フロンティア家にて
フロンティア家の屋敷には、庶民の家では考えられないような様々な施設がある。真夜中になっても屋敷の周辺を照らす光球、三柱の女神の彫刻が掲げる杯から澄んだ水が吹き上がる噴水などだ。
そんな屋敷の奥に、個人が入るには膨大な広さの浴場がある。
主にギュスターブとそのお気に入りが入る場所だ。
お湯は常にギュスターブにとって丁度よく調整されている。気まぐれなギュスターブがいつでも心地よく入れるようになっている。
そんな浴場の入り口には、二人の男が待機していた。
一人は白銀の鎧に身を包んだ金髪の男グランだ。ソケットに白い宝石を植え込まれた槍を背負っている。穏やかな雰囲気で見張りをしている聖騎士団の団長である。
もう一人は澄んだ水色の瞳と整った顔立ちが目を惹く金髪の少年ロベールだ。風呂上りのギュスターブの世話をするために控えている召使いである。
二人とも特に会話をする事なく、立っていた。
そんな時に、グランの目の前に、透明な四角い平面が現れた。四角い平面には茶髪を三つ編みにした、片手を振る人間が映し出されている。
「ヤッホー、グラン様! 元気?」
「僕はいつでも元気だ。ところでセラ、何かあったのか?」
グランは、ギュスターブの周辺を見張る役割を担っている。セラがどうでもいい世間話をするのなら、早々に切り上げなければならない。
セラは笑いながら後ろ頭をかいた。
「時の魔術を操る使い手に負けちゃった」
「君が負けたのか?」
グランは両目を見開いた。
「聖騎士団飛行部隊の隊長が負けるなんて、王都に激震が走る大事件だよ。どう責任を取ろうかな」
「そこは逆に考えよう! あんなの初見じゃみんな負けるよ。私の聖術の時間まで操るんだから。私が負ける事でグラン様が対策を立てられて良かった良かった」
一人で納得して頷くセラに、グランは苦笑する。
「まあ、負けたのに生き延びたのは良かったよ。時の魔術の使い手に関して詳しく聞かせて欲しい。まず、聖術の時間を操るとはどういう事だ?」
「私が放った聖術の時間を巻き戻されて、聖術を放っていない事にされちゃったの。聖術を放つ前の時間に戻されていたと言えば伝わるかな?」
セラの説明に、グランは感嘆の溜め息を吐く。
「それは厄介だ。どんな聖術も無効化されそうだね」
「そうそう! それを警戒した方がいいよ。あと大事な報告があるんだ」
セラは一呼吸置く。
グランは大粒の唾を呑み込んだ。
セラが大事な報告と口にした時には、心して聞かなければならない。今後の聖騎士団の方針に影響があるかもしれない。
セラがゆっくりと口を開く。
「時の魔術の使い手は、死に戻りをやったみたいだよ」
「死に戻り!?」
グランの声が裏返った。
「自らの命と世界の存在を引き換えに時を戻す魔術だ。禁忌の中の禁忌のはずだ!」
「至高の令嬢はとんでもない事をしたよね。どんな目的で死に戻りをやったのか分からないけど、ロベールにはいい迷惑だったんじゃないのかな?」
セラが憐みの視線を浮かべる。
「至高の令嬢をどういう経緯で見失ったのか覚えていなくて、責任を追及されて、国外追放される所だったんだから」
「死に戻りなんてやられたら、記憶なんて無いに決まっているよ。おそらく至高の令嬢を見失う前の世界は滅んでいる。そこで生きていた人々も」
グランは歯噛みした。
セラは深々と頷いた。
「至高の令嬢が何を考えているのか分からないけど、止めないといけないね」
「少なくとも、話は聞きたいな。至高の令嬢の動向は追えそうか?」
グランに尋ねられて、セラは口の端を上げた。
「たぶんフロンティア家に行くよ。グレイを追うと言っても興味を示さなかったから」
「根拠は薄いけど、フロンティア家に来る可能性があるんだね。僕は待っていた方が良さそうだね」
「そうだね。グラン様は下手に動かずに、フロンティア家で待ち構えた方がいいと思うよ」
セラは親指を立てた。
「お互いにうまくいくといいね」
「まあね。ところで、王都の守護は大丈夫なのか?」
グランが疑問を呈すると、セラは酷薄な笑みを浮かべた。
「大丈夫になるように、手を打つつもりだよ。念のために確認するけど、グレイがその気になれば聖騎士団飛行部隊のメンバーに入れていいよね?」
「それは君に権限を任せているけど……グレイが逆らったらどうするんだ?」
「まずはいう事を聞かせるよ。力関係が逆転したらその時だね」
「力関係が逆転したらどうするつもりだ? 放っておく事はないよね」
グランが確認すると、セラが微笑む。
「グラン様に泣きついて倒してもらうよ」
「僕の任務のハードルが高いな」
グランは苦笑した。
セラは大笑いをした。
「私も頑張るから、グラン様も頑張ってね! それじゃあバイバイ」
セラの顔を映していた透明な四角い平面が消えた。
グランは溜め息を吐いた。
「大変な事になりそうだな。ロベール、ちょっといいか?」
「私語は慎みましょう」
ロベールは淡々と言っていた。
グランは穏やかに微笑みかけた。
「私語じゃなくて、確認だ。君は至高の令嬢と会ったらどうするつもりだ?」
「……分かりません」
ロベールは間を置いて答えた。
「至高の令嬢は高貴な方で、僕には及びもつかない考えの持ち主でした。死に戻った理由も、僕には見当もつきません。よく分からない人間と出会ったらどうするのかなど、分からないとお答えするしかありません」
「ありがとう、充分な答えだよ」
グランは丁寧に一礼した。
「僕はもしかしたら至高の令嬢と戦うかもしれない。その時に、君の心が傷ついたら可哀そうだと思ってね」
「そうですね……命のやり取りは重いものだと感じます。しかし、僕はもうギュスターブ公爵に仕える身の上です。覚悟を決めるしかありませんね」
ロベールはもの言いたげなグランに向き合って、自らの口元に人差し指を立てた。静かにしようというポーズだ。
「もうすぐギュスターブ公爵の入浴が終了します。それと、高貴な聖騎士団の方が召使いに礼儀を払う必要はありません」
グランは微笑んで頷いた。
たとえ必要はなくても、この召使いには敬意を表そうと思った。




