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4.

 ここまで読んでくれて本当にありがとう。大学生になってからのことは、いろんなことがありすぎて、そのまま書いてると絶対終わらないっていうのと、僕は職業に直結する学部に進学したので、大学時代のこともあまりに詳しく書くと、どこかで身バレにつながることも書いてしまいそうで怖いから、なるべく簡単に、さっくりと書くことにする。

身バレって、これはただの小説なのに?って感じだよね。うん、そうだよ。これはただの小説。高木さんちの長男の真緒君は、ただの小説の登場人物。だけど、昭和の時代のある日、どこかの田舎町で生まれたある男の子に、その姉が動物の鳴き声から取った名前をつけたことは本当。あと、その男の子に、保育所からずっと仲良しの男の子がいたのも本当。その子が高校生になったとき、出席番号が前後で席が前後ろになった子と、たまたま同じ部活動に入ったのも、本当。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


大学生になった僕は、上京して一人暮らしを始めた。5歳の年の差があるからもうとっくに卒業してたけど、姉も同じ大学に通っていたから、大学のことについてあらかじめいろいろ教えてもらえていたので、新しい生活にはスムーズになじむことができた。

 入学から数か月が経ち、少し余裕が出てきた頃。梅雨の合間のよく晴れた週末、僕は、自転車で少し離れた街まで出かけることにした。特に行きたい場所は決めていなかったんだけど、とにかく、気持ちのいい日だったから、けっこう遠くまで出かけた。そろそろちょっと疲れたかなって頃に見かけた古本屋に入り、本棚に並んだ背表紙をながめていると、ある雑誌のバックナンバーが何冊かあるのが目に留まった。

 それはいわゆるゲイ雑誌で、とても有名な雑誌だったから、僕も、インターネットであれこれ調べたときに出てきたことがあって、名前だけは知っていた。でも実際にそれを見たいとか、ほしいとか思ったことなんて、今までに一度もない。だって、僕は優等生だったから。親も教師で、姉も日本で最難関の大学に合格して、僕も、同じ大学に行けるかどうかなんてわからなかったけど、僕だけ恥ずかしいことにならないようにはしようと勉強はちゃんとしてた。―――違う、優等生『だった』じゃない。僕も、姉と同じ大学に合格して、今、日本で最難関の大学に通う大学生だ。過去形じゃなく、今、現在形で、優等生なんだ。優等生の僕が、おかしくあっちゃいけないんだ。だから、あんな雑誌からはさっさと目を離さないといけない。

そう思って必死で目をそらすのに、頭の中からはちっとも離れない。その時は、何も買わずに、逃げるように古本屋を出て、必死で自転車をこいで部屋まで帰った。

 週明けからは何事もなかったかのように学校に通い、講義を受け、バイトをして、家に帰ってからも勉強をして。そうやって普通の生活を送っていても、頭の中からあの雑誌のことが離れない。結局、「もやもやするくらいなら買おう!読んで、やっぱり興味がないと思えれば、僕はおかしくないって証明できるし」と自分に言い訳をして、梅雨明けのある日、自転車をこいでまたあの古本屋に向かった。

 あまり売れないバックナンバーだからか、その雑誌はまだ残っていた。さっさと買って店を出ようと思ったのに、なぜか手が伸ばせずに、結局、手ぶらで店を出た。次の日はバイトがあったから行けなくて、そのまた次の日に行って、それでまた、買えずに帰ってきた。そんな日を何日か繰り返して、ついに買うことができた。閉店前に滑り込むように古本屋に入って、普通の男性向けの、裸の女性が表紙のアダルト雑誌を2冊適当に選んで、その間に挟むようにして、できるだけ何事もない顔を作ってレジに行った。店員さんは、なんの反応もせず、3冊を紙袋に入れて渡してくれた。それを前かごに入れて自転車をこいでいるとき、なぜだか情けなくて涙が出てきた。涙が風で後ろに流れて耳の中に入って、気持ち悪かったのを覚えている。


