悪役っぽい見た目なのでそれっぽい事をしてみる
平々凡々な人生を送るものだと思っていた俺に転機が訪れたのは、普通なら体験しないだろう前世の記憶を思い出すっていうビッグイベントが起きた時の事だ。
日課である頭突きの稽古を庭の木でしていた朝方のこと、打ちどころが悪かったのか稽古の途中で気絶してしまい、目を覚ました時には見た目に反してクールな変わり者がそこにいた。
いや、クールは言いすぎたな。
慌てまくって鼻水垂らしながら庭を転がりまわっているちょっとだけ目つきが悪いだけのふてぶてしくも可愛らしい子どもがそこに居た。
周りにいたメイド達からの冷たい視線もなんのその。
精神面が驚くべき速度で成長した俺からしたら見下すような彼女達の視線も、ちょっとした気持ちの持ちようで快感に変えることも容易い。
少しだけ鼻息を荒くしながら木への頭突き稽古を再開する。
いつもの日課が俺の頭をスッキリさせて考え事をしやすくするのを感じながら、現状を頭の中で確認していく。
俺の今世の地位としては少しばかり金がある貴族の我侭なご子息で、チャームポイントの鋭い目つきとふっくらした体型が特徴的な姿をしたマルジ・チャーストン君だ。
領民と使用人たちからの評判としては、可愛げのない我侭な子豚らしいけど何て失礼なあだ名だ!
せめて柔らかボディのマルジ君とでも呼んでくれ。
まあ、過去の所業の積み重ねがこの評判へと繋がってるから今さらどうする事も出来ないな。
せめてこの悪評が全人類に忘れられるような善行を積んでいくしかない。
前世の記憶を思い出したことでまるで広大な海のように広い心を持った人間へと生まれ変わり、周囲からの評価がぐんぐんと鰻登りしていく様子に思いを馳せながら頑張っていくか。
いつの日かマルジいずゴッドと呼ばれる日もそう遠くないだろうな。
―――なんて思ってた時代が俺にもあったなんて今の俺からしたら笑いものだな!
「ふん! この使えないメイドめ! 貴様は碌に着替えも出来ないのか!?」
左の頬をビンタ!
倒れるメイドに赤く染まる手のひら。
打たれた頬にはうっすらほんのりと赤みがつく。
「きゃっ! ……申し訳ございません、マルジ様!」
すぐさま立ち上がり頭を下げてくるのは最近、新しく俺の担当として付いたメイドのメリーナさんだ。
可愛らしいメイド服がよく似合う彼女は、元々趣味の手芸で作った小物をたまに売る程度の普通の一般人だった。
なのに、旦那であるはずの男が別の女に恋をしたとか運命の出会いだとかで一方的に離婚宣言。
まだ幼い娘も居るってのに消えてしまった元旦那の代わりに金を稼ぐべく誰もやりたがらない俺の担当のメイドとして雇われてきた。
なんとまあ悲しい理由で来たものだ。
幼い娘も突然パパが消えて寂しいだろう。
だが、俺にはそんな事関係ない!
子豚から只の醜い豚へと進化した俺には、他人のあれこれを気にするような心は持ち合わせてないんだよ!
悪いな、メリーナさん。
俺にはアンタを可哀想なシングルマザーだからと担当メイドとして雇う気はないんだ。
「もういい。メリーナ、貴様には今日限りで俺のメイドを辞めてもらう」
「そ、そんな……!? それだけはお許し下さい! きっと全て完璧に出来るよう努力いたします!」
「ええい、うるさい!」
衝撃の通告に顔面蒼白のメリーナさんが整った顔を歪ませて縋り付いてくる。
なるほどなるほど、そんなにショックかメリーナさんよぉ。
だけど、貴族の俺にはアンタの気持ちは一切分からねえなあ!
驚異的なスピードで学習していき雇われて数日で他のメイドを凌駕する仕事の完璧さ。
見てみろ、俺のこのピシッと決まった服を!
どこの世界に父親のメイドよりも完璧な仕事をされて気まずい空気を作ってしまう事に耐えられる息子がいるんだよ!
父親の担当メイドなんて今まで手を抜いていた事がバレやしないかといつも冷や汗流しながら仕事してるんだぞ。
だから、俺はアンタには辞めてもらうのさ。
振り払った拍子に尻餅をついたメリーナさんへと指を突きつけて言い放つ。
「担当メイドじゃない貴様が此処にいる理由はない! 出て行け!」
怪我でもされたら困るから泣いてるメリーナさんを優しく抱えて部屋の外へと置いた。
◆
長年続けてきた日課のせいで毛根は死んでいき前髪はほぼ無いと言っても過言ではない状態へとなってしまった俺は、つい先日爺やからスキンヘッドにする事を勧められた。
全くもって失礼な提案だ!
