決戦
結論からいえば、おれの命を狙うとすれば、それは目の前の二人が最有力候補となる。
おれを呼び出した黒マントの男か、その上司にあたるキング王国の国王か。
ヘリコプターで移動する時間で、おれはものごとを整理していた。
おれの思考を妨げる者はおらず、しかしおれの思考の手助けになる者はいた。
おれを襲った囚人は、おれと同じヘリコプターに乗っていたのだ。彼はロボットによって拘束されていたが、口を動かすことは許可されていた。おれはいくつかの質問をして、彼はそれに答えた。その結果だ。
「非常事態に混乱しておられますな」
王の第一声に、おれはいよいよ吹き出した。その様子を見て、王が深く眉をひそめた。
「温泉でもう少し養生するほうがよかったやもしれぬな……」
「ああ、ゆっくりお姫さまに足止めを頼んでな」
「なにか勘違いしておられるようだが、少しは冷静になってはいかがか。仮に命を狙うとして、ならばなぜ温泉などに零さまを行かせたのか。暗殺ならばあんな場所は選ばん。それにその者は……」
「賊からおれを助けたんじゃないのか、か?」
言葉を継ぎ、ロボットの肩を叩いたおれに、王は頷いた。
「そうだな。その点については正直わからない。暗殺の命令があったのか、それとも本当に助けようとしたのか。だからカマをかけた。それだけだ」
安堵した様子を見せた王が口を開こうとしたのを、おれは手を突き出して制した。
「だけどそれはまったく別の理由だろう。王さまもその黒マントに問いたいことがあるんじゃないのか?」
「どういうことじゃ」
「ヘリでロボに出自を訊いた。近衛魔術師に召喚されて以降、この国のために尽くした忠臣だ。城を守るために最期まで城に残る決意をして、円卓も囲んでいた。そして現在、命令系統はすべて……その男が握っている」
おれは黒マントの男を正面に据えて立った。
「囚人におれの暗殺を命じて、そこまではいい。しかしなぜかロボットがヘリを伴って出動していて、おれの危機を救った。なにかがおかしいよな?」
「……なるほど。そこまで理解しておるなら話が早い」
これまでとはまったく違う、平坦で冷静な王の声音。王はゆっくりと歩き出した。先ほどまで右手の側を預けていた黒マントの男から離れるように。おれと黒マントと王が、ちょうど正三角形の頂点となるような立ち位置に。
「なに、わしは承知しておった。いくらこの男といえども無断でジェット機は飛ばせん。重要な要素であるとあとからいわれたものでな、あの囚人には悪いことをした」
「重要なこと?」
「わしの野望を果たすためには、お主の遺体が必要だったという話じゃよ」
おれはその言葉を彼らのように冷静な眼差しで流したが、内心はまったくの逆だ。いや、心どころではない。手汗が滲み、冷や汗が背を濡らし、心臓が高くなり、耳鳴りがしている。
あくまでこちらの考えとして心に留めていたものを表出される感覚だ。たとえおれのことが嫌いだとわかりきっている人間であっても、その本人から表立って向けられる悪意が鋭く恐ろしくあるのと同じだ。
ましてこれは、悪意以上の殺意。
「わしは王じゃ。民草のために日夜思いを巡らせ、つねにこの世界がどう治められるかについてを考えておる。それはこの小国の王であったかつても、世界の王として君臨するいまであっても変わることはない」
「それで、統治にはおれがそんなに邪魔だったと?」
「最初はそう思っておった。お主には……なんじゃったか、不思議な力が備わっており、さらにその部外者であるがゆえのものの見方と知恵を持ち合わせておる。それは今後、間違いなく懸念材料になる」
「不思議な力?」
「同調の力です」
黒マントが口を開いた。
「この世界に馴染むために、わたしと同じチャンネルを使用しております。召喚した者を肉体的、精神的にこの世界でも正常に維持するための措置です」
「そう。それはいい換えれば、この世界以外の力、自分以外の力を制御するための耐性付与ともいえる」
王がいったが、おれはその文言を理解しかねていた。だがすぐにそれは目の前の事象をもって解決した。
立派な服も破れてしまえばただの布に過ぎない。全身に力を込めた王の体躯が瞬く間に膨れ上がり、上等な衣服を、その何倍も硬いはずの指輪や腕輪を、裂き、破壊したのだ。
