14/◆
〈塔〉の二階のラウンジには薫子の姿がすでにあった。
彼女は隅の方の席で退屈そうにスマートフォンを操作していた。
声をかけると眠たそうにしていた目を大きくして、こちらを見た。
「お待たせ」
「そんなには待っていません」
気を使われているのか、もしくは意地を張られているのだろう。
それを指摘するのは野暮なので「そっか」とだけ言っておく。
「何を見ていたの?」
薫子はスマートフォンの画面をこちらに向ける。ニュースサイトが表示されていた。
「面白い記事はあった?」
「いつも通りですよ。芸能人の不倫とか政治家の汚職とか……そんなものです」
「今日も世界は平和だ。〈塔〉に観測されている以上、戦争や虐殺なんて起きようがないから当たり前だけど」
薫子は小さくうなずく。そして、視線をわずかに落とした。
「一樹は不安ではないのですか?」
「生きる上で全く不安がないということはないと思うよ」
将来大きな病気になるかもしれない。
仕事中に事故の恐れがないとは少しも言えない。
「そうではなくて」
薫子は何かを探すように瞳を揺らす。
「私たちは〈塔〉に観測されています。観測されているデータは〈塔〉の地下に蓄積されていく、つまり、全人類は〈塔〉を通じて繋がっていると言えます」
それぞれの人類は自分では意識できない心理の深いところで繋がっている。
遠い昔の、古い時代の哲学者はそれを「集合的無意識」と呼んだが、現代ではそれがシステムとして確立している。
〈塔〉は人類を観測する。
〈塔〉を通じて、人類は全てを知ることができる。
しかし、神林一樹はそれに含まれない。
「一樹は孤独に見えます」
「孤独かもね。でも、僕は、僕ほど幸せ者はいないと思っているよ」
それは嘘偽りのない本心のつもりだ。
「それに、少なくとも、今、僕は君の隣にいるじゃないか」
村田和彦のように、不必要に怯えて現在地を見失うようなことはしたくない。
そのためには少しくらい悪意に鈍感になって、好意や善意に甘えてもいいのではないだろうか。
まだたった一ヶ月の付き合いで、二回の〈お使い〉を済ませただけの関係だ。
けれど、宮尾薫子が神林一樹にとって心地良い存在であることは疑いの余地がない。
できるだけ長くこの時間が続けばいいと願うほどに。
「真顔でそんなことが言えるなんて……いかれていますね」
顔をしかめられてしまったので、肩をすくめて小さく笑う。
すると、呆れたような、諦めたような笑みが返ってきた。
一樹が足を進めると、薫子が少し小さな歩幅でそれに続く。
通りに出て、捕まえられそうな左ハンドルの車を探していると「待っていましたよ」とでも言うように目の前に赤い車が止まった。
別れの挨拶もしない素っ気ないやつだと思っていたが、気が利くではないかと考え直す。
目的地を入力しようとしたところ、助手席の薫子が「やっぱりそばにしましょうか」と言った。
薫子はむすっとした顔で髪飾りを触り、その位置を気にしていた。
「別に、うどんでもいいですけど」
【透明な言葉 END】




