表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

山想

作者: 火和弍夏樹

玉木は、材木屋で働いている。

漁船に使う木材を、山から切り出す作業だ。

休みは日曜日と雨が降った日だ。

雨が降れば職場の皆とチンチロをしたり、大衆演劇を観に行ったりして過ごしている。

船に使う木材は、頑丈でしなやかで無ければならない。

玉木は職人としてはかなりの腕前で、時折、木の目利きの依頼がある程だ。

棟梁の高田は、この道43年の職人だ。内閣総理大臣から賞をもらったこともある。

見た目は小柄で棟梁と言うには優しすぎる風貌だ。

そんな高田を皆は慕っていた。

高田は来年で定年を迎える。

誰が棟梁を継ぐのかは、職人たちの間では噂になっている。

まずは、小倉のとっつぁん。

技術だけなら間違いなく一番だ。高田も認めるほどの繊細な作業が得意だ。しかし酒癖が悪く、女にも入れ込んでおり、悪い噂が絶えない。

有望株の玉木。

まだ36歳と若いが棟梁の資質がある。技術はこれからだが、何よりも人徳がある。

そして、一番の有力候補は、黒津だ。黒津は高田棟梁と30年以上仕事をしている。不慮の事故により、足が思うように動かないが、それでも貫禄、実力ともに申し分ない。

誰が棟梁になるのか想像するのが、

酒の肴にはもってこいだ。

玉木は別に誰だっていいと思っていた。

応えは、木に聞けば分かると。


今日は土砂降りの雨が朝から続く。

雨は、容赦なく、けたたましく窓にぶつかる。

年に一度あるか無いかの大雨だ。

玉木は、さっきまで会社で待機していたが、作業中止と共に宿舎へ帰ってきた。

濡れた体が、暖を欲していた。

宿舎の風呂場へ駆け足で向かった。

濡れた作業着を雑に脱ぎ、湯船へと向かった。

冷えた筋肉が一瞬にして緩んだ。

全身から湯気が立ち上がり、思わず、

『はぁ。ふぅ。』と声が出た。

玉木は肩まで浸かって目をつぶっていた。

風呂場のドアが開く音がした。

黒津が入ってきた。

玉木は伸ばした足をキュッとたたみ、大きな声で挨拶をした。

黒津は少し微笑み、後は無言で湯に身体を任せていた。

黒津を残し風呂場を出た玉木は、

すぐさま部屋に戻り、仰向けになりながら天井を見つめていた。

天井の板の木目の数を数えていた。

気がつけば、夕方になっていた。


この日は、気仙沼から漁業組合が視察に来ていた。

まだ取引はない組合で、社長が自ら案内をしていた。

高田と玉木も同行していた。

高田は職人肌で会話が苦手だが、

今日ばかりは、丁寧に説明をしていた。玉木は、緊張しており、先日仕立てたばかりのスーツに袖を通し、高田に付いて歩いた。

細部に渡って高田は説明をし、社長は客の機嫌をうまく取っていた。

玉木は高田の指示で、作業を実際にしてみたりした。

夜は、社長、専務、高田、黒津の四人で接待に行った。

それから一週間後、気仙沼との取引が決まった。

高田は玉木を呼び出し、こう言った。『おめでとう。』

玉木は何もしていない自分に嬉しいよりも苛立ちが勝った。

高田は、そんな気持ちを察してか、

『おめえの木に対する丁寧さが伝わったんだよ。接待の席で部長さんが言ってたさ。玉木君の木に対する真摯な姿勢が良かったとな。』

玉木は、急に涙が溢れ出した。

体内から押し出されるように溢れた。

高田はニンマリと笑い、玉木の頭を軽く叩いた。

その夜、玉木を誘ってスナックへ消えていった。


会社から歩いて10分ほどの

スナック美春に着いた。

カランコロン。

『あら。高田さん。お久しぶり。今日はお連れ様と一緒ですか。』

スナックのママの美春さんは、笑顔で答えた。

『あら玉木君じゃないの。珍しいわね。高田さんと一緒に来店。』

いつもは玉木は、小倉のとっつぁんに連れられてきていた。

ふとカウンターの奥を覗き込むと、

そこには黒津が座っていた。

顔はかなり赤くなり、ウイスキーのボトルはあとわずかになっていた。

『おぅ。黒津、どうした。一人酒か。』高田と玉木は先客に席を詰めてもらい、黒津の横に座った。

『タカさん。良かったなぁ気仙沼。久々の大口だ。これから忙しくなる。』

黒津は酔いをさますように語った。

それから高田と黒津の話を盗み聞きをするように玉木は酒をちびちびと飲んだ。

長い夜だった。


今日は、新たな山での切り出し作業だ。山開きには必ず祈祷をする。

朝から皆総出で、祈祷の準備に追われていた。

無事に祈祷も終わり、昼を取ることにした。

俵型のむすび2個に、つくしの佃煮と茹で卵。皆腹が減っていたのか、一気に流し込んだ。

昼からは、木の選定作業。

わかりやすく言うと木に順位をつける作業だ。

高田、黒津の二人が行う。

他の連中は印を付けていく。