「わし自身の力をもって、あらゆる世界を支配する。わしが真の王となるのじゃ!」
「なにが起こっている」
「王は真の王へと姿を変貌なされます。世界を真に支配する究極の姿への進化。これが王の望みでございます」
動揺するおれに、黒マントの男は冷静に答えた。
「しかしこいつは……!」
「想像の通りでございます」
もとの数倍以上に巨大化し、城壁ヘリポートに君臨する真の王。巨躯を防護する厚い皮膚とそれを覆う体毛。頭上の小さい王冠のみがかろうじてかつての王を想起させ、もはやその新たな肉体に面影などは欠片もない。
人の枠を超えた、森の大賢人。
「巨大ゴリラじゃねぇか……」
「王猩猩とでも呼称しましょうか」
王が右腕を振るった。その肉体からは想像もつかない速度で放たれた殴打を、おれは紙一重で屈んで回避した。
逃げなくてはならない。ロボットを呼んで走り出した黒マントの男を視認したおれは、そのあとを追ってヘリポートから城内へと駆け込んだ。
「どこへ逃げる!」
「逃げるのではなく向かうのです。まさかここで開放するとは……」
黒マントはきわめて冷静だった。おれは階段を駆け下り、男とロボットに続いてガラス越しに外が一望できる廊下を走った。
「待って! 俺も助けて!」
ロボットの命令が切り替わったからか、ヘリポートから不在になったからか。理由はわからないが、拘束を解かれたらしい囚人がおれの後ろ、おれたちが走ってきた道半ばで叫んだ。
その声に振り返ったおれに、鋭い声が飛ぶ。
「振り返るな! 中庭まで走れ!」
これまでにないほどに緊迫した黒マントの声におれは慌てて走り出そうとし、しかしそこでふたたび足を止めて振り返った。
「ゼロ! 死ぬ気か!」
黒マントの男の声を無視し、おれは囚人のもとへと走った。
猶予はなかった。囚人は周囲の様子に気を回す余裕を欠いている。おれは囚人と合流した瞬間、手を引いて思い切り横のガラスへと突撃した。ガラスが割れ、おれたちは外壁を横目にはるか下の地面へと落ちていく。
そしておれは仰向けに落ちていく最中に見た。おれたちがいた廊下が、外から差し込まれた王の腕によって横に薙ぎ払われる光景を。
結果からいえばおれは無事だった。高所から転落しても平気な猫のように、おれは空中で姿勢を入れ替え、囚人を抱きかかえて着地したのだ。衝撃で足は痺れたが痛みはない。よく見れば五階建ての屋上並の高さから跳んでいたが、おそらくアドレナリンでも出ているのだろうと、いまは納得するしかなかった。
「大丈夫か?」
問うてみたがどうやら囚人は気絶しているらしかった。おれは囚人を地面へと寝かせ、改めて上を仰いだ。
巨躯に拍車がかかっている。なんせ廊下を腕一本で薙ぎ払ったのだ。爆発的成長としかいいようがない。
「そうだ、中庭……!」
黒マントの言葉を思い出し、おれはふたたび城内へと入った。人払いがしてあるのか、兵士を含めて人間の姿がまるでない。
あの二人のどちらかは、こうなることを予測していたわけだ。
思案のうちに中庭へとたどり着いたおれを待っていたのは、黒マントの男とロボット。そしてもう一人、鎧を身にまとい、その上から厚く長い赤の外套を羽織る者。
いまはまだ温泉街に滞在しているはずのジェニー王女が、険しい顔つきで立っていた。
「王女? なぜここに」
「この男に呼ばれての……事情も聞いておる」
そういって唇を噛んだ王女に寄り添ったのは、見るに双子の片割れだった。
「わたしは王女のみをお連れしてくださいと伝えましたが……」
よく見ると中庭の向こう、植えられた木々の間にはステルス機能を搭載した小型の静音ヘリコプターが着陸していた。レーダーに映らないなどという話ではなく、光学迷彩を利用した本物の隠密機だ。運転席の外で待機しているのは元・見張りのようである。
しかし仮にこれに乗って王女たちがここに来たのならば。
「逃げるためのステルス機じゃないな。どうして王女をここに呼んだ」
「理由は明瞭。王は王女を狙っておられるからでございます」
「どういうことだ?」
