33.切れる者たち
弾け飛んでゆく肘から先の腕。
それはつい先ほどまで自分と繋がっていたものだ。ぽかんとした表情で、それを誠は見つめていた。
ゆっくりとスローモーションで、腕は真っ赤な断面を見せながら回転する。しかし、ぼこぼこと奇妙なほどに膨れ上がってゆく。
陶器のように白かった肌は変色し、腐った果実のように黒ずんでゆく。そのおかしな光景に彼は瞳を見開いた。
「離れろ、誠!」
呆然としていたせいで、まだ痛みを感じていない。後方からどすんとタックルを受け、彼らが通り過ぎてから腕は階段に落ちた。
瞬間、ぼずう!と周囲に紫色の空気が撒かれる。
腐食効果があるのかエレベータの手すりや階段、そして救助対象だった元再構築者をぐずぐずにし、金属とは思えないほど早く溶けてゆく。
2人が階段に倒れこむと赤い血は吹き出し、誠は苦痛に呻いた。
「いでええ……ッ! ぐぞぉ、なんだよアレはあっ!」
「ずっと疑っていた。あんな状況で助かるはずがないんだ。あれは死体へのブービートラップで、奴は私たちを狙っていたらしい」
奴ぅ?と誠は怪訝な瞳をし、振り返る。
そこには原型もとどめていない遺体があり、ぬぼりと血をまとって起き上がる者がいた。
背丈は1メートル程度。しかし真っ白い皮膚をしており、薄暗いトンネル状の地形もあってか奇妙な迫力がある。
オホッ、オホホッ。
奴はおどけるように笑い、口のなかは血を吸ったように赤い。
ひょこりと階段を一歩上ったところを、五十嵐の拳銃が火を吹いた。
極めて銃身は短く、また丸っこい握りは日本人でも扱いやすい。たかん!と放たれた弾には【貫通】【爆散】の効果を付与していたが、途中であらぬ方向へと軌道を変えてしまった。
腐食空間により弾が溶け、軌道を逸らされてしまう事へ気づき、五十嵐は「チッ!」と舌打ちをする。あの広がりつつある紫色の空間は、瞬時に何でも溶かす効果があるのか。
放った弾は計3発、あと2発を撃ったら数秒のリロードがいる。迷いつつ五十嵐は、転がったままの誠を掴んだ。
「立て、あいつに近づかれたらマズい!」
「ぐ~~……っ! 俺の腕がああ……っ! 回復、回復詠唱、詠唱……」
ぼたぼたと血を流し、右側の服を真っ赤にしつつも立ち上がる。畜生、殺す、などと呟きながらしがみつき、朦朧とした瞳をしていた。
彼は即戦力になろうとHPを削ったビルドをしている。再構築者とはいえ長くはもたないかもしれない。などと五十嵐は焦りながら思った。
背後の紫色の空間はさらに広がっており、あの変なオークが前進するごとに迫っているようだ。
オホ、オホ、オホ!
ひょいと手すりに乗り、機敏に駆けてくる様子へぎょっとする。
すぐさま銃を向けたが、きっと先ほどのように当たりはしないだろう。しかしそこで予想もしない事が起きた。いや、起こしたと言うべきか。
「オホオホうるせえんだよっ、こんの大根人間がーーッ! 継続回復LEVELⅢ!!」
詠唱を終えるやいなや、誠はすぐさま回復術を行使する。てっきり腕を治すものと五十嵐は思っていたが、かけた対象は欠損部位ではなかった。
ダッと手すりに飛び乗り、傾斜角30度もの坂を駆け下ってゆく様子に五十嵐は唖然とした。速度は一気に増し、人の出せる速度をあっという間に追い抜いてしまう。
「お、おいおいおい! そいつに近づいたら身体が腐るぞ!」
半径5メートルを超える腐食空間は、まさに死の領域だ。鉄であろうと何であろうと一気に溶かす。
慌てて静止を求めるが、怒りに飲み込まれた誠はもう止まらない。救助対象を殺されたことにブチ切れ、静止どころか加速をし、腐食魔法の使い手であるオークは変な顔をする。
「オホ?」
「うんぬおおおーーーーっ!」
紫色の空気に包まれた瞬間、ジュッ!と誠の皮膚はただれる。
表面の皮膚は破け、筋繊維が見えてしまっても、しかし駆け下りる速度は変わらない。骨まで届くぎりぎりのところで身体全体にかけた継続回復により支えられていた。
ずぼりと腐食領域を抜けた瞬間、目から血を流したまま誠は叫ぶ。
「目に染みるだろボケがーーーー!」
ごしゃり、と膝蹴りがめり込み、たまらず魔物は後方へと吹き飛ぶ。あんぐりと口を開いた五十嵐だったが、腐食領域の外へ飛んでゆく魔物に慌てて銃を構えた。
「無茶をする! 溶けて死ぬと思わなかったのか!」
たかたん――ッ!
