標的
噂とは嘘であれまことであれ、人よりも早く走るものだ。
「もしや、ホヒ様のご一行ではございませんか?」
「よくわかりましたね! そうです、ホヒと申します。
あの……今夜はこの村で宿をとらせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんです。歓迎いたしますよ。」
水の国へと向かう途中に立ち寄った村々で、ホヒたちはある程度の歓迎を受けた。それはホヒが取った策略の効果である。
ホヒは火の国を発つ前に、水の国へ使者として赴く自分の噂を、わざとに広まるよう図っていた。その効果がそんな形で現れたのだ。
「思ったより友好的な国が多いですね。」
「友好的? まぁ、そうみえるよね。
でも、ここは以前に我が国と戦をした地、恨みがある者も多いでしょう。そんな彼らは顔を出さないよう我慢してくれているのだと思うよ。本心を隠すのは、人も国も同じだからね。」
一晩泊めてもらった村で、供の者とホヒはそんな会話をする。ホヒたちが通った国々には属国も敵対国もあったが、幸い襲われることなく夜を過ごせた。
「その点は良いのですがぁ、あと何度、こうして宿を取らねばならんのですか? 足が痛うございます。」
「あと七回くらいかな?」
「えぇ!? ホヒ様が『いきなり行ったら襲われるかもよ♪』とか言うから納得はしましたが、遠回りが過ぎますよ!
よくよく考えたら荷物持ちの私は、商人の振りをして舟で先に行っても良かったのでは?」
「なるほど♪ スケは賢いね。それは思いつかなかった!」
「えぇー!!」
二人の供に荷物を持たせ、ホヒは馬も使わずにゆっくりと旅をした。
隣国である水の国へは陸路でも数日で着く距離だったが、問題となっている地で交戦が続いていることを理由に、かなり迂回した経路で水の国へ向かっている。
ただ、それはホヒの嘘であり、鉄と稲が行き交う海の道を使わなかったのも、実は時間を稼ぐためだ。
時間を稼ぐのは、流した噂を先に行かせるため……でもあるが、ホヒにとってはもっと重要な意図がある。
ここから先、ホヒは常に時間を稼ぐよう行動していく。
「さすがにそろそろ、水の国につきますよね?」
「昼過ぎには着くと思うよ。」
「ほんとですかぁ!?」
「スケ、言っとくけど水の国ってすごく広いから、目的地まではあと四、五日は掛かるからね。」
「ええ! ホヒ様、勘弁してくださいよ!」
水の国へあと少し……といっても、目的となる中心地までは、見えている海から全く別の海まで行かねばならぬほど、まだまだ遠い場所。
「水の国もこれまでの国と同じように、私たちを歓迎してくれるでしょうか?」
「どうだろうね? もう、噂は届いていると思うけど。」
「ホヒ様が赴かれるということで、彼の地の戦火も収まっていると聞いております。
彼の地で戦っている荒神タケミナタカが、戻って待ち構えているなんてことは?」
「どうだろう? 確かにもう水の国だけど、私たちは戦いに行くわけじゃないからね。
それよりも王の方が怖いかも。こちらが裏切った形だから、歓迎されない可能性があるね。」
水の国を訪れるにあたり、ホヒは三人の交渉すべき相手を想定していた。
一人はもちろん水の国の王であり、もとは火の国に友好的な人物であったと聞き及んでいる。しかし、火の国の蛮行に対し考えを改め、連合を作り始めたという経緯がある。
一人はその王の弟で、タケミナカタという人物だ。好戦的な人物と噂され、火の国が奪った領土を取り返さんと、今も戦っているという話だった。
「ホヒ様、あれは歓迎でしょうか?」
「違うぞ、真ん中の男を見てみろよ!」
水の国へ入る直前で、供の者たちが慌て始める。
林から平野に出て視界が開けると、そこに木の塀が並ぶ村らしきものが見えた。そして、そこからこちらに向かってくる二十人あまりの集団が見えたのだ。
「あっ、あの大男は、タケミナタカではなかろうか!?」
「ホヒ様、襲撃でしょうか!?」
まだ、男か女かも判別できぬほどに離れている状況。なのに供の者たちがそう疑ったのは、一人だけ馬に乗っている人物が大きく見えたから。
「ホヒ様、どういたしましょう……」
「二人とも落ち着いて! 大丈夫、殺されたりはしないから。覚悟が出来たらゆっくり向かうよ。」
「ホヒ様ぁ、逃げましょうよぉぉ。」
「もう、あちらも気づいている。
逃げれば逆に怪しいと思われて、矢で射られるかも……」
緊張が走り、ホヒたちの足は自然に止まっていた。
ホヒが二人を説得し進もうとしていると、集団もその足を止めている。見れば、馬に乗る人物が周りの者に指示を出している様子だった。
それを見てさすがのホヒも襲撃を考え、逃げることを意識する。しかし、指示が終わると馬上の人物と二人を残し、集団はぞろぞろと引き返し始めた。
「槍も見えないし、争う意思は無いらしい……」
相手の対応にホヒはそう呟き、供らとゆっくり歩き出す。
「おいスケ、あれはタケミナタカなどでは無いぞ。あの頭を見てみろ。」
「ほんとだぁ。あの男白髪じゃないか。もしかして村長か? ほんとに出迎えだったんか?」
互いが近づくことで少しずつ、相手の姿は見え始める。
近づいて来るのは三人。歩いて来るのは、ふくよかな男と女だ。そして真ん中には馬に乗る人物がいて、彼は馬の上だといえど、隣を歩く男よりもさらに大きく見えた。
王弟タケミナタカは、身の丈が人の倍あると噂される。
たしかにその背丈を見ればそう思えなくも無いが、白髪混じりで初老であることは明らか。若く猛々しいタケミナタカでは無い。
「へっへ、驚かせおってからに。よく見りゃあいつら、みんな手ぶらじゃないか。」
「水の国とはいえど、我が国の王子の訪問。さきほどの集団も、やはり歓迎の者たちだったのでしょうか?」
「きっとそうだ! 我が国の王子であられるホヒ様がいらっしゃるのだ。王が民を全員連れて迎えに来てもおかしくは無いなぁ。」
ーー供たちが話掛けてくるが、ホヒは何も答えない。
「ホヒ様、いかがなされました?」
言葉を返さないホヒが今度は急に足を止めたので、供たちは心配そうに声をかけた。
二人がホヒ見ると、立ち止まって目を見開き、驚いた様子で水の国の者たちを見つめている。
ホヒたちが歩みを止めると、相手もまた止まっている様子で……そんな相手にホヒは大きな声で呼びかける!!
「もしやあなたは、オオナムジ様か!」
ホヒの声を聞き、相手は何か話している様子。その中にはかすかに笑い声も聞こえて来る。
「ーーははっ! いかにも! あなたが我が国に使者として参られた、火の国の王子ですな!」
そしてホヒの叫びに応じ、馬上の人物が言葉を返す。その声はとても力強いが、敵意の無い穏やかなものだった。
ホヒはこの時ニヤリと笑っていた。それは予想外に現れた人物が、想像通りの人物だったからだ。
水の国を訪れるにあたり、ホヒは三人の交渉すべき相手を想定していた。
一人は水の国の王、一人は王弟タケミナタカ……
そしてもう一人は、一代で広大な大地を統一し、一代で平和な大国を築き上げた水の国の先王オオナムジ。
ーーーー「大国主」と呼ばれる英雄である。