おれの問いに、黒マントは空を見上げた。正確には王がいると思われる方角であり、いまでもそちらでは城壁を破壊するような音が鳴り止まない。
「賢人会議の長たるロックルック氏を救済する対価として彼らから得たゴリラのデータ。大量に落とした火要零による実験。それらをかけ合わせ、同調の力を応用して王自身の肉体へと反映させ、その姿を変貌させる。王は自らを強化し、そのコストを増加させようとしているのです」
「コストが増加すると……どうなるんだっけか」
「本来はどうにもなりませぬ。コストはあくまでも召喚の対価と召喚先の評価基準。しかしいまは違います。自身のコストを消費することで発動可能となる術式があるのです」
「そんなものが?」
「異世界転移の術式です。王は異なる世界の民をも従属させ、真の世界征服を成し遂げようとしているのです」
異世界転移の術式の詳細については初耳だったが、コストの消費という点については知っている。おれがコスト1を目指す理由。おれがもとの世界へと戻るための手段だ。
なるほど、そういうことだったのか。
「それで、同調のなんたらの実験を別世界のおれの死体でやったから、その安定化におれの血なりなんなりが必要ってわけか」
「迅速な理解、感謝いたします。しかし王はわたしの言葉を無視して急ぎ過ぎました。正気を保ったままに変身するには、近縁の者の血がまず必要と進言したのですが……」
「それがオレってわけだな、ちくしょうめ」
笑いながら王女が毒づいた。初めて会ったときの印象に合致する一人称で、妾よりはむず痒いものがない。
王女はおれや黒マントの言葉を待たなかった。横に立っていた双子の片割れがいつの間にか抱えていた剣を手に取り、鋭い目つきのままに鞘からそれを抜く。
それとほぼ同時に城壁が崩れ、そこから王が顔を覗かせた。すでに身長は城と同じかそれ以上で、なぜか右手には泣き叫ぶ囚人が握られていた。
「見よ! この愛するジェニーの血を犠牲とし、糧とし、わしは世界を統べる力を手に入れる!」
太く響く重低音の声に、当のジェニー本人は鼻で笑って応えた。もっともまったく楽しそうではないが。
「バカ親父ィ……! 男とオレを間違えるなんざ言語道断すぎるぜ。目ェ覚まさせてやる!」
そういって空中へと飛び出したジェニーの跳躍力におれは驚愕し、その一振りで王の腕を斬り落とした光景にさらに目を見開くことになった。
この王女、こんな身体能力をもっていておれと一太刀交えたいだのぬかしてやがったのか。おれを死に追いやるつもりだったとしか思えない。
斬り落とした王の腕は瞬く間に光となって空中で溶けきってしまった。王女は当たり前のように着地に成功したが、ふたたび気絶したらしい囚人は当然落ちるばかりである。既視感を覚えながらおれは走り、地面に衝突する寸前の囚人を抱きかかえて跳び、衝撃を逃すことに成功した。
「ヒューッ。やるじゃねぇか……ですわよ、救世主さま!」
いまさら隠す必要もないと思うが、いっていることは間違いなかった。おれにこんな身体能力が備わっているとは。
そこまで考えて、おれはアッと気づいた。
「同調の力か」
「そうだ。この世界に馴染むように力を分け与えた」
親切に答えてくれた黒マントに、おれは口端を曲げた。
「丁寧語はどうした?」
「わかっているんだろう? ならばもう必要はない」
黒マントの男がいう。王女と双子の片割れは首を傾げたが、おれには彼の言葉の真意がわかる。
いや、いまはそれよりもだ。
「あの王はどうするんだ。まさか王女を犠牲になんて解決方法じゃないだろう」
「ああ、そうだな」
黒マントが頷いた。指し示した先でゴリラらしからぬ咆哮を上げる王の様子に、おれは眉をひそめた。
「見ろ。なにもする必要はない」
黒マントに顎で示されるままに王を見上げたおれは、思わず息を呑んだ。
「ゴリラの肉体が、消えていく……?」
先ほど王女が斬り落とした腕が光の粒となって消えたように、ゴリラの巨躯が徐々に空中へと溶け、その姿かたちを消滅させていく。
「どういうことじゃ! わしは最強の肉体を手に入れたはず! 騙したのか、レイ!」
泣くように叫ぶ王に、黒マントはゆっくりと首を振った。
