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4話完結です。本日から来週火曜日まで、毎日投稿します。
僕のことを書こうと思う。最初に書くと僕はゲイなんだけど、自分がそういうセクシャルだって気が付いたきっかけだとか、自覚する過程だとか、あと、そういうセクシャリティでいいんだってことを自分の中で認められた出来事だとか、なんか、語ってみたいなと唐突に思って。僕って書いてはいるけど、昭和生まれのおじさんの話だから、じじくさい文になるかもしれないけど、もしよかったら、読んでくれたらと思う。
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僕は、新幹線の駅まで在来線で1時間くらいの、ど田舎ってほどじゃないけど都会でもない、ほどほどの田舎町にある、高木さんちの長男として生まれた。僕には5つ上の姉がいて、生まれたばかりの僕の泣き声が猫の鳴き声にそっくりだったから、「みゃお君にする」って言い張ったんだとか。みゃおはさすがにかわいそうだろうということで、付けられた名前が真緒。そこから僕は、高木さんちの長男の真緒として育つことになった。
名づけこそひどいものだったけど、姉は僕をとてもかわいがってくれた。両親は教師をしていたから、僕は、3歳になる年の4月から保育所に入れられることになった。朝は母が僕を保育所に預けていたけど、夕方はいつも、学校帰りの姉が迎えに来てくれた。保育所であった出来事を話しながら姉と手をつないで家に帰った。話に出てくるのは、一番仲良しだった雄太君のこと。いつもいつも雄太君のことを話すから、姉もすっかり雄太君の顔と名前を覚えてしまったようだった。
保育園児だった当時は当然自覚なんてなかったけど、今思うと、自分が普通じゃないと思うきっかけになったのが、3歳のバレンタインの前の日にあった出来事。いつもは寄り道せずに帰るのに、その日は、姉が珍しく寄り道しようと言い出した。寄り道したのは商店街の駄菓子屋さん。姉は、チロルチョコを一生懸命選んでいた。その後に雑貨屋さんにも寄って、ラッピング用のかわいい袋とリボンを選んでいた。
家に帰ってから、手紙を書いて、選んだ袋に手紙とチョコを入れて、慎重にリボンを結ぶ。いつもと違うその様子をじっと見ていた僕に気が付いた姉は、「明日はバレンタインだからね」と恥ずかしそうに笑ってた。そして、バレンタインが何かを知らなかった僕に、姉は、「好きな人にチョコをあげる日」だと教えてくれた。
その言葉を聞いて、僕は慌ててしまった。僕はバレンタインを知らなかったから、姉の買い物中、手をつないでじっとしていただけで、何も買っていない。だから、大好きな雄太君にあげるチョコがない。当然、かわいい袋もリボンもない。僕は雄太君が大好きなのに。何も準備していない。とはいっても、当時3歳児だった僕は、買い物をするにはお金が必要なことは分かっていても、姉と違って、お小遣いも、親から預かっている財布もないから、どうしようも出来なかった。悲しくて悲しくて、この世の終わりが来たのかというくらい泣いた。
そんな僕を見て、姉は、「バレンタインは女の子から好きな男の子にチョコをあげる日だから、男の真緒が、男の雄太君にチョコをあげるのは変だから、何も準備しなくていいよ」と教えてくれた。このとき、チョコを準備しなくてもいいという言葉にほっとしたと同時に、「男の真緒が男の雄太君にチョコをあげるのは変」という言葉が、当時3歳の僕の心に妙に残った。
次の日、保育園で、先生たちが、男の子だけに小さなチョコを1つずつ配ってくれた。(ジェンダー関連がいろいろ厳しい今のご時世ではありえないことだけど、昭和の当時は、こんなの普通のことだった。)それで僕は、自分に配られたチョコを、隣にいた雄太君にこっそりあげた。「バレンタインはね、好きな男の子にチョコをあげる日なんだよ。だから、僕のチョコ、雄太君にあげる」と言って。あえて、女の子が好きな男の子にチョコをあげる日とは言わなかった。でも、とにかく、僕は僕の大好きな男の子に、人生初めてチョコを渡した。雄太君はびっくりした顔をした後、すぐに嬉しそうな顔になって、「僕も真緒君が大好きだから、あげるね」って、自分がもらったチョコを僕にくれた。