どこの誰がふっくらとしたボディとデン! と飛び出た腹を携えた豚鼻のスキンヘッドを見ようと思うんだよ。
俺はこれでもチャーストン領の未来を担う将来有望なマルジ君だぞ。
その俺が頭を刈り上げて歩く太陽になるなんてあまりにも屈辱的すぎる。
絶対にやらないからな!
「ほほぅ。中々に似合いますぞ坊っちゃま」
「そうか? 爺や。俺にはますます豚に近づいたように見えるんだが……」
鏡に映るのは目つきの悪い立って喋る豚。
おいおい、誰だよこんな珍獣を連れてきたのは。
今すぐ檻にぶち込んで見世物にしてやろう!
爺やはシワシワの手のひらで俺のつるりんとした頭部を優しく撫でてくる。
「何を仰られますか。とても可愛らしい坊っちゃまですぞ」
ニコニコと白髪の爺やが俺の頭を撫でるが、その速度が徐々に上がってきている。
まさか爺やのやつ、見事なまでに刈り上げられた俺の頭をピッカピカにして夜道でも安全に歩けるようにするつもりじゃないだろうな。
そうなったら今度は皆から歩くランプなんて呼ばれるようになっちまう。
生物から只の物になるなんて俺は嫌だぞ!
「爺やは嬉しゅうございます。坊っちゃまが自分の身なりを気にして意見するようになるなんて……」
「いや、髪型をスキンヘッドにしたいと言ったのは爺やだろう。この頭はただ爺やが好きなだけだろう」
ツルツル豚の眼光が老執事を襲った!
老執事はにこやかに微笑んだ!
これが経験の差ってやつか……。
「……それで、メリーナの方はどうなった?」
閉じられた扉をチラッと確認、どん! と飛び出たお腹を摩りながらまるで悪役のように爺やへと目をやる。
爺やも撫でるのを止めて執事然とした雰囲気に戻り答えてくれる。
「坊っちゃまの言う通りに此方の方で雑用その他をメイドとして雇い指導した後、シェリア様の屋敷へとお送りさせていただきました。……先日、様子を伺いに行ったところ、シェリア様の担当メイドとして良くしてもらっているようです」
「そうか。シェリアなら俺に付くよりも待遇が良いはずだ。メリーナもその娘もこの領に心残りは無かったようだからな」
話しながらドスンとソファに座り込む。
偉そうに顎を上げて座った姿は正に悪役。
部屋に入ってくる陽光が俺の見事なスキンヘッドを光らせて、爺やからは逆光で俺が黒く見えてるはずだ。
近くの机に置いておいた果実水を一口、美味い。
俺のことを嫌っている許嫁へと完璧に仕立て上げた優秀なメイドを送り、許嫁の所に元々いたメイド達が新人なのに完璧すぎるメリーナへと劣等感を感じて屋敷の中の空気が最悪になるのを想像しながら飲む果実水は最高に美味い!
元旦那との思い出が残るこの領を離れたがっていたメリーナと友達が居なかった娘があちら側に送られても困る事はないのは調査済みだ。
もしこちら側にあの二人と懇意にしている人がいたらまた評判が下がるからその辺りも含めてバッチリだ!
許嫁を苦しめ、その周囲を苦しめ、心に傷を負っている母娘をも苦しめる!
「フッフッフッ……。これでこそ悪役。恨むならこの悪役っぽい見た目と元の性格にした神様を恨むんだな」
爺やが口周りの果実水を拭った後、ついでに立派なスキンヘッドを磨き始める。
これ以上ピカピカにされると寝る時に月明かりを反射して部屋が明るくなってしまう。
スキンヘッドのおかげで悪役っぽさはましたけど不眠症になるのだけは勘弁して欲しいぞ、爺や。
◆
日課の頭突きを行っている途中で空を見上げる。
この時間は考え事をするのに向いている。
少しだけ止まった俺の頭へと停まろうとした鳥が滑り落ちていくのを感じながら、ある決意をした日を思い出しつつ日課を再開した。
―――前世の記憶を思い出してから数時間後、鏡を見て自分の姿を再確認していた俺は頭を抱えた。
なんとまあ予想以上に目つきが悪い無愛想な子どもだろうか。
これは正しくあの両親の血を引いているに違いない。
他人を見下しているようなこの濁った目はそうそう見る事ができない希少性があるぞ。
遺伝ってのは怖いなぁ。
というか、なんだこの目つきと体格、無愛想な顔は。
子豚っていうより悪人じゃねえか!