 家に帰ってドキドキしながら見たその雑誌は、マッチョなお兄さんがたくさんで、雄太君や譲君のように同い年の男の子が好きだった僕からしたら、何かが違うものだった。だから、その雑誌を見ても、僕のアレが反応することはなかった。今思い返すと、ただ単に嗜好が違うから反応しないだけのことだったんだけど、僕は、反応しないことに妙に安心した。ただ、こんな雑誌すぐに捨ててやれと思ったのに、なぜか捨てられなくて。何度も何度も読み返し、そのたびに、僕は反応しないぞ、おかしくないんだと自分を安心させていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 何度も読んでいるうちに、だんだん内容も覚えてきて飽きてきたので、読み飛ばしていた広告にも目を通すようになった。それで、興味本位で、広告に載っていた有料電話サービスにかけてみた。


 そこで知り合ったのがたかしさん。名字は知らない。漢字も知らない。たかしさんって名前だって本名かどうかも分からない。だけど、たかしさんは、僕にとって、人生で初めて出会った(正確には話をした)ゲイのお兄さんだ。


 緊張する僕に、たかしさんは気さくに話してくれた。でも、たかしさんはもっとちゃんと遊べる人を探していたようで、僕のように、恋愛対象や性的に興奮する対象が男かどうかも分からないようなお子様はお呼びじゃないという感じだった。


 本当ならすぐに切られてもおかしくないようなものだったのに、たかしさんは、僕とちゃんと話してくれた。どうやら僕が古本屋で買ったのは、ムキムキなお兄さんがメインのけっこうハードなジャンルのゲイ雑誌だったようで。「そこならもっといろんなジャンルの雑誌があるから、せっかくだから行ってごらん」と教えてくれた新宿2丁目のお店に、次の週末、僕は足を運んでみることにした。

 

 そのお店はゲイのコミュニティ内では有名なお店らしい。中学生のときに実家であれこれ検索したときはヒットしなかったから、僕はたかしさんに教えてもらうまでその存在を知らなかったのだけど。まあ、「機会的同性愛」なんて言葉が出てくるような検索だったのだから、当時の僕は、ずいぶんとお堅い検索をしていたようだ。


 新宿2丁目まで来たものの、一歩を踏み出す勇気が出ず、店の前で立ち尽くししまったが、そんな僕の存在をなかったかのように、道路には人が行きかっていた。人込みにぶつかり、よろめいて、入口の方向に一歩を踏み出してしまう。そのまま、次の一歩、さらに一歩…と進んで、ついに足を踏み入れてしまった。


 とてもここには書けないようないかがわしいアダルトグッズが大量においてあるのかと勝手に予想していたが、それは店の一部分でしかなく、多くの本屋や雑誌が置いてあった。僕は、たかしさんに教えてもらった、古本屋で買った雑誌よりももっとソフトで、僕と同じ年くらいの男の子も載っている雑誌を手に取った。たくさんの男の人たちが立ち読みして吟味しているようだったけど、僕はそこに混ざる勇気はなく、そそくさと、その雑誌だけを手に取ってレジに向かった。

 店を出た後、寄り道もせず部屋に帰る。その雑誌は、ハードな写真などは全然なく、どちらかというと、ハンサムな青年やスポーツマンなど、いわゆる、少女漫画に出てくるようなかっこいい人がメインだった。内容も、すぐにセックスにつながるような話ばかりではなく、もっと、心のつながりを大切にするような、男どうしということさえ除けば、普通の恋愛の話が書いてあった。

 僕は、この雑誌を夢中になって読んだ。もちろん、大学の勉強やバイトの手を抜くなんてことはなかったけど、でも、家事の時間を縮めるなりして時間を作って、なんとか作り上げたすきま時間のほとんどは、その雑誌を読んでたように思える。

 バックナンバー含め何冊かその雑誌を買って読んでいたとき、その雑誌の文通募集欄に、大学生だという人が文通友達を募集しているのを見つけた。内容を読むと、もしかしたら同じ学校の人かもしれないと考えた。(今だったら考えらえないかもしれないけど、当時は、個人情報なにそれおいしいの?状態で、普通に、名前や住所が載ってた。そういう時代だった)


