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禁断の森のカケル  作者: 柏栖零inHakusuya
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潜入完了

 亜由子(あゆこ)の案内で十二階のラウンジに来たミチルは、いよいよ緊張の高まりを感じ、動悸がはっきりとした音になって聞こえるようだった。全校生徒が一箇所に集まる時間帯、しかも周囲の視線がすべて自分たちに向けられてくるような気がする。

(こいつ、なんとかならないのか)

 ミチルは亜由子を睨みたくなった。この上級生ときたら、出くわす生徒殆どに声をかけ挨拶している。しかもその度にミチルのことを紹介するのだ。目立ちたくないミチルとしてはほとほと困った事態に陥ってしまった。

 声を掛けられた相手は、義務感から返事をするが、適当に亜由子の相手をしたところですぐに自分の行き先へ向かった。ミチルはただ相手の印象に残らないことを願った。

 食堂のテーブルに着席すべき人間の名前が書いてあるようなので、ミチルは亜由子に、自分で行けるからと断って、彼女から逃げることに成功した。こういううるさく目立つ存在と一緒にいると自分まで目立ってしまい、大望の実現に支障が出る。

 テーブルにつき、同じテーブルのメンバーがみな大人しそうな目立たない存在に見えたので、少し落ち着きが出てきた。私語が少ないのでこういう展開は助かる。新顔はとかく興味の対象となりがちだから、いろいろと質問攻めにあったらどうしようかと思っていたくらいだ。それがみなじっと坐って待機している。中には目を閉じて瞑想のようなことをしている生徒もいた。

 大人しく坐って、一人うるさい声を出す亜由子の方を見遣っていると、最も奥のテーブルの席についたようだ。そこで一緒のテーブルのメンバーを何気なく見て、ミチルは愕然とした。

(なんであいつがここにいるんだ?)

 こちらに顔を向ける格好で真ん中の席についている眼鏡の女生徒。日本全国の若者だれもが知っている美少女四人組のユニットFIANAのメインボーカル、通称ロカこと伊佐治紘香(いさじひろか)だった。

 ミチルこと鍛冶翔(かじかける)は、かつて子役時代に何度も伊佐治紘香(いさじひろか)と一緒に仕事をしたことがある。

 もともと紘香(ひろか)(かける)と同じ児童劇団に属していて、天才子役として三歳ころからテレビに出ていた。今でこそ歌を歌うアーチストとして見られてはいるが、本来はアイドル女優なのだ。翔は紘香ほど売れることなく十歳の時、子役から足を洗ったが、その最後の仕事でも紘香の弟役で共演していた。互いによく知っている間柄といえる。

 あれから三年あまり。翔は身長も伸び、顔立ちが変わった上に女装していることを考慮すると、紘香に気付かれる可能性はそれほど高くないのかもしれないが、今後はかなり気を遣わなければならない。

何しろ昔から紘香は勘のいい、ませた子供だった。テレビの前では世間知らずの、お世辞にも賢いとはいえないキャラクターで可愛いアイドルを演じているが、すべて計算づくの所作なのだ。

 翔は劇団の時から一緒に仕事をしていてよく知っている。その場の雰囲気を読み、適切な判断と機知に富んだ大人顔負けの行動。とかくわがままで和を乱す子役アイドルが多い中で、紘香は自分を抑えて全体の調和を尊び、整える術を知っていた。

 見た目をどんなに繕っても、紘香の天性の観察力が、ミチルの一挙手一投足から鍛冶翔(かじかける)の癖を見い出すことがないともいえない。あの同室の藤野亜由子が紘香と同じ班であるのが一つの気がかりだった。お喋りの亜由子によって紘香の元へ連れて行かれるような事態は何とか避けたいものだった。

 食事が始まっても、ミチルは誰に見られてもボロを出さないように努めた。

 同じテーブルに一人の教師がついていた。夕食ごとにいくつかのテーブルに教師や教育実習生が一人食事を共にすることになっている。たまたまミチルのテーブルに今回教師が一人同席しているが、同じテーブルに坐っている生徒の様子から、あまり緊張を強いられる教師ではないようだった。

 静かにゆったりとした会話があり、和やかな雰囲気が保たれていた。ミチルの位置からは間に二人ほど生徒を挟んでいるので少し距離があるが、遠めに名札を見て、高松瀬奈(たかまつせな)という音楽の教師だと分かった。

 ワンレングスの長髪をアップにし、しっかり後ろで束ねた、殆ど剃っていない眉がくっきりとした、目鼻立ちがはっきりとした顔。生徒と同様ゆったりとした紺色のワンピース型室内着を着用しているが、肉付きのはっきりとした体型で成熟した大人の芳香を放っているようだ。