マルジ君は将来、極悪領主にでもなるつもりか?
この記憶の中にあるマルジ君はこの見た目に引っ張られ過ぎたためにあんな正確になった可能性が高いぞ。
だって、ぴったりだもんな。
この見た目にあの性格は。
前世の俺があんな性格で暮らせなんて言われたら心が痛みすぎて即入院になるわ。
よし、マルジ君の下がっていく評価のためにも頑張るか。
……って、ちょっと待てよ。
どうして第二の人生でも俺は平凡に生きようとしてるんだ?
折角、子どもの頃から成人並みの精神を持っている状態になったんだから、もっと色々とやれる事があるんじゃないか?
例えば前世では心が痛んで絶対にできなかった事をやったりとか……。
「よし!」
やろう、やってみよう。
この見た目にあの性格をもう一度入れ直して、俺の精神があればできるはずだ!
昔見た物語に出てきた悪の親玉のような生活が!
そうと決まれば早速行動だ。
頭の中にあるマルジ君の嫌われる言動を忘れないようにメモしておかないと……。
忙しくなるぞ!
―――目の前の岩にヒビが入ったので日課を中止する。
少し手加減を間違えてしまった。
やっぱり昔の事を思い出すと気が抜けてしまうな。
コレが壊れたらまた別の岩を探しに行かないとだから面倒だ。
でも、いつの日かこの日課が実を結んで鉄のような頭突きを手に入れる日もそう遠くはないはずだ!
フッフッフッ……。
自らの手を汚さずに他の人間に色々とやらせるっていうのは、爺やのおかげで出来ている。
あとは資金を集めるための新事業の展開と優秀そうな部下を集めるとかだな。
メリーナさんには、シェリアに俺の家にはこんな完璧なメイドが沢山いるんだぞ、とアピールするのに役に立ってもらった。
きっと今頃は他のメイドたちに陰口を叩かれたりしているだろうが、給料の良さに免じて許してくれ。
俺も後の事を気にしてやるほど優しくないんでなぁ!
許嫁との仲が良いなんてなったら悪人としてやってられない。
彼女には仮面夫婦として過ごしてもらう事になるけど、その時は恋なり遊びなり自由にしてもらおう。
なるべく両家に困るような事にはならないようにするからな。
だから俺のことは好きなだけ嫌ってくれ!
後ろで待っていてくれた爺やのもとへと戻り始める。
さて、次はどんな事をしてやろうか―――。
◆
なんとかニーナを育てられるだけの賃金を貰える仕事に就くことができたと思っていたのに……。
まだ仕事を始めて一ヶ月も経ってないのにどうしてなの。
ちゃんとマルジ様の担当メイドとして頑張ってきたのに、一体何が気に食わなかったんですか?
失意のままにマルジ様の部屋の前で項垂れていた私のもとへと近づいてくる足音。
顔を上げてみるとチャーストン家の屋敷で一番長い間働いている執事長が私を目掛けてやってきていた。
すぐさま涙を拭いて立ち上がり頭を下げる。
「申し訳ございません、執事長。お見苦しい姿を……」
「謝罪は不要ですよ。貴方はもうマルジ様の担当メイドではないのでしょう。ならば、今の貴方はこの屋敷のメイドではありません。気にしないでください」
凛と佇んだ執事長からの追い打ち。
私はもうマルジ様の担当メイドでは無いことを再認識させられる。
手芸以外に突出して何かをやってきた事がない私に、ニーナを育てられるだけの賃金を稼げる仕事は中々見つからなかった。
そんな中でやっと見つけたこのメイドとしての仕事を辞めることになるなんて……。
「そ、そうでしたか……。すぐに着替えて来ます」
「メリーナさん」
メイドに与えられた部屋へと向かうため歩き出した私へと、執事長が声をかけてきた。
「何処へ行くのですか。貴女が向かうべきはそちらではないですよ」
「……っ」
もう私の荷物はあの部屋には無いという事だろうか。
涙を堪えながら執事長へと振り返る。
ここでもう一度無様な姿を見せる訳にはいかない。
これからの生活の事を考えながら屋敷の入口へと歩きだそうとしていた私に執事長が言葉を続ける。
「ついて来てください。メリーナさんには覚えてもらう事がまだ山ほどありますので」
「……え?」
私に背中を向けて先へと歩いていく執事長はそれ以上何も言う気がないのか、振り返る事もせずに歩を進める。
一体どういう事なのか、何も分からない状態だけれど今は言われた通りに従うしかない。
