重なる覚悟
楽しい夕食を終えて、ルイスとイリアを事前に用意させておいた宿へと案内する為にバレックと三人で家を出ていた。
トウマは、まだ遊び足りなかったみたいで、寂しそうな顔をして、それを見送った。
「勇者殿、今日中にマリーには話をつけておくので、朝には発ちましょう」
「本当に良いんですか? ……って、それで良いんだったな。こっちまで危うく騙される所だった」
ルイスは、もうバレックを本人だと思い込みかけてしまっていたが、すぐに我に返って、相手が魔王である事を思い出す。
それほどまでにバレックとして、成りきっていたのだ。
「はは! 騙すなど人聞きの悪い。しかし、余りこの状態でいるのも、辛いので、早めに発ちたい思いはあります」
「さすがに、真似てるのがしんどくなってきたって、訳ね」
イリアは夕食の事もあったので、意趣返しのつもりで悪戯っぽくバレックの顔を見る。
しかし、バレックの表情は少し暗く沈んでいた。
「いや、本人の記憶もあるせいか、正直ここの人達を騙すような真似をしてるのが--特にあの二人の笑顔を見ているのは辛い。最初は、本人の希望もあり、その方が二人も会う事が出来て、少しは喜ぶだろう、なんて軽く考えてましたが、もうあの二人の求める男が、この世に居ないと、こっちは分かっていて、それでも、あの何も知らない笑顔を受け止め続けるのが……辛い」
この街に入ってきて、偽りっぱなしの魔王の、偽りの無い気持ちだった。
バレック本人の希望であり、あの二人に対しても、陥れるつもりなどもなく、ただ善意のつもりでバレックを演じているだけなのに、あの二人の笑顔を向けられる度に、自分のやっている事の偽善さ、その場しのぎの付け焼き刃さ、そして希望を奪う結果になるだけの無意味さに、魔王は苦しんでいた。
二人もその気持ちを知ってしまい、何も言えなくなってしまった。
夕食の時、魔王はバレックを演じながら楽しんでいた訳ではなかった。
苦しみながら、その心さえ偽って笑っていたのだ。
「ごめんなさい」
イリアは謝った。
悪いと思えば、すぐに謝る。
口にするのは簡単な事だが、そう言うものでもない。
それを素直に言えるイリアもまた、自分の無神経な発言に心を痛めてしまった。
「いや、気にしないでくれ。俺自身も予想外の感情なんだ。イリア殿が気に病む事はない」
精一杯、優しく笑む。
後もう少しの間、偽らなければならない。
明日まで、この辛さに耐え抜かなければならない。
魔王は、この罪悪感と辛さを思うと、昨日の三人組の攻撃の方が余程楽なものだった。
どうしようもなく、自分には何もしてやれない。
偽って、一時的な希望しか与えられない。
最終的には、バレックの死が伝えられるだけなのに。
死んだ者は甦らない。
魔王とて、死ねばそれまで。
「ここが、宿です。宿の者には伝えてありますので、後はごゆっくりどうぞ」
「バレック。ありがとう。俺達はお前の優しさを分かっている。それは偽善なんかじゃない。だから、お前の思う通りにやってくれれば良い」
バレックは、それを背中で聞いていた。
「はは! さすがは勇者殿。その言葉を聞けて良かった。明日まで頑張りますよ。ありがとうございます」
バレックは、背中を向けたまま、右手を挙げて手を振って別れを告げた。
二人は、その背中の想いを感じながら、眺めていた。
--バレックが家へ帰るとお風呂が沸いていて、トウマと一緒に先にお風呂に入った。
お風呂からあがると、はしゃぐトウマに何とか服を着せて、マリーが入れ換わりでお風呂へと向かっていく。
「そうだ。トウマが寝た後で、少し話がある」
マリーが脱衣場に入る前に声を掛け、マリーは足を止めてバレックへと向いた。
「丁度、私もお話しがありました。また後で話しましょ」
そう言って、マリーは脱衣場へと消えていった。
マリーの方からも話があると言われて、少なからず不安を感じた。
何も気付かれていないはず……。
今日の行動と言動を振り返ってみても、まるで思い当たる節はない。
大丈夫だろう、久しぶりで話したい事があっても不思議ではない。
自分に言い聞かせながら、トウマの相手をした後、絵本を読んであげて、寝かしつかせた。
夜が更ける頃、リビングには明かりがついており、そこにマリーはバレックが来るのを、既に待っていた。
椅子に座って、テーブルにはお茶の入った湯飲みが二つ、向かい合わせになるように置かれている。
