For Whom the Bell Tolls 9
広い畳の屋敷の中でお経が響き渡る。お坊さんが木魚を叩きながら一定のリズムを刻んで死んだ者へお経を読み上げ、葬儀が執り行われていた。その場の誰もが、死者との最後の別れを惜しんでいる中で一人少女は涙を見せずに時折上の空にどこかを見ている。幼い赤毛の少女にしてみれば、人生初めての葬儀であり恐らくまだ生と死の区別がついていないのだろうと誰しも思った。いつもうろちょろと落ち着きのない幼い彼女がちょこんと座布団に座って長時間の正座に耐えているだけでも驚くべき事なのかもしれない。彼女の母である上野香織は娘に賞賛を覚えつつ、共に生きた家族に最後の黙祷を捧げた。棺の中に入って、安らかに眠っている香織の祖母に最後のお別れを告げて火葬場へと場所を移した。
火葬場のロビーで遺灰となるまでの長時間をここで過ごす。喫茶店もあるが、大半の者はロビーのソファに座り寛いでいる。他の葬儀から他家の方も見られ悲しみに暮れているのが見える。不幸な事故だったのだろうか、大往生の末の天寿を全うしたこちらと比べて明らかに雰囲気は沈んで見える。葬儀には親族一同が集うもの。香織の兄と彼女の旦那が会話を弾ませる中、話は自然と子供の話題へと移る。香織の娘の綾乃はどうにも危なっかしく見えるようで兄も心配そうに見ているらしい。昔の香織はこうだったと引き合いに出して血は抗えないと旦那と二人してコーヒーを喉の流し込む。ただ残念ながら香織とて綾乃程移り気があったとは思っていない。
彼女は好奇心の塊そのもの。
いずれ将来、有名な冒険家にでもなるのではあるまいかと話が飛躍した所で子供の声がホールに響き渡る。
「嘘つき!!そんなはずないだろ!!」
「嘘じゃないもん。本当だよ?」
一番幼い子供組の口喧嘩、香織が側に寄ると
「おばちゃん、綾乃ちゃんが嘘付くんだ。死んだお祖母ちゃんが葬式の最中に空に浮かんでいたなんて!!」
「ずっと浮いてたよ?何度か目があったもん。ぷかぷか空へ飛んじゃったけど」
どっと笑いが起こる。また、対照的にそれを信じる者もちらほらとおり背筋を凍らせた。
「綾乃、今お祖母ちゃんいる?」
「いないよ」
「何か言ってた?お祖母ちゃん」
「幸せな人生だったって皆に伝えてねって」
「偉いね、綾乃は。ちゃんと伝えられたね」
「うん!!」
綾乃が役割を果たせた達成感と褒められた嬉しさで顔が満面の笑みになる。
こうしてみれば唯の人を驚かせる幼い子供でしかない。
まぁ、時折ーーーーーというか綾乃が変な事を言うのは実は一度や二度じゃない。妖精さんだの何だの騒ぎ立てた事もあるが幼児特有の世界観があるんだろうと微笑ましく思っていたくらいだ。火葬場を後にして去ろうとした時綾乃の姿が見えない。探そうとした時に、男性の奇声がロビーに響いてきた。慌てて香織と旦那がその声の方へと駆け寄ると、綾乃が一人の高校生らしき男の子に大声を張り上げられている。突然の出来事にその場の全員が吃驚仰天となった。
「なんなんだお前!!気持ち悪いな!どっかいけよ!」
「⋯⋯???」
綾乃は何故怒られているのか理解している様子はなく、家族や向こうのご家族が止めに入る。少年は汗をかいて動揺しているようにも見える。幸い綾乃に傷一つなく、“何をしようとしたのか”も遠目では分からない。高校生の少年が幼児に大声を張り上げて威嚇している誰も良く分からない状況。一体何が起こったというのか。事情を聞くと綾乃の一言が切っ掛けであるらしい。向こうのご家族も幼児に荒っぽく対応してくれた事について陳謝してくれた。だが残念そいつは全容が明らかになってからというものだ。香織は綾乃にソファーに座らせて事情を聞いた。すると『髪の長い綺麗なお姉さんが、伝えて欲しい事があると綾乃に頼んだ』という。名前は“かんな”というらしい。それを聞いて、向こうの家の人に尋ねると絶句していた。丁度火葬している少女の名前がかんなという少女らしい。しかも長髪をしていたらしく遺影にも見て取れる。その場の全員がある結論にいきついた。綾乃はソファーに置いてあった遺影と頭の中で会話し驚いた少年がパニックを起こした、と。そんな馬鹿な話があるものだろうか。まぁ、綾乃に何も無かったし、改めて少年からの謝罪を受け入れた。香織は綾乃を連れてその場を後にした。火葬場を出て、手を繋いで二人で歩く。
「そういえばその綺麗なお姉さん、何て言ってたの?」
「あの人に、『こぉ~したの?はあんたでしょって』伝えてって!!」
「こ~したの?」
「ちゃんと伝えたのに今度は怒られちゃった」
「⋯⋯残念ね」
「うん」
この時香織は、綾乃の発した言葉の意味を理解していなかった。数日後に、テレビの全国ニュースで殺人事件が公になるまでは。犯人は高校生の少年だった事で話題に上り、あの時見た遺影の少女“環奈”の顔も連日見る事となった。
『こぉ~したの?はあんたでしょって』
殺したのはあんたでしょ って事?
香織の背筋が若干冷える。今日は寒空、気温も低いがそれとはまた別の寒さが香織を襲う。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃない。でもいいから行くわよ」
綾乃と二人で、手を繋いで公園に遊びに行く。まだ幼いながらどこか不思議な娘に困惑を覚えつつも、彼女はその手をしっかりと繋いだ。