保育園でのチョコ交換は、その次の年も、そのまた次の年も、そのまた次の年も。つまり、卒園するまで続いた。最初に書いたとおり、僕が育ったのはほどほどの田舎町だったから、保育園を卒園したみんなが同じ小学校に入って、そこでのクラスも1つしかなかったから、小学生になってからも、僕と雄太君はずっと一緒で、ずっと仲良しだった。保育園のときから変わったことといえば、僕も、姉と同じように親から小遣いをもらえるようになったから、自分のお金でチョコを準備できるようになったこと。雄太君も、僕からもらえるのが分かっていたからか、チョコを準備してくれた。「僕も、真緒君のこと好きだから。いーよね、女の子からじゃなくたってさ、男の子が、好きな男の子にチョコ渡したって」そう笑ってくれて、僕は胸がぎゅっと締め付けられるような気持ちになったのを覚えている。
この関係に変化が表れたのは小学校5年生のとき。バレンタインも近づいた2月のある日、僕と雄太君の二人で僕の家でゲームをして遊んでいた。さっきも書いたように僕の両親は教師だったから毎日帰りが遅くて、5つ上の姉は高校生で、電車で遠くの高校に通っていたから、家の中は僕と雄太君の二人きりだった。
いつもと同じようにマリオカートで対戦していたとき。
「なー。今年のバレンタインだけどさ、俺、今年も、真緒からしかもらえんのかな」
雄太君が、そうぽつんとつぶやいた。
その瞬間、画面の中の僕のキノピオは、バナナを踏んずけて盛大にクラッシュした。
くるくる回ったまま立ち直れない様子のキノピオを見て、雄太君のクッパも動きを止めた。
「え、おい、真緒、どうしたよ」
そう慌てたように声をかけてくれるけど、僕は、とっさに返事が出来なかった。何か言わなきゃ、反応しなきゃ。そう思うのに、言葉が出てこない。体が動かない。
そんな僕を見て、雄太君が隣で照れたように笑う。
「あー…びっくりもするよな。この言い方だと、俺に好きな子がいるってばればれだし」
「好きな子…。雄太君、好きな子いるんだ」
やっと、それだけ返事が出来た。
「あー…まあ、そうだな」
「誰?」
「えーそれ聞く?みんなには内緒だかんな。真緒だから言うんだぞ。あのな…由香ちゃん。」
「いつから?」
「んー…いつ頃?だろ?5年になってから、かなあ。ほら、なんかさ、男女別で学活あったじゃん。男女の違いとか、勃起とか、セックスとか習ったとき。あの後、なんか、クラスの女たちを意識するようになって、んで、なんか、気が付いたら、由香ちゃんのこと気になるようになってた」
「へー…」
「って真緒!おまえ反応さっきから冷たくね?俺が必死で真緒だけに教えたのによっ」
隣で拗ねたような声がする。
去年の途中から、雄太君は、自分のことを、僕じゃなく俺って言うようになった。それに、僕のことは、真緒君から真緒って呼び捨てするようになった。なんだかくすぐったくて嬉しかったけど、よく考えたら、それも、あの学活があってからしばらくしてからだった。掃除時間にわざとふざけて、しっかり者の由香ちゃんに怒られて、それで、なんでか知らないけど僕のところに逃げてきて、「真緒、逃げるぞ」って言って、ほうきを持ったまま二人で廊下を走ったことを思い出した。後から担任の先生にすごく怒られたし、教員ネットワークなのかすぐに両親の知るところになって家でも怒られたのに、反省して頭を下げたとき、顔のにやつきが止められなかったことを思い出した。他にも、幼稚園で初めてチョコを渡したときの雄太君の笑顔を思い出したり、小学校に入って初めて雄太君からもチョコをくれたときの言葉を思い出したりした。
「…おい、真緒?」
雄太君の不安そうな声が聞こえる。すぐ横にいるはずなのに、その声はどこか遠くて。
雄太君がチョコをもらいたい人は、僕じゃない。
雄太君の好きな人は、僕じゃない。
それまで生きてきたなかで一番、心臓が押しつぶされそうになった。
それでも必死で、固まった頭を働かせる。しゃべるんだ、僕。動くんだ、僕。
好きな男の子にチョコを渡す男は普通じゃない。
僕のこの反応は、普通じゃない。
普通の反応を、するんだ。
「あー…ごめん。なんか、びっくりしちゃってさ。僕はまだ、好きな女の子っていうのがいないから。だから、びっくりしたって言うか」
