『勇者』の誕生
本日は、雲一つ無い晴天の王都シャンデルの中心部に程近く、そこにすり鉢状の円形の闘技場があった。
今ここシャンデルの中でも、この闘技場が二百年に一度と訪れる、熱気と興奮、期待と視線、歓声と応援が入り乱れ、人間の人生における最高潮と言わんばかりの盛り上がりを見せていた。
一面が砂の絨毯で敷き詰めらており、整備が滞りなく行われているのが見てとれる程に凹凸の無い綺麗な絨毯と仕上がっていた。
絨毯の外周は、直径約七十メートル、そこから三メートルの壁がぐるりと一周に渡り生えており、壁の向こう、と言うよりは上には観客席が設けられ、一万五千人は座れるスペースが設けられているが、今回に限っては、そんな制約も、まるで意味も為さず、二万人を軽く超える人でごった返していた。
整備がされているとは言え、砂の絨毯の奥に、歴戦の汗や血、涙や唾等、多くの想いが染み渡り、刻まれている。
そんな神聖とも取れる砂の絨毯には、たった二人の青年が剣を携え、中央である程度の距離を取って、向かい合っていた。
決して彼らはこれから殺し合いをするのではない。
そんな物騒なイベントを見物する為に、通常のキャパシティを超過してまで、犇めき合い、自らの日常、仕事、休日を放棄してまで来る程までに、この時代は、この世界は腐敗していない。
彼らは、二百年に一度復活すると言われる魔王を、再び封印使命を受ける『勇者』として招集された百人の中から、厳選され、選別され、審査され、試験され、糾弾され、淘汰され、そして最後まで勝ち残った者なのだ。
勇者の候補か百人程度とは、少なく思えるが、この数字はあくまでも王都シャンデルにまで勇者になる為の資格を得た者達で、実際は地域での選定を合わせれば、その三十倍は下らないものになる。
その勇者誕生の運命的瞬間に立ち会うべく、シャンデル中のみならず、周辺や遠方問わず訪れ、闘技場の外からも音だけでも聞き逃したく無いと必死の人々でシャンデルは賑わっていた。
「なんか思ってた以上に凄い注目されてんな?」
軽く首と目の動きだけで観客席を見渡し、苦笑気味に喋り始めたのは、白に銀色が混ざった髪色で、肩の手前程まで伸びた髪を後ろに束ねており、服装は心臓のある左に胸当て、脛から膝にかけてと、肘にも銀色の防具が宛がわれており、革の手袋に、ブーツ、黄緑色の少しごわついた素材の服と黄土色の伸縮性の良さそうなズボン、これら服の素材には魔力が込められており、見た目以上の防御性能を誇っている。
顔が割りと中性的で(少しいたずらっ子ぽくはあるが)決して大柄ではないのだが、さすがに勇者として鍛え上げられている事もあってか、そんな装備越しからでも、華奢な体躯には誰の目を通しても思われないだろう。
「いや、真面目に、もっと厳かにやるもんだと思ってたんだけど……これはちょっと緊張通り越して笑えてくるな」
両手を使って、緊張から少しでも逃れようとおどけたポーズを取る青年は、茶色がかった短髪を遊ばせており、柔らかな眼が印象的だがその瞳は強さを潜ませており、優しさと頼もしさを感じさせてくれる。
体格は、銀髪の青年よりかは大きいがこちらも大柄と言う程ではなく、一般男性の体格である。
勿論、中身の肉体は一般男性のそれとは比べ物にならない程の質量を搭載している。
服装は、公平を期すためなのか、はたまたシャンデルの騎士の格好なのだろうか、それともたまたま運命的にこの世界クラスに注目を浴びている決戦の場に意気込んで着てきた格好が同じなのか、ファッションセンスが同じだったのか、恐らくは一番初めの候補で間違い無いだろうが、銀髪の青年と同じ格好をしていた。
「まぁ、世界の命運を託される勇者が決まる最終試験だからな。皆が注目するのも分かるけどな。俺が観客側なら絶対観に行く!」
茶髪の青年は、この壮絶極まる熱狂の中で緊張し続けるのも馬鹿馬鹿しくなったのか、もはや今から試合する事も忘れて、この状況を楽しみ始めた。
それを受けてか、銀髪の青年は深く溜め息をつき、首を横に振り、「俺なら観に行かないよ」と呟く。
バァーン、バァーン、バァーン。
大きな銅鑼の音が短い間隔で三度鳴り、熱気に包まれた、会場はざわめきながらも静寂へと変化していくのだご、会場に包まれた熱気はより濃く膨れている。
「これより、ガルシニタ大陸全土の平穏と安寧を脅かす、おぞましき魔王の封印の使命を背負う為に名乗り、集った勇気ある者の中で、厳しくも苛烈な訓練、試練に耐え抜いた栄誉ある騎士の二名『リック・ヴァインス』、『ルイス・フォルク』の『勇者』を決定する最後の選定を執り行う!」