流れ落ちそうになっていた涙を拭い、老いを感じさせない後ろ姿の執事長について行った。
―――それからはあっという間だった。
いつの間にかニーナを屋敷にあるメイドの部屋へと連れてこられていた事に驚く暇もないほど、連日みっちりと屋敷中のメイドの仕事を教え込まれた。
今までマルジ様の担当メイドとして行ってきた仕事は随分と簡単なものだったんだと思えるその厳しさに根を上げそうになったけど、これでニーナと暮らしていけるならと頑張った。
だけど、
「貴女は、今日でこの屋敷のメイドを辞めてもらいます」
あの日と同じように突然そんな事を執事長から言われた。
困惑する私をよそに話を進めていた周りのメイド仲間と執事長は、ニーナと私の荷物を纏めて外に停めてあった馬車へと私たちを無理やり乗せて見送った。
何が何だか分からないうちに馬車は走って行き、時々宿に泊まったり休憩したりしながらマルジ様の許嫁であるシェリア様の父上様が治める土地へと入っていった。
そして、シェリア様が住まう屋敷へと私たちを送り届けた馬車は去っていき、残された私とニーナは馬車の御者が渡した手紙を読んでいるシェリア様の前で呆然と立ち尽くしていた。
マルジ様からの直筆の手紙を読んだシェリア様は満面の笑みで手紙を読み終えると、
「では、今日からよろしくお願いしますね! メリーナ! それとニーナ!」
私たちへと笑顔そのままに声をかけてきた。
あとでシェリア様に教えてもらった話によれば、あの手紙には私たちの素性と私がどれほど使えるメイドなのかがびっしりと書いてあったらしい。
内容としてはまるで自慢しているように書いてあったそうだが、その節々から心配している気持ちを隠せていないそうだった。
シェリア様の予想としては、私にメイドとしての技能を教え込んでシェリア様の屋敷でも他のメイドに馬鹿にされないようにしていたらしい。
実際のところは、馬鹿にされるどころか新人なのに凄い! と周りのメイド仲間からニーナ共々懇意にしてもらっている。
最近では、執事長が私の様子を見に来た際に申し訳なさそうに、
「坊っちゃまは、素直に慣れないのです。どうか不器用なマルジ様をお許し下さい」
そう言って頭を下げようとしてきたのを必死に止めた。
チャーストン家の屋敷のメイド仲間から時々、誰も相手をする時間がなくて一人になってしまっているニーナの相手をマルジ様がしてくれていたと別れの時にこっそりと教えてくれていた。
貴族の方が只のメイドである私の娘のために時間を割いて相手をしてくれていた、という事に驚いてしまったけどシェリア様の屋敷へと向かっている途中でニーナが、
『ママ。もうマルジ様に会えないの?』
と、聞いてきた時にあの話は本当だったんだと確信した。
「マルジ様に感謝はありますが、恨むような事は一切ございません」
そう言うと執事長は普段は見せないような優しい祖父のような顔になりながら答えてくれた。
「そう言ってもらえると此方も嬉しく思います。どうかこれからも坊っちゃまのことを忘れないでいてあげてください。たった一人や二人でも自分の事を良く思ってくれる方がいるとなれば、坊っちゃまも心の支えになりますので……」
そう言って一礼した後、執事長は帰っていった。
今の此処での暮らしはチャーストン領に居た時よりも良くなっている。
許嫁の方と仲良くなれないと嘆いている主が少々心配ではあるけれど、きっと不器用なあの方ならいつか主を幸せにしてくれる事でしょう。
もう一度、あの方に会える時が来たらしっかりと感謝の言葉を述べさせていただきたいです。
◆
「へっくし!」
「おや、風邪ですかな? 坊っちゃま」
「ふん。どうせ何処かの馬鹿が俺に恐れを抱いて噂してるんだろうな! ……爺や、次は食糧難に陥っている村について教えろ」
悪の親玉が管理する土地の村が食糧難でボロボロになっているなんて不格好過ぎる。
まるで善人から搾取して豊かになったかのようになってもらわないと困るぞ。
「分かりました、坊っちゃま」
さあ、まだまだ頑張ろうか―――。
―――数年後、男を磨いてくる、といった理由で旅に出た何処かのスキンヘッドの貴族の男と、世界を見て周りたい、といった理由で旅に出た優しい主を持ったメイドの娘が出会う事になる。
片や貴族、片やメイド見習いの冒険者が素性を隠して冒険をする事になるのを今は誰も知らない。