04.リビルド
かちんと灯りを落とすと、小さな豆電球を残すだけになった。
いつもの光景ではあるけれど、今夜だけは少し……いや、だいぶ異なるのかな。
紐の先にあるのは豆電球ではなく弱々しいランプの灯りであり、ベッドは天蓋つきの広いものだ。窓の外には溢れるような星があり、見たことないほど瞬いていた。
もちろんこれは光景を変える「拡張世界」によるものであり、現実はずっと狭いベッドだと知っている。だから油断をして転がるとそのまま落っこちる。
そしてタブレットを片手に隣へ寝転ぶ姉はというと、黒髪で猫耳付きの姿。ぴこぴこと耳は動き、そして機嫌良さそうに姉は唇を笑みの形に変える。
猫のような伸びをひとつし、そして同じ枕に頭を乗せてきた。大きな瞳が迫り、少しばかり心臓は音をたてる。
姉ではあるけれど、彼女もまた幻想的な姿をしていた。いつもの悪戯ぎみの瞳は、魅惑的な大人っぽさも宿しているので困る。
「んんーー、たまらないわ。由希ちゃんと一緒に眠るなんて何年ぶりかしら。昔はずっと一緒に寝ていたのにね」
「そういうのがあって、友達から笑われたんだよ。姉さんはそういう事を言われなかったの?」
「え? もちろん可愛いくてたまらないと答えていたわよ。ねえ、昔みたいにだっこして良い?」
ぶんぶんと首を横に振ったけど、姉は構わず抱きついてきた。そしてゴツンと硬質な痛みが互いに起こる。
目頭への衝撃に、互いにのけぞって脚をバタバタした。
「痛っ! 翠姉、デバイスつけてるの忘れたの!?」
「~~~~っ! ごめんなさい、すっかり忘れていたわ。もうっ、これが無ければようやく既成事実ができたのに」
あれ、いま何かおかしな事を言わなかったか?
昔から抱きつき癖があって困っていたけど、さらに悪化していないか?
「……今夜はサービス終了までデバイスをつけたまま過ごそうって、翠姉さんが言ったんだよね?」
「ふふ、もちろん半分くらいは冗談よ。でも良かった。高かったし、見た目のカスタマイズにすごく時間をかけたけど、最後の最後で一緒に遊べて」
先ほどの「半分は冗談」という言葉に文句を言いかけたけど、嬉しそうな表情を見ているうち引っ込んでしまった。
たぶん姉は、僕と遊ぶために2つもデバイスを用意したのだ。思春期になって疎遠になってからも、ずっと遊ぶ日を待ち続けていた。
だから放置していた僕は何も言えないし、今夜は静かにカウントダウンを眺めていたい。
そう思い、楽しげに尻尾を揺らす姉と夜遅くまで話をした。
もしこのままゲームが続いていたら、田舎へキャンプに行きたかったらしい。
広い場所でのびのびと遊び、そしてレベルアップを楽しみたいのだとか。それは確かに楽しそうで、もし終わりを迎えなければ僕も一緒に行きたかった。
聞くところによると地域によってモンスターが変わるらしい。富士山でドラゴンを見たという報告もあったとか。山のように大きく、自分はなんて小さいのだろうと彼は感じたそうだ。
暗闇のなか、姉と一緒にタブレットを覗きこむ。
すると僕らの他にもたくさんの人達が嘆いていた。
さようなら、拡張世界よ。
いつか有志の手で再建を。
などという書き込みがたくさんあった。
もしもこの世界を知らなければ、何も思わない文章だったけど今は同じ気持だ。
彼らの多くも同じように夜の0時までヘッドセットをつけ、拡張された世界を見ながら眠りにつくと聞く。一人なのか友達と一緒なのかは分からないけど。
そうそう、こんな楽しいエピソードがあった。
街中で出会った男女の二人。あまりの美しさに思わずデバイスを外したら、実は互いに男女が逆だった。ひとしきり笑った後に喫茶店へ行き、映画館へ行き、最後にキスをする時だけはデバイスを装着し直す。
新しい同性愛カップルだと情報サイトは沸き、それでも決して妬みには至らないので祝福だけの文字でかざられた。
まさかそこまで拡張する事があるなんてと、もう遅い時間なのに姉と一緒に笑ってしまった。
