12/◆-Ⅰ
血のようなワインレッドのドレスをまとった少女の投げた野球ボールが、バシッという小気味良い音に合わせて一樹のミットに収まる。
「ナイスボール」と言ってみる。
一樹は野球の経験はほとんどないが、〈アリス〉の投球が「ナイス」とはほど遠いものだということくらいは分かる。
地上では、ボールは縦に三回変化したあと、横に五回高速変化しないものだ。
それでも、一樹が何気なく構えたミットに百発百中で収まるから、魔球とは言えキャッチすることは難しくない。
結果が同じなら、過程が大事だ。
けれど、結果に納得できるのなら、過程にはある程度、目をつぶることもできる。
もちろん「ある程度」であればの話だが。
一樹が投げた山なり、であるはずのボールが風切り音を上げて〈アリス〉のミットに突き刺さる。
音速を超えたらしい。
「危ないなあ、もう」
〈アリス〉が顔をしかめる。一樹としては笑うしかない。
「ああ、ごめん」
「よーし、じゃあ僕は……」
〈アリス〉が大きく振りかぶる。
投げたボールは「心電図かよ」と突っ込みを入れたくなるような縦に激しい変化を見せた。
〈アリス〉の部屋に行くと、だいたい何かしらの遊びに付き合わされる。
それは球技だったり、トランプだったりするのだが、共通しているのは物理法則を始めとするあらゆる決まりごとを完全に無視していることだ。
自分が投げたサイドスローが宇宙回転をするのを眺めながら〈アリス〉について考える。
いわく、創世から存在する〈塔〉の管理者。
いわく、〈塔〉の数だけ存在し、見る人によって姿や性別を変える無数不定の存在。
一樹にとって〈アリス〉は十代半ばの活発そうでどこかミステリアスな雰囲気を感じる少女だ。
黒い髪は長く絹のように滑らかで顔立ちはどことなく記憶の中の誰かに似ている気がする。
〈アリス〉という存在は自分の性癖、もしくは叶わない願望を見せられているようで直視しづらい。特に「ワインレッドのドレス」というのが一樹の趣味丸出しで、頭を抱えたくなる話だ。
いつの間にか〈アリス〉の手にあったミットが消え、バットに変わっていた。
「よ、せいっ」
〈アリス〉は袈裟斬りのようなめちゃくちゃなフォームで、一樹が投げた宇宙ボールを打ち返す。
ボールは地面にワンバウンドして高く、高く上がる。
しばらく見上げていたが、ボールはどんどん小さくなり、やがて消えた。
帰ってくる気配はない。
視線を水平に戻す。
一樹は椅子に座っていた。
目の前の〈アリス〉が頬杖をついてこちらを眺めている。
コーヒーが二つ用意されていたので、「いただきます」と言って口をつける。
ちゃんとコーヒーで安堵する。この前は本格的なインドカレー味だった。
「お昼ご飯は食べて行く?」
「薫子と食べる約束をしているから、今日はいいかな」
〈アリス〉は意地の悪い笑みを浮かべる。
まるで、新しい悪戯を思いついた子供のように、邪気はないけれど悪意たっぷりの。
「薫子。宮尾薫子、君の今の担当の子だね。相変わらず、君は〈天使〉と仲が良いみたいだ。前任の子とも、関係は良好だった」
「神様に仕える〈神父〉だからね。神様の使いである〈天使〉は親戚みたいなものだ」
生憎、この世界に神に該当する存在はいないけれど。
〈天使〉と〈悪魔〉、そして〈神父〉がいるのに神様がいないというのは、何とも皮肉だ。
宗教というものはいくつか存在しているらしいが、それが原因で争いが起きたという話を聞いたことはない。
心構えや精神安定剤以上の役割を担ってはいないのだろう。
人類史において、これほどまで信仰が失われた時代はないかもしれない。
世界を創造した人智を超えた超越者を「神」と定義するなら、それは明確に存在しないと子供から大人まで知っている。当たり前過ぎて教科書にすら書かれない常識だ。