「あなたは道を見誤った。まさか身内に手をかけるなどという外道邪道の提案を即座に理解し実行に移るとは……」
「おい、どういうこった。オレをここに呼んだのはそれこそが目的なんだろうが」
あれほどの力を見せた王女に詰め寄られ、胸ぐらを掴まれても、黒マントの男は一歩も動かなかった。
「たしかにステルス機の出動は王の指示によるもの。しかしそれを実行したのは王の思惑を理由としてはいない」
城壁の向こうへと消えていく王の姿と断末魔に、おれたちは皆そちらを見た。
「おい、父上はどうなってる」
「ご自身の目で確かめられたほうが確実かと。護衛をつけましょう」
王女は黒マントの男を睨んでいたが、すぐに掴んでいた手を離し、王の巨体が見えていたほうへと走り出した。それを追って双子の片割れ、元・見張り、そしてロボットが動いた。
つまり、この四隅を城壁に囲まれた広い中庭に、いまはおれと黒マントの男の二人だけとなったのだ。
先ほどまでとは一転しての静寂。いまならば、彼も真実を話してくれるかもしれない。
「王はどうなる?」
「おそらくは死ぬ」
手始めに問うたおれに、黒マントは背を向けて答えた。
「力を増大させることでコストが上がるのなら苦労はしないさ。どんなにゴリラ化しようとも王はコスト1のまま。転移先にコストという概念はおそらくないだろう。別方法による転移手段がない限り、転移は片道切符だ。そして王が最初に選んでいた行き先には転移手段が存在しない」
「王は別世界に行き、戻ってこない?」
「そもそも行くことすらままならないがな。同調の力はあくまでも俺をベースにしたものだ」
黒マントがため息を吐いた。
「まぁ、王は自身の肉体の維持に限界があることには気づいていたようだが……こんなにも崩壊が早いのは俺ですら予想外だった」
「その話をまとめると……あんたは裏切り者ってことにならないか? さっきは格好のいいようにいっていたが、要は初めから王の破滅を知っていて実行したんだろう」
今度の返答には、少し間が空いた。
「火要零の排除命令が下って以降、お前を『世界征服の懸念材料』から『世界征服に必要不可欠なピース』という存在に変えるまで、苦労したんだぜ?」
「おれを守ったとでも?」
「そうさ」
「それ以外に理由があるんだろ?」
先ほどよりも長い間が空いた。黒マントの表情はマントのフードで見えないままだが、沈黙の意味はなんとなくわかる。だからおれは答えを待った。
「復讐だ」
呟くように、黒マントがいった。
「王に命じられた実験で命を落とした、父の仇討ちだ」
「やっぱり不慮の事故ってのは表向きの話なんだな」
そういってからおれは、不意に王が叫んでいた名前のようなものを思い出した。
「復讐できて満足か、レイ」
おれの言葉に応じるように、黒マントの男が、初めてそのフードを取った。
「正直にいうと、よくわからないよ、ゼロ」
そこにはおれがいた。身長が違う。体つきが違う。顔つきが違う。浮かべる表情が違う。肌のツヤが違う。瞳の色が違う。髪型と髪色が違う。もしかしたら他者には、意識しないと別人にしか見えないかもしれない。仮に顔が見えていたとしても、おれと黒マントの関連性に気づく者は案外少ない気がする。
しかし当人にとっては別だ。顔を見れば一目でわかる。黒マントの男は、まさしくおれだった。
「レイ・フレイムニードだ。自己紹介が遅れたな、ゼロ」
レイと名乗った黒マントが、強い意志を湛えた瞳でまっすぐにこちらを見つめていた。
初めから気づくべきだったのかもしれない。
黒マントの男の魔法陣はコスト0を召喚するための魔法陣だった。
そうであるならば、一つの可能性がある。黒マント自身もコスト0である可能性だ。
もしくは平行世界の召喚に関する事柄からーーつまり、レイがおれならば、たしかに平行世界のおれを召喚するのは容易いだろう。賢人会議の件によれば、同一の魔法陣で大量に平行世界の同一存在を召喚するのがコスパがいいらしいのだから。
結局おれが最初に引っかかりを覚えたのは王の『平行世界の自分自身を召喚するコスト0の魔法』という説明だった。そしてさまざまな状況を得て、老人への質問をもって確信を得たのだ。
おれと召喚士、よく見るととても似た顔をしてませんか?
