4.重なる声
1日では穢れをはらうことができず、結局1週間九条家に通うことになった。
その間に掃除だけではなく、聖水を作って飲んでもらったり、またはお風呂で使用してもらって紗良ちゃんにまとまりつく穢れを何とかはらおうと思い付く限りのことをした。
その結果、やっと紗良ちゃんの顔の判別がつくくらい穢れをはらうことができたのだった。
「紗良ちゃん…なんて可愛い顔をしてるの…っ!」
ぱっちりとした黒い瞳に小さなお鼻。
兄と同様に目立つ華やかな容姿ではないが、可憐という言葉がぴったりな姿をしていた。
さらさらと流れる艶やかな黒髪は背中まであり、彼女がうごくたびに揺れていて思わず触りたい衝動にかられてしまう。
「お姉ちゃん、ありがとう」
そんな可愛い顔で蕾がほころぶような笑顔を浮かべられたら抱きしめたくなるではないか。
「紗良、体調は大丈夫か?」
「うん、すごく楽になったよ。お兄ちゃんもありがとう」
そう言って微笑む姿をみた九条はほっとしたように顔をゆるめた。
それでもまだ心配なのだろう。横になるように促している。
実際にまだ安心はできない状況なのだ。まとわりついていた穢れはある程度はらったのだが、紗良ちゃんの右手、黒猫に噛まれたというところから黒い染みが滲み出しているのだ。聖水をかけてみてもいまいち効果がなくて手をこまねいていた。
「これを何とかしなきゃまた同じことになるよね…」
「…お姉ちゃん、またお水を作ってくれる?…できればバケツ一杯分くらい」
「聖水のこと?うん、いいよ。少し待っててね」
「俺が水くんでくるから待ってて」
また体調が悪くなってきたのだろうか。心配だったのですぐに立ち上がろうとすると隣にいた九条にとめられた。綺麗なバケツに水を入れて持ってきてくれた九条にお礼を言って受け取る。
手を水につけて苦手な聖歌を歌おうとすると紗良ちゃんも水の中に右手を入れてきた。
「紗良ちゃん…?」
戸惑う私にかまわず紗良ちゃんは歌を歌い始めた。そう、私が今から歌おうとしていた聖歌を。
「お姉ちゃんも、一緒に」
驚いて固まってしまっている私をみて紗良ちゃんが歌うように促す。
私がよく歌っていたから覚えてしまったのだろうか。それとももしかして紗良ちゃんも前世の記憶があるのか…。
分からないが考えるのは後にしようと思い、紗良ちゃんの声に私も声を重ねていく。
紗良ちゃんの声は透き通ってよくのびており、音程もしっかりと取れていたため、音痴な私でもとても歌いやすかった。いつもより多く力を使っているようで結構しんどかったが、空気が澄んでいく様は心地よかった。
そうしてしばらく2人で歌い続けていると紗良ちゃんの右手の黒い染みがじわじわと小さくなっていくのがみえた。黒い染みは爪程の大きさになるとポロっと手から外れ、やがてバケツの聖水の中にゆっくりと溶けて消えていく。
「え…もしかして、消えた…?」
呆然と見つめていると紗良ちゃんがぎゅっと抱きついてきたため支えきれずに後ろへと倒れてしまった。
「ありがとう、お姉ちゃん!!」
「いや、今のは私だけの力では…ないような…」
私の力ではないと首を振るも紗良ちゃんは私のおかげだと言ってさらに抱きついてくる。
おろおろとしている私の様子にみかねた九条がそっと妹の体を引き剥がしてくれた。
「俺からもありがとう。…妹を助けてくれて、本当に…ありがとう」
喜びと安堵と感謝の気持ちが混じりあい泣きそうな顔で九条がお礼をのべる。最後の方はよく分からないけれど何とかなって良かったと私もつめていた息を吐き出した。
ずっと気がはっていたのだろう。体の力が抜けていくのが分かった。
まだ寝転んだままの私を起こすために差し出してくれた九条の手を掴もうと腕を上げるが、何故か鉛のように重くて上手く上がらない。
……ん?
おかしいなと思っていると急に頭に鈍い痛みが襲ってきて目の前が暗くなっていく。
誰かの声が聞こえたような気がしたが返事を返すのも億劫で言葉にならない声を出すのがやっとだった。
名前を呼ばれた気がしたけれど、誰のことを呼んでいるのだろう…。私?それとも前世の私?
私はそっと意識を手放した。