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羽毛布団のように柔らかい草原に寝そべって空を眺める。
刻々と形を変える雲を眺めながら、頭の中で自分だけのための物語を考える。
それに飽きたら鞄の中から本を取り出して、ページをめくる。
日が暮れたら家に帰り、温かい食事を食べながら、大切な誰かと優しい言葉で会話をする。
そんな夢を見た。
おそらく誰もが一度は願うであろうありふれた理想。
いつまでも旅に出ないファンタジー映画のように酷く退屈で、でも冷たい冬の日にホットレモンを飲んで吐いた息のように温かい。
夢の余韻に浸りながらぼんやりとする。
私が目を覚ましても、その夢はどこかで続いている。
そう思うと、ほっとするような寂しいような、不思議な気持ちにいつもなる。
ベッドから這い出て顔を洗う。
牛乳を電子レンジでホットミルクに変える。
毎朝「宮尾薫子」はそう行動した。
それは今の「私」にも引き継がれている。
朝の身体は重たく思考は鈍い。
だから、新しい行動を開拓するよりは慣れていることに身をゆだねる方が合理的。
そう判断した。
電子レンジの低い鳴き声を聞きながら、スマートフォンを操作する。
メッセージが一件届いていた。
神林一樹からだ。
『ごめん。急な仕事が入った。十五分後、迎えに行く。埋め合わせはまた今度』
いつもながらの味気ない箇条書きのようなメッセージにどこか温かみを感じてしまうのは、おそらく錯覚と呼ばれる現象なのだろう。
「分かりました」と簡素な返事をする。
「送信」を押したところで自然とため息が出た。
思いのほか、私は一樹との外出を楽しみにしていたらしい。
神林一樹は私よりも九歳年上の二十五歳で「大人」であるはずなのだが、童顔で背があまり高くなくスーツを着ないせいかインドアな大学生を思わせる風貌だ。
自分で切っているという髪は、一本一本が自分の思う方向を目指していて、癖毛であることを考慮してもお洒落にはほど遠い。
親しみやすいと言えば聞こえはいいが、彼の〈神父〉という職業柄、もう少し威厳があっても良いのではないか。
そんなことを考えていた矢先、「今度の休み、どこか出かけに行こう」といつもののんびりとした口調で言われたのが昨日である。
「晴れたらピクニック、雨が降ったら本屋巡りとかどうかな」
私はしぶしぶという顔で「分かりました」とうなずいたわけだが、そのときの自分を思い出して頬が熱を帯びる。
これではまるで天の邪鬼だ。
何はともあれ、仕度をしないといけない。
十五分とは短い。
せめて二十分は欲しかった。
顔を洗って、髪をセットして、パジャマから白のブラウスと黒のスカートに着替える。
少し迷って、椿の花を模した髪留めをつけることにした。昨日の晩からそのつもりだったから。
仕事で汚したくないのでいつもはつけない。
それくらいの抗議の意志は許されるだろうか。
宮尾薫子が「いなくなった」のはおよそ半年前。
今現在、彼女の身体に入っているのは、「私」という別の存在で、私と宮尾薫子は多くの点で異なる。
私は彼女のように一人になっても心細さを感じない。
けれど、いくつかの点で類似しているとも思う。
私も、約束を反故にされることが、人よりも少し許せない。
私のような存在は〈天使〉と呼ばれている。
この呼称は好きではない。
でも、すでに定着したものに文句をつけるのも難しい。
だから、仕方なく受け入れることにしている。