おれの質問に老人はひどく驚いていた。育ってきた環境が違うから夏がダメだったりセロリが好きだったりするかもしれないが、根本的な雰囲気は同じなのだから。
「別に隠す必要なんてなかったと思うけどな」
おれは口端を曲げていった。
「驚きはあったろうけど、それ以外に影響はないんじゃないか?」
「いや、あった」
レイは強い語調で答えた。
「俺の術式の正体が王や他の者に知られるのは避けなければならなかった」
「どうして?」
「コスト0の戦略的価値があまりにも計り知れないからだ」
おれはかつての投下作戦を思い出し、納得した。
「それに……俺の術式は、あくまで隠密にことを運ぶべきものだったからだ。誰にも知られてはならなかった」
「じゃあなぜおれを召喚した部屋に王や王女がいたんだ?」
「国の危機だったからだ。賢人会議の件が無ければ俺は未だに研究へと没頭できた」
「近衛魔術師の復活……か」
レイが父と呼ぶ育ての親。レイを庇って死んだとされる有能な召喚士。
レイが口端を曲げた。おれと同じような表情だった。
「復活じゃない。復活は不可能だった。俺にできるのは平行世界の利用と……同調の研究だけだった」
「同調の力?」
「つまり、だ。平行世界から父と同一の個体を召喚し、同調の力でこの世界に適応させる。ベースは俺だ。俺の記憶を同調させて、平行世界の父の記憶を改竄する」
「それは……本当の近衛魔術師じゃあ
ないだろ」
「わかっている。わかっているさ。だけど俺にはそれしかなかった。俺ができるたった一つの恩返しだった」
「仇討ちが恩返しとは思ってないんだな」
「それは単なる私怨だからな。しかし……コスト0か」
レイの言葉に、おれは眉をひそめた。
「知ってたんだろう?」
「知っていたさ。だがコスト0をコスト1にする方法は見つからなかった。まさかステータスのあの無意味な数値群にそんな意味があるなんてな」
コスト0がコスト1になる方法。ステータス上の体力、知力、センス、モラルの要素がすべて一定以上になること。そのうちのモラルが大量召喚を決意したことによってマイナスに振り切り、おれはもとの世界へと帰れなくなった。
「まさか、あの大量召喚で?」
「いいや。あの召喚で俺のモラルは減らなかった。おそらくは命じたのがゼロだからだろうな。俺のモラルはその何年も前から消し飛んでいたのさ」
そういってレイが宙に浮かべたのは、平行世界のおれを召喚する魔法陣だった。
「かつて父が成し遂げられなかったこいつを使って、俺は何人もの俺自身を召喚した。その無尽蔵な献体を使って俺は術式を進化させ、父を復活させるための方法を探った。それがもっとも父の復活から遠のく手段だということにも気づかず、だ」
「それがおれを召喚する以前の話か」
「そう。ゼロもそうなるはずだった。だが国が危機に陥り、俺の研究を密かに探っていた王が召喚命令を下した。王は俺の願いや召喚物に関しては知らず、ただ俺の召喚力を頼っただけだった。しかし皆の前で召喚してしまった以上、すぐに始末することはできない。役に立ってしまったのならばなおさらだ。俺が隠匿していた術式を利用した大量召喚の提案、それによって俺の術式は完全に明るみに出てしまったというわけだ。まぁ、そのおかげで世界征服を成し遂げ、コスト1になる方法も知れたわけだがな」
おれがモラルを減らしたあとで知った後出しの真実。しかしおれ以上にレイはそれに絶望していたのかもしれない。
「そもそも、なぜおれたちはコスト0なんだ」
誰にとっても当然の疑問だろう。四項目によって自動的にコストが決まるのならば、そもそもモラル低下の前に数値が足りないことになるではないか。
おれの問いに、レイは首を振った。
「それはわからない。俺たちは生まれながらのコスト0だった。昔はさまざまな仮説が立てられていたが、いまはそうとしかいえない」
「仮説……?」
「つまりこの世界の俺が俺だけだったときの話だ。父はその謎を究明するために俺を実験材料とした」
「どういうことだ」
レイは魔法陣を閉じた。改めておれへと向き直ったその顔は、哀しみとも怒りとも取れる複雑な表情だった。彼はそれから、急に着ていた衣服を乱暴に脱ぎ始めた。ボタンを抜き、服を裂き、そうして露わになった上半身を見て、おれは息を呑んだ。
