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春は嫌いだ

作者: 風上昴


 春というものは、中途半端で嫌いだ。私は、何となくそう思った。桜は嫌いではない。狂ったように咲き誇る春の象徴を見て美しく感じる程度には、私も日本人をしている。私が嫌いなのは、暖かかったり寒かったり、煮えきらない態度の気温の方だ。陽光が照ってる間はそれなりに暖かい。むしろ、軽く汗ばむ。しかし、陰ってきた瞬間には肌寒くなるのだ。そうなるといけない。寒がり日本代表を自称する私は、厚手の上着を着たくなってしまう。一日外で過ごそうとすると、もれなく厚手の上着を着ていくことになる。しかし、昼間は暑い。手で持てばいいじゃないなんて言われるが、上着のポケットには煙草やらライターやらスマホやら、現代人に必須のアイテムが入っている。それをわざわざ取り出すのが面倒くさい。ならば着るしかない。こうして堂々巡りを繰り返していく。

 はぁ、とため息と紫煙を口から吐き出す。風に煽られた副流煙が目に触れて、少しだけ涙が出てきた。眼鏡をずらして、袖で拭く。しかし、ポリエステル100%の上着のせいで上手く拭き取れない。袖をめくってTシャツの袖で拭き直す。

 今日は、気分が乗って花見に来た。用水路沿いの桜並木を、上を見ながら歩く。桜の枝が青空をいい感じに切り取って、実に春らしい。左手の煙草を口にくわえ、一息。少し苦い空気を吸い込み、肺を通してから吐き出す。口から姿を表した紫煙は、空気に溶けるように消えていく。既に殆ど燃え尽き、あと少しの余命の煙草を最後に一息吸い込み、携帯灰皿に突っ込む。蓋を閉じてモミモミ。多分火も消えたことだろうと、携帯灰皿をポケットに戻す。

 しかしまあ、暇だ。春だからと花見に来たものの、何が楽しいのかわからない。勿論、きれいだとは思うが、それだけだ。暇つぶしとまではならない。もう少し私を楽しくさせる事でも起きないだろうか。例えば、突然桜が動き出して、目の前の人を食べ始めたりとか。だめだ、私まで食べられるかもしれない。

 下らないことを考えながら、私はポケットからイヤホンを取り出した。ブルートゥースが主流になりつつある最近では、有線のイヤホンを使っている人も減ってきた。私のイヤホンは、そんな珍しい有線のものだ。ハー○オフで110円。中古品らしく、白いビニール線は少し黒ずみ、変な折目がついている。前の持ち主は、音楽プレイヤーかなにかに巻き付けていたんだろう。まあ、スマホで調べてみたら、新品はそこそこ良い値段のするやつだった。それを貧乏人の私が買えるような値段まで下げてくれたのだ。感謝。

 音が聞こえる方を耳に入れる。イヤホンジャックの方は何もつけない。傍から見たら変な話だろう。それでは何も聞こえないではないかと。


『……の……きは……、晴れのち……』


 しかし、私の耳にはイヤホン越しの音が聞こえていた。耳に入れた瞬間から、段々とはっきりとした声になっていく。

 このイヤホン、変なのだ。何も刺していなくても音が聞こえる。時には今のようなラジオの音が。時には何かの音楽が。時には誰かの電話が。私がそれを選ぶことは出来ない。無作為に、私の意志など関係なく、何かが聞こえる。魔法のイヤホンだ。まあ、私のスマホに刺してもスマホの音は聞こえない。とんだ不良品だ。110円という値段も理解できる。ハードオ○の店員は、これを知っていたからこの値段にしたのだろうか。だったら注意書きでもしておいてくれれば良いのに。


『それでは、ニュースのお時間です』


 先程までは連連と天気予報が続いていたが、今度はニュースに変わった。まあ、暇つぶしだから何が聞こえていても構わない。本心で言えば、週間ベストとかの音楽が流れていれば良いのにとか思うが。110円には贅沢は言えないか。


