狼の牙と退魔師 1
東京にある地下格闘闘技場にて、無数の人狼達が地面に横たわっている。会場の観客は普通の人間ではなく、姿を晒した物の怪で溢れており、特殊な電波数のテレビで中継されて全国ネットで中継もされた状況の中、赤毛の人狼が自らを鼓舞する様に吠える。それにひれ伏し敗北を認めた者と赤毛の人狼達と戦いに敗れ傷つき倒れた者、鼓舞する王が一人唯立つ事を許される階段を上り声高らかに新たなる王者の君臨を世に知らしめる。そこでテレビの画面はニュースに切り替わった。畳の上に座って録画のDVDを見ていた赤髪の少年とその母親らしき人物は目を合わせる。
「まだ見てるのかい。銀次が王者になった時のやつ」
「まぁね」
「銀次の奴は、早々に牙王辞めちゃったからねえ」
「兄貴は規格外だからなぁ」
「そんな物騒な世界より、うちの跡継ぎ目指して欲しかったけどね。あんたも牙王なんて目指してないで早いとこうち継ぎな」
そう言われてぼんやり家業の事を考える。革を一から加工して、切って、縫って一つの革靴へと変える職人。靴屋が自分に合っているのかどうか少年は頭を捻って考え始めた。牙王とは、全国の若手の人狼達によるその年の王者決定戦で決まった王者の事。参加資格は16歳以上なら誰でも可能で大人も出られるものの、18歳になって高校を卒業する時期に来て辞める者が殆どである事から、いつしか若手NO1の称号となっていた。故に、大人がその称号を取る年もあったが気恥ずかしさで辞退する者が殆どで、大人げないと言われる始末。その昔この日本の地で行われた人狼の頭領を決める争いであったと言われているものの、現代においては夏の甲子園扱いである。とはいえ、テレビ中継もされるし、牙狼になれば泊がつき、人狼社会においてはちょっとしたステータスにもなる。スポンサーもついて金も入る上、人狼社会を取り仕切る牙王会から陰陽庁からの仕事も入り、金銭収入と人脈も広がる。兄の姿を思い浮かべて、坂上晃はいつか兄を追い越したいとそう考えるようになっていた。それは、数日前に言われた言葉が耳に残っていたからだが。高校の入学から数日が経過して、新しい環境に慣れつつある頃に2つ上の先輩が廊下で晃を呼び止めた。見知らぬ先輩ではあったが、相手は自分の赤い髪にピンときたようだ。
「お前、まさかあの銀次先輩の弟か」
「だったら、どうします?」
「どうもせんよ。銀次先輩を牙王に押し上げたんは俺らや。牙王にしたい奴に付き従い阻む全てを捻じ伏せる。そして我らが王が唯一の玉座に座る。それがあの戦いのルールやしな。まぁ実際あの人やったら俺ら無しでも勝ったと思うが。お前も牙王狙ってるんやったら自分だけの仲間を集めるこっちゃ」
「自分だけの仲間っすか」
「そうや。ぶっちゃけ、一人でも出れん事はないけど群れには勝てんで。終盤が肝心なんや無い。序盤をどう勝ち進めていくかが一番肝心やさかいな」
後半は人が膨れて、王者候補が何もせずとも勝つこともある。
「牙王決定戦、楽しかったですか?」
「おう、一生に残る思い出になるで、男やったらやって損はないわ」
なんせ、人狼における夏の甲子園みたいなもんやしな、と彼は思い出に浸っていた。それが楽しそうに思えたからか、自分も興味が湧いたのは事実だった。
「晃、ちょっと店番お願いね」
「分かった、出とくから今日の晩飯肉で宜しく」
そういって、テレビを消してその部屋を後にした。
家業の手伝いで、靴のレジに立つと小さい子連れの女性が店に入ってきた。近所の知り合いで、良くここで靴を買ってくれる常連の一人だった。最近は主に電話とネットでの申し込みによるオーダーメイドが主だが近所の昔馴染みのお客さんも沢山いる。晃は近寄って、ゆう太に声をかけた。
「大きくなったなぁ。前見た時はこんなんだったのに。まぁ覚えてる訳ないか」
「お兄ちゃん、こんにちわ」
「はい、こんにちわ。そうえば今日は何用で?」
「うちの旦那の靴が一足駄目になっちゃったのよ」
「分かりました。確か何足か購入頂いてますので暫くはそちらをメインにして貰って。暫く預かりますので出来上がり次第連絡させて貰いますね」
本当に使えなくなるまで、いつも履き続ける旦那さんの為にも最善を尽くしたいと思うのは職人としての性故か。幼いころから仕込まれて育ったとはいえ、まだまだ修行中の身。牙王か靴職人か、彼の心の天秤は揺れている。修繕費を払って、女性と子供は帰っていった。女性の笑顔を見たのはそれが最後となり、暫くしてゆう太の捜索願いの張り紙を町中で見かけた。回覧板でもその事が書かれてあり隣町に続いて、子供が誘拐された事件が起こったと書かれてあった。女性は近所中に挨拶をして、自分の息子が来なかったか確認に回るようになっていた。晃も手伝って捜索もしたが、結局見つからず数日後、溝の中でゆう太は発見された。女性は泣き崩れて人だかりと人を遮る黄色いテープと警察の車の赤いランプが印象に残った。第一発見者は同じ学校の女の子だったが、見覚えは無い。警察と知り合いなのか、仲が良さそうに思える。ゆう太の匂いの中に違和感を感じる。暖かい温もりのある幼子の匂いでは無い。そもそも、人の匂いでは無い。人外妖魔の残す、歪で腐った濁りのあるそんな匂いを晃は嗅いだ。人では無い以上、警察が犯人を捕まえる事は無い。号泣する女性を前にして、ぎゅっと握り拳を作り、晃はある事を決意した。牙王の事も、靴屋の事も、今の彼の頭には一欠けらも存在しなかった。