32.死の恐怖
はあっ、はあっ、はあっ――!
止まったままのエスカレーターを必死に駆け上がる者がいた。
多数の打撲により身体から顔面まで腫れあがり、脱臼した腕はだらんと垂れている。片方の視界が利かない状況で、しかし彼は駆け続けた。
ビーーッ! ビーーッ! ビーーッ!
脳裏に響くのは命の危険を知らせる音声。
残りHPは「2」となっており、それが彼の恐怖を煽り立てる。
やがて、後方から足音が響き、その彼に向けて声をかけた。
「おい、待てって! 俺は見ての通り美少女、それもお姫様として君臨する回復役だぜ」
ぐるりと彼は振り返る。
奇妙なポーズを決める少女。しかし、その薄紫色をした少女の後ろ、靴音を響かせて姿を見せる者がいる。五十嵐 重造の冷たい瞳を見て、彼の心臓は縮みあがった。
「オヒイイ! ヒイイイ!」
「あーーっ! なんっで逃げんだよ! この姿を見て悲鳴をあげて良いのは、俺の妹だけなんだよ。マジでもういい加減にしろよなお前!」
手足をつき、どうにか階段を上り始める様子に、誠は舌打ちしつつ駆け上がる。止まったエスカレーターというのは歩きづらく、泥に足を突っ込んだような思いをした。
「あー、クソ。五十嵐、あいつの足を撃ち抜いたら早いんじゃねーか?」
「そうだな、やってみよう」
躊躇無く構える様子に、ぎょっとした。
それから「ストーップ!」と両手を上げて静止する。
「じょーだんだ、冗談! おまえの銃なんかブッ放したら、マジで死にかねねえだろ!」
「……もちろん、私も冗談だ」
チャッと銃を持ち上げる様子に、誠は半目で現職警察官を見つめる。
どうも先ほどから彼の態度は淡白だ。本来であれば彼こそが助けてやろうと動くはずなのに。
敏捷は五十嵐のほうがずっと高く、その気になれば先行できる。それがどうも誠の頭に引っかかっていた。
「……まあいいや、事情がありそうだけど後で聞くわ。それより、とっとと捕まえて由紀んトコに戻るぞ」
こくりと頷かれ、それから誠を駆け出した。
実は陰キャなのかなー、こいつ。などと思いながら階段を踏む。短いスカートのせいで彼から丸見えだろうが気にしない。
エスカレーターは長く続いており、怪我をした奴になら追いつけそうだ。映画館を示す案内を通り抜け、カンカンと息を切らしながら進む。
ようやく追いつき、その這いつくばった背中を掴むと誠は荒いを吐いた。
「あーー、つかれたーー。うへへー、捕まえたぞー!」
ぎゃあぎゃあ喚かれるが、もう説得する気も無い。さっさと治癒をしてやれば、すぐ我に返るだろう。命の恩人として惚れられてしまうかもしれない。
そう呑気に考えていたとき、ぶつっと誠の腕に2つの穴があく。
たかたん――っ!
そして、細腕からは真紅の血や肉、そして骨の破片が飛び散る。己の腕が飛んでゆく様子に、誠は「あん?」と声をもらした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
どずん、と両膝が地面を打ち、遅れて壁に巨大な斧が突き刺さる。
爆発による空気の振動は、わんわん周囲へこだまを残す。最上級オークの上半身は消し飛び、だらんと背骨が垂れた。
壁に着地をし、両足で衝撃を逃した僕らはそのまま地面へと降り立つ。その向こうから現れる増援、2体の最上位オークを睨みながら。
金属音を鳴らして前を歩くのは、傷ひとつ無い全身鎧のゴツいやつ。4本腕を器用に使い、人間には持てない大型の盾、そして2本の剣を反対側に構えている。
もう一体は魔術師か。
4本の腕それぞれで印を組み、真っ黒いローブを着込んでいる。どちらもオークとして成り立っているのか分からない格好だ。
推定レベル20の最上級オークが2体。
対するこちらはレベル13の2人。
もう撤退するしかない。
せめて一体ごとに来てくれれば、姉と協力すれば道は見えたのに。奴らは愚鈍で、こちらの敏捷度なら逃げ切れるはずだ。
しかし、二階からは民間人を救い出すべく、ドアを焼き切る道具が火花を立てている。上級オークとの交戦中である彼らは、逃げることは難しい。
このまま下手に逃げたら大惨事になりかねない。
どうする、どうする。
判断する材料が欲しくて、ちらりと横目で姉を見る。
すると戦闘本能をむき出しにする美しい瞳を返された。まるで純粋な鉄のようだ。
「~~~……っ! 戦闘続行ッ!!」
姉の瞳を見た瞬間、気がつけばそう唾を飛ばしていた。
僕もまた魔術格闘家なるものの真髄を理解し始めており、全身をアドレナリンが駆け巡っている。
今であれば……いや、今でなければもう戦えない。
「はははっ、あっははは!」
今度は僕が目を見開く番だ。
もう魔物が迫ってきているのに姉は腹をかかえて笑い、ひとしきり笑い終えると、はあっと熱っぽい息を吐く。
「悔しいけど燃えちゃうわ。好きよ、あなたの振り絞った声は熱くて――アイテムセット・下級SP回復薬」
ぱきんと残り2つの回復薬を姉は消費する。
それから先ほどのように闘気刃で刀を輝かせると、絶望的な戦いは始まった。
――バチチチチッ!
