私の覚悟と貴方の覚悟
震えが止まらない自分が情けなくて仕方なかった。
みんな、ちゃんとリコリスに立ち向かっている。なのに私ときたら、身体も心も前を向いてくれないのだ。
「姶良様。ご無理をなさらず」
冷や汗をかいたままの私をカマリエナが座らせる。
「着替えをお持ちします」
そう言って部屋からすっと姿を消した。
「カマリエナの言うとおりだ。リコリスに殺されかけたことを思えば、当たり前の反応だ」
「でも、猶予がないのよ」
私の言葉にディルムットは首をかしげる。私は雑誌での着物ドレスの評判をディルムットに伝えた。
「つまり、着物ドレスを踏み台にしてさらにヒ素ドレスを売ろうということか?」
「うん。さすがに売れなくなっていたんだと思う。
グリーンから紫に色を変えて、着物ドレスと同じことができると吹聴しているの」
「同じことができるのか?」
「ええ。あの紫色は主張が少なくて、白と黒のようにベーシックな色味として使うことができるわ」
「だが、だからといってそれが売れるわけではあるまい」
「市場を牛耳っているから簡単なのよ。そして読者は愛読している雑誌の言うことを信じるはず」
「確かにな。ある一定状態が続くと善悪の判断はできなくなるものだ」
幽閉された自分の四年間を思い出しているのかもしれない。その拳はかたく握りしめられていた。
「すぐネフライトのところへ行かないと。彼は売り方を変えてないから、あっという間に市場から追い出されちゃう」
「ダメだ。リコリスの言ったことを忘れたのか?」
私は唇を噛みしめる。
それでも。
ここで引いたらリコリスに反撃するチャンスはなくなるし、たぶんディルムットは大切なものを奪われてしまう。
私だけでなく、たくさんの人を。
「ここで戦わなかったら、きっと後悔する。私はあなたが好きだから、リコリスと戦う」
「姶良……」
「私に戦わせて。こう見えても前世では三十歳。お子様には負けないわ」
私の言葉が終わらぬうちに、ノックの音が私とディルムットの空気を遮った。
「陛下」
扉を開けながら入ってきたのはエヴァンズだった。
「ネフライトから書状が」
「そうか。リコリスに逆手を取られたようだ」
手紙に目を通したディルムットは、ふうとため息を付いた。
「姶良の言ったとおりだな。
ネフライトからも、このままでは販売経路を絶たれる可能性があると書いてある」
「すぐに彼のところへ行くわ」
「お供いたします」
エヴァンズが進み出る。その背後に着替えを持ったカマリエナの姿が見えた。
「ダメだ」
「ディルムット……」
「陛下」
私とエヴァンズとカマリエナの声がかぶる。
「姶良がネフライトのところへ行くなら、俺も同行する」
「しかし、陛下、それは……」
「俺の妻になる女性を守るために一緒にいることに何か問題があるのか」
カマリエナが進み出る。
「リコリスを刺激することになるのでは?」
「この状態で刺激もなにもないだろう」
エヴァンズが顎に手をあてた。
「確かに陛下の言われるとおりですな。既に一触即発の域を超えているわけですから」
「そうだ。むしろ側にいないほうが恐ろしくてかなわん」
私は全く口を挟めなかった。リコリスに狙われているのは私一人だ。
けれど、私は自分の身を自分で守れる強さがない。
「姶良様。お着替えを」
そっとカマリエナが囁いた。
「あ、そうだね」
私の言葉にディルムットとエヴァンズが気を利かせて廊下へと向かう。
「馬車の用意をしておく。姶良、急がなくていいからな」
扉が閉まり、私とカマリエナが残された。
呼吸を整える。胸が苦しいのはストレスからだろう。
カマリエナの持ってきてくれた着替えは白いワンピースだった。
袖や裾に着物生地をあしらってあり、一枚でも存在感がある。着物ドレスの次の作品として用意したものだった。
「ネフライトのもとへ行かれるのでしたらこれがよろしいかと」
「ありがとう。背中のファスナーも外さないで着られるのね」
この国では伸縮性のある布が馬の鞍など一部素材に使われていたのでそれを流用してみたのだ。
私はそっとディルムットから預かった赤い石を胸元にしまった。
「姶良様。それは肌に密着させておいてください」
「肌に?」
「代々、そのようにして使われてきたものなのです。姶良様の身を守ってくださるはず」
カマリエナの言うことだ。
間違いはないだろう。私は下着の奥へと赤い石を押し込む。
ヒヤリとした感触が心地よかった。
ノックの音が響く。そこには動きやすい服装に着替えたディルムットの姿があった。
「大丈夫か」
私は頷くと、差し出されたディルムットの手をとった。
「戻ってきたときには返事が聞きたい」
自分の顔が真っ赤になるのが分る。ディルムットはどうしてこうも私の心を揺さぶるのだろうか。
「分かった。必ず返事する」
転生者に二言はない。そして、私は必ずここに帰ってくるんだ。
馬車の車輪が音をたてて軋む。
この間は気にならなかったのに、今日は胸騒ぎまで運んでくるようで心が辛かった。
あの雑誌を読むうちに気持ちが重くなり、私はそれを膝の上においた。
しかし窓の外を見る気にもなれず、私はゆっくりと背もたれに寄りかかった。
この焦りが恐怖の感情から来ているのは分かっている。
腹をくくって向かい合えばいいのに、私はまだそれができない。
転生者としてここにきて、よく分からないうちに日々が過ぎたと思っていたけれど、まるでここに最初からいたかのような居場所ができた。
私、死にたくないんだ。
「姶良、大丈夫か?」
「うん。自分が何を怖がっているのか分かってきたら、だいぶ落ち着いてきたわ」
「……すまん。お前にそんな思いをさせて。俺がもっと強い王であったら」
「平気。何かあったら、必ずあなたに助けを求める。来て、くれるよね?」
自分の声が少し震えているのが分かった。
「ああ、この身に誓って。必ずお前を助けに行く」
私はその時、たぶん笑顔を浮かべたんだと思う。
どうしてそう思うのかといえば、いきなり馬車が急停止をしたからそんなことにかまっていられなかったからだ。
「どうした!」
「どこかの馬が暴走しているようです!」
御者の声はうわずっていた。外からも悲鳴に近い声があがり、わあわあと子どもが泣き叫ぶ声がする。
エヴァンズが扉を開け、外に降りる。
そのまま私もディルムットに押されるようにして飛び出した。
道路に膝に乗せていたバッグと雑誌が転がり落ちるのが視界の端に入る。
道路は逃げる人でごった返している。暴走しているという馬は見えないがあちこちで馬車が急停止して、この混乱を引き起こしているようだった。
その瞬間。
さっきまで私達が乗っていた馬車が横転した。御者の悲鳴があがる。
手が引かれ、馬車の下敷きになるのだけは避けられたようだった。
そう思った次には、私の首筋に衝撃が走った。チクリとする痛み。
襲ってくる気だるい感覚。
嘘。これ、もしかして……。
意識が飛びそうになる。
声を出さないと。
私の意識は暗転した。




