06.互いの変化
おかゆとお味噌汁、漬物をいただくと、ようやく一息つけた。
満たされた栄養に身体は満足し、僕ら姉弟はずるずると椅子にもたれかかる。
山が近いとはいえ次第に室温は上がる。クーラーを考えながらふと姉を見ると、シャワーと食事により瞳はとろんとしていた。
「ああ、美味しかったわーー。おなかいっぱいで、また寝ちゃいそう」
「翠姉さん、せっかくの夏休みをさらに浪費する気? それよりも身体の調子は本当に大丈夫なの?」
僕はすっかり元気になったけど、姉の体調は心配だ。
しかしまるで問題無いらしく、ガッツポーズを返された。そのまま洗面所に向かい、歯磨きをしながら互いの姿を観察しあう。
「ほら見て由希ちゃん。意識すると耳を動かせるわよ」
鏡の向こうで、ぴこぴこと三角形の猫耳が揺れる。眉間に小さな皺を刻み、それを上下に動かしているから吹き出しそうになる。歯磨きの最中にそれはやめるんだ。
悠長にしているけれど、僕も他人事じゃない。彼女のように耳が生えており、背後には長い尻尾も揺れている。
確かに自在に動かせる。神経が通っているのか握ると感触があり、ゆらゆらと左右に振ることも出来る。まるで元からそこにあったかのようだ。
どう見ても現実とは思えない光景だし、このようなコスプレまがいの格好は中学生の身には重い。もちろん絶対に友人には見せたくない。
がららと口内をすすぎ、流しに吐き出した。
「うーん、翠姉さん、どうしようかこれ。病院や警察に連絡するべきかな」
「熱が引いたら耳と尻尾がついてましたって、言っても信じてくれるかしら。それに、どう見ても拡張世界の影響だし……あ!」
何かに気づいたらしき姉は歯ブラシを置き、いそいそと己のパジャマのボタンを外す。そしてじいっと胸元を覗き込むと、その表情をだらしなく緩ませた。
「んふっ、たっぷり増えてる――間違いないわ由希ちゃん、これはゲームの影響よ。ただし、とても理想的なもの」
「きりっとした顔をされてもリアクションに困るよ。まあ確かにゲームと同じ外見だよね。前と違うのは触れることかな」
鏡に映る自分の耳をつまんでみると、こちらも感触も伝わる。皮膚が薄いせいか感度が高く、ぐいぐい引っ張ると痛い。尻尾側はもうちょっと鈍いか。
「翠姉さんの方も同じ感じなのかなぁ。どう、触ったらくすぐったい?」
そう問いかけながらも、スースーするお尻が気になってしまう。
問題は、ズボンのお尻側をずり下げないと履けない事だなぁ。尾てい骨についているせいで、今あるズボンはほとんど履けないから……どうしたら良いんだ。
そのように悩んでいると、ぽやっと赤い顔をしている姉に気がついた。
「ん、どうしたの、翠姉さん」
「触りたいの、由希ちゃん? さ、さすがに恥ずかしいけど、目をつぶっていてくれたら……許してあげちゃおうかなぁ」
もじっと赤い顔を逸らし、そして姉は胸元を寄せてくる。
パジャマの上からもはっきりと分かる膨らみに、ぶうと僕は吹き出した。
「し、思春期だもんね由希ちゃんは。男の子なんだから興味を持ってもおかしくないし……。ね、ちょっとだけおっぱい、触ろっか」
はいどうぞと胸を突き出され、僕は迷うことなくヘッドバットをお見舞いした。
リビングに戻ると、僕らはスマホを手にソファーへ座る。
目的はもちろん、この信じがたい現象を調べることだ。テレビやネットなどで同じような人がいないか調べるとしよう。
まだ怒った顔をしている姉は、ぷいと顔を逸らし、ソファーの反対側で背を向けていた。
「もう、もう、由希ちゃんったら。いくらなんでも一日に2度も頭突きをするのは良くないわ。痛かったし悲しかったし、おっぱいも触ってもらえなかった。せっかく大きくなれたのに」
「普通はおっぱいを触らないものだからね、翠姉さん。でも大きくなれて良かったね」
「気持ちがこもっていないわ、気持ちが。もっとこう、可愛いとか美人とか膝枕してほしいとか言うのが普通で健全なのに。つーん、由希ちゃんなんて嫌い。もう口を聞かない」
むっすう、と後ろからも分かるくらい頬を膨らませていた。
おかしいな、健全な姉弟ってそんな会話をするものかな。僕が想像する姉弟像は「ウザい」というニュアンスの単語でしか会話をしないものなんだけど。
「……それは間違った認識よ。ステマや印象操作、悪意あるマスコミたちが作り上げた虚像なの。間違いないわ」
「そうだったのかー。まあ姉さんは元から美人なんだし、胸の大きさは関係無いと思うんだけどね」
ぴん!と耳は真上に立ち、背を向けたまま姉の尻尾は左右に揺れ始める。よく見たら尻尾を出すために、少しだけお尻の割れ目と下着が見えてしまっているけれど……姉の名誉のために黙っておこう。
「そ、そう。ふうん、今さら優しい言葉をかけたって、口を聞かないのは決定なの。だから今のだって由希ちゃんの独り言なんだし、ボッチで孤独で寂しい暗ぁーい人生を送っている中学生なのよ」
それを言うなら、今の姉だって独り言をしている事になるんだけど。
ちらりと振り返る姉と視線が合い、勢いよく背けられた。
「つーん、仲直りしたいなら今のうちよ。でないと本当に口を聞かないから」
「頭突きをしてごめんね翠姉さん。許してくれると嬉しいな」
「うん……じゃあ許してあげる。これに懲りたらもう二度と、お姉ちゃんに頭突きをしないこと。わかったわね?」
振り返る姉から睨まれ、少しだけ僕は困る。先ほどのように色気で迫られたらどう対処をしたものか。
まあ確かに、頭突き以外にも頬つねりやビンタ、水をぶっかけるなどいくらでも方法はある。そう思い直し、こくりと頷いた。
久しぶりに姉弟で過ごしているせいか、甘えるようごろんと頭を乗せてきた。これはいわゆる膝まくらというもので、僕の認識が間違っていないなら姉にさせて良いものではない。
「まあ印象操作やステマなら仕方ないか。ゆっくりして行って、翠姉さん」
「ええ、おじゃまするわね。だけどこれは弟にとってご褒美にあたるから、由希ちゃんは好きなだけ髪の毛や猫耳を撫でて楽しんで良いわ」
どうやら口を聞かない宣言を撤回してくれたらしい。
我が家にもようやく平和が戻り……って、情報収集のことをすっかり忘れているぞ!
どうも姉といると、重大な物事があっても気にしなくなるから困るなあ。
かと思ったら姉は急に真面目な顔で振り返ってくる。やっぱりまだ体調が悪いのかと心肺したら、ぜんぜん違った。
「大変だわ、まだ由紀ちゃんの猫耳の匂いを嗅いでない。ねえ、アイスと交換でどうかしら?」
「間に合ってるからまた今度ね」
ぶーぶーと涙目で文句を言いながら、ぼすんと膝の上に頭を乗せてくる。
髪や耳をなでているうち、すらりと伸びる姉の尻尾は、たまらなそうに左右へ揺れていた。