あの人にふさわしいのは一体誰なのか
リコリスは階段のどん詰まりにあった扉を開いた。
そこは大きな部屋だった。独特の薬品臭が鼻をつき、ここで何かをしていた気配が感じられる。
私はリコリスの背後から部屋を見回し、思わず呟いていた。
「染色……」
「ええ、そうよ」
リコリスが私に向き直る。
「何で染色していたか、あなたは知っているのよね?」
「……ヒ素」
「私は、あなたとディルムット様を甘く見すぎていた。それは認めるわ」
子どものように無邪気に笑ってリコリスは歩みをすすめる。
「もう少しよ」
その言葉に私は息を呑んだ。私を処刑する場所に近づいたということだからだ。
「ねえ、姶良。なにか言うことはない?」
リコリスが鍵のかかった扉を開ける。
錠前が三つの厳重な扉だ。ガチャンと音をたてて扉が開く。
「お願いだから、これ以上、ディルムットに関わらないで」
リコリスが立ち止まった。
「……私は女王になる人間よ。それにはあの方が必要なの」
「だとしたら、女王になったら彼を解放してちょうだい」
「自分の命は惜しくないの?」
「惜しいわ。でも考えたけど、今ここから逃げる方法が見つからない。
それなら、ディルムットのことを一番に考えるわ」
ふうん、とリコリスが不思議そうに笑った。
「私には理解できない。あなたを殺すのが惜しいわ」
そのまま私の手を取り、まるで仲良しの女友達のようにして歩き始めた。
「私のところに転生したら良かったのに」
その言葉が嘘なのか真実なのか。私に知るすべはない。
薄暗い通路の幅は狭く、私とリコリスが並んで歩けばもう限界だった。
「ここよ」
ゆっくりと扉を開いた。
部屋にはやはりたくさんの機械が置かれていた。
染色や縫製に使う道具なのだろう。薬品臭が漂っている。
しかし、今までと違うのはその機械にもたれるようにして一人の男が横たわっていることだった。
「リコリス殿、これは、なんなのですか」
サザールが大声をあげ、扉に向かう。
逃げようとしたのだろう。
私の隣りにいた覆面の男が素早く動くのが分かった。
ギャっと悲鳴があがり、彼はリコリスの前に突き出された。
「全く、みっともない男ね」
吐き捨てるように言うとリコリスは私に向き直り、笑った。
その笑顔は今までに見た中で一番冷たく、それでいて恐ろしく美しかった。
「染色、縫製……様々な作業をこなす中でヒ素に触れるとヒ素中毒になるわ」
カツン、カツンとヒールの音が鳴り響く。
「そういった労働者たちが街に出て工場のことを漏らしたら大変でしょう?」
「それでここに閉じ込めているの?」
「そうよ。この男は一流の染色職人なの」
ふわんとドレスの裾が翻る。私が考案した着物ドレス。
「そんなのおかしいわ。治療を受ける権利は誰にでもあるし、それをするのは工場の主であるあなたの仕事のはずよ」
「権利、ねぇ」
ため息を付きリコリスは私に向き直った。
「多くの国民は何も考えずにものを溜め込み、享楽的に生きているわ。
与えられたものが正しいと思い込み、判断力を失っている」
たしかに彼女の言うことは正しいだろう。
それは離宮もそうだったし、それ以外の多くの場所もそうなのだから。
「でも、それは売り手側のモラルが地に落ちているからよ!」
「売り手にモラルを求めるなら、買い手側にもモラルを求めるけれどよろしいかしら?」
「それは……」
私は言葉に詰まった。
リコリスは市場原理を理解している。
でもだからといって労働者を使い捨てる権利は彼女にはない。
「リコリス。労働は等価交換よ」
「ええ、そのとおり。この労働者たちは過酷な労働と引き換えに莫大な仕送りをしているわ」
「な、リコリス殿、それは……」
サザールは床に這いつくばったままリコリスを見上げた。
「町の人間がなぜあんなに物を買えるのか、疑問に思ったことはないかしら?
それはマーガレット商会が貨幣を流通させているからよ。国が何もしてくれないのだから、当然でしょ」
酷薄な笑みを浮かべ、リコリスは優雅に扇を仰いだ。
ダメだ。
私やサザールの甘い考えではリコリスを変えることは不可能だ。
これはもっと根源的で、その話ができる人じゃないと。
「ほら、私がディルムット様にふさわしい理由がわかってきたかしら?」
私は胸の赤いペンダントを服の上から思わず握りしめていた。
「あなたは転生者様で、それ以上にとても賢いわ。おそらく、もう分かっているはずよ」
リコリスが私に顔を寄せる。親しい女友達がよくやるように、輝く笑顔で。
「私がディルムット様にふさわしいということが」
泣きたくなるほど胸が苦しい。何か言い返さないと。
「そうそう。見せてなかったわね」
リコリスがドレスの胸元に手を入れた。そこから出てきたのは、赤い石のついたネックレスだった。声をあげたのは私ではなく。
「泥棒猫め……。やはり、王家の石を盗んでいたのだな!」
「お前だって探していたくせに」
嘲笑うようにサザールを見やり、赤い石を私にも掲げるようにして見せてきた。
「転生者様はご存じないかもしれないわね。これは王家の石と呼ばれ、魔力を内包しているの。王たるものはコレを持ち、国家を統治する」
え……じゃあ、私の持っている石は何なの?