わずかに逸らされたものの、頭部、腹部に命中し、どばん!と空中で破裂した。汚水のように真っ黒な血を飛ばし、跡形も無く消えてゆく様子をじっと確認。
それから悲鳴をあげて転がってゆく女性へと駆け出した。
まったくとんでもない奴だ、などと呟きながら。
予想もつかない活躍を見た為か、彼は自分では気づけなかったがニヤリと笑っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さあ、正念場だ。
あらゆる手を尽くさなければ、倍近いレベル差をひっくり返せないぞ。
床に落ちていた肉片、パンくらい大きなオークの指を掴み上げると背後の姉へ声をかける。
「翠姉さん、魔術師を狙う!」
返された姉の瞳はまっすぐに僕を見つめる。
長いまつげで瞬きをすると「行きましょう」と美しい声で囁かれた。
あれを放置していては、範囲魔術でこちらのHPが減り続けてしまう。そして恐らくは全身装甲の騎士タイプより体力は少ないだろう。
「業炎の罰、LEVELⅢ、詠唱開始……」
そう詠唱を命じると共に駆け出した。
進むべきルートは、魔術師の射線から逃れることのできる、騎士に向かっての直線だ。
すぐさま剣の側面が顔面の横を通り過ぎ、うなる突風を感じて身をかがめる。決して人には持てぬ剣を同時に2本使いこなし、目の覚めるような突きと払いの同時攻撃。ホールの床は切り刻まれ、ごばりとめくれる。
僕は伏せ、姉は飛び、そして地面を砕いて進行ルートを塞ぐのは壁のように巨大な盾。しかしそれは視界をふさぐ意味があったのか、再び持ち上げられたとき真っ黒い雷が迫った。
『人ヲ食ラウ鬼ト化セ……黒雷撃LEVELⅣ!』
ずどお!と極太の雷は地面をうがつ。
しかしそこに僕の姿はなく、あれえ?と騎士オークは盾の下から覗き込んだ。奴の持ち上げていた盾にぶら下がり、置き土産のよう奴の顔面に先ほど拾っていた指を放る。
「接触」「秒読み」で制御していた業炎の罰が爆発し、まるでアッパーを食らったように騎士はのけぞった。
どどどおおッ!
爆風を背中に受けつつ振り向くと、魔術師オークの両腕がそこにあった。パリ、と幾重もの雷を纏って。
『人ヲ食ラウ鬼ト化セ……』
「はアアアッ――刀術、一閃LEVELⅢ!!」
鬼気迫る居合いの声。同時に腕の肘からはスパーク混じりの血が噴き出し、僕の頬を焼きながら雷撃は通り抜けてゆく。
もし直撃していたら……いや、考えるのはやめよう。
怖いし痛いし、許されるなら逃げ出したい。
しかし姉の「行け!」という瞳には、期待に応えたくて仕方ない。
きゅんと騎士オークの肩の上で横一回転をし、魔術強化「衝撃魔術」「秒読み」を発動。うなりを上げた蹴りを、血を噴き出す肘へと叩き込む。
ずどんと丸太のような腕はへこみ、ローブに隠れていた表情は大きく歪んだ。
いやいや、まさか。そんなわけがない。
怖がりなのに、死ぬかもしれない距離まで踏み込んだのだ。この程度のダメージなんかでは終われない。
すぐに魔物は周囲一帯を焼くという範囲魔術を選んだようだ。雷スパークをまとった腕を、ホールの地面に叩き下ろそうとする。
『吹キ荒レヨ、雷ノ暴レ牛……黒雷暴牛LEVE……!』
『 …ゼロ。起爆します 』
どどおおッ!!
炎と聖属性を併せ持つ業炎の罰は、傷の内側、肉と骨にまでダメージを達する。
それはレベル25もの魔物の持つ防御力を突破し、4本あるうちの1つを吹き飛ばし、もう一本をあらぬ方向へ捻じ曲げた。
ギャオオオオーーッ!
