11/♪-Ⅱ
山田さんはブラック派だ。
私はミルクが欲しいが、今日は少し強がってみることにした。
「薫子ちゃん、ありがとう」
「いえ」
山田さんはレポートを机に置き、「よく書けているわ」と柔らかく微笑む。
「ありがとうございます」
「でも、そうね……。自覚がなさそうだから伝えておくけど、〈銃〉を放ったあと、少し感情の乱れを観測しているの。気をつけて」
「はい」
うなずきながら、山田さんの言葉に違和感を覚え、内心で首を傾げる。
彼女は嘘をついていた。
しかし、嘘を問いただしても大人は怒るだけだ。穏和な山田さんを怒らせてみたい気持ちはあるけれど、今回はやめておく。
コーヒーに口をつける。
やはり私には少し苦い。
「ところで、神林くんとはどうなの? 上手くやってる?」
山田さんは多分に好奇心を含んだ笑みを浮かべる。
「どうして一樹の話になるのですか?」
「神林くんは観測できないから、あなたから話を聞くしかないのよ」
釈然としない言い訳だったが、必要以上に反発しても仕方ない。
「どうもこうもないですよ。普通です。可もなく不可もなく、です」
「まるで不満があるかのような言い方ね」
その通りだ、と自分でも思う。目上の人に意味もなく反抗する思春期の子供みたいな台詞だ。
「少しもないわけではないです」
「やっぱり」
山田さんは少女のように笑い、胸の前で小さく手を叩く。
私が一樹に不満を感じているのは、そんなに喜ばしいことなのだろうか。
「例えばどんなこと?」
真っ先に頭に浮かんだのは、前任の〈天使〉についてだった。
「前の子」の話はあまり聞きたくない。
けれど、その不満は人に話したくないものだった。
〈塔〉の記録を見れば分かってしまうことだとしても、私の口からは言いたくない。
次に浮かんだのは、先ほどの〈悪魔祓い〉のことだ。
村田和彦と対峙しながら、飄々とした態度を少しも崩さない。一言で異常な光景だった。
「どうして一樹は〈悪魔憑き〉と話をしたがるのでしょう?」
「神林くんはなんと言っていたの?」
観測局は一樹の行動を把握していて黙認している。
そのことを隠すつもりはないらしい。
「結果が同じなら過程を重視すべきだ、みたいなことを」
「彼は相変わらず真面目、というより……」
「誠実?」
「うーん、もっと皮肉が欲しい」
どうして皮肉が欲しいのだろうか。
「では、詩的とか」
「ああ、それ、良いわね。神林くんは詩的だわ」
山田さんはくすくすと上品に笑う。
「でも、神林くんがそう言うならその通りなのだと思うわ。彼は過程を重視して〈悪魔憑き〉と言葉を交わしているのよ」
「殺し屋のように〈悪魔〉を祓うのが、乱暴ということでしょうか」
「真歩ちゃんはまさにそういうやり方よね」
私は眉間にできたしわを隠すために前髪を直す振りをする。
「でも、事情を聞いた上で〈銃〉を撃つという一樹のやり方も、相手からしてみれば理不尽で残酷では?」
「結果としてはそうよね」
山田さんは苦笑いを浮かべて肩をすくめる。
「でも、必ずしも結果と目的が一致するわけではないわ」
「そういうものですか?」
「だって、人間は失敗ばかりするもの。でも、失敗することが目的ではないわよね」
それはそうだ。
人間はいつか死ぬが、死ぬために生まれて来たわけではない。
そう主張する人も少なくはないが。
「一樹の目的は何なのでしょう」
「本人に聞くのが一番良いと思うわ」
「でも、一樹が本当のことを話すとは思えません」
それに一樹は「答え合わせ」ができない存在だ。
彼の言葉の正しさを保証するものはない。
私は嘘の判別ができるが、真実の証明はできないのだ。
「これは私の勝手な想像だけど……」
山田さんは頬に手のひらを当て、視線を上に向ける。
しばらく、沈黙が続いた。私はコーヒーに口をつけ、苦みで顔をしかめないように気をつける。
「神林くんは、本物の神父になりたいのかもしれない」
「本物の神父?」
「神様がいたころの神父は銃を持たなかった。聖書を片手に、悪魔を説得し、祓っていたのよ。神林くんが目指しているのは、そういうものなのかもしれないわ」
「神様が存在した時代があるのですか?」
「ないと決めつけてしまうのは、寂しいことじゃないかしら」
山田さんは楽しそうに微笑む。
彼女にとってこれは楽しい会話のようだった。
「どうでしょう。分かりません」
「誰だって、子供のころはサンタクロースを信じていたものでしょう?」
「そういう子供が多いのは知っています」
宮尾薫子は小学四年生辺りまで信じていた。
〈塔〉に行って、サンタクロースに関する情報を見ればそれが大人の嘘であるとすぐに分かるのに、幼いころの彼女は疑うことはしなかった。
私からすると不思議というか、不可解だ。
「子供がサンタクロースを信じるように、当時の人々の心の中には確かに神様はいたのだと思うわ」
「時代が子供、ということでしょうか?」
「なんでもかんでも分かってしまう今と比べると子供かしらね。まあ、ろくな大人なんていないから、子供のままで良かったかもしれない」
「そうですね」
うなずいてから、大人である山田さんに向かってそう言うのは失礼な気がして、「全ての大人がそうとは限りませんが」と付け加えておく。
彼女は微笑みながら頭を横に傾けた。
「神様がいた時代の悪魔憑きは、神父に説得されて消滅したのですか?」
「記録によると、悪魔が祓われた人は元の生活に戻ることもあったそうよ」
確かにそれは平和的だ。
その時代にも銃、もしくはそれに準ずるものはあったかもしれないが、人々は悪魔に憑かれた人を見捨てず、救う方法を選択したのだ。
しかし、遠い時代に想いを馳せるほど、一樹は夢想家だろうか。
釈然としない。何より、納得ができない。
「なぜ一樹は危険を冒してまで〈悪魔憑き〉の肩を持つのでしょう」
一樹と、例えば村田和彦との接点はないはずだ。
目の前に現れた不幸な誰かに同情心を抱くほど、私は一樹が博愛主義とは思えない。
「違うのよ」
山田さんは表情から笑みを消え、憐れみの色を浮かんだ。
「〈悪魔〉のためではなく、〈天使〉のためよ。神林くんが〈銃〉を撃つ以外の方法を探しているのは」