肉体に刻まれた、黒色の紋様。刺青のようなそれは首から下の上半身全体、両腕にも背にも、まるで表出した血管のように描き巡らされていた。
「俺が発見されたとき、すでにこの術式は刻まれていた。成長しても肉体とともにこの刻印は延び、消えることも途切れることもなかった。父は俺に説明してくれたよ。俺は、別の世界からやってきた存在だとな」
「戦場で拾われたって話は……」
「それは本当だ。もともとこの世界にいたはずの俺がなにをやらかしたのかは知らないが……俺はこの世界へと転移してきた。ゼロ、お前と同じようにな」
「父にとって始め俺は研究材料だった。世にも珍しいコスト0だ。俺の肉体に刻まれているのが術式だとわかり、さらにそれが平行世界の俺を召喚できると知ったころ……父は研究を止め、俺を遠ざけた」
「まぁ、対価なしに無尽蔵に人間が召喚できるんじゃな……」
「そうだ。武器、兵器に留まることはない。コスト0という存在は環境や衛生、医療、果ては食糧問題まで解決できるだけの力があるからな。しかし父はそれを良しとはしなかった」
「王はそれを利用しようとした?」
「為政者としては当然の判断だった。当時はまだ、コスト0の俺や平行世界の俺をコストにした際の実験はおこなわれていなかったし、俺に関する調査はすべて机上のものだった。父は一人も俺を召喚することなく、コスト0という俺の正体に行き着いていたんだ」
「だからこそ、確かな情報としての実験データが欲しかったというわけか」
「俺を庇った父は死んだ。まるで王を戒めるように、自らコストとして術式に飛び込んだ。これはその形見だ」
魔法を唱える際にレイが振るっていた小さな木の棒。近衛魔術師を対価に召喚された魔法の杖。
「父の死の真実は隠蔽された。父の研究資料が王に回収される前に、俺はそれらを頭に叩き込んだ。そして俺を狙った他の召喚士たちを全員葬った」
「結果として、この国の召喚士は一人になった……」
「そういうことだ。あとになって判明したが、このコスト0の術式は俺以外には使用できないらしい。同じコスト0であっても平行世界の俺には不可能だった。危なかったよ。あやうく俺を対価に消した他の召喚士たちやそれを命じた王に無能の烙印が押されるところだった」
心にもない言葉であることは明らかだった。鈍い俺でもそれはわかる。
「だが安心しろ。お前をもとの世界へと返す術式は俺でなくとも動くはずだ。帝国あたりの連中に頼んでみるといい。俺よりも素早く正確に送還してくれるだろうさ」
そういって歩き出したレイに、おれは慌てて声を上げた。
「おい待て!」
「話はもういいだろう。俺はもう飽きた。そろそろ手仕舞いにしようじゃないか」
レイの歩みを止めるべく、彼の前に立ち塞がろうとしたおれは、しかし城壁から現れた存在に足を止めた。
王冠をつけた体長五メートルほどのゴリラが、動かない王女を右肩に担いで姿を現したのだった。
左手から放られた元・見張りが地面に打ちつけられ、おれと同じく歩みを止めていたレイの足元へと転がった。
レイは傷だらけで呻く元・見張りの容体を確認するように屈み込み、数秒ののちに立ち上がった。
「やはり転移者は信用できぬというわけだ」
王がいった。力強くはあるが、決して万全とはいえなさそうな息遣い。さらによく見れば肉体からは変わらず光の粒が放出され続けていて、左脚などは顕著に半分ほどが宙に消え始めていた。
「ジェニー!」
おれの叫びに、王は首を動かしこちらを向いた。
「ジェニーは生きておる。こやつのいうことなど、もはやなに一つ信頼はできぬからな……」
王女を優しく地面へと降ろす王の姿におれは安堵したが、レイの声音はきわめて冷たいものだった。
「ここにきて自我を取り戻すとは、伊達に王ではない、ということだな」
「すべてお前の目論見通りにはいかぬ、ということじゃ」
「さぁ、それはどうかな」
レイと王が互いに歩み寄る。しかし二人の距離が数メートルとなったとき、急に王の足が止まった。変わらず歩き続けるレイに、王の声が飛ぶ。
「なにをする気じゃ」
「もはや俺に生きる意味も価値もなし。ならばせめてこの私怨、晴らさせてもらう」
おれは気づいた。王とレイの二人が枠の内へと入っている、地面に展開された魔法陣がそこにはある。