 僕は恐る恐るではあったけど、その人に手紙を出してみることにした。もしかしたら返事が来るかもしれないと思って、夏休みに入ったのに、僕は実家に帰らなかった。1、2回生のうち、必要な単位を取れなかったら自分の希望する学部に入れないから、学校が始まったら勉強に力を入れないといけないから、夏休みのうちにたくさんバイトをしてお金を稼いでおきたいからと親には言い訳をして。

 バイトを多くしておきたかったのも本当だったから、あの夏休み、僕は本当によく働いた。毎日朝から夜遅くまで働いて、帰るたびにポストをのぞいてはがっかりしていた。


 夏休みがあけて後期の授業が始まっても、僕に返事は届かなかった。もう来ないのかな、手紙なんて出さなきゃよかったと後悔し始めたころのある日のことだ。

僕のポストにかわいらしいプリントの封筒が入っていた。急いで部屋にかけこんで封を切ると、そこには、夏休みに実家に帰っていたため手紙を読めなかったことに対するお詫びと、手紙をくれたことへのお礼が書かれた返事が書いてあった。そして、手紙の最後は『せっかく近くに住んでいるんだから、よかったら連絡ください』と結ばれていて、その下に携帯電話の番号が書いてあった。

僕は、おそるおそる、そこに電話をかけてみた。電話の相手は穏やかな声の男の人で、ゆうき、と名乗った。本当に近くに住んでいるみたいで、「もし嫌じゃないのなら、予定が合うときにお茶でもできたらいいね」と言ってくれた。

 僕とゆうきさんは、お互い大学生ということは明かしても、大学名は言わなかった。でも、もしかしたら…と思って、僕は、同じ大学に通ったのであれば分かるであろうことを聞いてみた。何それ?という反応だったら、何でもないよとごまかそうと思っていたのに、あっさりと通じてしまった。ゆうきさんは、本当に、同じ大学に通っている人だった。年齢は僕より2つ上の3回生で、本来僕の通っている大学は、2回生までは全員同じ学部で、3回生からそれぞれの希望する専門の学部に分かれてばらばらのキャンパスに通うんだけど、ゆうきさんは専門の学部には進学せず、同じ学部のまま進級したから、3回生に上がっても引っ越しをしておらず、だから、1回生と3回生なのに、近くに住んでいるという状況だった。


それからゆうきさんは、何かと僕を気にかけてくれるようになった。ゆうきというのは本名じゃなくて、本名はもっと男っぽい名前だから、嫌なんだそうだ。文通友達募集のときの宛先は、どうせ、大学生の一人暮らしのアパートなんだから、住所さえ合っていれば名前なんてなんでも届くだろうと考えてのことだったらしい。


ゆうきさんと出会った頃の僕は、古本屋で買ったゲイ雑誌に載ってる広告の有料電話サービルにかけてみたり、新宿2丁目でゲイ雑誌を買ったり、そのゲイ雑誌の文通友達募集の住所に手紙を出したり。こんなことをしていたくせに、それでも、これは機会性同性愛の通過点に過ぎず、いつか好きな女の子が出来る、なんて思っていた。ゆうきさんにはお世話になっていて、ゆうきさんと話すと本当に心が楽になるのに、それでも僕は、ゆうきさんと僕は違うなんて失礼なことを考えていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


年末年始も近づいたある日のこと、ゆうきさんから、ゲイナイトに行かないかと誘われた。夏休みは実家に帰らなかったから、年末年始こそは帰ろうと思っていたのに、結局、断ることが出来ず、僕はゆうきさんと一緒にゲイナイトに参加することにした。

その日、僕は初めて、ゆうきさんの彼氏に会った。文通をしているうちに、仲良くなって、付き合うことになった人らしい。普段は会社員をしている方だそうで、背が高くてかっこいいお兄さんだった。穏やかなゆうきさんの雰囲気に合う優しい人で、お邪魔虫のはずの僕を見て、一緒に行けて嬉しいよって言ってくれた。