見たかという思いは、後方から迫る腕に掴まれて消えてしまう。
恐ろしいほどの握力に両脚は固定され、ぐるんと景色は回る。そしてすぐに振り下ろされ、岩のような衝撃に襲われた。
最悪だった。
動きを封じられた状態で、ガンガンと地面に叩きつけられている。ダメージエフェクトは鈍い衝撃と共にHP減少を伝えており、一撃ごとに大きく減ってゆく。
「ぐううーーっ! 業炎の罰、LEVELⅢ、詠唱開始!」
果たして詠唱完了までのあと10秒、耐えれるだろうか。撃てたとしても、これが最後のMPだ。
奴は甲冑に包まれた黒焦げの顔で覗き込み、死んでいないと気づいてまた叩きつける。砕けた瓦礫が周囲に舞うなか、柄にもなく「くそったれ」と僕は思う。
視界の端で、姉は獅子奮迅の戦いを見せていた。
吹き荒れる電撃の嵐を最小限のダメージになるようかわし、魔術師の目玉と喉に切りつける。
肩や腕を足場にし、奴はうるさい蜂を嫌がるよう魔術を振り回す。
それでいい。いや、それしかない。
騎士からの守りを失ったいま、超至近距離での詠唱阻害というのは唯一の活路だ。もし僕を救いに来たら、姉弟もろともあいつの魔術に喰われる。
またひとつ、HPゲージがグンと減る。飛び散る瓦礫は額をざっくりと切り、そしてあと一撃で死ぬだろうと冷静に理解した。
詠唱完了まであと3秒。
もう無理だ、終わった。僕もけっこう頑張ったんじゃないかな、中学生にしては。
そう考えていたときに、悲痛な声が響いた。
「由紀ちゃんッッッ!!」
だからそれは駄目だ!
やめろと叫ぶ前に、騎士オークの手首は分断される。姉の持つ得意技、【一閃】によるものだ。最後の最後まで残していたSPを浪費し、僕は宙に投げ出される。
ぐるぐると回る視界のなか、確かに魔術師オークはにたりと笑っていた。や、め、ろ……!
『人ヲ食ラウ鬼ト化セ……黒雷撃LEVELⅤ!』
丸太ほどの黒い雷。
それは姉の背後から襲い掛かり、かわすことも出来ず膨大な魔力にさらされる。防御力突破の貫通エフェクト、そして恐るべき威力を表すダメージ。
声もなく、音もなく姉は吹き飛び、刀は手から抜けてゆく。
そして受身も取れずに床へ落ち、ぴくりともしない身体からじゅううと白煙をあげた。
カッと視界が赤く染まる。傷から血が垂れてきたせいだ。
いや、それだけじゃない。喉の奥から絞りだすようなこの声を聞く限り、きっと心底怒っていたのだろう。
「てめえコラ、オーク風情がよオオ!」
全力で駆け出した。頭のおかしいバカな獲物だと思わせておけ。オークから嘲笑を浴びても構わない。姉への追撃を考えさせないことが今は何よりも大事だ。
縦に振ってきた大剣を横に避けると、そこには血まみれの僕らしからぬ顔が映っていた。目玉をギラつかせる血に飢えた獣のような顔つきだと分かる。
行け、行け、好きなだけ殺れ。
もう理屈や知性なんて捨てて、お前が感じたままにやれ。
鏡のように映ったそいつは、傷だらけの唇で「にたり」と笑った。
空中で拳を振るとマッチをこすったよう黒炎が灯る。ようやく詠唱完了した魔術を展開したのだ。すぐさま真上からの剣撃が何度も降ってくるが、手数を重視した雑な攻撃だ。
身をかがめると、背面を黒雷が抜けてゆく。これは絶対にかわせない魔術だと誰が決めた。焼けるような熱さは広がるが、姉の痛みと比べるほどじゃない。
魔術師の膝を踏み抜き、感じた風圧をそのままに反転して剣を回避。これはもう理屈じゃない。最悪な場面だけを予想し、それを避けただけに過ぎない。
目前に魔術師の顔が迫った。
『人ヲ食ラウ鬼ト……』
「おせえっつってんだよ、ボケが!!」
開きかけていた口を下からアッパーする。だらんと血だらけで開いた口に、もう一度、気が触れたかと思うくらい絶叫し、渾身の力で口内から上あごを殴りつけた。
奴の頭部にまで衝撃は伝わり、ゴエエ!とえづいてから魔術師は己の口を両手でふさぐ。
背中から落ちているとき、脳裏に声が響いた。
『 業炎の罰を起動。
発動条件のインパクトを140%達成しました。
ボーナスとして威力は40%増になります。
起爆はカウン…… 』
「今すぐやれ」
どどん、とくぐもった破裂音。それは喉から肺までを瞬時に破裂させ、見開いた目玉ごと黒炎をあげた。上あごから先が弾け飛び、巨大な火柱と化した魔物。
体内の魔力をあふれさせ、その衝撃は正面からさらされた騎士オークの全身を焼いてゆく。
どおどおと燃え盛る魔物たちの姿を、地面に崩れ落ちながら僕は見つめた。