魔術師オークの4本の腕は、それぞれ細かな雷光に包まれる。それを守るように騎士オークは前に立ちふさがった。
これから先、作戦を相談する時間は無い。互いに瞬間で判断し、連携をしなければならない。
奴らに勝てるのは、きっとその連携面だけだろう。
ゴツンと姉と拳をぶつけあい、左右に散る。
こちらは巨大な盾に向かい、姉は魔術師に向かって走る。
一度、雷の魔術を見たことがある。あれは直線状に飛来するもので、見てから避けるなんて芸当は決して出来ないと分かった。
だから僕は騎士の攻撃範囲まで踏み込み、その巨大な盾の影に逃れる。やはり、もう一方の姉に2本の腕は、ぴたりと向けられた。
『人ヲ食ラウ鬼ト化セ……黒雷撃!』
その人語と思わしき呪文詠唱に驚きつつも、僕の頭上からは剣が飛来する。死を思う間際、一瞬の閃きで回避したが、地面ごと貫いて破砕する様に、尻尾の先は膨れ上がる。
盾に覆われた向こうは、すさまじい雷光によりコントラスト差の強い視界に変わる。
姉の心配をする間もなく、グワリと巨大な盾が一気に迫り、地面に大きなひび割れを起こして押しつぶされた。
「――剣術、疾風」
ばり、と肩にスパークのダメージを残し、姉は魔術師の背後へ回りこんでいた。詠唱を終える間際、姉の持つ野性的な戦闘勘で距離を詰めたのだ。
一方の僕はというと、盾に押しつぶされないよう、わずかな隙間に逃れたところだ。そっと内側に腕を伸ばし、オークの手をわずかに触れる。
オグウ?
きょとんとした奴の手には、置き土産のように「業炎の罰LEVELⅠ」が残されていた。ちなみに発動までの秒読みは2秒で、さっと盾に隠れるなり起爆した。
すぐ上から、ずどどん!という激しい爆破。
さらに盾へ押しつぶされる格好となり、互いのHP減少を知らせるエフェクトが舞う。ダメージとしては向こうの方が大きいけれど、こちらのMPは7割を切った。
「由紀ちゃん、ちょっと御免なさいね」
かと思えば、ずざざと姉がスライディングして潜り込んでくる。そのまま盾を蹴り上げて、わずかな隙間を生み出してくれたけど――どうしたのと視線で問いかけると、「あっち」と指差された。
『吹キ荒レヨ、|雷ノ暴レ牛……黒雷暴牛LEVELⅤ!』
残りの帯電する2本の腕を、魔術師は地面に叩きつけた。
瞬間、ホールには黒雷が吹き荒れる。
魔術師を中心に放たれた雷は、瞬時に範囲内すべてを焼き尽くす。円形に配置された三階までのガラスは焼けたただれ、残り少ない電球は瞬間破裂し、壁材や天井は一気に炎を噴き出した。
あちいぃぃーーっ!
盾で守られていても雷で焼けるっ!
騎士オークも噴き出す白煙とともに、ギオオオ!とたまらず悲鳴あげていた。これがあるから範囲魔法というのは取得しづらいんだよね。仲間まで巻き込む可能性があるし、あいつはどうやら躊躇もしない様子だ。
しかし、ギクリと身を強張らせる声がホールに響く。
『来イ、来イ、来イ、魔力増強LEVELⅣ、雷招来LEVELⅤ』
この詠唱速度、どうなっているんだ!
魔術師としての格は圧倒的に負けており、すぐさま4本腕に生み出されたスパークに目を疑う。
普通であれば10秒程度の詠唱時間は必須だ。それが分かっていたから姉は飛び込んだというのに、魔術を放った後の隙が極めて少ない……あいつ、まさか連続魔術師タイプか!?
以前に職業分岐をする際、そのようなものを見た事がある。MPを大量に使う代わりに、極端な短時間での火力を吐き出せるという職業だ。しかもレベル20ということなら、さらに上の職かもしれない。
すぐさま推定レベルを上方修正し、騎士オーク20、連続魔術師オーク25と推測する。残り2つの下級HP回復薬を呼び出しながら、僕らは一斉に盾から転がり出た。
ただの勘だったけど、間一髪で元居た場所は燃え上がる。
『人ヲ食ラウ鬼ト化セ……黒雷撃LEVELⅣ!』
バン!と破裂するような衝撃に、たまらなかったのはオーク騎士だ。盾は一気に燃え上がり、鎧の内側からさらに白煙をあげる。
しかしそれでも燃え盛る盾を構え、魔術師を守る姿勢を見せた。恐らく内部はぐずぐずに焼け爛れているだろうに。
ばくりと口を開き、乱杭歯のあいだから大量の煙が溢れる。
それを冷ますよう、どうと周囲一帯にスプリンクラーの散水が撒き散らされた。




