宣戦布告は雑誌から
午後の暖かい日差しが降り注ぐ中、私はディルムットとエヴァンズと話をするために庭がよく見える部屋に来ていた。
侍女のカマリエナが入れた紅茶の香りが部屋に漂っている。
「ネフライトのやつ、うまくやったようだな」
ディルムットはネフライトからの書状をぽんと机に放った。エヴァンズがそれを受ける。
「陛下。ネフライトを完全に信じませんように」
「随分と厳しいな」
ディルムットが苦笑する。私もエヴァンズの言葉に驚きを隠せなかった。
「あれは素直で真面目な男です。故に簡単に流されます」
「バカって言いたいの?」
「姶良、みなまで言うな。とりあえず、斥候が戻るのを待つか」
「石膏?」
オウム返しに呟いた私を二人が見つめてくる。
「姶良様、なんと可愛らしい反応を……!」
「石膏か。うむ、石膏な……」
「え、ちがうの?」
「斥候とは秘密裏に派遣した隠密だ。石膏は鉱物だな。胸像によく使われる」
「やめて。真面目に説明されるとよけいに辛いから。でも斥候って?」
あれから三週間がたっていた。
ネフライトからはその間、何の連絡もなかったのだが今日になって書状が届いたのである。
そこには、サロンでの貴族たちの評判が上々だったこと。
会員制の商売により着物ドレスが売れていること。
召使いたちが真似るようになり、市井の人々も目にするようなったことが書かれていた。
「市井の人間たちが知ることになれば、当たり前だがリコリスもこのことを知るようになる」
私はその言葉を聞いて、首からかけたネックレスを握りしめていた。
リコリスがこれを知れば、間違いなくこう判断するだろう。
『着物ドレスを発案した女は、私に反撃をしてきた』と。
あの舞踏会のあと、リコリスの来訪も途絶えていた。
離宮の人々に言わせれば毎日のようにやってきては物を運び込んでいたというのに。
彼女は今、何を考えているのだろうか。
「姶良。心配はいらん。ここにいる以上は俺が守れる」
ディルムットの言葉に嘘がないのは分かってる。
でも、リコリスが何を仕掛けてくるか分からないことが恐怖の種の一つだった。
「ただいま戻りました!」
ふわんと可愛らしい声がして、クローディアが顔をのぞかせた。
「おお、戻ったか」
エヴァンズが父親らしい笑顔になる。
「頼まれていたものですわ」
それはリコリスが表紙の本だった。
グリーンのドレスを着こなし、金の髪に彩られた中、まばゆい笑顔を向けている。
クローディアはテーブルにそれを置くと、もう一冊の雑誌をディルムットに見せた。
「やはりグリーンか」
「馬車の中で読みましたが、紫色のドレスもありました」
「あれ、紫って確かこの間の舞踏会で着ていたよね」
「ちっ、あの女、本気なのか」
ディルムットが唸り、本をクローディアから奪い取った。
「この紫はマジェンダともいう。ヒ素と同じく、毒を含む」
絶句した私の前でクローディアが悲鳴に近い声を上げた。
ディルムットはしばらく雑誌を追っていたが、黙ったままエヴァンズに手渡した。
「どうしてリコリス様はこのようなドレスばかりを作られるのですか?」
おずおずとクローディアが口を開いた。
「俺はリコリスじゃないから本当のことはわからん。
可能性として考えられるのは、安価だということくらいだ」
クローディアは信じがたいというように顔を背けた。
でも、私には何となく分かる。
公害と同じで、問題が発覚しなければそれでいいと思っているし、発覚したら逃げ切ればいいと考えているのだろう。
市場を牛耳っておけば、自分たちで取り潰すのだって簡単なのだから。
「陛下。このような暴挙を許せば国中が病人だらけになりますぞ」
「俺に言われてもな。
第一、あの宰相のサザールというのは何を考えてる。
キレ者だか何だか知らんが、国民を病人にして何が得られるというんだ」
「たぶん、今しか見てないのよ」
私の言葉に部屋にいる人間全てが押し黙った。
「今、儲かればいい。今、権力が得られればいい。
今、今、今。
そう思って生きるのは簡単なことだし、何より心地が良いのよ。
だけどさ、私達はディルムットに関わるものとして『今』以外を見なくちゃいけないと思う」
「そうでございますね」
それまで黙って給仕をしていたカマリエナが微笑むように私の言葉を継いだ。
「姶良様の言うとおりです。私達がこれを見過ごせば、前王のときと同じ」
そこで一旦言葉をきると、ゆっくりと呟いた。
「過ちを正さなければなりません」
「そうだな。そのとおりだ」
エヴァンズが重々しい声であとを引き継いだ。
ディルムットは二人をみやってから、口を開いた。
「まあ、みんな気負うな。まずはやれることからだ。それが結果的に未来につながる」
「うん、そうだね。あなたがいてくれるから、みんなが心強くなれるのよ」
私の言葉にディルムットが照れたように顔を背ける。
「俺は姶良の側にいられればいい。俺の心が強くなれたのは姶良のおかげだ」
「陛下。我々はいったん部屋から出ましょうか?」
エヴァンズの申し出に、私は自分の顔が真っ赤になるのが分かった。
急いでテーブルの雑誌を手にとる。ファッション雑誌ならざっくり読めばだいたい分かる。
これによれば流行の中心は未だにグリーンだが、紫につなげようという糸が見え隠れしていた。
そして、驚いたのは着物ドレスの特集をしていることだった。
自分たちのライバル登場に対してページをさき、でもそんなこと無駄よとあざ笑っているようにも見える。
これがリコリスからの答えだ。
存分に勝負しましょう。
結果は見えているけど。
そんな思いが紙面からも透けて見える。
「雑誌を使って宣戦布告かぁ」
私は呟いてから、もう一冊の雑誌を手にとった。同じ表紙に同じ中身。
でになんで二冊も買ってきたのかしら。これが斥候のやることなのかな?