那須禾(なすか)さんは何か楽器を弾けるのかしら」

 突然話をふられて、ミチルは口篭った。「いえ、あの、何も」

「いいのよ、でも、もし興味があったら一緒にやりましょうね」

 目を細めた微笑は、心が洗われるような気持ちにさせられる。このテーブルだけ他とは別の空気が漂っているようだった。

 しかし(かんば)しい花にいつまでも恍惚としている訳にもいかず、こちらの正体を見破られることのないように適当に相手の注目を逸らし、ミチルは食事を目立たない程度に素早く口にかき込むと、速やかに自室へ戻った。

 消灯は十時。まだ三時間もあるが、ふだんならこの時間帯に入浴などプライベートタイムを過ごしつつ、普段の日課である課題提出をしなければならない。

 課題提出はすべて部屋に備え付けられてあるコンピュータ端末に打ち込むことによって行う。今日はまだ課題と言えるものはないが、この端末に慣れておく必要があるのでミチルは早速端末の電源を入れ、ログインした。

 思ったより早く立ち上がったものの、予想以上に使えない代物だと分かる。インターネットが使用できないために何か調べようと検索することもできず、何の情報も得られない。構内メールのやり取りと課題提出、そしてワープロ、表計算にせいぜいプレゼンソフトがついているくらいだった。

 舌打ちしたいのを抑えて画面を睨んでいるところへ、亜由子が鼻歌交じりの陽気な調子のまま帰ってきた。

「先にお風呂入ってよ。私、長湯だから迷惑かけると悪いし」と有無を言わせぬ様子なので、ミチルは端末をそのままに先に入浴することにした。

 この先輩に、迷惑を気にする配慮があるのが不思議に感じたが、ここは先輩を立てて、従順で大人しい、真面目で目立たない後輩を演じ続けた。

 適当に袋詰めにした着替えなどを手にして横目で亜由子の様子を窺うと、引き続き何か歌を口ずさみながら端末を立ち上げていた。これから何か課題でも仕上げるのだろうか。ミチルはそのまま浴室へ入り中から鍵を掛けた。

(さて、どうする)と考える。

 「精霊」から校内のあちらこちらに隠しマイクやら隠しカメラが仕掛けられている事は聞かされているが、この浴室にもあるのか。

 さすがに生徒の部屋までは仕掛けられていないというのが「精霊」の情報だったが、全面的に信用することもできず、ミチルはまず大きな姿見を見つめる。

 この鏡の向こうは自室にあたるため誰かが隠れることなどできないが小型のカメラだと仕掛けることが不可能ということもない。しかし鏡を外したりすることもできないので、ミチルはバスのカーテンを引くことにした。こうすると鏡からは解放される。

 次に天井だ。小さな換気扇がある。この小さな隙間の向こうにカメラが仕掛けられていないという保証はない。しかしここも詳しく調べることもできないので、用意してきた紙とテープで塞いで目張りした。こうするともう怪しい穴や仕掛けはなかった。ミチルは安心して着ているものを脱ぎカーテンの向こう側にそっと置いた。

 今日からゆっくり風呂につかる余裕はなさそうだ。シャワーのみの日々が続くことが予想される。ホルモン剤で少し脂肪がついているとはいえ胸は男性そのもの。細い腕と、尻から足に掛けては毛も剃っているので女性として十分通用するものだった。

 手早くシャワーを浴びると、下着やシャツ、スパッツを身につけた上で鏡の前に立つ。長い髪を綺麗に梳かしてドライヤーで乾かす。すっかり美少女に化けた自分の顔にうっとりしてナルシストの気分を味わった。一瞬このままニューハーフになる自分を想像して体がぶるぶる震えた。とてもそのような気にはなれない。女性ホルモン剤を飲んでも、しっかりと女性の演技を身につけ女性になり切ろうとしても、ミチルこと(かける)は女性にはなりきれなかった。

 今もこの女の園に潜入して、女性特有の匂いや声、身のこなし、そして何よりも視覚に訴える美しさに圧倒され、抑えつけていた男性の芽がむくむくと出ようとするのを必死になって埋めなければならなかった。

 同室者が、女性としてのセックスアピールが全くと言って良いほど認められない亜由子でなければ、鬱屈した精神を鎮めることは不可能であったろう。

 もし、この同室者の選択に「精霊」が関与出来ていたとすれば、二つの意味で成功している。一つは亜由子に女性としての魅力がないこと。もう一つは亜由子に疑う心がないことだった。

 短い時間しか接していないが、亜由子は本当に裏表のない人間で、しかも純粋で素直な性質をもっているようだ。人を疑うことなど皆無だろう。同室者が男である可能性など初めから考えていない筈だ。これは翔にとって非常に都合が良かった。