観客席の最上部の一際目を惹く一角、その場所には犇めき合う観客は、立ち入る事が出来ず、それが許された存在、シャンデルの王とその妃、王の斜め後ろに白いローブに身を包む男がおり、三名を取り囲む様に護衛の騎士が四名配置されている。
ワインレッドの生地に縁を白で象ったマントに、内側の服はシルクの触り心地の良さそうな白一色、ズボン黒色で少しゆとりを持たせてあるようだ。
精悍な顔立ちでもう六十半ばにも関わらず、そう感じさせない眼に宿った力が印象的で、髭はかなり蓄えられているが、綺麗に整えられており、それもまた王の威厳を表しているようにも見える。
綺麗な姿勢で、地に力強く立っており、年齢にそぐわない程立派な佇まいをしており、手には緑色に輝く石を持ち、それを口元まで近付けていた。
その石は『リオメタル』(精霊の宝石とも呼ばれている)と言って、魔力の宿った特別な石を魔術師の手によって様々なエネルギーへと変換させる事が出来るようになっていて、王の持つリオメタルは拡音させる事の出来る力を持っているようで、王の口上は会場中に響き渡り、観客達も王の言葉に合わせて盛り上がりを見せた。
王は観客達を見渡し、最後に中央の青年二人を暫く見据えて、会場の割れんばかりの声援が少しばかり落ち着くのを待ち、再びリオメタルを口元に近付けた。
「私は、王としてずっと二人の努力を、研鑽を、苦悩を見てきた。それ故にどちらにも勇者を任せたいと想うのは、親心というものなのだろうか……」
その言葉に、観客達は王様らしいと微笑む者、親として、または青年二人の頑張りを見てきて共感する者と様々想いを噛み締めていた。
「故にこの試合に敗者があるとは認めない。私はこの勝負、優れた者には、我がシャンデル王国の聖騎士の称号を与え、より優れた者を勇者の称号を与える事とする!」
今まで最高潮と思っていたものが、王の激励の言葉に会場中が、会場そのものが壊れそうな勢いを見せた。
「さすがは王様、粋だねぇ。そういう所、好きなんだよな。なぁ?ルイス」
銀髪の青年、リックは少し照れくさそうに自分の首の後ろに右手をやり、爪先を軽く地面に小突かせながら、茶髪の青年ルイスに同意を求めた。
「同感だ」
オーバーに首を縦に振り、リックに同調するとそのまま、その想いを込めて王の居る方向へと視線を移した。
王も二人の方を見ていた。
勝れる者と、優れる者を決める戦い、その合図を出さん為に二人の心に問い掛けるように、そしてそれに応えるように見つめ合う。
緊迫する空気すら、この二人は楽しんでいるようにも見えた。
そして、王はゆっくりと右手を真っ直ぐに上へと伸ばす。
暫くの静寂を味わうと勢い良く、その右手を下ろした。
「それでは、試合開始!!」
合図と共に銅鑼が、再び鳴り、それを幕開けに青年二人は、剣を鞘から抜き、お互い一直線に最高速度で、リックは袈裟を、ルイスは左斬上を繰り出し、お互いの剣が激しくぶつかり合い、大きな金属音と共に二人を仰け反らせる。
先に体勢を戻したのはルイス、僅かにではあるが体格差からなのか、力はやや上をいっていた様で、下がった腕をそのままに右足を前へ踏み込み、ぶつかり押し戻された勢いも利用して、左回転し右薙を遠心力たっぷりに放つ。
リックは戻りきらない体勢で強引に腕の力で剣を引き寄せ何とかガードするも、踏ん張りも利かずに身体ごと飛ばされ、空中で器用に身体を捻り、足と左手て地面を擦りながら何とか止まり、膝を付く。
追撃をせんと突っ込むルイスに、リックは左手の親指、人差し指、中指を立ててルイスの方向へその手を翳すと、そこから赤色の光が現れ、それがすぐさまに炎へと変わり、矢の様な形となりルイスへと襲う。
リックが手を翳した瞬間に魔法攻撃来ると判断したルイスは、追撃の足を急停止し、炎の矢を剣で振り払う。
炎で前方の視界を奪われ、炎が消えた頃には既にリックの姿は無かった。
探そうとした瞬間に、ルイスはそれを放棄する。
何故なら、後ろに気配を感じてしまったからだ。
リックは背後を取ると左薙で斬りかかり、振り向く暇すら無かったルイスは右肘を天に掲げる形で後ろに剣を回し、剣の衝突と同時に身体を回転させて、見事にリックの剣をいなした。
お互いが向かい合うや否や、激しい斬激の応酬が始まり、その剣の太刀筋も眼では追いきれない速さであった。
両者譲らず、緩急や強弱をつけながら、相手のミスや隙を作ろうと目論むも、なかなか決定打の一撃を決める事が出来ず応酬は長引き、力に勝るルイスが少し無理矢理に大振りの一撃を放ち、リックはそれを受ける。
