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我が思想闘争

作者: 新入生

人間とは発展の為に生まれるものだと考えている。

発展には犠牲が不可欠であるとも考えている。

資本主義はその発展を阻害するものである。

これは私の内部での闘争を文面にした物である

私は第一に国を憂いていた。大東亜戦争後、大日本帝國解体に乗り出した国連は凡ゆる手を使い民衆を洗脳した。これは比喩的ではない。例えば、帝銀事件での隠蔽工作や、大東亜戦争懺悔教育である。ありとあらゆる卑劣な手を使い、日本人は日本人をやめ、いつしか米国人奴隷になってしまったのだ。特攻隊を崇めることもなく、愛國主義は資本暴力主義勢力に利用され、天皇陛下は「政治家」になってしまわれた。

更に最重要問題は国連ではなく自国政府にあると確信した。自民党政権による政策は税金という鎖で国民を縛り付け、資本を稼ぎ政府に貢ぐ資本奴隷化を目論むものであるし。民主党政権時には原発事故という「最悪の事件」が起きたのだ。そして現在まで留まることなく米国癒着国民総資本奴隷化政策がとられ、コロナ廃絶は癒着による技術の低下により出来ず、コロナ不況に陥った。しかし国民は不満を政府に向けることはなく、巧く資本主義に囚われていると考えている。

政府に不満を向けない要因として、IT革命がある。情報社会に傾倒した国際社会では常に情報戦争が起きている。

中国は習近平による第二の文革状態になっていて、インターネットによる技術革新アピールが続き。米国は常時「自由の国」と喧伝し、また武力を使った中東制圧により資金を得るも「テロ組織を成敗」と嘯く。北露両国は技術革新の猛烈アピールに傾倒。韓国は大東亜戦争での被害を世界にアピールし、まるで被害者は私だけと言わんばかりである。日本はハリボテの平和をアピール。差別や貧困、犯罪が少ないと事実無根の宣伝をし、年間自殺者数により他殺者数を操作している。まあ自殺者数で殺人件数を操作すること自体、資本主義の闇が深いことに一周回って苦笑してしまうが。

情報戦争とはスマートフォンの普及により更に多くの人間が関わるようになった。子どもまでもが情報戦争の犠牲者になり、教育を正義とする考えが主流になった。誰も自民党政権を疑わず、毎日資本に忠誠を誓い生きているのだ。

私はお礼をするために金は必要だと考え生活している。お金は感謝の心情を具現化した物体であると認識しており、資本主義のような「娯楽用具」ではないと考える。感謝の意図は言葉では足りないし、言葉は相手に身につかない。だからお金でお礼をすることで、相手に心身共に潤っていただくのだと私は考えている。

ここまでは反政府思想なるものを書いてきたが、批判をするなら誰でもできる。私はそう考え、私的思想に走った。それが革命思想である。武力は技術を発達させる能力がある。戦争と技術開発の歴史は比例している。それを考慮するとやはり武力とは文明の神器である。戦いなければ発展なしと断言できるほど、文明は戦いに満ちて発達してきた。そもそも、イデオロギーを提唱してきた武人や文化人が現れたのも大戦や政治闘争中、直前や直後である。マルクスは産業革命という政治闘争時代に生き、レーニンはロシア帝國主義打倒と政治闘争の中枢を担い、ヒトラーは一次大戦中〜二次大戦中に啓蒙活動兼戦争遂行、毛沢東は戦中、戦後の中国を主軸に文化大革命という共産主義武力革命を起こした。

しかし今はどうか、中東紛争に関わる米国や対米戦争を意識し国民統一を図る中国、冷戦期を回顧し対米軍事演習を怠らないソ連もといロシア、常に貧困という国際問題を抱え民衆が生命の危機にある朝鮮。これらの国と違い、日本には表面化された問題が少ない。だからこそ、政治にも目を向けないし、明日は我が身という言葉を知らない大衆が作られたのだろう。

非武装改革が最善手だが、悠長に国政進出をしている時間はない。なぜなら今も苦しむ貧困層や被差別民がいるからだ。自民党政権=米国癒着政権は日本史史上最大の悪だと考えている。私は資本主義をこう定義した。資本のために生き、資本の為に死ぬ「人類資本奴隷化政策」。優先すべきは資本であり、その資本は快楽に使われ、決して感謝の意とはならず、人の上に人を作り、迫害を受ける人間は延々に受け、人間を捻じ曲げる。そこに人道や平等、勿論平穏もない。しかもそれを「普通」だと考えている資本主義は私には全く正義には見えないのだ。それを遂行するのが巨悪政党自民党や数々の偽善政治家である。彼らを政界から一掃することは不可能だ。何故なら現日本人は自民党のIT戦略により政治を疑問視する目を失い、他人を軽視する目を培ったからである。財政政策も杜撰で、デフレ下の増税やコロナ不況打破政策失敗により国民は貧富格差が絶大になるが、他者差別意識を「これが社会だ」と刷り込まれた社会人には既に疑問視する能力が完全に失われてきているのだ。

恒久平和には程遠い日本だと私は確信し、国を戦前体制保守的見地、戦後革新左翼的見地を経て、亡国資本主義廃絶思想になった。

これはまだ変わる可能性がある思想だが、初期思想から一貫して反資本主義であることに変わりはない。それが変わることはないだろう。独裁人道主義として反資本主義立場を取るか、共産革新主義として反資本主義を取るか。その両翼を行ったり来たりしているが、資本主義を日本から廃絶するという思想は変わりはしないだろう。

最後まで読んでくださりありがとうございます。まだ完成していない我が思想闘争という随筆には続きを書く予定です。

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