その名は「王の毒」
「あ、クローディアの部屋はここだったね」
私は足を止める。
向かいがエヴァンズの部屋だ。
この親子は離宮で暮らしているのね。
代々、執事の家系なのかしら?
扉を開けると、部屋の中は一見片付いていた。
だが、シャッとカーテンを開けると。
「あぁ、姶良様、そこはっ!」
どろーんと積み重なった本と、食べかけのものと、洋服。
「あははは、やっぱりね。この間も気になってんだー」
「ううむ、この離宮はやはりどこも汚部屋なのだな……」
ディルムットは背中にしょっていた袋を拡げた。
ズタ袋を持つイケメン、いろんな意味で尊い。
思った以上に物があるという意味では、クローディアの部屋もかなりのものだった。
特に洋服ダンスには服がぎっしりと詰まっており、これを一着ずつ吟味するだけでも大変だろう。
ここは別の方法を考えないと。
「姶良様ぁ。この洋服、どうしたらいいのでしょうか……」
「大丈夫。私に考えがあるわ」
洋服ダンスの全ての扉を開け、洋服を運び出す。
中には瀟洒なドレスもあり、あっという間に部屋は洋服の山となった。
「これは圧巻だな」
ディルムットが感心したようにつぶやく。
「ディルムットはタンスを廊下に運び出してもらっていいかな?」
心配そうなクローディアに向き直り私は言った。
「さ、この洋服を色別に分けましょう」
思ったとおりだった。
うずたかく重なった洋服の山はいくつかに別れたが、グリーンのドレスだけが異常に多い。
「グリーンは気に入った一着を残して、後は捨てましょう」
「姶良様。私、同じ色の洋服ばかり持っていたのですね」
「そんなものよ。流行もあるしね」
言ってから私は気がついた。
この国にも流行はあるのかしら。
「まあ、そうでしたか。この国では最近はグリーンのドレスが好まれているのです」
クローディアは積み重なった本から、器用に一冊を抜き出した。
表紙に咲いた大輪の百合のように美しい女性はリコリスだった。
「リコリス様がお洋服を紹介してくれるのです」
マーガレット商会の広告塔としてモデルになり雑誌に露出する。
このマッチポンプ感、たまらなくゾワゾワするわねぇ。
「クローディア。エヴァンズが呼んでいたぞ」
タンスをゴミに出していたディルムットが部屋に戻ってきた。
「あ、今、参ります。姶良様はここで待っていてください」
ぱたぱたとかわいらしい足音を残して、クローディアが走り去った。
「おい、この洋服は今すぐに燃したほうがいい」
「どうして?」
ディルムットは手袋をした手でドレスを掴み取ると、あっという間に布袋に入れてしまった。
「ちょ、ちょっと!」
「これはヒ素だ。毒だ」
ディルムットの声が頭に響く。
毒?
「ひ、ヒ素?」
「ああ。『王の毒』とも呼ばれる鉱物だ。こんなものとっくに使用禁止になった鉱物だ」
「よく分かったわね……」
「俺は石が好きでな。本でこの色を見たことがある。
鮮やか過ぎるグリーンだ。見たら、忘れられない」
私はゴクっと息を飲んだ。
「ねえ、待ってよ。じゃあ、マーガレット商会が流行させてるドレスって」
「あぁ、ヒ素で染色されたドレスだ。覚えてるか?
俺の部屋で頭が痛くなったときのことを」
そうだ。
あの時も洋服が入ったタンスの扉を開けて、頭が痛くなったんだっけ。
「え、じゃあ、私たち、毒を吸い込んだってこと!」
「微量だがな。だが身体にとっては毒だ」
すでに部屋の中にはグリーンのドレスはなくなっていた。
「他のグリーンのものも、同じように染色されている可能性がある」
「クローディアのグリーンのリボンも……」
「たぶんそうだ。さっき、タンスを運び出す際にエヴァンズには知らせた。
侍女たちもタンスにしまいこんだままだったから大事に至らずにすんだ。
が、下手をすればヒ素中毒を起こしていた可能性も大きい」
「なんて酷いことを」
「その表紙のドレス。それもヒ素グリーンだろうな」
首元に白いネックレスを幾重にもまき、ゆるく肩を出したリコリス。
その美しい肌を覆っているのはグリーンのドレスだ。
「リコリスは俺のところに何度も来ているが、グリーンのドレスで現れたことは一度もない」
私が見たのは数回だが、確かにグリーンのドレスじゃない。
「早く止めなきゃ!」
「だが、どうやって? あいつの家は商会であり物の流通を抑えているんだぞ」
その言葉に私はグウっと声を詰まらせた。
我ながらつぶれたカエルみたいな声だわ。
「そ、それは、うーんと……。そうだ!
他の流行を作ればいいのよ!」
「他の流行だと?」
「買う人がいなくなれば勝手に廃れるわ。
こうやって本の表紙を飾って、女性の心を掴んでいるから売れているわけ。
こんな毒のドレスがね」
言いながら、私は本を引き裂いてやりたい衝動に駆られていた。
きれいでありたいという女性の心を真っ向から踏みにじる行為が許せなかった。
「よし。方法は後で考えよう。まずはヒ素の排除だ」
ディルムットの言葉―ヒ素ドレス―に侍女たちは悲鳴を上げた。
料理人、執事、みんな驚きを隠すことができないようでホールはザワザワとした声に包まれている。
「みな、驚いたと思う。しかし、これが事実だ」
どよめきが闇に包まれるように静寂に飲み込まれていく。
「まだ声を荒げることはできない。俺たちには力がないからだ。
正しいことだからといって、必ずそれが通るわけではない」
ディルムットの言葉に強く頷いたのは侍女の筆頭、カマリエナだった。
「そのとおりでございます。
ですが知ってしまった以上、放置しておくことはできません」
「そうだ。それに関しては、俺が考える。
もちろん、みなにも手伝ってもらうことになると思うが、どうだ?」
使用人たちはそっと顔を見合わせている。
当然だろう。
汚部屋の片付けだって始まったばかりなのに、こんな毒物がで出てくるなんて誰も考えていなかったはずだ。
「私は、ディルムット様をお手伝いいたします!」
大声をあげたのは、ブルーのワンピースに身を包んだクローディアだった。
髪を結っていたあのグリーンのリボンはどこにもない。
「陛下と姶良様がいらっしゃらなければ、私は毒で倒れていたことでしょう。
でも、今も他の方は知らずにそれを身に着けていらっしゃると思うと」
クローディアはポロポロと涙をこぼした。きっと恐怖が襲ってきたのだろう。
そのクローディアを後押しするように、多くのものが声をあげ始めた。
私は目を閉じる。
まさか、こんなことになるなんてね。
さて、どうしたもんかしら。