いくらルイスが力が上でも、強引過ぎた一撃は、難なくリックに止められはしたが、先程の激しい打ち合いからは一転、お互い一歩も譲らない鍔迫り合いへと移行した。
「いやぁ…参ったな。やっぱ強いねぇ……案外早く勝負が着いたりしないかなぁ、なんて考えはやっぱ甘かったか……はは……」
「俺もすぐに終わったらどうしようとか思ってたけど……とんだ取り越し苦労だったよ……」
均衡を保ち、肩で息をしながらリックが軽口を言い、それに張り合うルイス。
力の拮抗した者同士、先程の打ち合いでの肉体的には勿論、精神面でも疲れが出始めた二人は、この鍔迫り合いで息を整える事を暗黙の了解としていた。
「んじゃ、そろそろ行きますか!」
リックはそういうと力を抜き、自然と後ろへと押される。
ただし、この場合は、押される側出はなく、急に力の拠り所を無くし前へのめり込む形となったルイスが遅れを取り、腹に一撃蹴りを入れられ後退させられる。
「ぐぅっ!」
蹴られた腹を左手で押さえ、リックにきつい視線を送る。
リックは先程の魔法の時同様に、指を三本立てており、さっきのそれ以上に集中している様にも見えた。
「リオ・エンス・フルラン――」
「させるかぁぁー!!」
魔法の中でも、呪文を必要とする魔法は高等な技術が要り、それを扱える者は見習い魔術師以上のスキルが必要とされている。
呪文無しの魔法が自身の魔力だけに対して、呪文ありの場合は、精霊の力を借りていると言われている。
リックは、才能がある訳では無かったが、魔法への関心が強く、勇者の訓練の合間に地道に練習してきたのだった。
ルイスの方はというと、そうではないものの、勇者として魔王と戦う事を想定するならば、勿論魔法の習得は必須条件である以上、心得もあり、他の勇者候補者以上には、スキルを身に付けてはいるが、魔法を使うにはかなりの魔力と精神力を要する為に、中途半端な魔法を使うよりかは、魔力を体内に留めて、身体能力の向上に振り分けた方が良いと考えているのだった。
だからこそ、リックが呪文を唱え始めると、距離的に呪文を唱える前に一撃を与えるのは無理と判断した時に、遠距離の呪文無しの魔法をリックに放つのでは無く、渾身の力で剣を地面に後ろから前へ抉るようにフルスイングした。
大量の土砂と衝撃波がリックへと押し寄せ、呪文は即座に中断、さすがにここまでの力業で来るとは思わず、驚きながらも何とか右に跳び、跳んだ勢いを殺さないように素早く転がり、回避して起き上がろうと片膝を着く体勢にまでなった所で止まった。
「これはさっきのお返しな」
そんなルイスの声が後ろから聞こえ、背後の首筋には切っ先を向けられている感覚をまじまじと感じ取った。
リックが見せた炎の目隠しのやり返しのつもりで言ったのだろうが、規模が全然違うじゃねぇか、と心の中でツッコミを入れつつ、リックは両手を挙げて「参ったよ」と苦笑しながら呟いた。
鍔迫り合いからの息を飲む戦いから、声を出すのを忘れた観客達は、再びどっとするような歓声が響き渡った。
リックは首で振り返り、ルイスを見ると既に首筋に向けられた剣は下ろされていて、手を差し伸べていた。
やれやれと言わんばかりの顔で、リックは振り返りながらもその手を掴み立ち上がり、腕相撲の時のような形に掴み直して、ルイスの身体を抱き寄せた。
「お前が相手で良かったぜ! 何か負けたってぇのにすげー良い気分だ!」
「俺もリックとここまで一緒に来れた事を誇りに……思う」
「勝った方が泣いてんじゃねぇよ」
そんな言葉には、憎しみや悔しみは無く、ただただ親友を慰める友のような温かさが滲み出ており、泣いているルイスの頭を引き寄せた。
バァーン、バァーン、バァーン。
銅鑼の音が三回響き渡り、最初の時とはまた違った静かさが会場に訪れる。
王は椅子から立ち上がり、リオメタルを口元へ運ぶ、目には少し涙が浮かんでいるようにも見えた。
「試合はそこまで! 両者…よくここまでやり遂げてくれた。とはいえ、ここからが本当の使命である。明日二人に爵位式を執り行う。今までよくぞ頑張ってくれた。今日はゆっくり休養をとるように」
言葉の端々に二人への労いの気持ちが伝わり、リックとルイスは顔を見合せて、微笑み合い王へと深く一礼をした。
息のつく間も無い攻防に、激しく力強い斬撃に、いつしか観客達は身を乗り出すように見入ってしまっていた。
気付けば一瞬の戦いだと錯覚してしまいそうな程に、時間が過ぎ去っていた。
そんな戦いを繰り広げた二人を祝福するように、讃えるように、会場中、いつまでも鳴り止まない歓声と拍手が心地好く続いていた。