かさを物語っていた。しかしその目は、ムーン王国の王族たちのような尊大さではなく、深い知性と慈愛に満ちていた。
「クニコ・クロノと、ツカサ・ギンノか」
オーデンが低く響く声で話し始めた。
「セレニウスから話は聞いている。ムーン王国に不当に召喚され、逃れて来たと」
「はい、陛下」
「はい、仰る通りです」
リコたちは恭しく頭を下げた。
「我が帝国は、全ての種族が平等に暮らせる国を作ろうとしている」
オーデンが玉座から立ち上がり、窓辺へ歩み寄った。窓の外には、帝都の街並みと、その中心に聳え立つ世界樹ユグドラジルの全景が見えた。
「しかし、長年の戦争と差別の歴史が、その道を阻んでいる。ムーン王国のような国が存在する限り、真の平和は訪れない」
彼が振り返り、リコたちを真っ直ぐ見つめた。
「セレニウスは言う。君たちには特別な力が宿っていると」
リコの息が止まった。隠蔽魔法は完璧だったはずだ。ツカサの助けも借りて、ステータスは完全に偽装している。なぜバレたのかしら?
オーデンが微かに笑った。
「心配するな。我は君たちの秘密を暴こうとは思わない。ただ……我が帝国の『世界樹』が、君たちの到来を待ち望んでいるように感じる」
「世界樹が私たちのことを?」
リコは尋ねた。
「世界樹が、ですか?……」
ツカサは何かを感じているようだ。
「我が帝国の中心に立つ、聖なる樹であるユグドラジルがだ」
オーデンが窓の外を見ながら言った。
「かつては魔界樹と呼ばれ、瘴気を放つ禍々しい存在だったこともある。しかし、歴代の皇帝や賢者、聖者たちの努力で、少しずつ浄化されてきたのだ」
セレニウスが補足した。
「世界樹は今、転換期を迎えている。完全な聖樹へと生まれ変わるか、再び魔界樹へと逆戻りするか。そのカギを、陛下はあなた方が握っているとお考えなのです」
リコは複雑な思いだった。
自分は聖女ではなかったはずだ。ただのOLで、ストレス解消にボクシングを嗜む程度の普通の女性だ。しかし、召喚された時のステータス画面 —— 「言霊を聴ける代理人」「管理人たちの加護」 —— それらは何を意味するのだろう?
「私は……特別な力なんて持っていません。ただの平凡な人間です」
リコがそう言うと、オーデンは深くうなずいた。
「それが最も重要なことかもしれないな。特別な力を持つ者ではなく、平凡でありながらも、すべての声に耳を傾けられる者 —— それが今、この国に必要なのだ」
「クニコ、彼の言う通りかもしれない。あなたは精霊や妖精の声を聞ける。それはとても貴重な力だよ」
「世界樹に会ってみたくはないか?」
オーデンが尋ねた。
リコはためらった。
世界樹に会いに行けば、何かが変わってしまうような気がした。しかし同時に、そこに行くことが運命だと感じてもいた。
「ぜひ。行かなければならないと感じます」
ツカサに後押しされ、リコもうなずいた。
「はい……お会いしたいです」
オーデンの顔に笑みが浮かんだ。
「では、三日後に案内しよう。それまでに、心の準備をしておくがいい」
*****
その夜、リコは家の小さな庭で星空を見上げていた。
サンディ帝国の空は、ムーン王国のそれよりも星が明るく、また数も多かった。地球の星空とも違う、異世界ならではの星座が輝いていた。それと、ムーン王国でも見た、青い月と赤い月も。
「どうしたの? 眠れないの?」
ツカサは、寒くないのかとリコを心配したらしく、ベランダに出てきた。銀髪が月明かりに照らされ、紅の瞳が優しくリコを見つめている。
「うん。皇帝陛下の話が頭から離れなくて……」
リコはため息をついた。
「ツカサ、私は本当にこの世界に必要な人間なのかな? 私にできることなんて、たかが知れている。地球ではただのOLだった。特別な力も知識も持っていないのに」
ツカサはリコの隣に座り、彼女の肩にそっと手を置いた。
「リコ、あなたは自分が思っている以上に強い人だよ。ムーン王国から逃げ出した勇気、偽名を使いながらも誠実に生きようとする姿勢、そして何より —— すべての声に耳を傾けようとする優しさ」
「でも、それって特別な力じゃない。誰にだってできることだよ」
「それができる人は、実はとても少ないんだよね」
ツカサの声が優しく響いた。
「多くの人は、自分と違う者の声に耳を貸したりはしない。異なる種族、異なる立場、異なる考え —— それらを排除しようとする。
でもリコは違う。あなたは職安で、獣人にもエルフにもドワーフにも、同じように耳を傾けている」
リコは黙った。
確かに、地球でも職場では、誰に対しても公平に接しようと心がけていた。それが特別なことだとは思わなかった。
「ツカサはどうなの? あなたはもっと特別じゃない? 読心術だって使えるし……」
リコが言いかけると、ツカサの表情が一瞬曇った。
「私の力は……ちょっと複雑なんだ。でも、今はそれについて話せない。ごめんね」
「いいよ。誰にだって言えない秘密はあるもの」
二人はしばらく星空を見上げながら黙っていた。遠くから、世界樹ユグドラジルが微かに光っているのが見えた。あの樹は何を考え、何を待っているのだろう。
