09.調査
AM11:00 事件発生から3日目の都内雑居ビル――……
かつこつと靴音を立て、スーツ姿の男は廊下を歩いていた。
窓に視線を向けると、この会社の名前であるリビルド・エンタープライズという看板が見える。
最近のアプリの成功により知名度は向上したが、ユーザー数の激減、さらにはサービス終了を迎えて経営を大きく傾けているはずだ。
しかし、そのような事情は彼ら刑事には関係無い。あるのは日本全土を混乱させている、あの不可思議な事象についてだ。
「本当なんですかね、この会社があの原因というのは。まるで普通の運用会社に見えますが」
隣を歩くまだ若い刑事は、年配の男に話しかける。
あの原因というのは、いまもテレビで取り上げられている未確認生物のことだろう。個体数は全て計測できていないが、都内だけでも3万体が確認されている。
「……私に分かると思うかね? むしろ分かる人物を紹介して欲しいくらいだ」
連日ニュースで取り上げられており、わけの分からない「専門家」がそれらしい事を並べ立てている。しかし、2日が過ぎても何ひとつとして情報が得られていない。
青年は萎縮をし、ぺこりと頭を下げた。
「すみません。町を歩く怪物が、このゲーム会社の作ったものとそっくりだと聞きましたので。高木さんはゲームはしないのですか?」
「やらんやらん。ああいうのは中学生で卒業するものだ。だが、やっておけば良かったと今は後悔しているよ」
そうすれば多少は早く動けたかもしれない。ネットの情報を見てから捜査を始めるというのは、もう最近では当たり前のことだがプロとして気分は良くない。
だが、あの超現象を見るに、恐らくはこの運営会社程度が引き起こしたとは考えづらいと高木は思う。それくらいの技術を隠し持っていたなら、もっと大きく成長しているはず、という理屈だ。
やがて私服の男が現れると、いつもの手つきで手帳を見せ、中へ通させてもらった。
「どうも。失礼します」
「ええ、汚いところですがどうぞ」
お茶の誘いを断り、室内の設備をじろじろと2人は見渡す。
今日、ここに訪れた目的は幾つかある。ひとつは噂の真偽を確かめること。もうひとつは利用者の名簿を手にすること。
調査を若手だけに任せなかったのは、ただの高木の勘だ
ゲームはプレイしていないが、だったら利用者から話を聞いたほうが早い。夏休みという期間を考えると、学生を中心に聞き込みをしたほうが良いだろう、などと思う。
今回の事件について簡単に話をしながら、彼らはサーバールームに足を運んだ。運営は停止していると聞いたが、実際のところはどうなのかを確かめたかった。
しかし、幾つものサーバーからはファンの音が響いており、情報処理を表すランプの明滅も伺える。
高木はぐるりと周囲を見渡し、いかつい顔を運用者に向けた。
「なんだ、まだ稼働しているようだが……」
「ええ、それで困ってたんですよ。サービス終了した途端、原因不明のエラーがたくさん出てしまって。そうだ、こっちを見てください」
高木は若手と顔を見合わせ、それから近づいて行く。
案内された先にはモニターがあった。そこにはグラフのようなものが描画されており、一同で覗き込む。
「これは各サーバーの負荷を表しているんですが、どれも限界ギリギリまで演算しちまってます。エラーの理由も分からないし、変な事件も起きてますでしょう。電源を落とそうかどうか、さっきまで話をしてた所なんですよ」
これが、あの事象が起きている原因だろうか。
高木はごく短いあいだだけ頭を悩ませる。それからこう口を開いた。
「うん、専門家を呼びますので、このままにしておいてください。電源を抜くのはいつでも出来ますが、まずは調査をしてからでしょう」
それからと高木が付け加えた注文は、ゲームの利用者名簿だった。
関係者らの立ち去ったサーバールームに、ぼんやりと青白い光が漏れる。しかしそれに気づく者はいなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
遠くから近づいてきたのは、近所に住む農家のおじさんだった。
よく日に焼けた肌をしており、引き締まった身体をした中年の男性だ。麦藁帽子を片手に、周囲を眺めながら庭先にやってくる。
「やあ、こんにちは。変わった格好をしてるけど神桜さんの息子さんだよね。遠くで見てたけど、それっていまニュースでよくやってる奴でしょ」
指差してきたのは先ほど倒したばかりのボアヘッド、その遺体だ。ぐずぐずと溶けてゆく様子に、彼は「うえっ!」と顔を歪ませる。
「あ、はい、そうみたいです。急に襲われたので、どうにか倒しました」
「やっぱなあ、普通じゃないと思ってたよ。見てくれも怖いし、襲われるんじゃないかって。ニュースの言うことなんて当てにならんから」
歯を見せて笑う様子に、きょとりと姉と視線を交わした。
先ほど見たニュースでは魔物は人を襲わないと言っていたけど、やはり怪しく見えるだろう。
正直なところ、もっとパニックになると思った。
突如として恐ろしい存在が現れたのだし、悲鳴を上げて逃げてもおかしくは感じない。
うーん、ああして普通に歩き回られると、人間というのは事実として認識するのかな。危険であるかどうか確かめ、もしも脅威であると分かれば本気で対応をするかもしれない。
いや、ひょっとしたらどこかの地域ではもう対策を始めている可能性もある。
まだ何か用件があるのか、離れようとしない男性に目を向けた。
「それでなぁ、言いづらいんだけど、向こうの畑でも変なのがウロついてて困ってるんだ。もし構わないなら追っ払ってくんないかな? ちょうど収穫時期なのに近づけなくて」
ああ、そういう事か。
ちらちらと姉の剣を見ていたのは、そういう事情があったらしい。
姉と目を合わせると、こくりと頷かれた。
「由希ちゃん、ちょうど良いわ。魔法へ苦手意識を持つ前に、実戦で練習をしましょう。分かりましたおじさん、ぜひ畑に案内してください」
「おお、助かるよ。俺の畑は向こうだから、こっちについてきてくれ」
家から離れてすぐに農道があり、そこを歩いて進むことにした。
途中で何度か「それってコスプレ?」「都会っ子に憧れる気持ちは分かるけどなぁ」などと聞かれたけれど、苦い顔を返すしか無かったよ。