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木曜日の天使  作者: しゃかもともかさ
1.透明な言葉
9/18

7/◆

 二年C組の教室を出る。


 引き戸を閉めても廊下にはまだ血の臭いが漂っていた。

 スマートフォンで遠塚真歩にコールする。

 「終わりました」と伝えると彼女は「ん」だけ言って電話を切った。


 薫子はまだどこかぼんやりとしているようで、目の焦点が合っていないようだった。


「先に車に戻っててもいいよ」

「大丈夫です」


 本人が大丈夫と言うなら大丈夫なのだろう、とは限らない。

 促し続けても薫子は頭を縦に振らないだろうから、手を引いて学校の外へと連れて行く。


「大丈夫って言っているのに」


 薫子は眉を寄せた。


「大丈夫なのは分かってるよ。でも、薫子、学校って嫌いだろ」

「嫌いです」

「僕もだよ」


 助手席に薫子を座らせてから車のドアを閉める。


「目を閉じて休んでて」


 まだ薫子は一樹を睨んでいた。

 笑顔を返して学校へと戻る。


「……だいぶ深刻だな」


 短く息を吐く。

 薫子のあの様子は少し心配だ。

 躊躇いを感じる〈天使〉は少なくない。

 〈天使〉となったことにより、身体と思考は〈悪魔祓い〉に適した合理的なものになっている。

 でも、おそらくは本能的なところで、「人を撃つ」ということに躊躇いを感じるのだろう。


 それは仕方のないことだ。

 〈神父〉や〈天使〉が対峙する〈悪魔憑き〉は、「人だったもの」で「人でなし」なのかもしれないが、やはり「人」なのだから。

 人を撃って平気な顔をしていたくはない。

 遠塚真歩はそんな感傷を「無駄」と言うだろうけど。


 体育館では生徒が行儀良く体育座りをしていた。

 一樹の姿を見て、生徒たちがざわつく。

 すぐに「静かにしなさい」という太い声が響いた。

 銃を肩にかけ、猟師のような顔立ちの男だった。

 腹が出ていなければずいぶんと様になったことだろう。


 校長や教頭、学年主任を名乗る男たちが一樹に近づいてきて、「状況は?」と迫る。

 その後ろに安藤の姿もあった。一樹は仕事用の笑みを作る。

 村田和彦の消滅を告げると、彼らは一様に深刻そうな顔をした。


「今日の零時ごろには、被害に遭った生徒は戻ってくるはずです」


〈塔〉は観測で得た記録を元に〈悪魔憑き〉による被害から世界を修復する。

 被害が人である場合は余程の犯罪者でもない限り生き返る。

 四人は顔を見合わせてからほっとした表情を作った。


「それに関しては喜ばないといけませんね」


 校長が言うと三人は神妙にうなずく。

 感情表現くらい自由にすればいいのに、と一樹は内心で呆れる。


「少し、安藤先生とお話させてください」


 男三人がはっきりと面白くなさそうな顔をしたが、一樹の言葉に従った。

 〈塔〉に属する人間は社会的な地位がそれほど高いわけではないのだが、誠実であろうとする大人ほど従順になるものだ。

 それは警察官を前にしたとき、「自分は何か悪いことをしていないだろうか」と思わず考えてしまうのと似ているかもしれない。

 〈塔〉にはこの三人が秘密にしたいことも、ほぼ間違いなく記録されているだろう。

 一樹の権限で、それを閲覧するには面倒な手続きを踏まないといけないので、する気など微塵もないが。


 廊下を少し進む。

 体育館からいくらか離れたところで「村田くんはどういう生徒でしたか?」と安藤に話を切り出す。


「どう、というのは?」


 安藤は困惑の色を顔に浮かべていた。

 一人だけ呼び出す、というのは失敗だっただろうか。詰問や尋問をするつもりはない。


「他意はありません。少し話を聞きたかっただけです。報告書を書かないといけないので」


 一樹はできるだけ穏やかな口調を心がける。

 別にあなたを責めるつもりはありませんよ、という意味を込めて。


「真面目で大人しい子でしたよ。学級委員でした。友達はあまり多くなかったかもしれませんが……」

「そうですか」


 生徒は一クラスに四十人程度。

 一人の生徒に対する教師の認識なんてその程度のものだろう。

 そんな一樹の思考が伝わったわけではないと思うが、安藤は言葉を探し始めた。


「勉強もできました。少し、真面目過ぎるところがあったかもしれません。それでからかわれることもありました」

「山城くんですか」

「え」

「村田くんと少し話をしたので。確かに彼は真面目な子、真面目過ぎる子だったかもしれません。融通が利かないとも言い換えられますね。だからといって、不利益を被る理由にはなりませんが。どうにも彼はそれが不満だったようです」


 安藤はばつの悪そうな顔をしたあと、「話は終わりにしましょう」とでも言うように「村田くんはどうしてあんな……」と言葉を詰まらせた。

 本当は首を傾げたかったのかもしれない。


「殺すことなかったのに」


 後ろからかそういう声が聞こえた。

 振り返ると、廊下の向こうに一人の女子生徒がいて、一樹を睨んでいた。

 女子生徒は腹の出た男性教師に腕を掴まれて体育館の方へと連れて行かれた。


「村田くんと一番仲が良かった子です」

「彼女と話すことはできますか?」


 安藤は薄い笑みを一樹に向けて言った。


「〈神父〉さんがお気になさることではありません。彼女は少し動揺しているだけです。それに、すぐ忘れますから」


 厚化粧に浮かんだその表情から吐き出された言葉を、頭では「その通りだ」と冷静に受け止めながら、胸の奥に火傷のような痛みが走ったのを無視することができなかった。

 だから、「先生は銃を使いましたね」と聞く。

 安藤は分かりやすいくらい動揺を見せたあと、顔をしかめた。


「いけませんか?」


 いいえ、と仕事用の笑みで首を振る。

「ただ、そのことを村田くんはとても気にしていたので」


 安藤の分厚い顔の皮がひび割れそうなほど歪む。

 彼女は息を吸い、何かを堪えるようにべったりと口紅を塗った唇を噛む。

 そして、穏やかな顔つきで「仕方なかったのよ」と出来の悪い生徒をたしなめるようなねっとりした口調で言う。


「生徒を守るためですから」


 安藤の言葉にはある種の確信が込められていた。

 自分もそんなふうに簡単に割り切れる性格だったなら良かったのに。一樹は半ば本気でそう思う。

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