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木曜日の天使  作者: しゃかもともかさ
1.透明な言葉
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12/◆-Ⅱ

 ポケットに入っていた村田和彦に関するレポートを広げて〈アリス〉に渡す。

 〈アリス〉が指先でレポートを叩くと、一枚の紙だったものが血を固めたような赤いケーキに変わる。ラズベリーか何かと思いたい。

 〈アリス〉は銀のフォークでケーキを口に運び、飴玉をなめるように咀嚼する。どことなく艶めかしい動作に視線をそらす。


「お味は?」

「悪くないよ。素材はいまいちなんだろうけどね。きっと君の腕がいい」

「そりゃどうも」

「他の〈神父〉は上辺だけ取り繕って終わりだから、ジャンクフードにもならないよ。何かコツとかあるの?」

「祓う前に少しばかり会話をするんだ。『今日は天気がいいね』くらいの」

「獲物に恐怖を与えると肉が美味しくなる、なんていう話もあるけど、それと同じ理屈? でも、本来会話が成り立つのも珍しいんだけどね」

「お互い残機ゼロだからかもしれない」


 一樹や〈悪魔憑き〉のような塔からロストした者は「死んだら終わり」だ。復元するための情報がないのだから当然だ。

 一樹は〈塔〉から観測されないことをさほど気にしてはいない。

 けれど、周囲は無意識の中で敏感にそれを察知し、警戒する。もしくは同情を覚える、らしい。〈悪魔〉に同情される〈神父〉というのも、おかしな話ではあるけれど。


「今回はどんな〈悪魔〉だったのさ?」

「報告書の通りだよ」

「君の口から聞きたいんだ」

「それは僕の真似のつもり?」


 〈アリス〉がけたけたと笑うので、肩をすくめる。


「村田和彦は、なんというか、どこにでもいる『被害者』だったよ。彼は『周囲の笑顔が怖い』と言っていたけど……」

「それは」〈アリス〉は無邪気に笑う。「ほどんど『笑顔に飢えています』と言っているようなものだね」


 村田和彦は蜂蜜のように分かりやすい甘さの、善意が欲しかっただけなのだろう。

 それこそ、母親が子供に向ける無償の愛のような。


 そんなもの、あるはずがないのに。


 けれど、彼に向けられた善意が全くなかったというわけではないと一樹は思う。

 頭の中に浮かんだのは、一樹に向かって「殺すことなかったのに」と叫んだ少女のことだった。

 彼女の顔は悲哀と憎悪に歪んでいた。

 あの少女が村田和彦に少なからず好意を持っていたのだろう。


 でも、村田和彦はそれに気づけなかった。

 もしくは、無視したのだろう。

 山城からの、周囲からの悪意に敵意を返すことに夢中になって、自分に向けられたいくつかの善意を見なかったことにした。


 彼は、たったそれだけの〈悪魔憑(ひとでなし)き〉だ。


「村田和彦には〈悪魔〉に魂を売るほどの理由はなかった。カウンセリングや周りの大人の対応で、どうにでもなったよ」

「だから、もったいないって?」

「もったいないというより、釣り合わないというのかな」


 村田和彦に、薫子の一年(いのち)を消費するほどの価値はなかった。

 心の底からそう思う。


「一樹も悪意に夢中で、善意を見失うような、十代だったかい?」

「だった、というか、今もそうだと思うよ。人間って、善意より悪意を強く意識してしまうものだし」


 防衛本能というものだろうか。

 悪意に敏感であった方が野生では生き残りやすい。

 社会では騙されにくい。多くの悪意は善意の中に紛れている。

 詐欺師のほとんどは人が良さそうだし、〈悪魔憑き〉のだいたいは「あんなことをする人には見えませんでした」と評される。


 でも、悪意に鈍感で善意や好意に正直である方が、損をすることは多くとも生きやすい。

 悪意ばかり気にしていたらきりがないのだから。

 そういう意味で、村田和彦は「生きるのに向いていない性格」だったと言える。


「〈アリス〉から見て、人間は愚かに思う?」

「大いに。無駄が多すぎる。なのに、無駄を嫌う。何より、器用に生きたがるくせに不器用。人間が器用でいられるのは、せいぜいその十本の指が届く範囲だと、いい加減気づくべきだ」

「その範囲でも僕たちは不器用だったりするんだけどね」

「じゃあ、悪意から逃げるしかない」


 アリスは花を咲かせるように、両手を広げる。


「動物なら居心地の悪い他人の縄張りにいつまでも居座らないだろう? 村田和彦くんとやらもその場からいなくなれば良かった。それに尽きる。

 彼は馬鹿で阿呆でどうしようもない。救いようがない生き物を救おうとするなんて一樹も大変だね」


 散々な言われようだった。

 〈アリス〉は人間のことになると決まって辛辣さを発揮する。

 基本的に人間嫌いなのだ。

 それなのに人の不幸や不運、憎悪や悲哀が好物なのだからたまらない。


「ま、その通りなんだけど」


 人間代表として同意を示す。

 最も簡単で安易な解決方法は「逃げる」ことだ。

 縄張り争いに敗れた野生動物は〈悪魔憑き〉にならないし、〈天使〉になろうともしない。

 その場では尻尾を巻いて逃げて、別のどこかでしたたかに生きていくだろう。


「でも、人間として生きようとすると、それは難しいことなんだ」

「そうなの?」

「人間は自然じゃなくて、社会に生きているからね」


 社会は狭い。

 距離的に離れていても、どこかしらで繋がっている。食べ物を得るには街に出る必要があるし、宅配してもらうにしても電話かインターネットだ。


「無視しようとしない限り、僕たちはいつも『人』を意識する」

「無視しようとしている時点で、意識しているんだけどね」

「ま、確かに」


「キリンを想像しないでください」と言われてキリンを想像しないのは難しい。

 それと同じだ。

 本当の意味で、人間が一人になることはできない。

 それこそ、世界が滅亡でもしない限りは。


「つまり人間は自分から自分を檻に入れたんだね。なるほどね。飼われた動物は檻を変えることはできない。それは分かるよ。でもね」

 〈アリス〉は笑みに愉悦を込める。

「〈悪魔〉に魂を安売りするのは、迂闊としか言えない」

「そりゃあね」


 それについては苦笑いとため息を返すほかない。

 しかし、人間は追い詰められるとその「迂闊」に手を伸ばすものなのかもしれない。


 かつての一樹もそうだった。

 後悔はたくさんしたし、多くの人を傷つけたという自覚もある。

 けれど、もう一度その過ちをする可能性は否定できない。

 人間は他の動物よりも、二足歩行と同じ失敗を繰り返すことが少しばかり得意過ぎる。


 〈アリス〉から食後のサッカーに誘われたが、さすがに断った。

 一樹は昼食がまだだし、あまり長引かせると薫子を待たせることになる。

 〈アリス〉の部屋は時間の流れを感じづらい。

 サッカーに夢中になって日が暮れていた、なんてことになりかねない。


 エレベーターが到着する。


「じゃ、またね。君と話すのは楽しい。君を知るには、ここに来てもらうしかないからね。できれば、今日みたいに憂鬱を抱えて来て欲しい」

「僕はいつもブルーだよ」


 直方体の箱に乗る。

 振り返るとすでに〈アリス〉は姿を消していた。


 短く息を吐いてから、目を閉じる。

 地上まではまた少し時間がかかるだろうから。

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