「ねえ、リコ」
「ん?」
「もし……もし私がリコが思っているような人間じゃなかったら、どうする?」
ツカサの声がいつになく真剣だった。
リコはツカサの方を向き、じっと彼女の紅の瞳を見つめた。
「ツカサはツカサだよ。たとえ何か秘密があったとしても、私の大切な友達であることに変わりはない」
ツカサの目に、一瞬涙が浮かんだように見えた。
「ありがとう、リコ」
彼女はそっと微笑んだ。
「それじゃあ、そろそろ寝ようか。三日後には世界樹に会いに行くんだから、しっかり休まないとね」
「うん。おやすみ、ツカサ」
「おやすみ、リコ」
ツカサは自分のベッドにさっさと潜り込んだ。
リコは最後に星空を見上げ、世界樹に向かって小さく呟いた。
「あなたは、いったい何を私に求めているの?」
風がそっと吹き抜け、木々の葉がさらさらと音を立てた。それはまるで、世界樹からの答えのように聞こえた。
*****
翌朝、帝都の空は透き通るような青さに包まれていた。
リコは宿舎の窓辺に立ち、遠くにそびえる巨大な樹影を見つめていた。世界樹ユグドラジル ―― この世界の心臓とも言える聖樹。今日、彼女たちはあの樹の下に立つことになる。
「緊張してる?」
背後から優しい声がした。振り返ると、銀髪のツカサが微笑みながら立っていた。彼女の紅い瞳は、いつもより深い輝きを宿しているように見えた。
「少し……でも、何かわくわくもしているの」
リコは胸に手を当てた。
「まるで、長い間会いたかった人にやっと会えるような気分なの」
ツカサの目が一瞬、複雑な色を浮かべたが、すぐに優しい笑顔に戻った。
「私も同じだよ。きっと、今日は何かが変わる日になる気がする」
二人が宿舎を出ると、既に皇帝オーデンと宰相セレニウスが待っていた。オーデンの赤髪は朝日に照らされ、炎のように輝いていた。セレニウスの緑の髪は微風に揺れ、エルフ特有の優雅さを漂わせている。
「準備はいいのか?」
オーデンが声をかけた。
「「はい」」
リコとツカサは同時に答えた。
四人は馬車の乗り込むと、静かに宮殿を出て、帝都の中心へと向かった。
道中、多くの市民が道端に立ち、彼らを見送っていた。その視線には好奇の念だけでなく、深い敬意が込められていた。帝国では召喚者は特別な存在として扱われる ―― 王国とのあまりの違いに、リコは胸が熱くなった。
「あの人たち……私たちを歓迎してくれているのね」
リコが小声で呟いた。
セレニウスが優しく頷いた。
「帝国では、召喚者は国の宝ですからね。過去の過ちから学び、今では召喚者を敬い、その知識と力を国の発展に活かすことを誓っているのです」
「過ちか……」
ツカサが呟いた。
オーデンの表情が曇った。
「かつて帝国も、王国のように召喚者を道具として扱った時代があったからな。恥ずかしく愚かなことに。その結果、創成女神の怒りに触れ、大地は荒廃し、多くの命が失われることになった」
「それ以来」
セレニウスが続けた。
「我々は召喚者を敬い、その意思を尊重するようになりました。強制ではなく、協力関係を築くことが、真の繁栄をもたらすと学んだのです」
リコは胸に去来する複雑な感情を抑えきれなかった。
同じ召喚者でも、扱われる国によってこれほどまでに運命が変わるのだ。王国での冷遇、帝国での温かい受け入れ ―― その差は、まるで天国と地獄のようだった。
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やがて、彼らは巨大な広場に到着した。広場の中心には、言葉を失うほど美しい大樹がそびえ立っていた。
世界樹ユグドラジル。
近づくにつれ、その威容に圧倒された。幹は銀色に輝き、まるで月明かりを内側から放っているようだった。葉は七色に光り、微風に揺れるたびに虹色の波が木全体を伝っていく。しかし、よく見ると所々に黒い斑点があり、一部の枝は枯れかかっている。完全な浄化には至っていないのだ。
「綺麗……でも、痛んでいる」
リコが呟いた。
「うん……嘆き悲しんでいるよね」
ツカサも世界樹の叫びを感じるのか苦しそうに顔を顰めた。
「その通りだ」
オーデンが重々しく言った。
「数百年にわたり、瘴気に侵され続けている。我々の力だけでは、完全な浄化は叶わなかった」
セレニウスが二人の前に進み出た。
「しかし、あなた方のような純粋な魂を持つ召喚者が触れることで、ユグドラジルは目覚め、自浄作用を始めると信じています」
リコとツカサは互いを見つめ、うなずいた。二人はゆっくりと大樹に近づいていった。
足元には柔らかな苔が生え、踏むたびに微かな光が浮かび上がる。空気は清浄で、甘い香りが漂っていた。まるで樹自体が呼吸しているかのようだ。
「触れてみようか」
ツカサがささやいた。
リコは深く息を吸い込み、そっと手を伸ばした。ツカサも同じように。
二人の手が樹皮に触れた瞬間 ―― 世界が変わった。
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