 髪は徐々に仕上がってきた。真っ直ぐに降ろすと細いストレートヘアが肩を隠すまで伸びてすっかり女性に見える。

 (かける)は姉鍛冶真奈美(かじまなみ)を思い出した。四つ年上の姉。十五でこの世を去った姉。しかし翔とは血は繋がっていなかった。

 翔の母親は、翔が物心つかないうちに父親と離婚した。母親の実家がたまたま比較的裕福であったため生活には苦労しなかったが、子供を将来有名俳優にするという母親の夢のために翔は幼い頃から児童劇団に入れられた。そこで今の父に出会う。父はファミリーレストランのチェーン店を経営する社長で、芝居の脚本を書くのを趣味にしており、自分の書いた脚本の出来を確認するために劇団に出入りするうち翔の母親と知り合った。そしてたちまち意気投合して結婚することになる。

 父には死別した前妻との間に一人子供があり、それが真奈美という娘だった。翔と真奈美が出会ったのは、翔が小学一年生、真奈美が五年生の時だった。当時の翔にとって四つ年上の真奈美はかなり大人びた姉に見えた。

 実際、同年齢の子等より相当しっかりしていた真奈美は、体も大きく、眩しいくらいの美少女だったから、翔ははじめからすっかり懐き、この義姉弟は仲睦まじく暮らした。

 姉の真奈美は父親譲りの聡明な子で、小学校では生徒会長も務め、成績も優秀、スポーツにも長けていた。翔にとってこの新しい家族は、誰に対しても自慢できる貴重な存在だったのだ。その真奈美が、翔が六年生になる時、聖麗女学館の長野本校の試験に合格し、全寮制の女子高に進学することになった。当時の翔に、それがどの程度画期的なことなのか理解できなかったが、義父と母親の喜ぶ顔を見て、また姉を自慢する種が増えたという認識は芽生えた。

 その姉真奈美は、二年前の見送ったあの日から帰ってくることはなかった。

 髪をまっすぐ伸ばしたまま、ミチルは浴室を出た。ドライヤーを掛けているときは気づかなかったが、扉を開ける直前から亜由子の話す声が聞こえていた。一瞬誰かが訪室しているのかと身構えたが、人の姿は見えず、代わりに画面に向かっている亜由子が携帯電話を片手にして喋っているのが認められた。

「そうなのよ、大変よねえ。明日からまた研修が始まるしー」と、相手に向かってやたらうるさく喋っている。

 ミチルは、安堵して自分のベッドに坐った。携帯は禁止だったはずと思いながら、一息つく。やがて亜由子は「じゃあねえ」などといい会話を止めた。

「お先に失礼しました」とミチルが亜由子に声をかけると、

「じゃあ、長湯だから先に寝てていいよー」と、鼻歌を復活させて浴室へ消えた。

 ミチルは、再び画面に向かう。長湯なら好都合だった。メール受信箱を覗くと「親展」というタイトルのメールがあった。これが「精霊」からのものだ。開いて中を見る。

「まずは無事潜入おめでとう。部屋の居心地はどうかね。同室者には鈍感な生徒を選んだつもりだ。少し空気が読めないところがあるが決して悪い人間ではない。気に入ってくれただろうか。君の正体についてはごく一部の人間が既知ではあるが、それがだれであるかはここでは明かせない。彼らは気付いていない振りをしている。彼らも君の姉鍛冶真奈美の死の真相を知りたがっているのだ。密かに君をサポートしてくれることだろう。しかし君は自分の正体が誰にも知れないように努めなければならない。そしてできるだけ短期間のうちに真相に辿りつかなければならない。既に頭に入れているとは思うが、君の姉の当時の同級生は現在の新三年生だ。そして当時ここに在籍していた教官は全部で七名。ひとりひとり直接話を聞くわけにもいかないし、ましてや誰が真相を知っているかすら分からない。そこでこちらで少し揺さぶりをかける。君は生徒の中にいてしっかりと生徒の反応を観察するのだ。真相を知る者は必ず何かの行動を起こす。それを見逃さないようにしたまえ。本日の定時連絡はこれにて終了する。このメールは保存せず消去すること。明日に備えて今夜は十分睡眠をとるように」

 ミチルは忠告どおりメールを直ちに消去した。三年生の名簿と当時在籍していた教官の名簿は頭の中に入っている。生徒の動きは生徒の中にいなければ分からない。それが精霊が自分を選んだ理由の一つだとミチルは認識していた。問題は精霊が起こす陽動作戦の中身だ。ミチルは何も知らされていない。何も分からない以上黙って待機しているしかないのだろうか。

 ミチルは何が起こるか分からない明日に不安を感じるより、ある種の高揚感を覚え、わくわくする気持ちをどうにか鎮めつつベッドに潜り込んだ。明日に備えて英気を養おう。

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