玉木は二人が選定と答え合わせを、するかのように、頭の中で選定をしていた。作業は夕方まで続いた。

その夜、会社の集会所で、明日からの作業説明をするため、高田が皆を集めた。

高田は、こう言った。

『明日からの作業を簡単に説明するぞ。今回の山の作業は約3カ月だ。今回の現場責任者を発表する。』

いつもは必ず高田自身か、黒津が責任者だった。

『玉木。お前が現場責任者だ。やれるか。』

玉木はすぐさま

『はいっ。させてもらいます。』

玉木の目は、真っ直ぐ高田を見ていた。

説明が終わり、高田が玉木の所へ寄ってきた。

高田は、『早く支度しろ。美春に行くぞ。』

玉木は急いで支度をし、スナック美春へ向かって行った。

玉木はこの夜を、妙に短く感じた。


翌朝、玉木の指示の元、作業は行われた。

選定した木を順番に切り出す。

小倉のとっつぁんが重機を手足のように扱い、作業は順調に進んで行った。

一つ目の木は、気仙沼へ初めて納品される木だ。

切り出し工程が終わると板状に木を切る。ここまでが高田たち職人の仕事だ。

そこからは加工部門へと引き渡される。

切り出す木の良し悪しで商品価値が全て決まるのだ。

そんな仕事に職人たちは皆誇りを持っていた。


一か月ほど過ぎ、玉木は疲労が限界にきていた。

今日は雨で作業は中止、玉木は正直ホッとした。

休みの日も山へ入って段取りのチェック。ほとんど休んでなかった。

そんな玉木に贈り物が届いた。

少し汚れた大きめの発泡スチロールだ。実家の母親からだった。

中を開けると、干し柿がたくさんと、瓶詰めされた梅干し、タッパーには高野豆腐の煮物。そして一枚の便箋が入っていた。

便箋を開けると手紙が入っていた。


『宗介。元気かい。仕事は順調ですか。こっちは体調もよく元気です。

父さんは盆栽に明け暮れる日々ですよ。

そうそう、宗介の好きなものを入れておきました。食べてくださいね。

そうそう。それとこの前、わざわざ高田さんが来てくださいましたよ。息子さんに大切な仕事を任せました。大変かもしれませんが彼ならやれる。どうか支えてやってください。っておっしゃっておられました。

やはり高田さんは素晴らしい方ですね。1日も早く高田さんに近づけるよう無理せず頑張るんだよ。』


玉木の目からは、大粒の涙が溢れた。頬を伝って畳を大きく濡らした。一晩中、濡らし続けた。

玉木は、一つ大きくなった気がした。


今日で、この山での作業も終わる。

玉木の指示を出す姿も馴染んでいた。

後ろの方で見ていた高田の顔が、安堵の表情と、どこか寂しそうな顔をしていた。

作業が終わり、玉木は笑みを浮かべた。

皆からは大きな拍手が上がった。小倉のとっつぁんは玉木に近づき泣きながら抱擁をした。

玉木は思った。

とっつぁんも泣くんだなぁ。と。

そう思うと玉木も目頭に涙を溜めた。

山へ感謝を。ありがとう。


それから半年が過ぎた。

高田が今月末で退職という時期だ。

今日は、社長から辞令が出る。

朝から皆そわそわしていた。

高田の後任がついに発表される。

社長が皆を集めた。

『えー。お疲れ。高田さんはこの会社に大きな貢献をしてくれた。

そんな高田さんも無事退職だ。本当にお疲れ様でした。

高田さんの仕事は一朝一夕でできるような代物ではない。しかし、皆は確実に力を付けている。きっとやれる。では、高田棟梁から次の棟梁を発表してもらう。』


『お疲れ。社長から話があったように、わしの代わりではなく、新しい棟梁を指名させてもらう。これがわしの最後の仕事だ。』


皆、呼吸を止めた。

そして、数秒の沈黙の後。


『黒津。よろしくたのむな。』


黒津は、その瞬間、

『ありがとうございます!!』


そして、全員から拍手が送られた。

玉木は、笑顔で大きな拍手をした。

悔しさはあった。しかしどうしてか、心の底から黒津を祝った。


そして、拍手が鳴り止みかけたころ、高田は言った。

『黒津ももう若くねぇ。足も心配だ。黒津には早くも次の棟梁を育成してもらいながら働いてもらう。黒津にもすでに了承を得ている。』

さらに、続けた。

『おう。玉木よ。おめえが黒津の次の棟梁だ。技術はまだ未熟だが黒津にみっちり仕込んでもらえ。きっと良い棟梁になる。』


玉木は、言葉にならなかった。

自分が涙を流している事に気付かなかった。

震える声で、玉木は、

『ありがとうございます。精進いたします。』

高田は、満面の笑みを浮かべた。


2年後、玉木が棟梁となった。

さらにその3年後、高田は結核によりこの世を去った。

平成26年、気仙沼漁船「海龍丸」は、特別指定文化財として現役漁船としては初の快挙となった。

玉木らによって作られた漁船は、

後世に語り継がれることになった。


おわり







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