『日本各地が春の陽気に包まれていますが……』


 用水路の丁度真ん中辺り。大きな公園に辿り着いた。周り一面が畑で土地が安かったのか、高校の校庭よりも広い公園だ。真ん中には池があり、その周囲に芝生や遊歩道がある。花見客か、遊歩道を歩く人はいつもよりも多い。


『俳優・タレントの……が、今朝未明麻薬の保持により……』


 視線を少し上に向け、桜を見ながらニュースを聞く。名前は聞き取れなかったが、どこかのタレントが薬物の所持で捕まったらしい。実にどうでもいい。何でだが知らないが、マスコミはこういう不祥事が好きらしい。一日に5件から10件はこういうニュースが流れる。名前を言われてもぱっと顔が浮かばないどこかのタレントの不祥事を聞かされて、私は何を思えば良いんだろうか?


『今日10時52分ごろ、中央線で人身事故が発生しました。これに伴い、JR東日本は中央線の全線運転を見合わせ……』

『政治家の……氏が、贈収賄疑惑で事情聴取され、本日自宅に強制捜査が……』


 耳元を流れるニュースを、興味を持つでもなく聞き流す。頭の3分の2は花に向け、3分の1で咀嚼する。やはりこのイヤホンは不便だ。つまらなくなって、耳から外す。これが魔法のイヤホンで、どこかの魔法使いがこれを作ったのであれば、選局機能とかを付けてほしかった。

 公園を出て、用水路を歩く。公園の中は、あちらこちらに丁寧に全域禁煙の看板が置かれていて肩身が狭かったのだ。ポケットから煙草の箱を取り出す。中を見ると、最後の一本だった。それを取り出し、火を付ける。横にあったゴミ箱に箱を捨てようとして、少し考える。ここでイヤホンも捨ててしまおうか、と。110円のイヤホンは、自身の存在意義を無視して自由気ままにどこからか音を拾ってきている。お金を出して買ったものを捨てるのは勿体ない気がするが、人間は金を掛けて買った食べ物を、毎日のように排泄しているのだ。


「やめた」


 暫く考えて、箱だけを捨てる。このイヤホンだって、売れば二束三文にはなるかも知れない。運良く買値を超えてくれれば、なんてわらしべ長者みたいな事を考える。週末にハー○オフに行こう。そして、これを売って新しいイヤホンを買うのだ。そうと決まれば、こいつとは行き先短い付き合いだ。イヤホンを装着し、耳を澄ませる。


『3月31日、朝のニュースです』


 ん?私は頭を捻る。視界が傾き、世界も傾く。このまま盆に載せた皿のように落ちそうだ。頭を戻す。世界も元に戻った。

 ポケットからスマホを取り出し、日付を確認する。よし、3月30日だ。……なら、何故耳からは3月31日の日付が聞こえたのだろうか。これは、もしかして。


『3月30日の臨時国会を終えて……』


 もしかすると。


『3月31日、本日の天気です』


 未来の音が聞こえるイヤホンだったのか。とすると、私は凄いものを買ってしまった。どこかの魔法使いは、随分と面白いものを作ったものだ。急に耳に届く音に興味を持つ。週末のハード○フは延期にしよう。先程までは聞き流していた音に意識を集中する。煙草を一口吸う。桜も、目に入らない。

 もし、競馬の当たり馬が分かるのならば、私は明日から大金持ちだ。競馬のラジオに変われ!……選局機能は無いんだった。


『昨日、3月30日の午後15時ごろ、××市の用水路沿いで交通事故が……』


 耳からは、衝撃的なニュースが流れてきた。××市といえば、私の住所だ。家の周りの用水路沿いといえば、この道しかない。慌てて時間を確認する。14時20分。もうすぐだ。


『花見客の女性が乗用車と接触し……』


 周りを見回す。偶然にも、歩いていたのは老婆や男性ばかりだった。私を怪しい人かのように周りが避けていく。道で立ち止まったり、スマホを取り出したり、周りを見回したり、今の私は怪しい人感全開だ。急に冷静になって、近くのベンチに腰掛ける。