生まれて初めて足を踏み入れたクラブ。ドキドキしながら足を踏み入れたら、すごい音と光で一瞬目がちかちかして、驚いて思わず目をつむってしまって。

「…真緒君?」

 そう優しく読んでくれるゆうきさんの声のほうに顔を向けて、そっと目を開けたら、そこには、たくさんの男の人がいた。いったいどれくらいいるのだろう。みんな楽しそうに踊っていた。僕はなぜだか涙が止まらなくなった。古本屋の帰り道に情けなくて泣いたときより、みじめだった。

「えっ、ちょっと、真緒君、大丈夫?!」

ゆうきさんがあわてて僕の顔に両手を添える。心配しないでと伝えたいのに、言葉が出てこない。嗚咽が漏れるだけで、息が苦しい。


真緒さんと彼氏さんは、僕が少し落ち着いたタイミングで、上の階に連れていってくれた。ダンスフロアが見下ろせる場所で一息つく。


「…すみませんでした」

やっとのことで口にだす。

「気にしないで。びっくりしたんだよね?初めて見る人には、なんていうか、すごい光景だよね」

固く握った僕の両手を、ゆうきさんが優しくさすってくれた。情けなくてまた涙が出てくる。ゆうきさんが優しくて、僕は、自分の心の醜い部分を隠しておくことができなくなった。

「…違います。僕は、違うと思ってた、ゆうきさんと。ゆうきさんに手紙を出したのに、ゆうきさんにたくさん助けてもらったのに、僕は、あなたと違うって、僕はおかしくないって、心の中でずっと思おうとしてた。なのにっ」

 また言葉が続かなくなって、しゃくりあげてしまう。

「…うん、知ってたよ。真緒君が、必死で、僕との間に線を引こうとしてるの」

「え…」

「それで、つらそうなのも知ってた。僕でどうにかしてあげられたらと思ったけど、僕だけでは難しいかなとも思って。それで、ここに連れてきたんだ」

「ここに…」

ゆうきさんは、優しく微笑んでくれる。

「ね、真緒君、どう、思った?ここにいる人たちのこと」

「どう…って…」

 ダンスフロアを見下ろすと、たくさんの男の人たちが踊っていた。百人、二百人じゃ済まないだろう。おそらく数百人の男の人たちが、みんな、楽しそうに踊っていた。

「みんな、楽しそうだなって。みんな、かっこよくて、みんな、きれいで。みんな、きらきらしていて」

「…こういうの、おかしいって思う?」

「…思わない」

「そっか」

「おかしいなんて思わない。でも、僕は違う。あんなふうにきらきら楽しそうに出来ない」

「…本当に?」

優しくさすってくれただけだった手が、ぎゅっと握られる。驚いて顔をあげると、ゆうきさんが、僕をまっすぐに見ていた。

「…本当に、違う?」再び、聞かれた。

 もう、否定することが出来なかった。今までずっと胸の奥に閉じ込めていたものがあふれてきたかのように、また、涙が出て、ずっと止まらなかった。

「…今は、違うけど。…でも、僕も、あんなふうに、なりたい。ずっと、ずっと、男の子が好きな僕はおかしいって思ってた。でも、あんなふうに楽しそうできらきらしてる人たちが、おかしいわけない。僕も、あんなふうに、楽しそうになりたい」

 泣きながら、つっかえながら、何とか言葉を吐き出すことが出来た。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ゆうきさんも彼氏さんも、僕が落ち着いてからダンスフロアに誘ってくれたけど、恥ずかしくて踊りに参加する勇気が持てなかった。だから結局、この日は、ダンスフロアに向かう二人を見送って、僕は上から見下ろすだけだったんだけど。でも、これまで生きてきて中で感じたことがないくらい心がすっきりして、息ができるってこういうことを言うんだなって思った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 まあ、これだけこじれていた僕だから、本当の意味で、自分のセクシャリティを受け入れるまでには、まだまだ時間がかかったり、いろいろあったりするんだけど。でも、あのゲイナイトが、僕が僕のままでいいと受け入れることができたきっかけになったのは間違いない。ここまで読んでくれた皆さん、ありがとうございました。


お付き合いくださり、ありがとうございました。

もしよろしければ、連載途中の作品、短編作品もありますので

目を通してくださると嬉しいです。

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