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木曜日の天使  作者: しゃかもともかさ
1.透明な言葉
3/18

3/◆

 キャラメルを積み上げたようなレンガ調のマンションの前で車を止める。

 通りかかった子供が、母親に「可愛い」とこちらを指差した。

「そうだねぇ」と優しく微笑む母親はどことなく苦笑いで、神林一樹もそれにつられてしまう。


 一樹が愛用している車は……といっても借り物だが……赤の外国産で、一言で表現すると「おもちゃみたい」なデザインをしている。

 子供受けは良さそうだが、大人からの評判は高いとは言えない。


 数分後、エントランスから少女が姿を現す。

 腰まで伸びた長い黒髪。白い肌に浮く右目の下の印象的な泣き黒子。

 女性的な卵型の目の中にある大きな瞳が、「不機嫌」という感情で歪められている。


 宮尾薫子。

 一樹が担当する十六歳の〈天使〉の少女だ。

 この「天使」という呼称には、「可愛らしい」とか「心が癒される」という意味ではなく、もっと陰湿で趣味の悪い意味が込められている。


 薫子が助手席に乗る。

「おはよう」と挨拶をすると薫子は無機質な表情で「おはようございます」と返してきた。


「前々から思っていたのですが、外国の車って不便ではないですか?」

「ん、そうかな?」

「歩道から助手席に座るのに一度車道に出ないといけません」

「後部座席でもいいんだよ?」


 無言かつ真顔で無視された。

 ははは、と曖昧に笑う。

 一樹は外国車に特別な思い入れがあるわけではないのだが、ちょっとした事情で仕事ではそればかりに乗っている。


 車に目的地を入力し、車を発進させる。

 背中に軽い重力を感じた。

 今日の薫子には普段見られない特徴がある。


「それ、つけてくれたんだ」


 できるだけ、なんでもないことのように言う。

 花を模した髪留めは、担当についたばかりのころ、一樹がプレゼントしたものだ。

 店の女性店員に花の種類を聞くと「たぶん桜ですかねー」と答えていたがあとで調べたらツバキだった。


「カノジョさんへのプレゼントですか?」と、その店員は好奇心を唇の端に乗せていた。

 大学生か、社会人になりたてといった雰囲気の若い女性だったのをよく覚えている。

「カノジョではないですね」と一樹が朗らかに否定すると、「付き合う前の女の子にプレゼントするのは、あまり良くないですよ。経験上」と忠告までもらってしまった。

 そのとき、一樹「そうですかね」と苦笑いをするしかなかった。


 そもそも髪留めをあげたことについて、あの店員が期待するような感情(したごころ)はないのだ。

 薫子の長い前髪が仕事をする上で邪魔そうに見えて、でも、「切った方がいい」と女の子に言うのも気が引けた。

 それだけの色気のない理由だった。

「薫子。薫る子。であれば、花が良いだろう」と安易な考えで選んだ髪留めである。

 口に出したら、頬を叩かれそうだと思ったから、心の中で呟くまでに留めたが。


 髪留めを今まで薫子がつけてくれたことはなかった。

 気に入らなかったのだと思っていたが、心変わりしたのだろうか。

 もしかすると、その髪留めも彼女の不機嫌を示す一つなのかもしれない。

 さすがにそれは考え過ぎに違いないのだが。


「一樹、似合いますか?」


 薫子の大きな瞳がこちらを向いていた。前髪に隠れていないとより大きく見える。


「うん。似合うよ。とってもね。素材がいいのもあるかもしれない」

「たしかに手触りがいいです」


 薫子は小さく一度頭を縦に振った。

 満足そうだ。

 微妙に一樹の意思が伝わっていなかったが、いくらか機嫌を直してくれたならそれでいい。


 薫子は表情の変化が少ない。

 それでも最近はいくらか感情が読み取りやすくなった。

 一樹が薫子に慣れたのかもしれないし、薫子がこちらに心を開いてくれているのかもしれない。

 どちらかは分からない。

 ともあれ、あげた髪飾りをつけてもらえたことは喜ばしいことだ。


「昔の自動車は自分でアクセルを踏んで、ハンドルを握らなければならなかったらしい」

「昔ってどれくらいですか?」

「まだ、人類が希望を持って日々を生きていたときくらい、昔」


 そんな時代があったのですか、と薫子は眉を寄せた。

「ないと否定してしまうのは夢も希望もないよ」と言いながら、背もたれに体重を預ける。


「でも、それでは自動車と呼べませんね。ただの車です。だって、自動ではないですから」

「呼んでいたらしいよ。自動車って」

「……はあ」


 薫子はため息のような相づちを打つ。

 それで会話が途切れる。

 会話が弾まないのはいつものことなので、たいして気にならない。

 いや、多少は気にすべきなのかもしれないが、気にしたところでどうにもならない問題なのだ。

 だから、棚に上げるしかない。

 

 しばらく車輪がアスファルトの地面を撫でる音を聞く。

 それに飽きたのでラジオをつける。

 デビューしたばかりのロックバンドがインタビューを受けていた。


 ギターアンドボーカルの女性は二十五歳。

 つまり、一樹と同い年だった。

 彼女は高校生のころからバンドを続けていたのだという。

 もしかすると、見栄っ張りで分からず屋だったころの自分は、ギターのケースを背負った彼女と街のどこかですれ違っていたかもしれない。


「そういえば、前の子は……」

「前の子?」


 薫子はわずかに眉を下げる。


「前任の〈天使〉の女の子。その子は音楽が趣味でバンド活動もしていた」

「〈天使〉なのにバンド、ですか」

「〈天使〉になる前だね。さすがに」


 ギターをときどき触っているようなことは言っていたが。


「彼女はいつもパンクロッカーみたいな格好をしていた」

「そうですか」

「薫子は好きな音楽とかないの?」

「『今の子』は音楽にあまり興味がないので」


 ……どことなく棘のある言い方だった。何か地雷を踏んだだろうか。


「そんなことよりも、今日はどちらに」

「隣町の常磐まで。とある〈悪魔憑き〉の頭をふっ飛ばしに」

「素敵な一日になりそうです」


 さすがに皮肉だと分かる。

 外出に誘っておいて「仕事になりました」は自分でも笑えない。


「〈悪魔憑き〉は中学生ですか? それとも、教師?」


 薫子はGPSを見ながら言う。

 目的地を示す下向きの三角形は、中学校を指している。


 常磐(トキワ)第二中学校。


 その文字を見て薫子がわずかに顔をしかめた。

 薫子は中学校を途中でやめている。


「残念ながら、中学生」


 何が残念かは分からないが、大人であればあまり心を痛めなくて済むことも世の中には多い。

 十代の傷は美談だが、二十を超えてしまえば情けなさしかない。

 美しいものを壊すのは心苦しいが、そうでないものであれば笑って誤魔化せる。


「『躊躇うな、遠慮はいらない』という真歩さんのお墨付き。早速被害が出てるんだとさ」

「言われなくとも、容赦も躊躇いも遠慮も、私はしませんよ」

「頼もしいね」

 一樹の顔に苦笑いが浮かぶ。

「でも、僕は眉一つ動かさないで頭を吹き飛ばす女の子、嫌いじゃないけどどうかと思う。少しね」

「では、少しは躊躇う努力をしてみます」


 そういうことではないのだが。

「無理はしないでね」と言っておく。

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