『場所は××橋……』


 聞き覚えのある名前に、肩が跳ねる。偶然にも、ここから50メートルほど先の橋だった。こうしては居られない。女性を助けなくては。

 ……立ち上がろうとして、ふと動きがとまる。ニュースでは、交通事故と言っていた。場所こそはっきり言っていたものの、状況も時間も詳しく話して居なかった。もし、もしもだ。勢いよく走ってきた車のせいで事故が起きたのだとしたら。私は助けられるのだろうか?無理だ。無理に決まっていた。私はニチアサのヒーローでもなければ、月九のドラマの主人公でもない。ついでに、イケメンでもない。車を受け止めることも出来なければ、ぶつかって生きていられる自信もない。そう考えると、急に熱が冷めていった。

 そうだ、警察を呼べばいい。そんな考えが浮かんだ。でも、どうやって?「あの、未来の音が聞こえるイヤホンで……」無理だ。頭を疑われる。

 先程までの高揚もどこへやら。聞こえてくるニュースが競馬の勝ち馬の話だったらどれほど良かったか。小市民の私は、かと言って帰ることも出来ず、座ったまま煙草を咥えた。

 ふう、と紫煙を吐き出す。宙に溶けていく紫煙のように先程の記憶を忘れてしまえたら、なんて思う。こうしている内にも時間は進んでいく。スマホを見ると、14時45分だった。ニュースも、「ごろ」なんて曖昧な言い方をせずに時間を言ってくれれば良いのに。煙草を吸いきり、携帯灰皿で消す。視線を橋の方へ向ける。

 これから、橋で交通事故が起こるのだ。目の前を、「桜が綺麗だね」なんて言いながら通り過ぎていく家族も、きっと明日のニュースでこの事故を知るのだろう。和気あいあいとした道は、きっとお通夜のような空気になる。桜だけが知らんぷりをして、咲き誇るのだ。


「ああ、もう!」


 立ち上がる。座っていても何も起こらないのだ。ここで悩んでいて、何もしなかったら、きっと今日の夢見が悪くなる。来年の桜をこんな風に見ることも出来なくなる。

 先程の家族が、私の方を見る。父親は左手で妻子の事を遮るようになり、母親はそばの少女の目を塞ぐように手を当てる。少女の「なにあれー」なんて無邪気な声に、母親が「シッ、目を合わせちゃ駄目よ」とか言う。気まずくなった私は、周りの人に目礼をしながら歩き出した。目指すは橋。取り敢えず近くに立っていて、桜を見ているフリをするのだ。15分を過ぎたら帰ろう。そんなことを考えながら、橋へ近づく。未来の音が聞こえるイヤホンが偶然私の元に来たのは、きっとこの状況をなんとかするためだろう。

 橋の近くに着いた。足を止め、道の端による。橋の端に寄るなんて、一休さんみたいだ。違うのは、頭の出来だろう。

 イヤホンを外す。耳を澄ませる。足が震えそうになる。或いは今日、私は死ぬかもしれない。それでも、何もしないよりはマシだ。私が死んだって、例の女性が生きていればいい。嘘だ、死にたくない。何とか、二人とも生き残る未来であって欲しいなぁ。

 周りの喧騒が煩わしい。雑音の中に、車の音を探す。桜を見ているフリをしながら周りを見渡す。近くに車は……いた!

 畑の真ん中の道を走る車が目に映る。耳にも、エンジンの音がよく聞こえる。どう考えても法定速度とかを無視している。ここはなんちゃらDの世界じゃないんだぞ。周りを見渡して、女性を探す。目についたのは3人。先程の家族の母親と、スマホで写真を撮っているのだろう、斜め上を見ながら歩いている女性の二人組。車は速度を落とすことなく近付いてきている。

 先程までの足の震えが、止まった。周囲の喧騒も消えた。聞こえるのは、車のエンジンの音とうるさいほどの心音だけだ。

 ふと、二人組の一人がしゃがんだ。靴紐が解けたのだろうか。もうひとりは気づかずに歩いていく。先程の母親は、蝶を追いかけていった子供を追うように、橋の逆へと戻っていく。どう考えても、事故に合うのは二人組の片割れの女性だろう。スマホ越しに桜を見ていて、しゃがんだ女性にも車にも気づいていないように進んでいく。心の中で現代人のスマホ女め、なんて悪態をつく。気付けよ、この野郎!