「これは……体が動かぬ! やめろ、レイ!」
「ゼロ。迷惑をかけた。願わくばモラルを貯め、いつかお前がもとの世界に帰ることができるよう……」
おれの叫びと王の悲鳴が共鳴するように響き渡った。光に包まれる魔法陣のなかで、レイはただ目を瞑っていた。
レイの復讐劇の幕が、閉じようとしている。
〈やめたまえ。観客はまだいるはずだ〉
それは優しく清らかな声だった。若く、力強く、それでいて威厳があり、明るく静かな、まさしく賢者の声だった。
その声に呼応するかのように魔法陣が放出していた光を失い、レイが持っていた杖が緑色に淡く光り始めた。
「どうして……どうしてその声が……」
体と声を震わせて、レイが声の主を探した。目の前で腰を抜かして放心している王には目もくれず、彼は周囲を見回した。
そしておれたちは、ボロボロになりながらもこちらへ歩いてきた双子の片割れを発見した。
いや、正確には。
彼女が抱えた、ロボットの頭部を発見したのだ。
「父さん……なんで……」
〈あー、この声が流れているとすれば、もうぼくはこの世にはいないはずだ。もしくはそう……二日酔いで寝ているかもしれない〉
一転して優しく、軽い声音だった。スピーカーを通しているがロボットの声ではない。しっかりとした人間の声だ。
〈まぁどっちにしろ、いまの状況は非常にまずい。いいかい? なぜならこの録音はぼくが緊急事態に備えて残しておくものだからだ。つまりレイのバカ野郎が自分自身を無意味な対価にしようだなんていう発想をしてしまったときに、それを解除する反術式を音声認識で打ち込むためのものなんだからね〉
「近衛魔術師か……」
放心状態から回復したらしい王が、その声を聞いてつぶやいた。
〈おっと、ぼくを遠ざけようとしてもダメだ。ぼくは信頼されているからね。緊急のアラームを鳴らせば、この城にいる心優しい誰かが絶対にぼくをレイの部屋へと連れていってくれる〉
このぼくとは近衛魔術師自身であり、ロボットのことなのだろう。なんとなく、おれはそう思った。
〈さて、どうしてこんなことが起こってしまったのか、だけれども。それについてはなにもいわない。レイ、きみは賢いからね。ぼくがなにもいわなくても、注意された時点で反省できるはずだ。そうだろう?〉
「はい……はい……!」
レイが何度も答え、頷いた。顔は見えないが、湛えている涙は声の調子でわかってしまう。
〈けれどもきみばかりが反省してもしょうがない。きみを追い詰めた周囲にも責任はある。もしかしたら……いや、もちろん、ぼくにも。だからまずは謝ろう。すまなかった〉
「父さん……俺のほうだ、謝るのは。ごめんなさい。ごめんなさい……!」
〈でも大丈夫。レイ、きみは誰よりも優秀だ。ぼくが引き取った子どもたちのなかで誰よりも、いやひょっとしたら、ぼくよりもね。だから涙を拭って、前を見て。きみにはやるべき使命が残されている。たぶんね〉
音声に一瞬ノイズが入った。その音を合図にしたようにレイは頭部を大事そうに抱えた少女に近づき、それを受け取った。
〈さて、そろそろ説教も終わりにしようか。最後くらいはかっこつけようかな。ゴホン! えー、この録音は自動的に消滅する! なんてな〉
その音声と同時にロボットの目元に一文字の光が走った。いくつかの起動シークエンスらしきものを経て、瞳のような二つの丸い光が灯った。
「特殊音声ノ再生終了ヲ確認」
流れた電子的な声ののちに静寂が訪れると思っていたおれは、突然胸を抑えて苦しみだす王に急いで駆け寄った。
「大丈夫か?」
「ふふ……それは、レイに訊くといい……」
振り絞って出した声とともに吐血した王を見て、おれは隣に立っていながら微塵も動かなかったレイの両肩を掴んで揺さぶった。
「おい、誰を呼べばいい? 医者か? それともお前がなんとかできるのか?」
「無理だ。限界はとうに来ていた、ということだ。王は死ぬ。巨大な肉体を収縮させ、そのエネルギーを最終的には膨大な質量とともに破裂させる」
「なんとかならないのか」
「手立てはない」
いつもと同じく、平坦で冷静で、感情の機微など微塵もない声音。しかしいままでとは違う。レイの顔は哀しみと怒りに歪んでいた。溢れ出る涙をこらえるように唇を噛んだ彼に、おれはそれ以上なにもいわなかった。