「待たせた」
バレックは、端的に言うと、椅子に腰掛けた。
マリーの表情を窺おうとするも、いつもの優しい表情のままなので、どういう想いでいるのか、読み取れない。
元々、顔色を見る事が得意な訳でもないので、分からないものは、分からないから、それなら、単刀直入で聞いてしまえば良いという魔王自身の考えもあり、先にマリーの用件を聞いてから、本題に入ろうと思い、
「それで、マリーの話というのは?」
何の様子見もなく聞いた。
その問いに、若干の悲しみの表情を見せて、マリーはほんの少し躊躇ってから、口を開く。
「今日、買い物の時にノークさんとお会いしました」
「ノークか。そう言えば、まだアイツには、顔を出してなかったな」
分かる。
大丈夫、ノークであろうが、誰であろうが、バレックの記憶は把握している。
例え、何らかの方法で試されたとしても、問題無くクリア出来るはずだ。
「それで、ノークさんが、言ってました。あなたが帰って来れるのは可笑しいと。恐らく盗賊に襲われて、金品ではなく、命そのものを狙われて、盗賊を撃退せずに、やられて生きているのが可笑しいと言う意味だと思います」
ノークが、そう言ったのか。
なるほど、だから、疑ってしまった訳か。
それなら、まだ修正は出来る。
確かに、状況的に殺されていなければ、可笑しいのは間違いない。
だが、川に流されただの、死んだと思って、盗賊は去って行っただの言い訳は幾らでも出来る。
「お前は、その言葉を真に受けて、俺が実は死んでるとでも言いたいのか?」
「いいえ。そんな事思いません。ノークさんの言葉は、まるで信じてません。むしろ不愉快なくらいです」
ん?
では、何でその話をしたんだ?
「それでも、私はあなたに質問しなくてはなりません。あなたは、誰ですか?」
これは……やられた。
魔王は、こういう単刀直入に、強い意思をぶつけられるとめっぽう弱かった。
探りを入れてくるなら、のらりくらりでも、何とかしようと思ったが、マリーはもう分かっているのだ。
覚悟をしているのだ。
その気持ちに対して、逃げる事は魔王には出来なかった。
「確かにワシはバレックではない」
魔王は、ばつが悪そうな表情になり、後ろに右手を回して、後頭部を掻きながら、正直に言った。
その表情を見て、マリーの目に憎しみと怒りが宿るのを感じた。
「アナタは一体--」
「すまん! お主達を騙す形になった事、そして、ワシが何者であるかも言えん。ワシには、謝る事しか出来ん」
魔王は、机に手と額をつけて、勢いよく謝る。
マリーは、あわあわと何かを言い出しそうに口を動かすも何も言えず、大きく息を吸って、
「何のおつもりですか?」
無感情に、抑揚なく冷たく言い放った。
「ワシには、これくらいしか出来ん」
「そうじゃあ、ありません」
暫くの間、沈黙が続く。
マリーの質問の意図が分からなかった訳ではない。
それを言うのは、魔王からすれば言い訳のように思えてしまい、言い出し辛かった。
それでも、バレてしまった以上は、気付かれてしまった以上は、マリーには知る権利がある。
バレックは、椅子から立ち上がり、マリーの座る椅子の横まで移動すると、マリーに背中を向ける形で胡座をかいて座った。
「なにを…………?!」
その行動の意図が飲み込めずに声があがる。
「なに、気にするな。これはワシの覚悟じゃ。して、先程の質問じゃったな」
何かを吹っ切ったように、いつもの魔王の調子で話を始める。
「ワシは、このバレックという男の身体を借り受けた。その礼として、ワシは今ここに顔を出したのじゃ」
「借り受けた? 礼ですって? アナタは何を言ってるんですか!?」
マリーの口調がきつくなる。
トウマが起きてしまうのではないかと、心配になるほど叫ぶように言う。
「勿論、借り受けたというのは、バレック自身はもう死んでおった。その身体にまだ魂が宿っておる内に、ワシはバレックの魂と交渉したのじゃ。その条件が、マーセルの街に住む妻マリーに、心配を掛けないように、生きて帰って、最期の別れをしてくれ、とな」
「そんなの信じられない!!」
信じられる訳が無い。
適当な事を言って、逃げ延びようとしている。
そんな話で、許されるなんて軽く思われるのも腹立たしい。
「じゃろうな。だが、バレックとの約束なんでな。苦労ばかりかけたお主に、最期の別れすらも言えない事を悔やんでおった。その願いだけでも、叶えてやりたくてな」