 車は速度を落とさず、女性も足を止めず。あと10秒程でぶつかりそうだ。いや、既に女性は橋の前に足を踏み出している。これなら、ぶつからない。車は女性の後ろを走り去っていくだけだ。

 ……でも。なら。何故ニュースになるのか。


「っ!」


 予想がついた。しゃがんだ女性が、何かを言う。スマホ女が道の真ん中で振り向く。そんなところで止まるな!

 私の足が勝手に動く。急な動きに、足の筋肉が唸り声をあげている。うおおおお、みたいに。

 スマホ女に向かって、走る。間に合うかなんて考えない。そんなことを考えていたら、間に合わなくなりそうだ。


「うあああ、ぶ、なあああい!」


 視界が色褪せる。そして、時間も遅くなったような気がする。これが俗に言う走馬灯ってやつか。もっと早く走らないと、なんて意識だけが先行する。スマホ女は呆然と立ち尽くしたままだ。口から唸り声のような音が出る。

 そして、私は車の前に飛び出して……。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 体が軋むように痛い。全身を強く打ち付けていて、息が出来ない。酸素を求めるように口がパクパクして、それでも足りない。ああ、こんなことになるならば、煙草なんて吸うんじゃ無かった。喫煙者は総じて、肺活量が低いのだ。


「あ、あの……。大丈夫、ですか?」


 スマホ女が聞いてくる。大丈夫ですか、じゃねぇ!なんて叫びたくなるが、息が足りない。体が痛い。

 私は、用水路沿いに倒れていた。スマホ女は生きていた。私も、辛うじて生きていた。スマホ女をタックルするように道に飛び込み、そのまま私も車の前を通り過ぎたのだ。怪我をさせないようにと体を捻りながらスマホ女の下敷きになったせいで、体を強く打ち付けた。きっとあちこちを擦りむいているだろう。痛くて泣きそうになる。

 でも、だがしかし!私は未来を変えたのだ。スマホ女を助け、私も助かる、そんな未来にしたのだ。


「……無事、ですか?」


 数十秒間、息を整えてから、私は言った。スマホ女は、思い出したかのように「……!ありがとうございます!」なんて言った。周りには人だかりが出来て、やけに気恥ずかしい気持ちになる。

 先程の家族の父親が、私に手を差し出してきた。無意識にその手を掴むと、引っ張られる。体に力を入れて立ち上がる。


「あんちゃん、カッコいいことしたなぁ!」

「あ、あはは……」


 お前、さっき私のことを変な人を見るような目で見てただろう。そんなことを言いたくなったが、胸につかえた。代わりに出たのは曖昧な笑い。

 ……春というものは、中途半端で嫌いだ。なんてったって、普段は小市民の私が、春の陽気に浮かされてこんなことをしてしまうから。そんなことを思った。

 ふと、気になって私はイヤホンをつける。明日のニュースの続きが聞きたい。


「……何も聞こえない」

「おい、あんちゃん。頭でも打ったのか?先に何も繋がって無いぞ?」

「……さっきので取れちゃったんですかね?」


 恥ずかしくなって、イヤホンを耳から外した。やっぱり春は嫌いだ。


 あとがき


 私、春って嫌いなんですよね。かと言って夏が好きかといえば、そうでもない。秋も冬も嫌い。極度の寒がりで暑がりな私としては、全部嫌いですね。そんなことを考えながら書きました。ちな、初短編です。何となく話を長引かせてしまう私ですが、何とか短めに。

 良かったと思ったなら、評価を。感想でもいいですよ?悪かったと思ったら、将来性に期待して高評価を。今のうちに感想をくれたら、後で古参顔できますよ?たぶん。


 風上昴

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