横にいる雄太君の顔を見て、にへらと笑う。そんな僕を見て、やっと安心したかのように、雄太君は浅く息を吐いた。
「おい、真緒っ。びっくりさせたのは悪かったけどさ、こんな冷たい反応しか返ってこないって、寂しいだろ」
明るい雄太君の声。僕の大好きな声。
「ってことはさ、今年は、僕たちの交換は無しってことになるのかな?」
極力、何でもないような顔して聞いてみる。
「んー。でもさ、小さいときからずっと俺ら交換してるし、今更無しっていうのもな~。ま、いいじゃん。好きな男にチョコあげる日なんだしさ、いいんじゃね、今までどおりで。だって、俺が一番好きな男は真緒だしなっ」
また、心臓がぎゅってなる。
「うん、僕も、雄太君が僕の一番好きな男の子だよっ」
泣きそうだ。嬉しいのか悲しいのかよくわからない。とにかく心臓がぎゅってなる。
いろいろしゃべって緊張したと雄太君が言うから、冷蔵庫からジュースを出してコップに注ぐ。それを一気飲みした雄太君が、おもむろに口を開く。
「真緒もさ、好きな女できるといいな。できたら教えろよ」
「うーん。いつか出来るのかな…でも、よく分からないから」
「…」
「…何?」
「好きな女かどうか、どうやってわかるか教えてやろうか?」
「…え、でも、さっきは『気が付いたら気になってた』って」
「まあ、さっきはそう言ったけどさ。あるんだよ。はっきり『わかる』状態が」
「そうなの?」
「由香ちゃんには絶対言うなよ」
「わかった。言わない」
僕のその言葉を聞いた雄太君は、なぜか、耳をよこすようにジェスチャーをする。部屋には二人きりしかいないのに、なぜか、こそこそと僕の耳に顔を近づける。
「勃った」
消え入るような小さな声だった。
「・・・立った?」
わけがわからず首をかしげると、雄太君は耳まで真っ赤になっていた。
「ちげーよっ、勃起だよ。学活で習っただろっ、勃起。勃起のことを、勃つっていうんだって!」
やけくそのようなどなり声の意味を理解した途端に、僕の顔もかーっと熱を持ったのがわかった。たぶん、隣の雄太君と同じか、それ以上に僕も真っ赤になっていたに違いない。
「夢で由香ちゃんが出てきて、それで、起きたら射精してて。パンツべたべたになったから母ちゃんにばれて、母ちゃんが父ちゃんに話して。そしたら、父ちゃんが、好きな女の子のこと考えて勃ったんだろって冷やかしてきて。そんで、勃起のこと、勃つって言うって知った。由香ちゃんが夢に出てきて勃ったんだから、俺、由香ちゃんのこと好きなんかなって思うようになって、それで、学校で見てもどんどん気になるようになって。由香ちゃん、昔からしっかり者で優しくて、昔から好きだったけど、でも、今みたいな好きだって気が付いたのは勃ったからで」
あぐらをかきながらマリオカートをしていたはずの雄太君は、いつの間にか正座になってて、膝の上で両手を固く握りしめてた。何となしにその両手を見ていると、雄太君の股間が盛り上がってるのに気が付く。
「…雄太君、それ」
「…いや、なんか話してたら興奮してきた。やべ。ごめん。トイレ借りていい?本当、ごめん」
耳まで真っ赤だった顔が、さらに首のあたりまで真っ赤になって、これ以上ないってくらい恥ずかしそうな雄太君が慌てて立ち上がるのを、とっさに手首をつかんで止めた。
「僕、見たい」
「…は?」
雄太君が股間を膨らませたまま固まってる。
「だから、見たい。僕はまだ勃ったことないから、見てみたい」
「…は?」
「ダメかな?僕も、いつか好きな女の子が出来たら勃つかもしれないでしょ?そのときに、勃った状態っていうのが分かってたら、間違えないと思うんだ」
「…いや、でも」
「…ダメかな?内緒にするから」
「真緒…」
二人きりの部屋に、マリオカートのBGMだけが響く。僕も雄太君も何もしゃべらないまま少しだけ時間が過ぎて。
目をぎゅっと閉じた雄太君が、深く息を吐き、何かを決意したかのように、ズボンのジッパーを下げる。
このとき、僕は初めて、そういう状態になったところを目にした。目にしたっていっても、ほんの少しの時間だけで。雄太君は、ほらもう、これでいいだろって言って、そそくさとトイレに向かってしまったから。
その日の夜、僕は初めて勃起した。夢に出てきたのは、雄太君だった。