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車を発進させ、行きに通った道を逆走し、紺青を目指す。
常磐第二中学校が完全に見えなくなると一樹の口からほっと安堵のため息が出た。
学校というのは、どうしてこうまで人を疲れさせるのだろうか。
まさかあんな場所に十二年も間通っていたとは、と苦笑いが出る。
一樹が大学に進学しなかった理由は、自立を急いだというより、これ以上「学校」というものと関わりたくなかったという気持ちが大きかった。
薫子の意識はだいぶはっきりしてきたようだった。
彼女の横顔をぼんやりと眺めていると、少しずつ表情が険しくなっていることに気づいた。
お腹でも痛いのだろうか。
そういえばトイレが大丈夫かどうかすっかり聞き忘れたな、と考えていたが、「一樹」と彼女が発した声には怒気を含んでいた。
怒られる心当たりは、まあ、たくさんある。
「なんでしょうか」
「どうして〈悪魔憑き〉と話そうとするのですか?」
やっぱりそのことか、と内心で笑う。
「〈塔〉からロストしたお友達として、仲良くやっていこうと思っている、わけではないよ」
自虐的なジョークのつもりだったが、薫子はにこりともしなかった。
薫子の無愛想はいつものことだが、彼女の怒りがそれなりのものであるということは、さすがの一樹でも分かる。
「前のときは、相手が幼い子供だからだと思っていました」
二週間ほど前の、一回目の〈お使い〉のことを思い出したのか、薫子は眉を下げた。
あれは今回以上に気分の悪くなる一件だった。できるだけ早く忘れてしまった方がいい。
「だめかな?」
「意味がないです。結局、〈悪魔憑き〉は殺してしまうのですから。結果は変わりません。そうであるなら、手早く済ませるべきです」
まったくもってその通りである。
「それに」
「それに?」
薫子は視線を泳がせ、顔を窓の方へ向ける。
ガラスにうっすらと映る薫子の表情は気まずそうなものだった。
「危険です。〈神父〉に死なれたら私が迷惑するじゃないですか」
「そうか。迷惑か」
「迷惑です」
今のやり取りの中に薫子が気まずさを感じる要素はあっただろうか、と内心首を傾げながら、「まあ、そうだね。確かに意味もないし、危険な行為だ」と同意する。
同僚の多くは〈悪魔憑き〉を前にして、のんきに雑談なんてしない。
〈天使〉に「撃て」と命じる。〈天使〉は〈銃〉を放つ。
〈悪魔祓い〉にそれ以外は必要のないことだ。
「でも」
これ以上怒らせたくないな、と思いながらも、事情を説明するための言葉を探す。
残念ながら、適切なものが見つからない。
自分はこの少女にできるだけ誠実でいたかった。
信頼されたままでいたい。
そのためには、あまり自分の深い感情を話さない方がいいのかもしれない。
しかし、それは誠実とはほど遠い在り方だ。
「結果が同じなら、少しくらい過程にこだわってもいいんじゃないかな」
結局、口から出たのはその場しのぎの言葉だった。
薫子は「また過程の話ですか?」としかめっ面でため息をつく。
信頼を得るには表面上の付き合いに留めるべきで、誠実であろうとするなら上手な嘘をつくのがいい。
言葉と行動が矛盾しているが、そういうものだと諦めてしまうのは一樹が「子供が嫌う大人」だからだろうか。
「つまり、今後も続くということですね」
「うん、まあ、ごめん」
「悪いと思っていないなら、謝らないでください」
ごもっとも過ぎて、半笑いを浮かべるしかない。
薫子は態度こそ冷たいが、優しい子なのだと思う。〈天使〉になる前の彼女もそうだったのだろうか、とかつての宮尾薫子のことを思う。
そして、頭に浮かんだのは前任の〈天使〉のことだった。
「前の子にもこんなふうに怒られたっけ」
「……」
どうしてか、薫子の刺々しさが増した気がした。
それからしばらく、薫子は何を話しても低い声で「ええ」とカラスの鳴き声のような相づちを打つだけになってしまった。
何か失言をしてしまったらしい。
残念ながら、少しも思い当たるものがない。




