13/♪
二階のラウンジは窓際に沿って椅子が並べられている。
そのほとんどを残りの時間が短いにも関わらず、目的も目標も平日昼間の行くあても見つからず途方に暮れた生ける屍たちが新聞を広げて占拠していた。
私も時間は少ないが、ああいう生き方はしたくないな、と心の底から思う。
幸運にも一つ、空いている席を見つけられた。
窓の外の景色を眺める。
さほどの高さはなく景色は良好とは言えないが、〈塔〉の前を行き交う人々の顔がよく見えた。
彼らの表情を無感動に眺めながら一ヶ月ほど前のことを思い出した。
その日も私はラウンジの椅子に座っていた。
空が赤く染まり、白い床が朱色に輝いていた。
私の前に現れた〈神父〉は想像のものとずいぶんと違った。
私は彼らを冷たく、殺し屋のような人たちと考えていたわけだが、神林一樹は昼寝から起きたばかりの大学生のようにどこかぼんやりとした顔で、掴み所のなさそうな青年だった。
私はいくらかの不意打ちを食らったものの、お腹に力を入れ睨みつけ「宮尾薫子です」と名乗る。
一樹は「僕は神林一樹」とふやけた和紙のように笑って「透明な言葉で話そう」と言ったのだ。
童顔のわりに声は低く、彼の言葉は耳の奥まで届いた。
「これから僕たちはたくさん酷いことをするし、酷いものを見るだろう。嘘をつきたくなるし、隠し事もしたくなるかもしれない。だから、僕たちは透明な言葉で会話をしよう」
私は首を傾げる。困った顔、もしくは怪訝な顔をしていただろう。
「透明な言葉とはなんですか」
「正直、僕もよく分からない」
きょとんとする私に一樹は笑って「まず、それを一緒に考えようか」と微笑んだ。
*
あのころの、宮尾薫子のかさぶたでしかない「私」は卑屈で陰鬱としていた。
目に映る全てを憎み、信用しようとしていなかった。
会ったばかりの一樹に対しても、根拠のない不信感を覚え、彼と何かを共有することはないだろうと決めつけていた。
でも、今あの日のことを思い出すと不思議と胸が温かくなる。
おそらく、私の一樹に対する信頼の原点は、彼の「透明な言葉」なのだろう。
一樹は前の〈天使〉にも同じ言葉を言ったのだろうか。
だとしたらどうなのだ、と頭では思う。
けれど、胸の奥ではあの言葉が私のものだけであって欲しいと願っている。
そのことを一樹に聞いて確かめようとは思えない。
〈塔〉が観測してくれていれば、一人で答え合わせができたのだけど。
いや、私はそれでも答えを知ろうとしないかもしれない。
まったくもって不可解な感情だ。
自分のことなのに、と深いため息をつく。
――〈天使〉のためよ。
一樹が「本物の神父」を目指す理由を山田さんはそう言った。
一樹は過去に〈天使〉と何かがあったのかもしれない。
それが前任の〈天使〉かは分からない。
神林一樹は〈塔〉に観測されず、彼の過去は彼の中にしかない。
もしかすると、一樹にとって、私は何かの代わりでしかないのかもしれない。
誰かで果たすことができなかった何かを、私を代替品として利用し、行おうとしているのかもしれない。
そう思うと憂鬱で、寂しく、苦しい。
でも、〈天使〉でなければ私は彼と出会うことすらなかったのだと考えると、諦めに似た幸福を感じてしまうのだ。