「どうやらここまでのようじゃな……過ちを犯したなどとは欠片ほども思ってはおらんが……もし、謝罪があるとすれば……わしを止めようとして壊れたロボットと気を失ったあの子どもと……そして我が愛する娘には……グッ……!」
ゴリラの姿のまま、王は自身を抱くように両腕を回してうずくまった。まるでいまにも膨らみ破裂する肉体という風船を抑え込もうとするかのような仕草を見て、おれは最後の質問をレイに投げる。
「おい、王は膨張して破裂するんだな」
「そうだ。おそらく城がすべて更地になるほどのパワーだ。最終的には銀山よりも巨体になる。俺はなにもできない。どんなに父に褒められても、この状況で俺はなにも……」
「逃げることはできる。そうだろ?」
背後からかかった声に、おれとレイは驚いて振り向いた。
額を血で染めた王女が目を細めて笑い、おれたちの間を過ぎると、うずくまる王の前へと立った。
「バチが当たったな、父上」
苦しみ呻く王に王女の声が届いているかどうかはわからない。しかし王女は気にする様子もなく言葉を続けた。
「お天道さまは父上の非道を赦さないかもしれないが……オレは赦すぜ。これからもずっとな」
そういい切ってから、王女はすぐに踵を返して歩き出した。見れば小型のステルス機のローターが回り始めている。早く乗れと叫んでいるのは双子の片割れで、瀕死の元・見張りを担いでヘリに足をかけていたのは囚人だった。
「幸いほかに人はいないらしい。早くここを脱出するぞ」
そういって自身も走り出した王女は、すぐにおれとレイがついてこないことに気づき、怒号とともに振り返った。
その声を一旦は無視するかたちで、おれはレイの肩を叩いた。
「おれがいっても説得力はないだろうが、無価値は死の理由にはならない」
「わかっている。ジェニー王女は強いな。王を……」
「王を、なんだ?」
レイはそこで口をつぐんだ。なにをいいたかったのか、それについてはわからない。問う時間はなかった。
「思いついたぞ」
「いったいなにを?」
「被害を食い止める方法だ」
王女がおれたちの手を掴むまでの短い時間で、おれはレイにその方法を話した。
「なにしてやがんだ! ほら、逃ーげーるーぞ!」
おれたち二人を引く怪力に驚きながらも、おれとレイは互いにアイコンタクトを取った。ヘリに乗り込みながら、レイが口を開いた。
「ゼロ、戻れなくなるぞ」
「死ぬよりはマシだろう」
「爆発は小規模なものに収まるかもしれない」
「やるなら徹底的にやるさ」
「俺と同じ後悔を背負うことになるぞ」
ヘリが上昇を始める。決断は迅速におこなう必要があった。
「やってみなくちゃわからないさ」
王を中庭に独り残し、ヘリは急激に高度を増していく。操縦を担当しているのはこれまで姿を見せていなかった双子のもう片方だった。
「操縦、大丈夫か?」
おれの問いに彼女は振り向くと、ニカッと笑って親指を立てた。
「ファワーイでオヤジに習ったからね!」
大丈夫らしかった。
扉が開いたままのヘリから身を乗り出したおれは、王の位置をレイとともに確認した。
「本当にいいんだな?」
レイの問いにおれは力強く頷いた。
「やれ!」
城の上空にいくつもの星々が浮かび、それらが赤と青の線で繋がる。中庭の真上を中心とした巨大な魔法陣が、空を覆う黒い影を召喚した。
「な、なんだァ!?」
その異様な光景に目を丸くした王女を、おれはヘリの逆側の壁まで下がらせていった。
「危ないから下がってろ!」
「ゼロ! 時間が足りない!」
代わって叫んだレイが掲げる腕をおれも支えた。掲げる腕が握る杖は、最大出力を示すかのように強烈な赤い光を放ち続けている。
「抑えきれないッ……! 衝撃に備えろ!」
ヘリの下に展開していた魔法陣から噴出する黒い影は中庭を覆い尽くしていたが、それでも数は足りていなかったらしい。その黒い塊は一気に膨張し、数秒収縮したかと思うと一気に爆発した。
ヘリを襲う強烈な閃光と、次の瞬間に届いた轟音。それに続く空気をつんざく高音、ヘリを揺らす衝撃、熱線、大爆発。
おれとレイはまだいい。やるべきことがあったのだから。しかし外を見たために奥に避難するのが遅れた王女は、ヘリにしがみつくタイミングを逃した。
おれは跳躍した。なにも考えずにヘリ内を吹き飛んだ王女を抱きかかえ、次の瞬間には気を失っていた。