1.名前
※元聖女シリーズを読んでいないと話が分からない可能性があります。
短編「元聖女は潔癖症!!」→「魔王の妹編」
市内の小学校に通うごく普通の小学生である私、宮永杏樹には前世の記憶があった。
こことは異なる世界で穢れをはらう聖女として生き、そして穢れを撒き散らす諸悪の根元であった魔王を倒す半ばで命を散らしてしまったのだ。
ちょっと信じられないと自分でも思うのだが、生まれ変わった今でも穢れをみる力、そしてはらう力があるのだから自分の妄想だと簡単に切り捨てることもできなかった。
こんなことが周りにバレたら変な目で見られることが分かっていたため、皆よりちょっとだけ潔癖症な女の子ということで誤魔化しながら平凡な日々を過ごしていたのだった。
そんなある日、私のクラスに季節外れの転校生、九条紫音が現れた。
周りのクラスメイト達が興味津々としている中、私は彼の姿をみた瞬間から一気に背筋が凍りついてしまう。
なぜならば彼の顔や体の輪郭の判別がつかないほどの穢れが全身にまとわりついていたからだ。
しかもよりによって席が私の隣であったため落ち着いて授業を受けることもできず、ついに放課後彼に穢れをはらう聖水を頭からぶっかけてしまった。
その件に対しては本当に申し訳ないと思っている。
思ってはいるのだが、まさか彼が前世で私を殺した魔王だと気付いてしまい逃げてしまったのは仕方ないのではないだろうか。
結局その後教室に戻り、他のクラスメイト達から事情を聞いた担任の御手洗拓斗先生に職員室横の生徒指導室に呼び出されてしまっているところである。
ちなみに隣には体操服に着替えた九条紫音がいる。
聖水のおかげでやっと顔の判別ができるようになったため私はそっと彼を盗み見た。
濡れていなければきっとサラサラと流れる黒髪は今はしっとりと艶をもっており、髪の毛から落ちた滴が白い首筋をつたっていく。
小学生のくせに色気があるとはどういうことだ。
目もぱっちりしており吸い込まれそうな程に綺麗な黒色だ。
鼻筋もしっかりと通っており、すごく目立つ華やかな顔立ちではないが、自然と惹き付けられる何かがあった。
きっと女子からモテるんだろうなあとちょっと現実逃避をしていると先生から名前を呼ばれたため前に向き直った。
「宮永さん。どうしてバケツの水を九条くんにかけたのかな?」
「手が滑ってしまったんです先生。悪気はなかったんです。九条くんには本当に申し訳ないと思っています。ごめんなさい」
眉を下げて九条に頭を下げる。
苦しい言い訳なのは分かっている。
手が滑っただけでバケツの水を頭からかけることなんてそうそう起こり得ないだろうし、かける際に「ていやー!!」と割りと大きな掛け声を出してしまっているのだ。
転校生いびりだと思われても仕方ない。
だけどあの時はああするしかなかったと思うのだ。
反省はするが後悔はしていない。
頭を下げ続ける私に先生が困っていると、隣の九条がすっと前に出て口を開いた。
「先生、発言してもよいでしょうか」
「どうしましたか?」
「アンジュが言っているように本当に手が滑っただけなんです。朝から少し体調も悪そうだったので、もしかしたらそのせいかもしれません。だからもう彼女のことを責めないでくれないでしょうか」
「責めている訳ではなかったのですが…分かりました。九条くんは風邪をひかないように。宮永さんも体調に気をつけてしっかり休んでくださいね」
苦笑する先生に見送られながら私達2人はそろって部屋を出た。
そのままお互い無言で教室に行ってランドセルを背負うと下駄箱へと向かう。
その間に彼から何度かちらちらと見られている感じがあったが気付かないふりをした。
彼とは極力関わりたくなかったからだ。
自分を殺した相手ということもあるが、実際に自分が殺される時の記憶がないため、思うところはあるものの生まれ変わってまで持ち込むつもりはない。
とにかく私は今を平凡に暮らしたいだけなので前世とつながりのある人物とは関わりたくなかったのだ。
靴に履き替え少し早歩きをしながら校門を出ると、先ほどまで黙っていた九条がついに口を開いた。
「アンジュ、話があるんだ。少し時間をくれないか?」
「……」
彼の言葉に足を止めて私はゆっくりと振り返った。
時間がないと帰る選択もあったのだが、どうせ同じクラスで明日も顔をあわせるのだから今聞くか、明日聞くかの違いでしかないのだろう。
それと私も彼に話がある。
「あのさ、九条くん。私のこと名前で呼ぶのやめてくれるかな?色々と誤解を生むんだよね」
すでにクラスメイトの女子達には誤解されている気はするが、
名前呼びはいただけない。
特に女子達の妄想が加速してしまうようなことは
避けなければならないのだ。
それに彼から名前を呼ばれるとまるで前世の名前で呼ばれているような気になるのだ。
偶然にも前世の名前もアンジュだったので、困惑してしまう。
しかしそんな私の気持ちは知らずに彼は不思議そうに首をかしげた。
「どうして?アンジュはアンジュだろう?」
「色々あるの!宮永って呼んで」
「……?わかった、宮永」
納得はしてなさそうだったが案外すんなりと頷いてくれた。
「それで話ってのはなに?」
本題に入るように促すと彼は顔を引き締めて真剣な表情でこちらを見つめた。
「ああ……、実は君の力を貸してほしいんだ」
「力って……、聖女の力を?」
「そうなんだ。一度みてもらったら分かると思うんだが。君の力で俺の妹をどうか助けてくれないだろうか」
そういって彼は深く頭を下げた。
「妹さん…?」
「身体中が払いきれない程の穢れに覆われてしまっているんだ。俺は穢れを少しすってやるぐらいしかできないからどうすることもできない…」
妹の力になれない自身に対して不甲斐なさを感じているのか、握りしめた手が震えてしまっていた。
「ちょ、ちょっと待って。いくら力があるといっても私はでき損ないのただの聖女候補だったの。今日のあなたよりひどいものなら私の手には負えない!」
彼は妹さんの穢れを吸っていたと言った。
おそらく今日のあの穢れまみれ状態は妹さんが原因だったのだろう。
少し吸っただけであの状態ならば私の力じゃ役に立たないのではないだろうか。
彼と妹さんには悪いけれど、断るしかない。
それなのに彼はすがるように私の手を取り、君ならできると確信しているかのように言ってくる。
本当にそういうのはやめてほしいのだが…。
「一度だけでいい。妹に会ってくれないだろうか。それで無理なら諦めるから」
「…………分かった」
「!!ありがとう、アンジュ」
彼の押しが強くて結局頷いてしまった。
だが妹さんに会って駄目そうならはっきりとこの件については断るつもりだ。
だからそんなに感謝されても困る。それと……
「また名前で呼んでる!」
「すまない、つい…」
私に指摘されて気付いたのか、彼はハッとして口に手を当てた。
そして言い聞かせるように小さく宮永と繰り返し呟いている。
そんなに名字で呼ぶのが難しいのだろうか。
そもそも前世で私は聖女候補の一人でしかなかったのに、何故彼は名前を知っているのだろう。
疑問には思ったが前世のことなので別に知る必要もないとすぐに考えるのをやめた。
とりあえず今は妹さんのことだ。
さっそく妹さんに会うために
私は九条家へと足を運ぶのであった。