ただ、こうして翠姉と楽しい時間を過ごせたのだから、彼らの気持ちもよく分かる。現実世界にはどうしても夢の要素が足りないのだと、僕らはもう知ってしまったのだから。
太古はきっとこうだったろうと思えるほどの大きな月。群青色の空には流れ星が飾り、そして生き物たちが寝床についた息づかい。
そういう世界にもっと触れてみたかった。
だんだんと姉の言葉数は少なくなり、その理由にしばらくして気がついた。もう時計は0時を差すころで、拡張された幻想世界は消え、現実だけが残される事を伝えていた。
肘をついて、ふうと姉は溜息を吐いた。
「ちょっと寂しくなってきちゃったな。由希ちゃんの外見、すごく気に入ってたのに」
「いじりすぎじゃないかな。服装もそうだけど、猫耳や尻尾まで。顔もだいぶ変えてるよね」
「いいのよ。私の妄想なんだし、絶対に他の人だってキャーキャー言うわ。でも由希ちゃんの大事な個性はちゃんと残しているつもり」
むすりと唇をとがらせて、不機嫌そうな顔を見せた。どうやらもう本格的な秒読みの時らしい。あと数秒で猫耳の姉も、魔術師見習いである僕も消えてしまう。
「ああ、10秒前だわ。悲しいわ、せっかく半年くらい外見をカスタムしたのに。もっともっと遊びたかったのに……5、4、3……」
きゅっと布団の中で手を握られた。
夏休みの夜なので蒸し暑いが、それでも手を振りほどけはしない。同じくらいの力で握り返すと、ピン!と姉の猫耳が立ち、大きな瞳はさらに大きくなった。
――――ゼロ。
僕らは同時に呟き、拡張された世界は消えてしまう……そのはずだった。
しかしデバイスからは聞き慣れぬ女性の声が流れる。
『 リビルドを開始しますか? 』
落ち着いたその声に、画面に現れた「はい/いいえ」の文字に、そして明滅を繰り返すカーソルに僕らは目を見開く。
何度か浅い呼吸を繰り返し、ゆっくりと視線を姉へ動かした。
「……なに、これ?」
「分からないわ、音声ガイドなんて私も初めて聞いたもの。リビルドを開始って、どういう意味があるのかしら」
確かにそうだ、と僕は考える。
このゲームのタイトルは「拡張世界」だけど、それを開始するとはどういう意味なのだろう。ゲームの意味で考えると、既にプレイしている最中だ。
いや、サービス終了は過ぎているのだから、もう終わっていると言ってもおかしくない。
「!? 由希ちゃん、下の数字が残り30って……」
「あ、回答までに時間制限があるのかな。うーん、そういえば気になっていたけど、『拡張世界』の和訳は『リビルド』じゃないよね?」
夕方に姉が言っていた通り、拡張世界の略称はAR、つまりオーグメンティッド・リアリティだ。
だけど姉にとってはよく分からない問いかけだったらしく、ひとつ小首を傾げてからまた文字へと瞳を戻す。
「由希ちゃん、由希ちゃん、どうしようかしらこれ。よく分からないし『いいえ』にしておく?」
「もうちょっと待ってね。ええと、リビルドというのは再構築という意味が正しいか」
あるいは「開始しますか?」と尋ねられている以上、このゲームはまだ本番ではなかったとも考えられる。しかし課金を取っていたのだから正式サービスだったとしか思えない。
となるとサービス終了を迎える運営が、これからの拡張性を嘆きつつ、ちょっとしたジョークを仕掛けていた可能性が高まる。
「じゃあ、イエスって答えてみようか。何か最後に面白い仕掛けがあるかもしれない。見逃したら後できっと悔しい思いをするよ」
「わ、隠しイベントだったのね。んふ、急に楽しみになってきたわ。――じゃあ、私も押すわよ」
こくりと僕も頷き、同時にイエスを選択した。
――その後の事はあまり覚えていない。
ぐらんと視界は歪み、激しい高熱でも起きたのか布団を跳ね除け、僕らは一晩中苦しい思いをした。
ぎゅう、とすがりつく姉の腕。
それくらいだ、覚えていられた事など。
監視するようにカメラのピントを合わせている存在など、もちろん気づけるわけもなかった。