「それを信じろって言うの?! ふざけないで!! 返して!! 夫の…私のバレックの身体を返して!!!」
マリーは、怒りと憎しみに立ち上がり、護身用に持っていたナイフをバレックへと向けた。
何かあった時に、自身の身を守る為に用意したナイフだが、今はそれが憎しみの、夫を奪った者への復讐の為に、そのナイフをバレックの身体の魔王へと向けていた。
そして、向けた事で気付かされてしまった。
この男の覚悟を、この男の想いを、無骨な夫を持つマリーだからこそ、自警団を纏めあげるラマダ会長の娘であるマリーだからこそ、気付いてしまった。
背中を向けている。
まるで、こうなる事を予期していたように。
マリーの怒りと憎しみを全て、その身に受ける覚悟があるかのように。
覚悟………そうこの男は、言っていた。
これが自分の覚悟であると。
「ズルいわ……」
マリーはナイフを握り締めたまま動けない。
その背中は、ずっとそばで見てきた夫の背中であり、覚悟を決めた男の背中でもある。
自警団として、仕事に向かうバレックの背中は、いつだって覚悟をしていた。
騎士程に身を捧げるものではないにしても、死ぬ覚悟と生き抜く覚悟、その矛盾を両立させて、出ていく背中をずっと見てきたのだ。
そして、今、それとまるで同じ覚悟を持って背を向けた男がここにいる。
身体が本当に夫であろうと、偽者であろうと、もし、嘘、偽りであると言うなら、殺す覚悟もしていたマリーではあったが、そんな気丈な女ではあったが、彼女には、もうその背中に怒りも憎しみも向ける事が出来なくなってしまった。
「その背中は……私には刺せない…………」
ナイフを落として、今まで気丈に向き合っていたマリーだが、膝をついて静かにすすり泣いた。
「すまぬ。お主の覚悟に応える為には、ワシに出来るのは、これしかなかった」
魔王は、殺される覚悟はしていた。
また別の身体に魂を宿す事になるだけの事とは言え、バレた以上は、約束を違えた以上は、この身体のままでいる事は出来なかった。
「あの人は……バレックは、最期なんて言ってました……?」
小さな、涙声のままで、バレックへと聞いた。
魔王は、向き直って、マリーをしっかりと見た。
「『俺は、父親としても、夫としても、自警団隊長バレックでしかなかった。もう少し、父親らしくなりたかった。夫らしくなりたかった。お前なら、それでも、そのままで良いと愛してくれるだろうが、俺もトウマにも、マリーにも愛される努力をしたかった。本当にすまない』」
今度はバレックとして、頭を下げた。
「ふふ…あの人らしいわ」
まだ涙声ではあったが、それでも、バレックの言葉を嬉しそうに受け止めた。
「本来なら、勇者と旅に出る前に言うつもりじゃったが、予定が狂ったわ。しかし、どこで気付いたんじゃ?」
マリーは涙を拭いて、呼吸と気持ちを整える。
落ち着いたのか、まっすぐにバレックへと目をやり、静かに語り始める。
「最初に気になったのは、アナタが、私が料理をしてる間トウマの面倒を見るって言った時です。次に気になったのは、料理を手伝おうとした時、最後は、話があるって言って、私の話から聞いた事です。あの人は、そういう気遣いが出来ない人なんです。言えば喜んで手伝ってくれますが、全然気付いてくれないんです」
だからである。
記憶があり、仕草も喋り方も真似ていたが、ある程度家での行動も把握していたつもりだが、そんな自分からそういう気遣いが出来ない事まで、魔王が気付いて、それを実行するのは難しい。
魔王は、意外とお節介なので、気付けば手伝ってしまう。
それは、当たり前の事だから、バレックにとっても、当然適応していたのが、裏目に出ていたのだ。
「かはは! それは、分からんわ」
魔王はお手上げの仕草で、自分の失態を認識した。
「アナタは、何者なんですか?」
「それは、最初にも言ったが、今は言えん。すまん。もし、勇者との旅を終えた後、ワシがまだ生きておったら、教えると約束しよう」
それが魔王の精一杯の回答だった。
マリーもちゃんとした答えが返ってくるとは思ってなかったので、それに対して頷く。
「生きてください。私の夫の身体を取っておいて、勝手に死んだりしたら、承知しませんよ?」
「それは、確かにそうじゃな。死ねんな」
二人は、静かに優しく見つめ合った。
そこには、もう怒りも憎しみも、辛さも消えていた。




